ネパールは面積が約14.7万km、人口が約27.91百万人、多民族・多言語国家(インド・アーリア系の民族と、チベット・ミャンマー系民族)であり、民族とカーストが複雑に関係し合っています。また、宗教はヒンドゥー教が8割、仏教1割、その他はイスラム教やアニミズム等とその習合が混在だそうです。
北は中国、南はインドと接しています。どちらも一筋縄ではいかない国ですから、大変だろうと思いますが、中国といってもヒマラヤ越しで、チベット自治区という点がまだ救いなのかもしれません。
ネパールと日本の文化的な繋がりは、日本の禅僧で修業僧の聖職者河口慧海がチベットへ向かう途中にネパールを訪れた1899年にさかのぼります。
また、1902年初めてネパールの学生が海外に派遣されましたが、その留学先が日本だったのだそうです。
ネパールでは2015年4月25日にマグニチュード7.8の大地震が発生しました。死者は8000人を超えるとも言われています
日本は,ネパールとの伝統的な友好関係及びネパール政府からの要請を踏まえ,緊急援助物資の供与及び1,400万ドル(約16.8億円)の緊急無償資金協力の実施に加え,国際緊急援助隊(救助チーム,医療チーム,自衛隊部隊)を派遣し,被災者に対する緊急人道支援を実施しました。
また、アルピニストの野口健さんは、ネパール大地震に遭遇したヒマラヤのエベレスト付近の村で支援調査活動を続けています。
観光としては、西の都市ポカラを基点としたヒマラヤトレッキング、東にはサガルマータ(エベレスト)国立公園、ヒマラヤ山脈の自然を満喫できます。
また、首都のカトマンズはチベットとインドを結ぶ交易の中継地でした。この盆地は、昔、湖だったそうです。ブッダのお骨を祭っているお寺もあります。震災前は長期滞在者の観光客が多いことでも有名でした。
インド滞在で疲れきった旅人が、休息の為にネパールを訪れ、体調が回復したら、またインドに向かって旅立って行くのだとも言われています。真偽の程は定かではありませんが。
また、西部のインドとの国境に近いところに仏陀の生誕地ルンビニという町があります。
まだまだ、震災の復興途上なのですが、ヒマラヤ観光以外にも魅力的な場所は沢山あります。
農業が主たる産業で、ヒマラヤ観光などの観光業も盛んですが、恩恵を受けているのは一部の人たちです。
人口の半分以上は、1日の収入が1米ドル(約円)以下という貧困ライン以下の生活を強いられています。
そのため海外への出稼ぎも盛んで、ネパール人の30%が海外からの送金を受領していると言われ、一家庭が年間受領する額は年間平均8万440ルピー(約8万400円)といいます。この額は南アジアで最も多く、世界でも5番目だそうです。
海外への出稼ぎ者の数は約300万人いると言われ、世界の48カ国でネパール人が働き、特に中東とマレーシアで数が多く、出稼ぎ労働者の80%が働いています。
その労働環境は劣悪なのだそうです
国際労働財団によれば、ネパールの若者の約1500人が毎日海外に出稼ぎとして出国している一方、海外で死亡した労働者の遺体が毎日3人ぐらい運ばれてくるそうです。
ネパールは2008年までは王国でした。1972年即位したビレンドラ国王の下、立憲君主国に移行しつつありました。
1996年ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が王制を打破すべく、「人民戦争」を開始しました。ネパール内戦とも言われています。
2001年のネパール王族殺害事件により国民に信頼されていたビレンドラ国王らが殺害され、ビレンドラとは対照的にもともと国民に不人気であったギャネンドラ国王が王位につくと、ギャネンドラ国王は議会を停止。以後、国王・議会・マオイストによる混乱状態が続きます。
2005年12月には議会内の7党連合と議会外の毛沢東派が和解し、共にギャネンドラ国王の独裁と闘うことで合意しました。
その後2008年5月28日 、ネパール制憲議会が招集され、新たな政体を連邦民主共和制と宣言して正式に王制が廃止されました。ギャネンドラ国王は退位し、ここにネパールは終焉を迎えたのです。
ネパールの主な政党は以下の通りです。
ネパール共産党統一毛沢東主義派:旧・ネパール共産党毛沢東主義派、マオイスト、毛派とも。
ネパール会議派:コングレス党とも。社会民主主義政党。社会主義インターナショナルの正式メンバー。
ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派:日本では統一共産党の略称が一般的。
マデシ人権フォーラム:インド国境のマデス地方の人々の利益を代表する地域政党。
地域政党のマデシ人権フォーラムを除けば、共産主義・社会主義の政党です。建前上、中国は共産主義、インドは社会主義を掲げていましたから、間に挟まれているネパールも共産主義・社会主義の政党が主流になったと言う事なのでしょう。
ギャネンドラ元国王は詩を書いたり、祈祷、インターネットなどをして過ごし、近隣の森林を散策したりすることもあり結構優雅な生活をしているらしいです。
また、王政廃止を主導したマオイスト議長のプラチャンダは、不動産、ホテル、茶園業を営む実業家で個人資産数十億ドルの富豪であるギャネンドラに対して、国内に投資して雇用の創出をして欲しいこと、また、プラチャンダは政党を造って政界に進出しても構わないと申し出ているそうです。
他の国で国民に不人気であった国王を廃位し、共産主義・社会主義の政党が実権を握ったら、元国王に対しもっと厳しく対処していた気がします。
ネパール内戦は現在のシリア程ではありませんが、ISの問題を除けば状況は良く似ていたのかもしれません。
アメリカは国王を、中国はネパール共産党統一毛沢東主義派を、ロシア(ソ連)はネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派を、インドがマデシ人権フォーラムを支援、イギリスの労働党などの欧州中道左派政党がネパール会議派を支持していました。
それが、混乱に拍車をかける結果になりました。
シリアでも、アサド政権を支援するロシア・イランと、反政府勢力・クルド民族を支援する欧米が合意することは難しいようです。
アサド政権と反政府勢力・クルド民族が対ISに限ってでも共闘できないものかと思うのですが、それも厳しいのかも知れません。
シーア派とスンニ派の対立、クルド民族問題、キリスト教国に対する反発、それが複雑に絡み合って、出口の見えない状況になってしまっているようです。
スリランカの回でも書いたように「憎悪は憎悪によって止むことはなく、憎悪を捨てることによって止む」という仏陀の言葉、同じ様な言葉はどの宗教・宗派にも見られます。
「憎悪を捨てる」とても難しいことだと思います。
でも、住んでいた町を後にし、笑顔を無くしてしまった子供たちの為にも、大人達が憎悪を捨てなければならないのだと思います。
子供たちの心が憎悪で一杯になってしまう前に。
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