タイの北端にチェンセーンという町があり、その北約9kmにコールデン・トライアングルという場所があります。タイ・ラオスを隔てるメコン川と、タイとミャンマーを隔てるルアク川が合流する地点です。タイ側の川の合流地点にはぎっしりと土産物屋が並んでいます。
ここから、小船でラオスに渡ることができます。国境を越えるのですが、ビザは要りませんし、パスポートチェックもありません。
ラオス側では土産物屋が並んでいる場所に着きます。船着場近くは舗装されていますが、土産物屋が並んでいる道は舗装されていません。正直お客さんはあまり居ませんし、店員も売る気があるようにも思えません。
品物の値段はタイと比べると充分安いのですが、値切ると少し困った顔をしながら値を下げてくれます。ひょっとすると最初に店員が言った値段がぎりぎりの値段だったのかも知れません。
土産物屋の他は檻に飼われたクマと、コンクリート製の鹿の像が森の中に並んでいます。土産物屋が並んでいる道を進むと森の向こうに延々と続く草むらが見渡せます。
草むらの中の一本の悪路を時折、ボロボロのバイクに乗った人が通ります。農機具を積んでいますからたぶん農民なのでしょう。
タイ国境近くにあるミャンマーのタチレクという町はタイからの買い物客で賑わっています。
ひょっとすると、ここはラオスの人たちが「タチレクみたいになったらいいな」と思い、彼らなりに精一杯背伸びをして作った場所なのかもしれません。そう思うと少し悲しくなるのですが、その一方で心が穏やかになって行く自分が居るのです。
なぜだろうと思うのですが、流れている空気が違うとしか思えません。タイもミャンマーも日本人にとって充分癒される国なのですが、ラオスはそれ以上に自分の心が穏やかになって行く国です。
ラオスはASEAN加盟10か国中唯一の内陸国。面積は23.9万km2日本の約6割に相当し、6.2百万人が暮らしています。国土の約70%は高原や山岳地帯で、北は中国、東はベトナム、南はカンボジア、タイ、西はミャンマーと国境を接しています。主な産業は農業と水力発電の近隣諸国への売電だそうです。
主な観光地としては、北部の古都ルアンプラバン、メコンに浮かぶ4000の島と滝が売りのパクセ、そして首都のヴィエンチャンでしょうか。
ラオス情報文化観光省のサイトにはこう書かれています。
「アンコールワットのように壮大な遺跡があるわけでなし。エメラルドグリーンの海が広がっているわけでもなし。タイのトムヤンクンのような名の知れた料理があるわけでもない。
かつて、ランサン王国として統一されたこの国は、その後、フランスのインドシナ連邦に編入された。フランスによる統治やインドシナの戦火に巻き込まれるという歴史を経て、1975年「ラオス人民民主共和国」は誕生した。
今もなお、海外からの経済援助に頼っているが、この国で暮らす人々の心は豊かさで満ちており、溢れんばかりの微笑みで、いつも私達を迎えてくれる。」
ラオスが歴史に登場するのは14世紀中頃。ランサン王国(ランサンとは百万頭の象という意味)がルアンパバーンに王都を定めた頃からです。
今で言えば、戦車100万台の軍事大国ということでしょう。
16世紀には絶頂期を迎えました。その後ヨーロッパとの交易が行われイタリア人伝道師らに、ヴィエンチャンは当時の東南アジアでもっとも荘厳な町であると評されたそうです。
18世紀にはいると王位争奪の争いから、ランサン王国はヴィエンチャン、ルアンパバン、チャンパサックの3つの国に分裂します。それぞれタイやカンボジアの影響下に置かれ、両国の争いに巻き込まれる形で戦乱が続きました。
ちなみにタイのバンコクのワット・プラケーオにあるエメラルド仏は、1777年トンブリー王朝(シャム)のタークシン王がビルマ(コンバウン王朝)と繋がっていたヴィエンチャン王国へ侵攻すると、1779年にラーマ1世(当時はタークシン王に仕える将軍)がヴィエンチャンから略奪してトンブリー(現在のバンコク)へと持ち帰ったものです。
後にラーマ1世がチャクリー王朝を開くと、エメラルド仏は1784年からラーマ1世が設置したワット・プラケーオに安置される事となり、そのまま今日まで至っています。
でも、そのことはラオスの観光案内には書かれていません。また、タイ東北部は元々ラオスでした。紛争の中でタイに割譲されてしまった土地です。
その後1893年フランスのインドシナ連邦に編入され、ランサン三国はラオ族のラオを複数形にしてラオスと呼ばれるようになりました。
その後も、右派、中立派、左派の対立による抗争と、列強の介入により拡大するベトナムの内戦に巻き込まれ、政治的混乱の時代が続きます。そして1975年12月、ラオス人民革命等の勝利により王制を廃止し、現在のラオス人民共和国を無血で樹立しました。
ラオスの人々は、エメラルド仏が元々ラオスに有ったことに言及することは有りませんし、タイ東北部が元々ラオスだったことに言及することも有りません。
ベトナム内戦の折、ホーチミンルート(北ベトナムの補給路)がラオスを通っていたことも有り、激しい米国の空爆を受けたのですが、米国に対する批判も聞かれません。
王政廃止と社会主義国への移行もだれの血も流れませんでした。ラオスの人々の穏やかな性格がそうさせているのだと思います。
ラオスの人々がなんでそんな穏やかな性格なのか判らないのですが、やはり、この国に流れている空気がそういう国民性を育てている気がします。
回りの国々に比べ観光資源に乏しいのですが、この国の観光資源はこの国の人々の穏やかさそのものなのだと思います。
中東の紛争地域の人々も本当は穏やかな人々なのだと良く聞きます。子供たちもとても素敵な笑顔をしていたそうです。
古代遺跡が破壊されたとしても、穏やかな人々が居る、子供たちがとても素敵な笑顔している。それだけで、訪れて見たいと思います。
中東の紛争地域の紛争が終わり、人々が穏やかな心を、子供たちがとても素敵な笑顔を取り戻す。
そんな日が早く訪れますように。
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