伝統文化★資料室

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御歌会始陪聴私記と昭和5年歌御会始式図

2014-03-21 20:53:20 | 青柳隆志先生

戦前には、歌御会始の陪聴者が恐懼感激のままに「陪聴記」を残すことがままあり、昭和5年1月29日に行われた歌御会始の陪聴記である本書もその一つですが、著者相澤英次郎氏は、三重、神奈川の師範学校長を歴任された方で、非常に精密な記録を残しておられます。とりわけ貴重なのは、当日、宮中鳳凰の間の人物配置が全て掲載されていることで、御歌所の職員や陪聴者、女官に至るまでの位置取りが確認できます。

さらに幸運なことに、小生所蔵の「少女倶楽部」昭和6年2月號付録「宮中歌御会始御式図」は、この昭和5年の歌御会始を描いたもので、両者を比較することにより、当時の歌御会始の具体的な雰囲気を知ることができます。

 この絵図は、文部省教科書の挿絵画家として知られる渡部審也の筆になるもので、少女雑誌の付録ということで「イメージ」で描いたものかと思っておりましたが、相澤氏の記録と照合すると、実は非常に正確に現場を写したものであったことがわかります。この年、皇太后宮(貞明皇后)は、記録にあるように「御歌」のみで出御はありませんでしたので、一番右の卓子には御歌のみが載っています。また、人物の配置にしても、昭和初年という時節柄、軍服の方が多いのだなぁ、というふうに漠然と捉えておりましたが、これも照合すれば、鈴木貫太郎侍従長、奈良武次侍従武官長、阿南惟幾侍従武官、閑院宮載仁親王(翌年陸軍参謀総長)、朝香宮鳩彦王(陸軍少将)といった、いずれも名高いひとびとと知られます。それもそのはず、この絵を校閲したのは、この時読師を務めた一條實孝公爵(立ち上がっている人物)なので、正確であるのは、いわば当然であったのでした。


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