北海道の四季登山と読了記

週末の休みを利用して登山しています。ときどき本も読みます。

(078-0724) 抜萃のつづりその七六

2024年07月31日 | 四季の山登り(2024.1.1~2024.12.31)

「抜萃のつづりその七六」(発行所株式会社熊平製作所 平成31年1月29日 非売品 128ページ)
平成31年版。うなるような箇所がある。
小檜山博の「表彰ということ」は、恵まれない境遇にいる人を紹介する連載記事に毎月、福祉施設に5千円のおカネを35年間も送り続けている女性の話だ。女性は2歳のときに母親が病死し、施設に預けられた。中学を出て働いた紡績工場で20歳のときに結婚。7年間に3人の女子が生まれたが、30歳のときに夫は病死。道端でリヤカーを店にしてネクタイ売りを始めた。ネクタイは1日に1本くらいしか売れなかった。あるとき中年の女性がきて「これタイ焼き、子どもさんに」と差し出され涙がほとばしった。冬の雪の日、二人の子どもが空腹と寒さで泣きわめいているとき安物のネクタイを身につける人とは思えない初老の紳士がきてネクタイを二本買ってくれた。その後彼女は露店をやめ、新聞配達をはじめる。ある日、新聞で親のいない子の施設が経営難と知り、彼女は即座に5千円を送った。名前は伏せた。家族4人の生活は苦しかったが、自分を助けてくれた人々を思うと苦しいなんて言っていられなかった。35年たち、市が表彰したいと言ったが、断った。「私は昔、ある人からタイ焼きをいただいたときに決心したんです。一つの手は自分と家族のために、もう一つの手は人様のために使おうと。表彰するなら私に牛乳をくれた人やネクタイを買ってくれた人を表彰してください。」(一部、要約)
紹介した小檜山博も苦労した人だ。この人の小説を読むといつも涙が出てしまう。
72ページの「叶わなかった高校進学」(山本孝弘・日本講演新聞)は、戦後の貧しい時代、5人兄弟の次男の話で優秀にもかかわらず高校に行かず、兄弟たちのために働いた。その息子が高校進学のときに息子は思春期のせいかその父から握手を求められたときに「あんな高校、名前を書けば誰だって入れるんだ!」と握手をこばんだ。しかし、父にとって高校進学は夢だったのだと気づいたのはのちになってからだった。(一部、要約)

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