あした天気になあれ♪

日々の出来事・私の想いなどを
少しずつゆっくり書いていければと思ってます。

小梅さんからバトン頂きました~♪

2007-03-31 17:00:37 | バトン
いつも美味しそうな愛情いっぱいのお弁当を披露してくれる

小梅さんからバトンを頂きました。


☆。.:*:・´゜☆゜´・。.:*:☆・:*:.。.:*:・☆。.:*:・☆´・。.:*:☆

ルールはこちら↓
◇廻してくれた人から貰った【指定】を【】の中に入れて答える事。
①最近思う【】
②こんな【】には感動!!!!
③直感的な【】
④好きな【】
⑤こんな【】は嫌だ!
⑥この世に【】がなかったら・・・
⑦次に廻す人6人(【指定】付きで)
⑧指名した人の名前をタイトルにする♪

☆。.:*:・´゜☆゜´・。.:*:☆・:*:.。.:*:・☆。.:*:・☆´・。.:*:☆


satsukiの頂いたお題は【愛情】です。

ちょっと難しそうだけど久しぶりのバトン♪
楽しんでお答えしたいと思います。
ふふっ・・・どんな答えを小梅さん期待しているんでしょう
頑張ります


☆。.:*:・´゜☆゜´・。.:*:☆・:*:.。.:*:・☆。.:*:・☆´・。.:*:☆


①最近思う【愛情】
 
 愛情と言っても沢山あって親子愛・夫婦愛・近隣愛・・友情もそのひとつでしょうか
 色々な愛があるけれどやっぱりどの愛情も無条件の愛であって欲しいな
 そういうことを思ってしまうおバカ者の私です。
 やっぱり見返りを求めてしまう愛情には疲れてしまいます。
 そういう私もいつでも無条件の愛を奉げることができる人になれれば・・・。
 それが私の人生の目標??です。


②こんな【愛情】には感動!!

 これはやはり↑に書いたように無条件の愛でしょう。
 どんな窮地になろうとも愛する人に見返りを求めない
 愛し・慈しみ・支え・・その愛を誇示するのでなく
 ひそかに見えない愛をそそぐことができるそんな愛に感動です。
 やっぱり、親子愛が一番感動かな


③直感的な【愛情】

 これはやはり運命の人に出会ったと思った瞬間でしょうか
 私と主人が出会ったとき主人は
 「この子ときっと付き合うだろう」
 と思ったそうです。
 私は何も感じませんでしたが
 でも、今その話をしても忘れたと言っています。
 ただのくどき文句だったのでしょうか


④好きな【愛情】

 大切にしてもらっていることは感じていても
 やっぱりいつも「好きだよ・愛しているよ」と言葉にしてもらいたいな~
 言葉に出してもらえるだけで、嬉しくなりまた頑張ろう
 なーーーて思っちゃいますものね
 もちろん主人には強要しております。
 言葉が欲しいおバカな私です。
 ちょっとお題と違う気がしますがこれで許してください。


⑤こんな【愛情】はいやだ!

 これはズバリ恩着せがましい愛情
 舅・姑にずーーと言われ続けてきました。
 夫が「自分は何もしてもらっていない」
 と言うと
 「大学まで出してやった」
 ・・・そんな愛情で、子どもを縛り親の老後を見るのは
 当然だと・・・。
 私はその言葉がなければ、
 「いやな思いもせず快く同居できるのに」
 といつも思っていたな~。
 心をダウンさせてしまう行為です。


 
⑥この世に【愛情】が無かったら・・・。
 
 もしかしたら人類という存在も無いのかもしれない
 愛情があるから、
 子どもが生まれ子々孫々未来へ続いているのでしょうね


⑦次に廻す人6人(【指定】付きで)

 誰も忙しそうなのでやってもらえるか心配ですが
 出来ればお願いしたいです

 蟹姉さん  【介護】

 こぱんさん  【料理】

 puffpuffさん 【優しさ】

 のんママ。さん 【親子】

 かずさん    【家族】

 とら。主さん  【とら。ちゃん(ペット)】


皆様忙しい方ばかりもしこのページを読んでもらえたら

是非挑戦して頂きたいです。

一応私なりにブログのテーマの沿って??

考えてみましたが・・・。

なにぶんおバカな私ですのでよろしくお願いします。




小梅さんから頂いたバトン楽しませていただきました。
ありがとう



明日息子を送っていきます。
 コメントはゆっくりさせていただきます。


 
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姉・・・4

2007-03-30 19:57:03 | 私の事。
今日は天気も良く桜もほころび今3分咲きと言ったところでしょうか

桜・・・きれいだけど寂しさせつなさを感じます。

明日・明後日は雨の予報なので、

明日天気と相談しながら昼から息子の荷物を車に積み込み

明後日熊本へ息子を送って行きます。

いよいよ独り立ち??までは行きませんが

子どもと離れる時が来ました。

寂しいけれど乗り越えていかなければいけないことです。

娘を2年前送った時そして今回・・・。

今度は二人目だからそんなに無いのかな?

と思っていたけれどやっぱり同じ想いです。

子どもの成長を願い快く見送りたいと思います。



姉・・・4

10歳上の姉は母のような姉

7歳上の姉は友達のような姉

どちらも大切な姉妹だけれど、

どこか姉妹関係も他の姉妹関係と違っていた様に感じます

7歳上の姉はいつもニコニコしています。

だからきっと義兄の両親ともうまく行っているんだろう!

と私達の生家の地区の人はいいます。

いつもニコニコして憎めない姉だけど

私よりも感情表現はとても上手です。

ちゃんと本気で舅・姑・夫達家族と喧嘩もして、

そして仲良く生活してきました。

私は感情表現は本当に下手なんですよね。

本当に思っていることなかなか言葉にも顔にも出すことができません。

姉の姑が認知症になり寝たっきりになりそして他界するまで

良く看病をしてきました。

近所に義兄の姉もいますが、

そのお姉さんは何一つ母親の看病もオムツの取替えもしませんでした。

時には私に愚痴を言っていましたが

「義母がかわいそうだから、子ども達をかわいがってくれたから」

と・・・頑張っていました。

姉にとって一番良かったのは義兄の父の存在です。

今90歳となってもいろいろと病気はあるものの

元気に畑仕事もしています。

この義父は人格者で、姉は恵まれているといつも思っていました。

でも、それは義父が人格者であるだけでなく

いつも姉がありのままの自分でいたからだと思います。

家族で支えあい昔ながらの家族関係がそこにはあったように感じます。

誰かが誰かの犠牲になるのでなく

そこには大切な想いがあるのだと・・・。

人間本来の感情暮らしがあるように感じます。


私にはまねできないことです。

いくつもの言葉を悲しみを何度も何度も飲み込んできました。

飲み込んでも飲み込んでも頑張ってしまう自分がいて

ありのままの自分を出すことどれくらいできたのかな?

きっと性格だから自分がこの世を去るそのときまで

きっと同じことの繰り返しをしてしまうのかな

姉には自分らしく生きることの大切さ

”あまり我慢しなくてもいいんだよ”

・・・と教えてもらっている気がします。





まだまだ姉の家族は昔と変わらず子ども達と家族7人で生活しています。

次男が家業を継いだため(まだ修行中)子ども達全員まだ自立??

することも無くいつまでも昔と変わらないまま??の親子関係です。

人をうらやむことも無く、人を卑下することも無く、人を恨むことも無く

人に優しく、家族を大切にし、家族をいつくしみ・助け合い

そこには暖かな緩やかな時間の流れと暖かさがあるように感じます。

姉・義兄が子ども達のために長生きでいてくれる事だけを願います。








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姉・・・3

2007-03-28 16:24:04 | 私の事。
両親祖父母が他界し姉妹仲良く生活して育ってきたのですが、

やはり生活は大変でした。
(でもこのころはどこの家庭も大変だったと思います

本来ならば生活保護を・・・と考えるのですが、

家には誰も作ることもなくなった田畑・山・家屋敷が沢山あったため

生活保護などとてももらえる条件ではなかったのです。

しかし、私達が子どもという事もあり

管理は伯父がしていました。

そのために財産が私達姉妹を苦しめもしていたのです。

10歳上の姉が看護師をしながら細々と生活していました。

本来ならば7歳上の姉が中学校を卒業して自立してくれたら

育ててくれた姉もどんなに楽だったでしょう。

でも願いは届かず・・・。

いっそうのこと、姉妹で施設に入ることができれば、どんなに楽なのか

と何度も思ってきたそうです。

でも、姉妹がかわいく施設に入ることよりも

自分が頑張ることを選んで私達を育ててくれました。

4歳上の兄が自立し私が中学の時育ててくれた姉は

悩みぬいたうえに自分の幸せを選択し大阪へ嫁いでいったのです。

姉は本当に色々複雑な想いがあったでしょう。

でも今は幸せにしていてくれるそれが私の幸せでもあります。

まあ育つ過程では色々とあったけれど

今はそれぞれ自立し幸せな家庭生活を過ごしている

それぞれの幸せも私にとっての幸せの一部となっています。


現在私ももちろん幸せです。

ちょっとわがままだけど優しいだんな様とかわいい子ども達に囲まれて

しかし、舅は亡くなるまで私の義兄のことはタッチしたくなかったのかな?

舅・姑どちらも世間体を気にする人ですから

私の姉のことはそれほどでなくてもやっぱり義兄のことは避けたかったようです。

一番義兄にお世話になっているのは舅だったのに・・・。

いつも魚をもらって恩恵になっていたのは舅

しかし、どこであっても舅は義兄にお礼の言葉も言いませんでした。

きっと自分の知り合いだと思われたくなかったのでしょう。

世間体・職業・家柄??

舅の評価はそんなものでした。

だから亡くなるまえになってやっと自分は幸せなんだと気付いたくらいです。

私は育った環境のせいなのか

心を見ていければといつも思っています。

身体的障害も色々な障害も病気も

家柄も職業も私にとって関係ないのかな

ひとりひとりの心を見ていければいいな・・・と思って生きてきました。

きっとこれからもそうだと思います。




今日のお話はここまで

次は私が姉(7歳上の)に対する想いをすこし・・・。

教えているようでいつも教えてもらっていることをお話したいと思います。












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姉・・・2

2007-03-26 15:42:54 | 私の事。
今までブログを読んでくださっている方はご存知だと思いますが

私の両親は私が生まれて5ヶ月の時父が3歳の時母が他界して

それからは祖父母が小学校へ上がるころあいついで他界・・・。

その後姉妹で暮らしてきました。

母が他界したときもうすでに長女は結婚し家を離れていたため

10歳離れた姉がそれから家長となり姉妹を守ってくれました。

この姉は現在公務員と結婚し、

一姫二太郎をもうけ娘も公務員と結婚

大阪で若いころ苦労した分今は自由気ままに幸せに暮らしています。

今回お話しするのは7歳年上の姉のこと。

近所に住む姉は少しだけ知能が遅れていたのかな??

小さい頃、色々と検査をしても

知能遅れとか色々な判定は出来ませんでした。

普通の人と変わりは無いのですが

やっぱり少し遅れていました。

いわゆる境界域??だったのでしょうか・・・。

私が高校を卒業して兄がそろそろ”結婚したい”

と思ったとき兄のお嫁さんとなる人が

「姉がいるならば結婚しない」

と言ったとか言わなかったとか・・・。

それで周りが心配しお見合いをさせ・・・

姉の結婚も決まりました。

私が初めて義兄に会ったとき

「こんな自分だけど、姉ちゃんと結婚してもいいか?」

と聞いてきました。

それもそのはず、

義兄は小さい頃小児麻痺になり右手右足が少し不自由な体です。

そんな自分をいつも卑下していたのでしょう。

私は

「姉が幸せになるのだったら・・・。姉を幸せにしてください」

と答えたことを覚えています。

何年もした後義兄はそのことに触れ

とても嬉しかったと・・・。

言ってくれました。

そんな姉も義兄の両親と隣同士に暮らし

娘・息子・息子・娘・・・と4人の親となりました。

でも、どこかで遺伝子情報が傷ついていたのか

長女が姉と同じ感じ

そして末娘は高齢出産でもあったからなのか

長女より知恵遅れがひどく・・・。

この春きちんと検査をして認定をしてもらうことに・・・。

少しでも姉妹の負担とならならないように

そして何より自分の足で歩いていけるように

そんな想いで検査をし子のこのためになにが一番いいのかを・・・。

姉の息子が車の運転も出来るけれど

やっぱり色々なこと不安になることは

私に相談しそして私が検査に連れて行くことになりました。

姉のOPの時も、

長女は祖父(義父)・姉妹のお世話をするだけで

手一杯だったのです。

だから私が何も言わず姉の介抱に付き添いました。

いつも私が姉に言っていること・・・。

「私がそばにいるときは私に出来ることはするから」

私はこれから将来たぶん田舎にいないでしょう。

それは姉も覚悟しています。

だから私がそばにいるときは色々なことしてあげれれば・・・。

そんな気持ちでいます。

たぶん姉も同じ想いだと・・・。



今回のお話はこれでおしまい、

次はこの姉を踏まえ育ててくれた姉の想い

そして私の義両親(主人の両親)の想いをすこし・・・。

次回へ続く・・・。







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今年は・・・。

2007-03-26 14:41:52 | トラックバック練習版
今週のテーマ。

「この春、出会いや別れはありますか?」

一昨年の春・・・大切な人との突然のお別れ
        長女との別れ(大学進学のため)
  
昨年の春・・・・大切な出会い

そして今年は・・大事な息子殿との別れ(専門学校進学のため)

一年で大切な出会いと別れ重なることは無かったけれど

少しずつこれから生活が変化してきます。

これも年をとっていっている・・・ということでしょうか

今年はお別れだけでなく素敵な出会いも欲しいですね。

次女ひとりになると寂しくなるので

今年の春から何か始めなきゃ~

ステキな出会いがありますように

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姉・・・。

2007-03-23 16:57:09 | 私の事。
今日お昼過ぎ姉から

「イカがあるから取りにおいで」

と電話があり2時過ぎてから姉のうちへ

いつも出迎えは ”ミル”

暫らくはくっ付いて落ち着くまでそばを離れません。

今日はいつもよりも長く姉のおうちの庭先で立ち話・・・。

この前義姉(姉のだんな様のお姉さん)と喧嘩したそうで、

色々とその話やら・・子どもの話やら・・・。

誰かがいるとなかなか話し込むことはしないのですが、

今日は誰もいなかったので久しぶりに1時間ほど話し込んでしまいました。

近所にいる姉妹は今は一人だけ・・・。

(実家に兄夫婦はいるけれど、兄は仕事で熊本市内にいっているので・・・。)

今まで私のブログを読んでいてくださる方は

仲のいい姉妹だよね

と感じられている人がいると思います。

それは親に早くに死別して兄弟仲良く生活してきたから!

それもありますが、それだけでは在りません。

姉がOPが必要になったとき、

OP後も私が付き添ったこと・・・。

色々とっても姉にも家族がいるのに・・・と不思議に思われたでしょう。

私にはとても大切に思っている姉が2人・・・。

暫らくは姉のことを交えていいお話ができればと・・・。

今日は前書き・・・とう言うことでここまで。











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カウントダウン始まる。

2007-03-20 16:06:51 | 子どもの事
息子殿が家を出る日までもう少し・・・カウントダウンが始まりました。

引越しの準備・・自分の服と勉強道具だけですが

お掃除もかねて自分で毎日少しずつ頑張っているようです。

4月1日息子殿の引越し・・・。

4月8日長女を佐賀まで送り届けに・・・。

忙しさの後には寂しさが残ります。

これも親の試練のひとつですね

子ども達の成長を願って嬉しさと寂しさと色々な感情が生まれる季節です。



長女がお家に帰ってから『毎日やろうね♪』

といっている事・・・。

印刷会社でバイトして疲れてくる娘の

手のはらと足のマッサージ

冷え性の娘には足のマッサージはとても効果的で

血液とリンパの流れをよくするために頑張っております。

マッサージをした後

「あ・・・足が軽くなった」

と喜んでおります。

ふふっ・・・実はマッサージ以外と得意なんです。

看護の基本でもありますものね

娘のマッサージをした後は、

気が向いたら娘が私の肩をマッサージしてくれます。

娘も上手です。

暫らくは心地よい日が続きます。










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お疲れちゃん♪

2007-03-17 20:12:24 | Weblog
今次女の部屋のパソコンから

今日は1週間前大学の履修科目をとるために佐賀に帰っていた

長女を迎えに仕事が終わってから1時間ほどする町まで

帰ってきて夕食の準備をして・・・。

バタバタとした1日でした。

今長女も次女も次女の部屋のベットで仲良く寝ております。

疲れていたのですね

二人のかわいい寝顔を見ながらブログして・・・。




今週の木曜日印刷会社に勤める友人から

「長女は帰ってきてないの??」

・・・と。

私が中学校の広報委員で5・6年ほど新聞作りに携わり

友人の印刷会社にいつもパソコンで作ったのを印刷してもらうだけに

お互いに助けてもらっていました。

その友人から忙しいとき手伝って欲しいと・・・

お願いされたとき私がやってしまうと色々と問題があるので

ちょうどそのときに帰省していた娘をお願いしますと・・・。

それで今年も長女に手伝って欲しいと

娘の返事も聞かず

「たぶん月曜日から大丈夫。だと思うよ」

と言って・・・娘には事後報告

「別に家にいるだけだからいいよ」

・・・と。

月曜日から暫く娘はバイトに

バイトしたお金でお母さんと東京でも行きたいね

な~んて!!言ってくれました。

バイトちょっと大変だけど

皆さん私の知り合いばかり・・優しくしてもらっているようなので

暫くの間、バイト頑張ってね♪ 今日はお疲れ様。おやすみ





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治ったと思ったら・・。

2007-03-15 16:10:00 | Weblog
最近口角炎ができて・・・。

右側が治ったと思ったら左側

そしてやっと左も治ったと思ったら

今日はまた右側にひどい口角炎が

最近考え事が多かったりイライラしているのかな

なかなか治らない

今日はケーキでも買ってやけ食い・・・

な~んて思ったけれど・・・やめときます。

今日は今からばたばたと家のことをして

早めに食事を済ませ

病院の委員会や勉強会に行かなきゃ~。

帰宅は遅くなりそうだし

それに今日は中学の委員決めもあったのに・・・。

それは友達に欠席の理由とどの委員がいいかお願いしておいたから

中学のほうはどうにかなるでしょう

ああっ・・・1年楽していただけに学校の委員・・・

きついな~

その他にも悩ませることが沢山

暫らく口角炎も胃炎も治りそうにありません

そんなことはいってられない









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あなたは・・『だ・あ・れ』

2007-03-13 18:00:48 | 休日
皆様には大変期待させてしまいましたが

それでは昨日の続きを

熊本城の宇土櫓を楽しんで暫らく歩いていると

数人の忍者の中のひとりが主人に近づき

飛びついて抱きつき何か耳打ちしながら

私達から遠くへ  ・・・連れ去っていきます。

私と子ども達は

『えっ・・・何事。知り合い??なに・・なに?・・』

と思いながらも主人をおいて帰路へつこうと・・・。

『まあ・・暫らくしたらかえってくるだろう・・・』

と想い私は不安げな子ども達をおいてお手洗いへ

・・ちょっと冷たい??まっ・・いいか・・・。

お手洗いから帰ったら子ども達と一緒に主人も待っていました。

合流してから聞いてみたら

なんと忍者さんは主人の以前の同僚でした。

転勤族で今は熊本市内に住んでいる彼は

休日忍者としてボランティア活動をしているそうです。

突然の出来事でびっくりしましたが

とても嬉しい様子の主人

思いがけないサプライズ良かったね。

ちょっとだけ・・熊本市内にいたらこんなこともできるんだな~。

・・・いいな~と思ってしまいました。

忍者さんからの想いもよらぬサプライズ

きっと主人も嬉しかったでしょうね

皆様のご期待にそえず・・・すみません。

主人はちょっとぽっちゃりしているしので

忍者さんからスカウトして貰えませんでした。

熊本城には忍者さんも甲冑を着たお侍さんもいますよ

熊本城へ遊びに来てくださいね










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えっ・・・さらわれちゃったの!!

2007-03-12 16:25:10 | 休日
昨日は息子が4月から住む下宿を見たり

その他色々な目的があり熊本市内へ

朝、パールラインマラソンが天草であるため

それに出会わないため8:30分前に家を出発

予定より早めにつき下宿の人との約束の時間まで

まだ1・2時間余りあったので

久しぶりに熊本城

子ども達とこの前行ったのはいつだったのか

いろいろと話をしていたら4年半前だった・・・。

子ども達にとっては長い4年半

私にとってはあっ!!と言う間の4年半

ちょっと風も強く肌寒い感じでしたが、

天気も良く観光客も沢山で驚いてしまいました。

熊本城へ二の丸公園側から入り

先ずは天守閣へ・・・。

いつも上っているので今日は辞めとこう・・と話をするも

やっぱり上ってみました。

一番上までは行かなかったけれど、

途中沢山の展示物を見て・・・。

その時々で少しずつ違い楽しかった。

天守閣を降りてもう帰ろうか・・・としたのですが、

まだ一度も見たことが無い宇土櫓

宇土櫓の中は土足厳禁で中を見てまわりました。

昔の情緒豊かな木の板

今にも壊れそう・・・。

斜めに傾いていたり、ところどころ床が壊れていたり、

いくつもの部屋いくつもの急な階段・・・。

どれをとっても探検しているみたいで楽しかった

子どもにかえったようで

天守閣はいつも見ているので感動も薄かったけれど

宇土櫓は初めてでとても楽しかったです。

宇土櫓を出て暫らく歩いていると

忍者が数人・・・。

観光客と「はいポーズ」写真撮影をしています。

『なかなかいいよね・・・幸せ』

などと感じながら歩いていると

忍者が主人のそばに寄ってきます。

『???・・・。』

主人に飛びついて連れ去っていきました。

その後はどうなったのでしょう・・。

私達の反応は・・・主人の反応は・・・。

その話はまた明日へつづく














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春を感じて♪

2007-03-10 21:19:29 | Weblog
毎年この時期になると

うぐいすの声を聞きます

家にいて聞くことが出来るって・・・。

本当に田舎ですね。

毎年うぐいすの声を聞いて思うことは

がやって来たんだ~!》

と思うと同時に

今年のうぐいすの鳴き声がうまいかどうか・・・。

今年のうぐいすは上手になきます。

いつも家族で

「今年のうぐいすはちょっと下手だよね・・・。」

などの会話が良く出てきます。

テンプレートをこれにこれにしたのも

うぐいすの声を聞いて心を和ませ

子どもたちと色々な会話が出来たから。

うぐいすの声を聞いてを感じ

さくらんぼの花を見てを感じ

日本っていいな~。と思えて・・・。

寂しさと嬉しさと色々な感情が生まれる

暫くはを感じて過ごします。



追記・・・テンプレートの小鳥はたぶん目白でしょうね


     
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あぁ・・・楽しかった♪

2007-03-09 17:01:17 | Weblog
午前のお仕事が終わり今日は子ども達とデート

1時間ほどする町へ

3人でランチを食べてお買い物

ちょっと贅沢をさせていただきました。

『あぁ・・・楽しかった』

最近のストレスも解消してきました。

また明日から頑張るために心の栄養を蓄えてきました。


皆様にはご心配かけましたが、

我が家はいつもどうりな夫婦に戻っております。

何もできない主人ですが、

私や子どもを愛してくれているのは間違いないので、

主人いわく

「我が家の幸せはお母さんの犠牲の上にたっている・・・。」

その言葉通り、もう暫らく

主人・姑様の生活しやすい環境でいたいと思います。

姑様が唯一甘えることができるのは私ひとりだし

義兄夫婦のところへ行ったらきっと姑様は気を使い

病気になるのは間違いないだろうし・・・。

私ひとり上手に我慢すればすべてうまく行くので。

こうやって時にはストレス解消をして

また頑張りたいと思います。

皆様にはご心配ご迷惑をおかけしました。

また絆と言う紐を締めなおすことにしました。

人生最後までは誰にも分かりませんが

子ども達が自立するのを第一番の目標に

主人・姑様の生活しやすい環境・健康でいられる環境をつくっていきます。











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絆・・・3

2007-03-08 17:10:14 | 夫婦関係
皆さんからコメントもらって、落ち着いて色々と

「家はどうだったのかな~」と考えさせられました。

私も主さんと同じように

「家長なんだからしっかり私を守って欲しい

と願っていたんだと・・・。

舅・姑から守って欲しいと・・・。

残念ながら主人の性格では、

舅・姑の負担は私にかかるばかりでした。

今度喧嘩した後も、少し姑は気兼ねして暫らくは静かにしていましたが、

またいつもの姑に戻っています。

姑  「夜中から頭が痛いから、
   今日仕事から帰ったら病院に行って来るから・・。」


と6日の朝・・・。

頭がいたいことは誰でもあります。

食欲・その他の症状無い様だったので、

私  「これでよくなるならば大丈夫です」

・・と、カロナールという薬を飲むように渡し様子を見るように・・・。

夕方薬でよくなったと・・・。

そして次の日・・・。

うおの目のために痛みがあったと言うことで

姑様のうおの目の治療を・・・。

そして今日は今日で、

自分の行きたいところへで連れて行けと・・・。

いつもの姑様に戻っています。

私を頼っているんだと思いますが、

やっぱり疲れてしまいます。

姑にとって私はいったい・・・。

この前もし主人が熊本市内に転勤になったら・・。

と言う会話がありました。

姑さまは即座に

「○○は熊本の高校にお父さんと一緒でよかもね」
(次女は熊本の高校へ行きお父さんと暮らせばいい)

そんな答えでした。

それは、私は姑とこの田舎に残れと・・・。

そして家と姑様を守って行けと・・・。

そういうことでした。

それははっきり言って”いや”です。
今まで色々とかわいがってもらっていたならば私もそうするでしょう。
今まで悲しいことばかり・・・。
自分たちがしてきたことを思えばその選択はできないことです。
姑と二人の生活なんて・・・。
私は一人で歩くほうがまだいいです。


そんな思いでいっぱいでした。

私も負けずみんなで熊本に行こうといいましたが・・・。

きっと姑様にとったら私って召使??

そう思えることばかり・・・。

主さんと同じで、主人にきっともっと守って欲しかったのですね。

心では私達を優先してくれていても

実際は・・・どうなのでしょう

主人にとって何事も無くうまく過ごせる生活であればいいのかな??

今は子ども達も独り立ちしていないので、

子どもがになっているのでしょうね。

でもこれから先、

子ども達が巣立ってからその先が夫婦の本当の生活となります。

今は何事も無かったようにいつもの笑いがある生活に戻っています。

これからが夫婦の絆をしっかりと結んでいかなければいけないのでしょうね




今から夕食の準備・・・。

絆についてはまた今度














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絆・・2

2007-03-06 17:35:03 | 夫婦関係
今日は皆様の心の優しさに触れ

本当にでした。

こんな私のためにありがとうございました。

今日は今まで喧嘩??しなかった訳を少し・・・。

結婚前生活する中で少しの価値観の違いからよく喧嘩をし

主人は仕事のストレスと私との喧嘩のストレスから

十二指腸潰瘍の穿孔出血をしました。

このときは痛みも分からないほど・・・。

(もともと主人は私と出会う前から十二指腸潰瘍を繰り返して

 持病として良くなったり悪くなったりしていました。)

喧嘩・・しても心は伝わらないんです。

そのときの心をはくだけで・・・。

お互いの気持ちを分かり合おうとするならば話し合うことだと・・・。

ゆっくり穏やかに・・・。

このときの反省でした。

だから喧嘩をすることは無かったんです。

少しのストレスはのんびりとした私の性格で忘れ

余り愚痴ると逆切れされていたので、

時間と様子を伺って淡々と色々な話をしていたのです。

でも、逆切れされることでいえないこともあったことも確かですね。

今度私の大爆発でも

「あなたがそうして怒ってしまうから、今まで我慢してきたんだ!
あなたが帰ってから過ごしやすいようにしてきた!」


と言ったら

「それならば今までのように、
おれが過ごしやすいようにこれからもしてくれればいいだろう」


そういう言葉が返ってきました。


やはり喧嘩からは何も生まれません。

どちらも意地になってしまうので・・。

落ち着いてから少しずつ話すことが一番のようです。

お互いを理解するのに話し合いは大切だけれど、

時には爆発することも必要かな?

我慢していたこと・・・反省してくれたのかな??

全部しっくり来てはいませんが、

自分の人生もしっかりこれからは見つめていきたいと思っています。

色々な試練にも負けないように

本当にありがとうございました。











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