ウツ病者は、確かにツライかも知れない。
けれどそれ以上にその周りの人達も、ツライ思いをしている。
今になってやっとそういうことが分かってきた。
そのことを、周りの人を気遣う余裕が出てきた。
本当にひどかった頃は、そんなことさえ分からなかったのだから
それだけを考えても大きな回復だと思う。
一番ツライ思いをさせたのは、やはり母だ。
休職に入る前から、さやは頻繁に母とメールのやりとりをしていた。
朝起きて、職場に着いて、仕事中に、帰り道に、寝る前に。
その時々、母にメールをしては沢山のことを吐き出した。
それこそ母は、さやがこのまま死んでしまうのではないかと
そこまで心配していたらしい(これは後になって聞いたこと)
メールが来るたびに「良かった、今日もとりあえず無事だ」
そう思う反面、携帯から溢れんばかりの悲痛なSOS。
何も出来ず、離れて心配することしかできないもどかしさ。
母はさやのために携帯を買った。
仕事で必要だと言われても、頑なに断っていた人が。
そばにいられない分、せめてすぐにでも連絡が取れるように、
少しでもつながっていられるようにといった母の想い。
仕事時間に融通の利く兄は、時折さやの部屋に泊まりに来た。
その度、帰ってからさやの様子を母に報告する。
落ち着かない。
疲れているはずなのに、
じっとしていることが出来ない。
夜中に突然片付けを始めたり、
食べることのない料理を作ってみたり。
何かに取り憑かれているかのように動き回る。
見ていて悲壮なくらい、鬼気迫るさやの様子。
「あいつオカシイよ」
早くどうにかしなきゃいけない、ずっとそう思っていた。
兄に欠勤の連絡を入れて貰ったこともあった。
どう考えても出勤出来る状態ではない。
けれど「行かなくちゃ」と、
さやのアタマはそれで一杯。
「今日は休ませます」
そう言って上司に電話をしてくれた兄。
そう言ってさやを引き留めてくれた兄。
夏前に戻った実家。
通院の度に、自宅に泊まるさや。
その内にそれさえ出来なくなった。
まず車の運転が無理になった。
そしてひとりでは通院出来なくなった。
通院のために走らせる車の中で、県境が近くなると気分が悪くなる。
そこは職場のある土地。
そのことだけでココロが、カラダが拒否反応を起こす。
兄は、仕事を辞めた。
それが全てさやのためだった訳ではないけれど、
そのことが理由のひとつでもある。
最初は母と兄と、通院の日はどちらかが仕事を休んで付き添ってくれた。
しかし段々とそれが負担になっていく。
さやの体力的な問題から、日帰りでの通院が難しくなり、
前日泊まりがけで行くか、一晩泊まって翌日帰るか。
あるいはもう少し長く自宅にとどまる時もあった。
そんな通院方法へと変わっていた。
二日続けて仕事を休むことが出来ない。
休みを移動で使ってしまい、本人の休息にならない。
そうして夏の終わりに兄は仕事を辞めた。
元々仕事を変わろうとしていた矢先だったのだが
新しい仕事探しは一時保留となった。
実家に帰って家に閉じこもっているさやは
いつ何をやらかすか分からなかった。
常に誰かがそばにいなければならない状態が続いた。
ただ眠っているだけならまだイイ。
悪夢でうなされていてもまだ安心出来る。
しかし度々パニック発作を起こした。
そして突然ベランダに向かう。
泣きじゃくり、そこから身を投げようとする。
昼間は出来る限り母がそばに居て、
夜は兄が神経を尖らせている。
寝る前、ベランダの窓の前にはイスが並べられる。
簡単には外へ出られないようにするバリゲートだ。
そんな緊迫した生活が続いていた。
愛犬も、ストレスで病気になった。
疲れを隠せない母。
訳の分からない怒りを母にぶつけることもあった。
全ては母のせいだと、産んでくれなければ良かったのに、と。
こうして思い返すと、本当にヒドイことばかりしてきた。
そんなさやに振り回されながらも、守り支えくれた家族。
そんなさやのそばにいてくれた人達。
家族だから。
それだけの理由でこんな荷物を背負わせてしまった。
申し訳ないと思いながら、本当に感謝している。
自分のことしか考えていなかったさや。
一人暮らしを条件付きで認めてくれたことも。
離れていることがどれだけ不安なことか、その不安に気付かなかった。
今でも常に心配し続けてくれていること。
ハラハラしながらもさやのことを見守ってくれている。
周りを見回してみる。
そんな風にさやを支えてくれている人が沢山いる。
この病気のせいで、さやは人生が変わった。
でもそのせいで、さやが人生を変えてしまった人もいる。
これからはさやがの番だ。
周りを見つめて生きていく。
今さやが生きているのは、自分のためだけではないのだ。
けれどそれ以上にその周りの人達も、ツライ思いをしている。
今になってやっとそういうことが分かってきた。
そのことを、周りの人を気遣う余裕が出てきた。
本当にひどかった頃は、そんなことさえ分からなかったのだから
それだけを考えても大きな回復だと思う。
一番ツライ思いをさせたのは、やはり母だ。
休職に入る前から、さやは頻繁に母とメールのやりとりをしていた。
朝起きて、職場に着いて、仕事中に、帰り道に、寝る前に。
その時々、母にメールをしては沢山のことを吐き出した。
それこそ母は、さやがこのまま死んでしまうのではないかと
そこまで心配していたらしい(これは後になって聞いたこと)
メールが来るたびに「良かった、今日もとりあえず無事だ」
そう思う反面、携帯から溢れんばかりの悲痛なSOS。
何も出来ず、離れて心配することしかできないもどかしさ。
母はさやのために携帯を買った。
仕事で必要だと言われても、頑なに断っていた人が。
そばにいられない分、せめてすぐにでも連絡が取れるように、
少しでもつながっていられるようにといった母の想い。
仕事時間に融通の利く兄は、時折さやの部屋に泊まりに来た。
その度、帰ってからさやの様子を母に報告する。
落ち着かない。
疲れているはずなのに、
じっとしていることが出来ない。
夜中に突然片付けを始めたり、
食べることのない料理を作ってみたり。
何かに取り憑かれているかのように動き回る。
見ていて悲壮なくらい、鬼気迫るさやの様子。
「あいつオカシイよ」
早くどうにかしなきゃいけない、ずっとそう思っていた。
兄に欠勤の連絡を入れて貰ったこともあった。
どう考えても出勤出来る状態ではない。
けれど「行かなくちゃ」と、
さやのアタマはそれで一杯。
「今日は休ませます」
そう言って上司に電話をしてくれた兄。
そう言ってさやを引き留めてくれた兄。
夏前に戻った実家。
通院の度に、自宅に泊まるさや。
その内にそれさえ出来なくなった。
まず車の運転が無理になった。
そしてひとりでは通院出来なくなった。
通院のために走らせる車の中で、県境が近くなると気分が悪くなる。
そこは職場のある土地。
そのことだけでココロが、カラダが拒否反応を起こす。
兄は、仕事を辞めた。
それが全てさやのためだった訳ではないけれど、
そのことが理由のひとつでもある。
最初は母と兄と、通院の日はどちらかが仕事を休んで付き添ってくれた。
しかし段々とそれが負担になっていく。
さやの体力的な問題から、日帰りでの通院が難しくなり、
前日泊まりがけで行くか、一晩泊まって翌日帰るか。
あるいはもう少し長く自宅にとどまる時もあった。
そんな通院方法へと変わっていた。
二日続けて仕事を休むことが出来ない。
休みを移動で使ってしまい、本人の休息にならない。
そうして夏の終わりに兄は仕事を辞めた。
元々仕事を変わろうとしていた矢先だったのだが
新しい仕事探しは一時保留となった。
実家に帰って家に閉じこもっているさやは
いつ何をやらかすか分からなかった。
常に誰かがそばにいなければならない状態が続いた。
ただ眠っているだけならまだイイ。
悪夢でうなされていてもまだ安心出来る。
しかし度々パニック発作を起こした。
そして突然ベランダに向かう。
泣きじゃくり、そこから身を投げようとする。
昼間は出来る限り母がそばに居て、
夜は兄が神経を尖らせている。
寝る前、ベランダの窓の前にはイスが並べられる。
簡単には外へ出られないようにするバリゲートだ。
そんな緊迫した生活が続いていた。
愛犬も、ストレスで病気になった。
疲れを隠せない母。
訳の分からない怒りを母にぶつけることもあった。
全ては母のせいだと、産んでくれなければ良かったのに、と。
こうして思い返すと、本当にヒドイことばかりしてきた。
そんなさやに振り回されながらも、守り支えくれた家族。
そんなさやのそばにいてくれた人達。
家族だから。
それだけの理由でこんな荷物を背負わせてしまった。
申し訳ないと思いながら、本当に感謝している。
自分のことしか考えていなかったさや。
一人暮らしを条件付きで認めてくれたことも。
離れていることがどれだけ不安なことか、その不安に気付かなかった。
今でも常に心配し続けてくれていること。
ハラハラしながらもさやのことを見守ってくれている。
周りを見回してみる。
そんな風にさやを支えてくれている人が沢山いる。
この病気のせいで、さやは人生が変わった。
でもそのせいで、さやが人生を変えてしまった人もいる。
これからはさやがの番だ。
周りを見つめて生きていく。
今さやが生きているのは、自分のためだけではないのだ。
後日、改めてお返事をしたいとお思います。
今はなんと書いていいのか分からないので、申し訳ありませんがお待ち下さい。
決して読んでない訳でも、何も思っていない訳でもなく
逆に考えることが多すぎて、コトバに出来ないでいます。
ごめんなさい。
だから、今は甘えて、治療に専念するがお母様、お兄様の為にもなると思います。
私は家族には病気のことは話せないでいます。家族に話しても受け止めてくれないだろうという妙な確信があって。弟にメールで一度話したのが精一杯です。
友達・同僚・仕事上話す必要のある人には話せても、支えてくれていると思うような人はいないのです。
感謝の心を忘れているのかもしれません。
弟は前にウツになってカウンセリングを続けているようです。
りぷさんのコメントを読んで、私はその弟を気遣ってあげることも
できていないなぁと、反省。
次に実家に帰ったときに、勇気を出して弟の様子を聞いてみようと思いました。
あたしは今比較的症状が落ち着いているけど、妹は悪化の一途です。今日も母が単身赴任先の広島からわざわざ休みとって妹の様子を見に来ていました。しばらく広島で療養させるようです。
そんな大変な妹だけでなくあたしの心配も決して怠らない母。家族の中で唯一あたしの病気を知っている母はなにかと気を掛けてくれます。
その他にもあたしのことを気遣ってくれるダーリン、病気のことを理解してくれるバイト仲間。あたしはいろんな人に恵まれて、助けられて生きているんだなあと痛感します。いつかきっと恩返しはしたいけど、治そう!と焦っちゃダメですよね。自分の状態がよくなることが一番の恩返しであると信じて、日々を一生懸命生きています。