硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 金子みすヾの最期の一日

2007年06月21日 | 文学・絵画等芸術関連

 

 

 

金子みすヾの最期の一日

 

 

夫は結婚したばかりなのに 女狂いで 商売女から貰って来た病気を 

妻金子みすヾ(本名テル)にうつし 本人はさっさと治したが 

みすヾは 次第に重くなる病と必死に闘っていた 

一人娘のふさえに 愛情をたっぷり掛けながら

なりふり構わずに耐え 小さな本屋をやって ヘトヘトになる神経が続く

そうして漸く離婚したが 離婚後も 夫から執拗に娘を返せと書状が届いていた

みすヾは覚悟を決めた それまで書いた作品を三冊の手帳に清書した

『美しい町』『空のかあさま』『さみしい王女』と名付けて 

恩師西条八十氏と 本当は実の弟である正祐に遺した

「二人だけに分かって貰えればいい」と そして筆を絶った

 

だが可愛い娘のふさえの幼言葉を『南京豆』に書き写しながら

少しの時間も 娘のためだけに使かった

 

離婚に際し みすヾの条件はたった一つ ふさえを自分の手で育てたいと

一度条件を受け入れた夫からは 矢のような催促で ふさえを返せと

或る日いつもと違う文面が 「3月10日にふさえを連れにゆく」

親権は父親にしかない時代で 連れに来られたら渡すしかなかった

 

みすヾは弱りゆく身体で 何が出来るのかを必死に考えた

幼い時代から 色々な死や別れを体験して来たが それは皆運命だから

でもふさえだけは違う ただ黙って見送ることは出来ない

みすヾは 夫の理不尽と大きな運命に 

全身全霊を持って抵抗するしかなかった

 

3月9日 みすヾは一人で写真館に行き 写真を撮った

帰りに櫻餅を買い 正祐などとの思い出の場所を遠回りし 家へ戻る

夕食後みすヾは ふさえをお風呂に入れた

自分は一緒に入らず たくさんの童謡を歌って聞かせた

櫻餅をみんなで美味しそうに食べた

 

やがてふさえは みすヾの母ミチと一緒に床に就く

二階の自室に上がろうとした時 ふさえの寝顔を見て動くことが出来なかった

階段の中ほどから「可愛い顔をして寝とるねぇ」 みすヾ最期の言葉であった

 

枕元に最期の姿を映した写真の預り証と

三通の遺書を遺して 多量の睡眠薬をあおった

 

一通は夫宛てで「あなたがふぅちゃんにしてあげられるのはお金であって 

心の糧ではない どうか私を育ててくれたように 母にふぅちゃんを預けて欲しい」

一通は母と叔父宛てに「くれぐれもふぅちゃんのことをよろしく」

「今夜の月のように 私の心も静かです」

そして最期の一通は 実の弟 他家へ養子に入った愛すべき正祐へ

「さらば 我らの選手 勇ましく往け」

 

昭和5年3月10日未明 金子みすヾは僅か26歳の生涯を閉じた

みすヾの命懸けの願い通り ふさえは母ミチのもとに残された

 

あの西条八十がもっと真剣であったならば 正祐が本来姉弟であることを

しっかり認識してくれたなら 夫は無体であるばかりだし 救いはなかったのか

性病を治しに 何故本人は行かなかったのか 

あれこれと 悔やんでも悔やみ切れないが 

我が亡き主人の『櫻忌』の法要の中に 

彼女の名がしっかりと刻み込まれている・・・・

 

母ミチ 本人みすヾ そして娘のふぅちゃん 母子三代に亘って

男運がなかったと言えばそれまでだが あんなに母みすヾのことを嫌ってしまった

娘のふぅちゃんでさえ 夫と離婚 子供と二人で歩く運命を選んでいる

 

金子みすヾが生まれた仙崎は 鯨の取れる港で 昔は大いに賑わっていたが

鯨法会をやるような信仰心の篤い土地柄であり みすヾは生来の優しさに

土地柄の優しさも加わって あの512篇のも珠玉の詩が生まれた

それなのに どこまでも運命とは過酷なのであろうか

 

 

                『露』

                     金子みすヾ 作

 

             誰にもいわずにおきましょう。

 

             朝のお庭のすみっこで、

             花がほろりと泣いたこと。

 

             もしも噂がひろがって

             蜂のお耳へはいったら、

 

             わるいことでもしたように、

             蜜をかえしに行くでしょう。

 

 

 

 

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櫻灯路『散ったお花のたましいは』  

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櫻灯路『散ったお花のたましいは ふぅちゃん篇』

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櫻灯路『花のたましい』 

 

口絵の写真は20歳頃のみすヾ 純粋無垢で綺麗な心の持ち主でした

 



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2 コメント

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生き続ける詩人の心。 (道草)
2007-06-21 11:12:58
金子みすゞは生きとし生けるもの、それのみか、この世に存在するもの全ての心が理解出来た詩人なのでしょう。時には、鳥になり魚になり、また花になり風になり雪になり・・・。しかし、余りにも繊細で透明過ぎた感性がこの世の全てに耐えられず、もう疲れたから眠りたいとつぶやいて、永遠の眠りについたのでしょう。みすゞは死を死んだのではなく、その心は生を生きていて、ただ、目を瞑っているだけなのかも知れません。

「きりぎりすの山登り」 金子みすゞ

きりぎっちょん、山のぼり、
朝からとうから、山のぼり。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。  

山は朝日だ、野は朝露だ、
とても跳ねるぞ、元気だぞ。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
 
あの山、てっぺん、秋の空、
つめたく触るぞ、この髭に。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。

一跳ね、跳ねれば、昨夜見た、
お星のとこへも、行かれるぞ。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。

お日さま、遠いぞ、さアむいぞ、
あの山、あの山、まだとおい。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。

見たよなこの花、白桔梗、
昨夜のお宿だ、おうや、おや。
ヤ、ドッコイ、つかれた、つかれた、ナ。

山は月夜だ、野は夜露、
露でものんで、寝ようかな。
アーア、アーア、あくびだ、ねむたい、ナ。
妙なる御園へ (硯水亭)
2007-06-21 19:01:03
     道草先生

 そうですねぇ!どこかに隠れているかも知れませんね。空に海に、そして花々に!亡き主人は約200程諳んじていました。仕事中でも、独りでボツボツと独白するのです。みすヾの存在はどんなに彼を勇気づけていたことでしょう。その上、正祐さんのように、時々みすヾの歌に曲を作って歌っておりました。多分探せばどこかに譜面があるかも知れません。

 奇しくも道草先生から頂戴致しましたこの歌はみすヾの最期の歌です。辞世の歌とでも言っていいのでしょう。リズミカルで、あの仙崎の真っ青な海の漣を思い起こさせます。最期の一行はみすヾに死にようを表現しています。


  『さくらの木』

 もしも、母さんが叱らなきゃ、
 咲いたさくらのあの枝へ、
 ちょいとのぼってみたいのよ。

 一番目の枝までのぼったら、
 町がかすみのなかにみえ、
 お伽のくにのようでしょう。

 三番目の枝に腰かけて、
 お花のなかにつつまれりゃ、
 私がお花の姫さまで、
 ふしぎな灰でもふりまいて、
 咲かせたような、気がしましょう。
 
 もしも誰かがみつけなきゃ、
 ちょいとのぼってみたいのよ。

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