まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

パチンコ大賞(西陣・ハネモノ)

2011-11-25 00:37:04 | ハネモノ

パチンコ大賞13(西陣・旧要件ハネモノ、1990年)

 

平成2年1月18日(木)、東京・晴海の国際見本市会場(1996年にクローズ)にて、「’90パチンコ産業展」というイベントが盛大に行われた。パチンコ・パチスロの各メーカーがそれぞれに専用ブースを設けて自社製品をアピール、新台のお披露目などが行われた。

「パチンコ大賞」は、このパチンコ産業展で西陣が発表した新機種である。西陣は、本機の他にも「おジョーズランド」「すし五郎」を同展で発表している。

他社のハネモノの新台では、平和が「アトランティス」「パックンロボ」、三共が「エンタープライズ1」「スウィング1」、奥村が「大和2」「酋長さん」「カニゴン」、三洋が「孫悟空」をそれぞれ出展した。

上記各ハネモノは、1990年にパチンコデビューを果たした私にとって、何れも思い出深い名機だ。ただ、パチンコ産業展が開催された1月18日は、まさに大学入試直前の大切な時期であり、しかもまだパチンコにほとんど縁のない高3受験生だった。よもや、その2か月半後にパチの道へ入るとは、夢にも思っていなかった。

 

さて、この「パチンコ大賞」、上の写真は賞球数がオール13の「パチンコ大賞13」である。実は、「13」の他にも、賞球が11個の「パチンコ大賞11」(パチンコ大賞P2)が存在する。これら2機種は、件のパチンコ産業展で同時発表されている。ゲージ構成や1チャッカー開閉時間など異なるものの(「11」の方が「13」より開放時間が0.1秒長い)、音楽や役物の動きなどは共通である。

 


(賞球オール11の「パチンコ大賞11」(パチンコ大賞P2))

 

チャッカーに入賞すると、「OPEN」と書かれた小さな四角いハネが開く。この時、「チーン」という金属音が鳴るのが特徴だ。ハネに拾われた玉は、ヤクモノの「オヤジ」にぶつかって下に落ちる。オヤジはドル箱を頭上に構えており、ハネの開放に合わせてドル箱を前方に倒す。この動きによって、中央Vゾーンへの入賞が難しくなっていた。また、オヤジの足元のステージ中央には突起が存在し、落下した玉を左右に散らす作りになっており、やはりV入賞を阻んでいた。玉がヤクモノに入ると、「キーン」という独特のサウンドが鳴る。「チーン」と鳴っても「キーン」と鳴らない台は、寄りが悪い証拠だ。

 

 

この役物オヤジ、すっとぼけた表情で実に愛嬌タップリであった。ドル箱を両手に持った蝶ネクタイ姿のハゲオヤジは、パチンコ店のベテラン店員をモチーフにした感がある。当時、人気攻略誌の「パチンコ必勝ガイド」では、このオヤジを「トニー山田」とパロディ風に命名した。江戸川区のパーラー「コテンパンのスッテンテン」のホールマネージャー、という設定であった。

 

Vに入賞すると、「軍艦マーチ」の軽快な音楽が鳴り始める。。役物オヤジと軍艦マーチこそが、本機最大の特徴といっても良い。大当り中、入賞4カウントでオヤジがドル箱を持ち上げ、玉を6個まで貯留する。貯留時にドル箱をユラユラ揺らす様も愛嬌がある。入賞9カウント又は18回ハネ開放後、ステージが前方に倒れてVゾーンが手前に移り、オヤジがドル箱を手前にバタンと倒す。一気に前方にばら撒かれた玉は、手前中央Vゾーンを目指す。貯留玉が多ければ多いほど、継続率は高まった。

なお、入賞4カウントで貯留開始、入賞9カウントで貯留解除という事は、ドル箱に5個までしか貯留されないのではないか、との疑問もあろう。しかし、実際には、一度のハネ開放で複数の玉を拾う事もあり、ドル箱に6個の玉が入る事は珍しくもなかった。ただ、6個入賞すると、却って5個よりもパンクし易くなる…という指摘もあった。

台によっては、オヤジの両腕の状態が悪く、頭上のドル箱が大きく傾いてパンクし易い事があった。ステージの左右の傾斜も、V入賞率には大きく影響した。さらに、ドル箱内部の中央にも隠れた突起が付いており、貯留解除時に玉を外側に逃がす(V入賞率を下げる)役割を果たした。こうした台の「クセ」次第で、貯留が多くてもパンクが多発する「クセ悪台」や、少ない貯留でもVを射止める「ヤクの名機」が出来上がった。

 

本機を初めて目にしたのは、1990年の5~6月頃、地元Y駅のパーラー「パチンコL」(現存)だ。

当時の「L」店の設置台を思い返すと、ハネモノでは「スタジアム」(三洋)、「スーパーブラザーズ」(西陣)、「レッドライオンアルファ」(西陣)、「プラトーンII」、「め組1番」(京楽)など。デジパチでは「ファンキーセブン」(西陣)、「パールセブン」(マルホン)、「ダービー」(京楽)、権利物は「スーパーロボット」(西陣)、一発台が「ベータ」(ニューギン)、そしてパチスロが「アラジン」(ニイガタ電子2号機)と「ビッグパルサー」(山佐2-2号機)であった。

パチンコ大賞は「L店」の新台入替で90年5~6月頃に導入されたが、やはり当初は釘が甘く、打止めの「三角プレート」が多くの台に入っていた。で、これら打止台を夕方6時に開放するサービスがあり、時間になるとカウンターの前に自然と行列が出来た。店員は、並んだ順に開放台の番号が書かれた紙(タバコのカートン包装の裏側に番号が書いてあった)を渡していく。番号によっては、苦手な機種に当る事もあったが、パチンコ大賞の打止台が貰えた時は、非常に嬉しかった。

 

なお、今回記事の参考として、故・田山幸憲プロの日記にも目を通した。氏の日記によれば、かつてのネグラである池袋「S」店(山楽)において、1990年の4月22日に新装開店が行われた。この際「パチンコ大賞13」(西陣)と「うちのポチ1」(三共)、「おジョーズランド」(西陣)の3機種がハネモノで新台導入されている。外された台は、田山氏お得意の「ザ・拳法」(西陣)、「レーシング」(三共)、それに「ペガサス」(三洋)。同じく田山氏が好んだ「ビッグシューター」(平和)と「ローリングマシーン1」(三共)は外されず、一発台の「ジェットライン」(西陣)も、この新装では撤去されていない。

(池袋・山楽会館、1990年)