充電日記     

オフな話で一息を。

さざなみ

2021年05月10日 | Weblog


・数値を見て、こちらは大きい、こちらは小さいということ・・・子どもでもできることだ。いや、本当の子どもなら、そこでとどまるだろう。ところが、厄介な大人というものは、手に負えないものなのだということがよく分かる。

・まず、大/小の問題ではない、ということがある。1万人以上、すでに亡くなっているという現実を直視できない人が、あろうことか内閣参与? とんでもない話だ。総理は、まずこの人を内閣から切り離すべきだ。嘉悦大学も、こうした人を切り離して、名をあげた方がよい。

・また、さざなみならさざなみでよいとしよう。五輪を開催したら、大波真っ只中の国々から参加者が来るのだ。たとえ、「無症状」「無感染」などの判断があったとしても、それが、いかにあやふやであるかはすでに分かっているだろう。

・台湾と比較するとき、台湾のようにできなかったことを恥じるべきなのに、このようなことをいう。さざなみを押さえ込んだ台湾こそ立派なのであって、それができていない日本の状況を「さざなみ」というのはおかしすぎるだろう。笑笑。「さざなみ」というなら、封じ込めて見せよ。参与なんでしょう?

・内閣の意向でこの人が参与に選ばれたことの意味は重い。やはり、お手盛り人事では、イエスマンしか採れないのだ。学術会議のような、政権から独立したアカデミーが必要であることがいまさらながら明らかになった。