ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

過剰な運動は避ける一日

2016年07月26日 | 日記
○7時起床、起床時室温26℃。夜中の目覚め1回。安眠ができた、というわけではない。
○資源ゴミ出し、クロ=パンソンの丘往復2回。紙類の運搬が左腕にはつらかった。左脚つま先が突っかかる。左脚全体がだるく、力が入りにくい。
○身体が重くかつ左脚にグラグラ感があるので(実際にグラグラしているわけではない。あくまでも感覚)、外出は取りやめた。
○多少のリハビリ運動。バーにつかまり膝を高く上げて静止、足踏み体操。ゴムを使って、水上スキープレイの感覚で(やったことは無いので視覚印象)、体重を後ろに乗せ、足踏み体操。このあたりで汗をかき始めた。続いて、体重の左右揺さぶり移動。足首と膝の鍛錬のため。階段を使って踏み台体操。(以上午前)
○廊下を利用した歩行訓練。今日はどうしても背中が曲がってしまう。つま先立ち静止、及び歩行。バーをつかんで膝を高く上げて静止、足踏み訓練。ゴムを使った足首、膝屈伸。(午後) 今日は左脚をつま先を適切に移動させることが出来ず、引きずってしまった、
○我が醜い体躯に鉄槌を!いや、それも真実だけど、旅のために少しでも身体を軽くすることで移動にもう少し余裕が出るだろうという期待から、減量に努め始めた。摂取カロリーを減らす(これは医師の指導に従う生活に厳しく戻るということ)、運動をきちんとする、汗を流す、おやつは絶対に取らない、という生活に入った。去年はかなり体を絞ったのに、いつの間にやら、ブクブクテンだものな。
○ 1970年代に、「缶詰文化」あるいは「あてがいぶち文化」が子どもの生活圏に押し寄せ、子ども自らが〔個人で、あるいはグループで、集団で〕全身を使って諸文化創造に時と場とを消費する機会が奪われつつある、という警告が発せられた。ぼくも論文や著書で「あてがいぶち文化」現象を批判し、子どもに文化創造の学習権利を保障すべきだと、綴った。(ぼくの文章は人様に訴える力がたいそう弱いので、影響力はないのだが)
 電子ゲームが始まり(ぼくも簡単ながらプログラムを組んで遊んだし、その応用で教育実践研究に利するべく務めたが―強い嫌悪感を抱きながら…)、ハードが固定から持ち運び型になり、そして今日の「ポケモンGO」にいたる。
 世の、あらゆる電子化されたアノミナス情報が組み立てられ、アノミナスな時と空間(場所)に配置される。その配置された情報を獲得するというゲーム。あたかもオリエンテーリングのように思われるが、その実質はまるで違う。オリエンテーリングは主催者がアノミナスではないし、ルールそのものが現実的だ。
 何をあてがわれているのかもわからない、新しい不可知的な「あてがいぶち文化」としての「ポケモンGO」。これに、性別問わず、それぞれの生活臭を問わず、年齢問わずの人間たちが、日本だけでなく全世界を席捲している現在(いま)。
 これから私たちは、どのようなリアルな自分を抱えていくことが可能なのだろうか。伴って起こされるさまざまな「事件」「事故」も気に病むが、もっと気に病まなければならないのは「私〔たち〕はいったいどこに向かって生きていくのだろうか」という恐れである。間違いなく、全体主義的な自分像を知らず知らずに、自己内形成するだろう。
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