背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

「悪魔のような女」

2005年12月26日 03時32分50秒 | フランス映画
 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のフランス映画「悪魔のような女」を見た。10年以上前にテレビで放映したものをビデオに録画しておいたのだが、なぜか見ていなかった。私の家にはこんなビデオがたくさんあり、最近になって見ていない映画を努めて見るようにしている。「悪魔のような女」は、なにしろすごい映画だった。恐くて気味の悪い映画の傑作だと思った。
 この映画は寄宿制の学校が舞台で、横暴な校長(ポール・モリス)を、彼の愛人の女教師(シモーヌ・シニョレ)と校長夫人(ベラ・クルーゾー)とが共謀して殺害する話である。しかし、殺してプールに棄てたはずの校長の死体が消えてしまったり、不可思議な出来事が次々に起こって、最後には思ってもみないようなどんでん返しがある。どんでん返しと言えば、ビリー・ワイルダー監督の「情婦」のラストが思い浮かぶが、「悪魔のような女」もそれに勝るとも劣らず意表を突いたものだった。これは映画を見てのお楽しみということにして、あらすじを詳しく書くのも控えよう。また、怖気(おぞけ)を覚えるいくつかのシーンもあえて書かないでおく。ともかく、校長、愛人、校長夫人の三人の迫真の演技は見ものである。そして何と言っても、白黒映画であるのが良かった。恐い映画はやはり白黒がいい。また、効果音も恐さを増幅していた。クルーゾー監督の演出の冴えは随所に感じられたが、特に小道具の使い方が絶妙だと思った。殺しに使う重しの置物、死体を包むテーブルクロス、荷物入れの大きなかご、洗濯して届けられた死人の背広、ライター、サッカーのボールなど。
 クルーゾーという監督はヒチコックと並び称されるサスペンス映画の名手とだと言われているが、残念ながら私はあの有名な「恐怖の報酬」をまだ見ていない。クルーゾーの映画は「スパイ」を3ヶ月ほど前に見ただけである。これも昔録画したビデオだったのだが、「スパイ」も恐くて気味の悪い映画だった。しかし、これは大した作品だとは思わなかった。私はヒチコックの映画が大好きだが、「スパイ」と「悪魔のような女」を見た限りでは、サスペンスの質がヒチコックとはずいぶん違うように思えた。ヒチコックの映画の恐さは日常性の中に潜む人間の狂気にあり、予想し得る不安が現実化していく過程に緊張感を覚えるのだが、クルーゾーの映画はおどろおどろしていて、状況設定の異様さと予想を超えた出来事の連続にサスペンスの特徴がある。「サイコ」と「悪魔のような女」を見比べてみると、そうした質の違いがよく分かるかと思う。
 この「悪魔のような女」は90年代にアメリカでリメイクされたらしいが、こちらの方は見ていないので、なんとも言えない。が、どうせ、猿真似の好きなアメリカ人の低俗なリメイク版に過ぎないのではないかと思っている。

<ウィスキーに薬を混入するシーン。ベラ・クルーゾーとシニョレ>

<校長役のポール・モリス>


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