あした天気になあれ♪

日々の出来事・私の想いなどを
少しずつゆっくり書いていければと思ってます。

この世に生を享けて・・・『永久の別れ!編』

2006-09-08 21:51:30 | 私の事。
ここ数日あまり無理をせず過ごしたおかげで、

膝の調子もよくなりやっと普通に歩けるようになりました。

階段の上り下りはまだちょっと辛いけれど、

本当に後一歩と言ったところまで回復しました。

そして姉のほうも心が落ち着き、

OPへ向って体調を万全に整えている所です。

私も、姉のOPに向けて体調を万全に整えていかなければいけません。

姉は明日から3日間貧血改善のための処置が取られます。

ちょっと体調か崩れるかもしれないのでお昼から姉の所へ

日曜日は私の休養日。(一日お留守番です)

月曜日火曜日は姉の所へ行き様子を見たり、

OP前の説明を義兄の変わりに姉と一緒にDrからの説明を聞きます。

そして13日がOP予定日・・・。

どうかOPが何事もなく無事に終わりますように




【この世に生を享けて】・・・「永久の別れ!編part1」

私がこの世に生を享けて5ヵ月後秋のことです。

その日は町の秋祭り・・・。

父は朝から山の畑にお仕事に出かけ

数時間後気分が悪いと帰宅したそうです。

そうこうしているうちに家の庭先で倒れ・・・

帰らぬ人となりました。

祭り好きの父・・・。

祭りに参加する予定だった父・・・。

死んでもなお祭りを観にあっちこっちへと観に行っていたようです。

  
   父が亡くなったと知らなかった人から

    あっちこっちで父を見たよ!と数人の人がいたほどです。

突然の父の死・・・。

母のショックは大きかったことでしょう。

今の世であれば家を出て子ども達と暮らす・・・・

そんな選択も出来たかもしれませんが、

昭和30年代では叶わぬ事だったに違いありません。

父の突然の死!幼い子ども達を抱え、嫁ぎ先での苦労・・・。

もともと肝機能が悪かった母は、

入退院を繰り返し私が3歳の時帰らぬ人となりました。

母の葬儀の記憶が私の最初の記憶・・・。

棺おけに入れられる母を見て本能で最後の別れを悟った私は

「いや~。かあちゃんをいれないで・・!私も一緒に入る・・。」

と泣きわめいた事を覚えています。

あまりに泣く私を叔母が抱き近所を回ってくれ、

泣き止んだ頃家へ帰るともうそこに母の姿はなかった・・・。

とても悲しい記憶だけれど、とても大切な記憶です。

『人の死』

小さいながらに感じ取った瞬間でした。

これが私の両親との永久の別れです。



長くなったので『永久の別れ・・part1』はここでおしまい。

次は『幼い記憶』へつづく・・・。













コメント (13)
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