まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

2001年11月のスロ実戦記

2015-02-09 00:03:03 | 思い出のパチンコ店

今から14年前、2001年(平成13年)の古い手帳を久々に見返したところ、スロ4号機時代の立ち回りが、かなり断片的ではあるが、アレコレと書き込んであった。

まぁ、「10年ひと昔」という位だから、この程度のチョイ過去でも、今となっては随分と懐かしく感じる。


(平成13年11月のスロ実戦データより)

この時期(平成13年11月)は、丸の内の職場を「一身上の都合」で辞めた後で、貯金と失業保険とスロで食い繋いでいた、個人的に「混迷期」ともいえる頃だった。
(翌2002年に、町田「S」店で出会った沖スロのシオラー30で、安定した勝ちが見込めるようになり、人生唯一の「スロ専業期」を約2年過ごす。)

「大好きなスロで勝って、何とかしたい」と、日々もがいていた当時の「苦悩」が、乱雑な走り書きから、薄っすらと読み取れる(気がする…)。

ただ、直前まで「アフター5はパチ屋に直行。ホールへのタクシー通いも、何のその」という怠惰なスロリーマンだった為、負け当然のユルい立ち回りが、完全に抜け切っていない様子も見られる。

また、様々なホールに出向きたがる、生来の「ハシゴ好き」の性格も、立ち回りの随所に見て取れる。
(町田S店に腰を落ち着けた時期は、ある意味「奇跡」だった)

まぁ、今さら恥ずかしいとは思ったが…メモの内容をザッと書き起こしたので、興味ある方はご覧を。




                ★2001年(平成13年)11月のスロ実戦録★

⇒メモ帳には、スロマガ添付の「設定判別用カンペ」(ハナビ、SJP、ワードラ、キングジャック、シオサイ30、アレックス、ニューパルR、クランコなど)が、無造作に折り畳んで挟んであった。


何気に、お世話になる事の多かった「判別カンペ」。ビッグ後にクレジットを落す判別の他、ノーリセット機用の「SS(セルフサーチ)判別」も載っていた(この時は「バトルナイト」と「ホロQ」)。



H13.11.12(月) 有楽町「DUO(デュオ)」 ゲッターマウス 317番台(G数表示:520G)
5Kでビッグが食いつき、ハマリもなく順調に出玉を伸ばす。バケも多く高設定期待。だが、後半は異様にバケに偏って、出玉をジワジワ削られる。最後はビッグ間900G(バケ4)ハマってヤメ。873枚(4958P、B18R14)⇒換金14.5K(6枚交換)。その後、ゴルゴ13-2K、グランシエル-1K。
トータル収支=プラス6.5K


H13.11.13(火) 有楽町「DUO」 ゲッターマウス 317番台(朝イチから)
いきなり24Kハマって、初ボーナスはバケ。その後も、ノマレ⇒追加⇒単発を繰り返して、負債を増やす。最後はストレートで822Gハマって終了。マイナス38Kの爆死(何故、ここまで追ったのか…謎)。

そのまま山手線で恵比寿に移動。たまたま見つけた駅前の「パーラーエース」スーパーリノを物色。カド2のG数表示が「980」で空いており、すかさず着席(ストック切れ?バケでリセットされないランプ?)。あっさり2Kで(1130G。2Kで150G回っているので、小役落ちが異様に良かったと思われる)初ビッグ。これが運良く7連(全てビッグ)まで伸びて、連チャン終了後、即ヤメ。2375枚⇒換金39.5K(6枚交換)。何とか大負けを免れる。
トータル収支=マイナス0.5K


H13.11.15(木) 赤坂見附「エスパス赤坂B館」 スーパーリノ カド3、台番不明(G数表示:708)
1K(730G)でビッグ。これが5連(全てビッグ)。連チャン即ヤメ。1640枚。その後、オアシス-4K、スーパーリノ-4K。最後はカブト1Kビッグ⇒途中ヤメ188枚。レシート2枚で計1828枚⇒換金36.5K(等価)。
トータル収支=プラス26.5K


H13.11.19(月) 赤坂見附「エスパス赤坂A館」 スーパーリノ 626番台(G数表示:580)
3K(680G)でビッグ。これが「BBBRRBB」7連チャン。62G回してヤメ。1879枚⇒換金37.5K(等価)。
その後、赤坂見附「サントロペ」スーパーリノ-2K、キングパルサー-2K、サイバードラゴン+6K。
トータル収支=プラス36.5K


H13.11.20(火) 新宿歌舞伎町「エスパス1号店」
スーパーリノ 角3、台番不明(G数表示:230G、B6R4※)
1Kビッグも連チャンはバケ1のみ。60Gヤメ。419枚、換金8K(等価)。その後オアシスで+2K。
トータル収支=プラス9K


H13.11.21(水) 目黒「百万弗」
ハナハナ30 設定456札、台番不明(G数表示:649G)
7K(849G)でバケ。ノマレ後5Kでビッグ。29R、87Bと続くが、398単発ノマレ。追加19K(1047G)と大ハマリしてビッグ。連せず…持ちコイン204Gで再びビッグも、50Gでヤメ。425枚、換金8.5K(等価)。
目黒「ガイア」に移動。コンチ4X-3K、ゴルゴ13-1K、バクチョウ-1K、スーパーリノ+2Kと、負債を微妙に増やして終了。
トータル収支=マイナス25.5K


H13.11.22(木) 
武蔵溝ノ口「ライジングサン」
エコトーフ-3K。直後、ハナビの970Gハマリ(B19R7)を見つけて、興味本位で少しだけ追ってみる。運良く1Kでビッグ!あれよあれよという間にボーナス回数が伸びる。判別結果は4以下。だが、全くハマらずB34R20まで伸びて(個人データはB15R13)、3319枚獲得⇒換金66K(等価)の快勝。
トータル収支=プラス62K


H13.11.23(金)祝日 新百合ヶ丘「ジアス」
スーパーリノ-1Kの後、オアシス左カド2に座る(G数表示:340)
1Kでビッグ。その後も180B、198R、21B、3B、65Bと、調子良く引く。100ゲーム回してヤメ。1275枚⇒換金25.5K(等価)。
トータル収支⇒22.5K

・H13.11.24(土) 新百合ヶ丘「ジアス」 オアシス プラス11K
・H13.11.25(日) 新百合ヶ丘「ジアス」 オアシス マイナス1K
・H13.11.26(月) 新百合ヶ丘「ジアス」 オアシス プラス8.5K

H13.11.27(火)~11.29(木) 名古屋遠征※ 名駅太閤口近く「ウィングレッド」
初日:移動&下見 2日目:シオサイ30 プラス50K 3日目:シオサイ30 プラス6.5K
2日間でプラス56.5K
※宿泊費15960円(ビジホ2泊)、交通費は行きが4830円(小田原⇒浜松⇒名古屋を鈍行で移動)、帰りの旅費はメモっておらず不明。ただ、必要経費をスロの勝ち額で賄ったのは間違いない。


H13.11.30(金) 赤坂「サントロペ」
キングパルサー カド2(台番不明) G数表示:720
7K(937G)でビッグ。30Rと2連するがノマレ。追加1K(380G)で再びビッグ。20B⇒30Rの3連。そのまま続行、586Gまで引っ張られてビッグ⇒20B⇒3Bの3連。128ヤメ。1055枚の換金20K(5.5枚)
トータル収支⇒プラス12K


⇒⇒実働13日間のトータル収支…プラス224K


改めてデータをチェックすると、この月は随分と「ヒキ」に助けられている感じがする(3K以内で初ボーナスが掛かり過ぎ…初期投資が非常に少ない)。

初っ端からゲッタマをしつこく追って酷い目に遭うが、その後はスーパーリノのハイエナ中心に、そこそこ結果も伴っている。なお、実戦エリアは、丸の内勤務時代に馴染み深かった有楽町や赤坂が中心だが、それ以外にも、都内・神奈川のそこかしこを、「放浪者」の如くウロついている(笑)。月の終わり頃には、思いついたように名古屋へ旅打ちを敢行。ほぼ運任せの台選びで、まさかのシオサイ2連勝を飾る(判別結果は4以下だったが…ここでもヒキに助けられた)。

それから、南武線・武蔵溝ノ口駅南口の「ライジングサン」(The Rising Sun)(改札を出て左手奥にあった店。駅構内の通路から入店できた。2008年クローズ)は、この2000年辺りから、頻繁に足を踏み入れていた事を思い出す。パチはほぼ打たず、ジャグラー、ハナビ辺りをよく追いかけた。
一時期、ここにはパイオニアの「カブト」が並んでいて、ボーナス回数や連チャンの履歴が、ノーマルとは思えぬほど凄い事になっていたが(どう考えても〇モノ)、理不尽なハマリを恐れて※、座るのを極力避けていた(シマも異様な熱気で、空き台も極端に少なかった)。その後、シマがガラガラになってようやく打ってみたが、すでにしてノーマル挙動に変わっていた(それでも十分楽しかったが)。
※裏モノを怖がっている割には、同じ溝の口「M」店で、2か月前の9月には「キングオブジャングル」のバリバリBモノを打ち、しっかり快勝(プラス30K)している。また、同じ「M」店では「赤光の剣」の裏モノ(REGから連チャンするヤツ)も平気な顔して打っていた。あのカブトの挙動には、KOJや赤光とは一味違った「怖さ」を感じたのかもしれない(あの心臓ドッキリ告知にビクついた…という意味ではない)。

なお、「ライジングサン」は、故・田山幸憲プロの「パチプロ日記」においても、「溝の口R店」として幾度か取り上げられた(「青葉台B店」(ビッグスペース青葉台)時代を参照。用賀から青葉台に向かう途中、溝の口駅ホームで一服しつつ急行待ちしている時、偶然R店のビルが目に入った…というくだり等)。
日記によれば、田山さんが以前ネグラにしていた「溝の口B店」(P.S.ビッグトップ)の後身の店が、実はR店(ライジングサン)だった、という事である(但し、店舗の所在地は異なるので、北口にあった「B店」閉店後、同じ経営者が南口に「R店」を立ち上げた、ということになる)。なお、R店の新規開店は1997年暮れ(日記による)。


半年ほど前、田山プロの命日(7月4日)を前に、池袋や桜新町といった「ネグラ」巡りをした事がある。
その際、東急・溝の口駅と南武線・武蔵溝ノ口駅を結ぶ連絡通路(デッキ)で、たまたま懐かしの「ライジングサン」の屋上看板が目に入って、思わずシャッターを切った(撮影日:2014年6月30日)。
この時、すでに閉店から5年半も経っていたが、店が入っていたビルの青い屋上看板だけは、そのまま残っていた(現在もあるかは不明)。因みに、こういった類を、私は「スロ世界遺産」と呼んでいる(笑)。


(参考画像)
(C)Google
武蔵溝ノ口駅・南口ロータリー前にあった「ライジングサン」跡地(2014年3月現在)。ビル屋上の青い看板ロゴも見える。このビルの1F~3Fが店舗になっていて、1Fと3Fがパチ、2Fがスロだった。2Fだか3Fの端っこの通路から、駅構内にそのまま出られる出口もあった。



3 コメント

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教えてください (Unknown)
2015-02-13 22:09:39
ほぼ同年代ということで、いつも懐かしい気持ちで拝見させていただいてます。
ここまでパチスロ、パチンコに情熱を持っていた貴方が引退した理由が知りたいです。どのような心境の変化があったのでしょう。
気が向いたら、ブログで書いてください。きっと私の他にも気になってる人はいると思います。
ちなみに私は今でもスロットを週一程度で打ってます。
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彼と同世代ならわかるでしょ (毒天使)
2015-02-14 07:39:54
説明せぬまでも、わかるはず。
こんだけホンモノの好き者ならば、五号やパチンコのバキャーンなどの味わいもへったくりもない遊びが合うはずがない。
先が読めちゃうデキレ的な演出を好むわけがない。

俺は、いいときにちゃんとやめている彼だからこんな記事が書けると思っているよ。
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Unknown (攻防の待つ)
2015-02-17 12:00:23
2001年、もう14年も前なんですね。月日が流れるのは早いですね、ほんとw

赤坂エスパス、サントロペ懐かしいです!私が両店に足を運ぶようになったのはサッカーのワールドカップがあった年でした。

色々な機種を打ったとは思うのですがエスパスではクレイジーシャーマン、サントロペではガンタムのスロットを打った記憶があります。

武蔵溝ノ口、決して遠い距離ではないので世界遺産確認しに行ってみようと思います。
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