7月12日の都議会議員選挙は、日本の政治史にとってエポックメーキングな日として記憶されることになるかもしれません。麻生首相がいくら「地方選挙と国政は別もの」と言っても、関心が薄い地方選挙で前回よりも10%も投票率が上がり、中選挙区が多い中、民主党が圧勝したことは、小選挙区が中心となる衆議院選挙にあてはめると、途方もない結果となることが明らかで、都民の手を借りて、国民の怒りが爆発したと言えます。
55年体制と言われた政財官がスクラムを組んだ日本的システムの中心を占めてきた自民党政権は、十数年前の1993年に一時日本新党、新生党などの連立政権で崩れましたが、あの時は、自民党内の政争が発端でハプニング的な政権交代でした。非自民政権の内部分裂で自民党中心の連立政権に戻ってからは、また55年体制が継続してきました。
小選挙区中心の選挙制度になった時には、オセロゲームのように議席数が大激変する外国の例が紹介されたりしましたが、日本においては、そんな状況は現出せず、参議院では野党に勝たせても、衆議院では自民党を勝たせるといういかにも日本的中庸が続き、本当に政権交代なんてあるんだろうかと思わされました。
しかし、昨年来の(恐らく政治家が実感出来ないであろう)猛烈な景気後退と、安倍首相の政権投げ出しに始まった迷走が、麻生首相の無能ぶりでとどめを刺し、大きな変化を望まない日本人もさすがにこれではダメだとなったのだと思います。今や民主党支持ではなく、とにかく自民党はダメ(今のままではダメ)という切実な思いなのです。こうした国民の切実さを気づかない鈍感さは、政治家として致命的だと思います。
考えて見れば、小泉首相があれだけの人気を博したのも「変化」への期待であって、その「変化」への期待を自分の「貯金」のように勘違いして、「停滞」「ブレ」「保身」で食いつぶしたツケでしょうね。今の景気状況を憂慮する一生活者として、麻生首相の言動には、本当に苛立ちましたが、麻生首相も祖父と同様日本政治史に名前を残すことになるかもしれませんね。祖父が築き上げた保守政党を葬った男として。
首相にさえならなければ、たまに失言はするけども話が面白いおっさんで済んだのに、総理大臣なんて器以上のものを望んだがための報いでしょう。あとは、選挙までに民主党が失策を犯さないことですが、今回ばかりは、よほどのことがあっても、このマグマは抑えようがないような気がします。今年の夏の終わりにどんなドラマが待っているのか。