1990年(平成2年)にニューギンから登場した
旧要件ハネモノ「ロードダンサー5」
★賞球:5&8&10
(オトシ、ヘソ5個、ヤクモノ10個、その他8個)
★最高8ラウンド継続
★大当り中、ヤクモノに最大3個貯留
「ラリーカー」をモチーフとした本機。こういう車がヤクモノで
活躍するハネモノは、独特のチープ感が伝わって好きだったな。
ミニカーやお菓子のオマケ、或いはチョロQ的な感じで、子供の
頃を思い出してワクワクするというか。ヘイ・タクシー(三共)、
スーパーレーシング(同)、ラリーダッシュ(平和)、ワイルド
4WD(西陣)、フォーミュラー(大一)、スーパーウィリー(同)、
チェッカー(同)など、このテの「4輪ハネモノ」に、少なからず
愛着や郷愁を覚えたものだ。
本機と戯れたのは、都電荒川線(及びJR線)大塚駅前の「ヒロキ」。
ニューギンの台が目立つホールだった。大学の講義が終わると(or
サボりたくなると)、近場のパチ屋「三光堂」「みよし」に直行する
機会が多かったが、さらに足を延ばしたくなったりもした。そんな時、
三光堂にほど近い始発駅の早稲田から都電荒川線に乗りこみ、大塚、
王子、町屋などに「プチ遠征」をかけたりした(パチりたくない時も、
鬼子母神前や東池袋四丁目辺りで下車して、プラプラと散策したり…)。
今思えば、あの頃の大塚はタイガー、ひょうたん島、ニューカワイ、
大塚センター、ロビーといった香ばしい店々が集まっていて、パチや
スロのハシゴが楽しいエリアだった。まぁ、換金率が全体的に高い分、
シブ台につかまる機会も多かったが。
そうそう、新庚申塚駅近くには、ここで説明するまでもないと思うが、
「天国」という昭和チックな国宝級レトロ店も存在(西陣のハネモノが
充実しており、上述のワイルド4WDも置いてあった。既に閉店)。
センターヤクモノ奥には、赤いラリーカーが前面を向けて
デンと構えていた。盤面には「DAKAR PARIS」なんて
英字ロゴが入っていたし、エッフェル塔的な建物や砂漠の
イラストも描かれていたから(天穴下もエッフェル塔の形)、
かの有名な「パリ・ダカールラリー」を意識したものだろう。
ヤクモノの車前面の窓上には、「TEAM NEWGIN」の表記。
通常時、このラリーカーは静止状態だが、ハネが開閉すると
垂直上下動を数回行った(ヘソ入賞で2回、オトシ入賞4回)。
また、ラリーカーの前面ボンネット中央には、ちょうど玉1個
通過できる筒状の通過口が存在。この通過口に入ると、縦長の
筒(ガイド)から下段中央奥に落下。そのまま手前に真っすぐ
折り返す。Vゾーンは手前中央にあるから、上段奥でボンネット
中央の通過口をくぐれば、V獲得の大きなチャンスとなった。
但し、通過口に入るには、上下するラリーカーが「一番上」まで
上がっていることが条件。玉が上段奥にアプローチする際、車が
下降していたり、上昇途中だったりすると、通過口が完全に顔を
出さないので、入賞は難しい。玉の動きと、ラリーカーの上下動
タイミングがピッタリと合った時、下段中央からVを目指す「王道」
ルートが期待できた。但し、通過口を通り抜けた場合でも、下段で
左右にバラけてしまって、あっさりVを逸らすケースも…。
一方、上段で通過口に嫌われたり、左右奥に転がったりした場合は、
ラリーカーの両サイド(左右ヘッドライト前方)から下段に落ちる。
この場合、下段でもステージ両脇を通って直進し易い為、必然的に
ハズレが多発。但し、上から落下する角度次第では、下段で左右の
壁にクッション後、巧く角度を変えて中央Vへと向かうチャンスも
残っていた。
通過口に拾われた場合、拾われなかった場合、双方にV入賞の
チャンスがあった訳だ。無論、台毎の「クセ」も重要となる。
首尾よく大当りすると、奥のラリーカーが最上部まで上昇して停止。
したがって、ボンネット中央の通過口を、玉が通り易い状態となる。
また、通過口下の出口手前にストッパーが働く為、上下ステージを
結ぶ筒の中に、複数の(縦)貯留が可能となる。貯留は最大「3個」。
ここに貯留できるか否かが、V継続の大きなカギとなる。ハネが玉を
拾うタイミングや、ハネのどの部分で玉を拾うか(ヤクモノ入賞する
際に玉の勢いの「強弱」が生まれる)によって、巧く通過口に入るか
左右にバラけるかといった違いを生んだのは、言うまでもない。
ハズレ4カウント若しくはハネ16回開閉後、下段のストッパーが
ハズれて、貯留は解除される。解除された玉は、下段奥中央から
手前に転がって一斉にVを目指す。ただ、貯留後の動きは不確定な
要素も多く、3個貯留があるから安心できるとか、貯留1個なので
期待できない、ということはなかった。3個が全てVを逸れたりも
したし、虎の子の貯留1個が、ビシッとVを射止める場合もあった。
なお、解除後はラリーカーが上下動を再開する為、V入賞率は格段に
下がる。但し、早めにハズレ4カウント解除したような場合、復活の
チャンスも残っていた。16回ハネ開閉後の解除で失敗するとキツイ。
本機はオトシ、ヘソの戻しが5個、ヤクモノ10個なので、通常時の
玉持ちはイマイチ。V継続も幾分不安定で、平均出玉も少なめだった。
だが、その分、店も釘を甘く出来たし、ヤクモノもそれ程厳しくない
ので、ある程度は初当りの期待も出来た(鳴きは良いが、寄りが悪い
台に泣かされたりもしたが)。今思えば、やはり賞球の少ない同社の
ポップアートと同様、「遊べる部類」のハネモノだったように思う。
小銭投資で、小箱1箱800個出したら満足…そんなささやかな幸せが、
この時代のハネモノやチューリップ台にはあった。とはいっても、
店によっては、そんな前提など全く意味をなさない、シブシブな
ボッタ釘を叩いたりもしたが…そんな店に限って、全台にもれなく
「開放台」の三角プレートが刺されていたり。
新要件版「ニューロードダンサー」(1991年)も後続で登場。
(賞球は「6&9&12」に変更、最高継続ラウンド数は15R)
(ニューギン「ロードダンサー5」の項、了)
ヒロキ、末期は客が激減でした。
ジーパンの裾(余り布部分?)を
切って袋状にしたモノで、小銭を回収していたのが
面白かったなあ。。
現在はサンドラという店に変わってます。
今も現役なのは、ひょうたん島位かな。