昨日夕方、早めに食事の用意をし食事もそこそこに・・・。
姉のOP前の説明を聞きに行きました。
Drも色々と忙しく、帰ってきたのは夜7:30分過ぎ
それからお風呂に入ったり、お洗濯ものをしたり・・・。
ちょっと疲れ早目の就寝でした。
でもこんな時は、夜間数度起きてしまうのよね
明日はいよいよ姉のOPです。
お昼過ぎに行きOPが終わるのは夕方になるでしょう。
それまで待機室で何があってもいい様に待っていなければいけません。
それから姉の様子次第で、付き添いへ・・・。
明日からは仕事姉の事で忙しくなります。
3・4日は皆さまの所へもお邪魔できそうもありません。
連休に入り落ち着いたらまたお邪魔したいと思います。
この世に生を享けて・・・・「祖父の厳しさ・祖母の優しさ編」
養女事件もあっけなく終わり生家に帰ってきた私は、
祖父母がなくなるまでのほんの2・3年ではありましたが、
祖父母から「無条件の愛」を貰って育ちました。
私は毎日祖父に連れられて山の畑へ・・。
いつもそばに祖父の姿がありました。
そんなある日いつものように祖父が引くリヤカーの荷台に乗り
いつものように山の畑へ・・・。
昔は道路も土であっちこっちごつごつしていて、
リヤカーの荷台はまるでゆりかごのようでした。
あまりの気持ちのよさに舟をこぐ私・・・。
眠りも深くなろうとした頃、
あまりの激痛で泣き出す私がいました。
そうです、眠りこけているうちにリヤカーの車輪に左足が絡んでいたのです。
それで、左足骨折
その事はまた・・・「周りの愛情編にて」
そんな事にもめげず、私の小さい頃はいたずら大好きなおてんばでした。
いつもいたずらしては、祖父に怒られる毎日・・・。
そしてそれをいつも抱いてかばってくれていたのが祖母です。
祖父は私が寂しがり家で甘えん坊のあまりいたずらするのを知っていました。
それでも、
「親のいないこは・・・。」
と世間様から言われないように躾けをきちんとしてくれていたのだと思います。
いつも「親がいないから」・・と言われたくないと
自分の名前・数字・・などまだ4歳前後の私に勉強するように、
ノートと鉛筆を買い与えてくれていました。
とても厳しいけれど無償の愛をくれていた祖父がいつもそばにいました。
いつも祖父のお叱りから守ってくれた祖母・・・。
私は毎日祖母の布団に入っては冷たい足を祖母の足で暖めて貰いながら
祖母の昔話を聞きながら眠るのが大好きでした。
でも祖母の話はなぜか怪談話が多かったような気なします。
今になってもその理由はわかりません。
どんな時も優しかった祖母・・・とても大好きでした。
祖父母の無償の愛で私は愛情豊かな人になれたのだと・・・。
私は、今でも人一倍寂しがりやの甘えん坊である事は変わりません。
ただ上手に甘える事は苦手・・・。
きっとこの頃からだったのでしょうね。
だから甘えさせてくれる大きな心の持ち主が私の理想なのでしょう。
ただいつも大切な人にそばにいて欲しい。
それが私の小さい頃からの願いなのかもしれませんね。
今日も長くなったのでこのへんでお終い。
つぎは「周りの愛情」へつづく
姉のOP前の説明を聞きに行きました。
Drも色々と忙しく、帰ってきたのは夜7:30分過ぎ
それからお風呂に入ったり、お洗濯ものをしたり・・・。
ちょっと疲れ早目の就寝でした。
でもこんな時は、夜間数度起きてしまうのよね
明日はいよいよ姉のOPです。
お昼過ぎに行きOPが終わるのは夕方になるでしょう。
それまで待機室で何があってもいい様に待っていなければいけません。
それから姉の様子次第で、付き添いへ・・・。
明日からは仕事姉の事で忙しくなります。
3・4日は皆さまの所へもお邪魔できそうもありません。
連休に入り落ち着いたらまたお邪魔したいと思います。
この世に生を享けて・・・・「祖父の厳しさ・祖母の優しさ編」
養女事件もあっけなく終わり生家に帰ってきた私は、
祖父母がなくなるまでのほんの2・3年ではありましたが、
祖父母から「無条件の愛」を貰って育ちました。
私は毎日祖父に連れられて山の畑へ・・。
いつもそばに祖父の姿がありました。
そんなある日いつものように祖父が引くリヤカーの荷台に乗り
いつものように山の畑へ・・・。
昔は道路も土であっちこっちごつごつしていて、
リヤカーの荷台はまるでゆりかごのようでした。
あまりの気持ちのよさに舟をこぐ私・・・。
眠りも深くなろうとした頃、
あまりの激痛で泣き出す私がいました。
そうです、眠りこけているうちにリヤカーの車輪に左足が絡んでいたのです。
それで、左足骨折
その事はまた・・・「周りの愛情編にて」
そんな事にもめげず、私の小さい頃はいたずら大好きなおてんばでした。
いつもいたずらしては、祖父に怒られる毎日・・・。
そしてそれをいつも抱いてかばってくれていたのが祖母です。
祖父は私が寂しがり家で甘えん坊のあまりいたずらするのを知っていました。
それでも、
「親のいないこは・・・。」
と世間様から言われないように躾けをきちんとしてくれていたのだと思います。
いつも「親がいないから」・・と言われたくないと
自分の名前・数字・・などまだ4歳前後の私に勉強するように、
ノートと鉛筆を買い与えてくれていました。
とても厳しいけれど無償の愛をくれていた祖父がいつもそばにいました。
いつも祖父のお叱りから守ってくれた祖母・・・。
私は毎日祖母の布団に入っては冷たい足を祖母の足で暖めて貰いながら
祖母の昔話を聞きながら眠るのが大好きでした。
でも祖母の話はなぜか怪談話が多かったような気なします。
今になってもその理由はわかりません。
どんな時も優しかった祖母・・・とても大好きでした。
祖父母の無償の愛で私は愛情豊かな人になれたのだと・・・。
私は、今でも人一倍寂しがりやの甘えん坊である事は変わりません。
ただ上手に甘える事は苦手・・・。
きっとこの頃からだったのでしょうね。
だから甘えさせてくれる大きな心の持ち主が私の理想なのでしょう。
ただいつも大切な人にそばにいて欲しい。
それが私の小さい頃からの願いなのかもしれませんね。
今日も長くなったのでこのへんでお終い。
つぎは「周りの愛情」へつづく