あした天気になあれ♪

日々の出来事・私の想いなどを
少しずつゆっくり書いていければと思ってます。

この世に生を享けて・・・「永久の別れ!編..part2」

2006-09-22 20:37:06 | 私の事。
秋の気配を感じながら毎日を生活するこの頃、

日本人に生まれて良かったと感じます。

私の周りも少しずつ動き出し、

明日午前中に姉は退院の運びとなりました。

皆様にはご心配かけ、励ましの言葉沢山いただき

本当にありがとうございました。

今度は姑の大腸ファイバーの予定が入ってくると思いますが、

お彼岸の間姑は体力的に忙しくなるので、

本人が切り出さない限り、私はただ何も言わず待っているだけです。

余計なことを言ってしまうとトラブルの元なので、

姑が大腸ファイバーのことを切り出すのを待ちます。

姑は私が地域医療センターに連れて行くのが当然と思っている・・・。

主人は「私が至れり尽くせりする必要はない!

自分で出来ることは自分でするように・・・・」私に言う

姑に対し冷たい主人と姑の板ばさみになるので、

(私と子供たちにはとても優しい人です)

最終的に私が姑のことはすることになるのだが、

争いの火種は極力最小限に留めたいので、

姑が言葉に出すまでは待つしかないですね。

今からのことはあわてず少しずつ対処していきます。



この世に生を享けて・・・「永久の別れ!編・・part2」


両親と死別して祖父母と兄弟6人での生活が続き、

私が5歳になるまでいつもの日常を過ごしていました。

その頃(昭和40年代、病院に余りかかる事のなかった時代)

田舎には富山の薬売りの方が数ヶ月に一度

訪ねてきては、紙風船などのおもちゃを子供にあげて帰る・・・。

私は子供ながらにとても薬売りの方が来るのを楽しみにしていました。

そしてその日も薬売りの方が訪問し

祖父と楽しくお茶を飲みながら会話が弾んだそうです。

薬売りの人が帰ったその後・・・夕方の事です。

祖父はいつものように食卓に座っていたのですが、

突然吐血をしかえらぬ人となりました。

たぶん大動脈瘤の破裂によるショック死だったと思われます。

祖父の突然の死・・・。

とてもショックな出来事で親戚中ドタバタと大変でした。

(薬売りの人も祖父が亡くなるその前まで話をしていたので

 大変驚かれたと・・・後で聞きました。)

祖父の突然の死に一番打撃を受けたのはもちろん祖母です。

愛する人の死・・・息子・嫁・・・そして今度は自分の夫・・・。

本当に頼る人を次々と亡くしどうしたらいいか途方にくれた事でしょう・・・。

その証拠に祖母は少しずつボケ症状が出てきていました。

精神的ショックがあまりにも大きく祖母も祖父が亡くなり

1年もしないうちに祖父の後を追うようにこの世を去っていきました。

祖母の葬儀には、人の死 を受け入れる事ができていたので

きちんと葬儀に参列し、埋葬するまで祖母のそばを離れることなく

お別れの言葉を心で何回も繰り返していた事を覚えています。

『婆ちゃんかわいがってくれてありがとう!
 婆ちゃんの事は忘れないよ、見守っててね・・・』


祖母が亡くなったのは私が6歳の時、

小さいながらに色々な事を受け入れていたのだと思います。

祖母が亡くなった頃、10歳はなれた2番目の姉(戸籍上では3番目)

は近所の病院で看護師として働いていました。

それから姉妹で暮らしていくのですが、

暫くは両親・祖父母の死により法事が多くなり

色々と大変になり・・・。

その事はまた今度・・・『争い』編へつづく
















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