アスファルトを踏みしめて歩く。
鈴の音が、段々と遠くなる・・。
さやの耳は、時々聞こえなくなる。
精神的にも、身体的にも
あるいはそのどちらかに
負荷が掛かり過ぎた時に。
予兆は、ある。
多くは疲れを感じた時。
それは、
頭痛から始まる。
そしてめまい。
平衡感覚が失われる。
ひどい頭痛と耳鳴り。
地面がスポンジのように歪む。
目の前の景色が変わっていく。
色が滲んでいく、くすんでいく。
強烈な痛みと共に
さやの耳は音を失う。
聞こえない。
ココロの声もカラダの声も。
聞けなくなるほど追い詰められて
聞こえなくなるほど追い詰めて、
さやの耳は聞こえなくなる。
その痛みは、
ココロの痛みであり
カラダの痛みであり
必死で発信しているSOS。
なのにさやには聞こえない。
いまだに、聞こえないままでいる。
「死んでしまいたい」と
久し振りに思った。
「消えてなくなりたい」と
久し振りに思った。
眠れなくて
みぃを散歩に連れ出した。
歩いているウチに
みぃの首輪の鈴の音が消えた。
「このままいなくなりたい・・」
何がツライ訳でもない。
大切な人達がいて
大切に想ってくれる人達がいる。
それだけで他に何も要らないくらい
充分過ぎるくらいに幸せなはずなのに。
助けを求めてる。
休職が年内一杯に延びた。
会社からの電話に出られない。
送るべき必要書類が作れない。
復帰のことを考えられない。
会社に行かれる気がしない。
でも全部延期になった。
延期になったはずなのに、
考えなくて良くなったのに、
それなのに、
何がまだ苦しめるの?
何にまだ苦しめられてるの?
それなのに、
まだ助けを求めてる。
どうして・・?
聞こえない。
自分の声が聞こえない。
ココロの声も、カラダの声も。
何を助けて欲しいのか分からない。
・・消えてなくなってしまいたい。
独りきりじゃないと知っているのに。
守られていると分かっているのに。
自分で自分を救えない。
自分で自分を守れない。
自分で自分を、
消してしまいたい。
もう何も聞こえない。
鈴の音が、段々と遠くなる・・。
さやの耳は、時々聞こえなくなる。
精神的にも、身体的にも
あるいはそのどちらかに
負荷が掛かり過ぎた時に。
予兆は、ある。
多くは疲れを感じた時。
それは、
頭痛から始まる。
そしてめまい。
平衡感覚が失われる。
ひどい頭痛と耳鳴り。
地面がスポンジのように歪む。
目の前の景色が変わっていく。
色が滲んでいく、くすんでいく。
強烈な痛みと共に
さやの耳は音を失う。
聞こえない。
ココロの声もカラダの声も。
聞けなくなるほど追い詰められて
聞こえなくなるほど追い詰めて、
さやの耳は聞こえなくなる。
その痛みは、
ココロの痛みであり
カラダの痛みであり
必死で発信しているSOS。
なのにさやには聞こえない。
いまだに、聞こえないままでいる。
「死んでしまいたい」と
久し振りに思った。
「消えてなくなりたい」と
久し振りに思った。
眠れなくて
みぃを散歩に連れ出した。
歩いているウチに
みぃの首輪の鈴の音が消えた。
「このままいなくなりたい・・」
何がツライ訳でもない。
大切な人達がいて
大切に想ってくれる人達がいる。
それだけで他に何も要らないくらい
充分過ぎるくらいに幸せなはずなのに。
助けを求めてる。
休職が年内一杯に延びた。
会社からの電話に出られない。
送るべき必要書類が作れない。
復帰のことを考えられない。
会社に行かれる気がしない。
でも全部延期になった。
延期になったはずなのに、
考えなくて良くなったのに、
それなのに、
何がまだ苦しめるの?
何にまだ苦しめられてるの?
それなのに、
まだ助けを求めてる。
どうして・・?
聞こえない。
自分の声が聞こえない。
ココロの声も、カラダの声も。
何を助けて欲しいのか分からない。
・・消えてなくなってしまいたい。
独りきりじゃないと知っているのに。
守られていると分かっているのに。
自分で自分を救えない。
自分で自分を守れない。
自分で自分を、
消してしまいたい。
もう何も聞こえない。
さやさんのこの記事は、僕にはとてもとても難しくて、さやさんの為に何を書けばいいのか、この記事が書かれてからしばらく考えてました。
で、最終的には以下のように書く事に決めました。
さやさんが自分一人で解決できない、乗り切れないんおなら、もっと周りの人に頼ってもいいんですよ。
幸いさやさんには頼れる人がいますよね?
彼氏さんやお母さんやお友達に頼って、甘えて、吐き出してもいいんじゃないかな?
分かっているんですけどね、
時々それを忘れてしまう。
分からなくなってしまう。
ひぃさんの言う通り、
もっと周りに助けを求めていいのかなぁ・・
現実問題、良い悪い別にして、求めてもいい人、ダメな人、求めに耐えられる人、耐えられない人がいるから、
その辺を判断するのが、さやさんの為にも相手の人の為にも大切だと思います。
世の中にはうつの配偶者に色々な意味で耐えられなくなって離婚した話はよく目にするし、
一方、僕(健常者だった時も含めて)のように、うつだった妻と一緒に過ごす事、頼られる事を全くとは言いませんが負担に思った事が無かったりする人もいます。
僕は離婚”され”ちゃったけどね(笑)
僕は責任を取れる立場にいないので、無責任だとは思いますが。
お母様や彼氏さん、過去のBLOGに出てきた御友人ならいいんじゃないですか?
あ、おかえりなさい、BLOG復帰よかったですね。