Anne of Green_Gables
僕の、『赤毛のアン』
現在、地中海沿岸部を中心に巨大な低気圧があり、イタリア西部から、フランス南部、或いはスペイン東部に掛けて、まるで台風がやって来たようになっています。各地で震災が懸念される中、ユーロ危機に加え、こうした気象現象は大変な脅威になっている筈です。地中海の風は現在は聊か収まっていて、どこかでホッとしていますが、でもまだ油断なりませぬ。タイの洪水が始まる一週間前からCNNでは連日低気圧の進路予報や警告を鳴らし続けていたのですが、まさかまさかの連続で、大変なことになっています。心から先ずはお見舞い申し上げます。でも3:11のように、未曾有の天災だと言うだけではどうなんでしょうか。
日本人に古くから伝わる四季の表現、春のことを「山笑う」と言い、夏を「山滴る」と言い、秋を「山装う」と言い、冬を「山眠る」としてきました。四季がはっきりしているのが日本の原風景なのでしょう。でも近頃は春から冬が来るような、でも僕たちは、そんな理不尽な季節変動に直面しています。季節も漠然と綯い交ぜになって移り変わって行くようでなりません。人心もそうなのでしょうか。新聞は12紙取っており、テレビも比較的よく観るほうで、決して世間に疎いほうではありませんが、バラバラ殺人事件とか、子供の虐待とか、挙句の果て子殺しだとか、ひき逃げの報道とか、よく読むと心を痛めることが数多く、三面記事はなるべく読まないことにしています。
何時ぞや正月に行った日暮里駅は、日暮里~舎人ライナーが開通してから驚異的に発展し、駅構内は斬新なデザインに満ち新しく生まれ変わりました。江戸情緒を色濃く残す色街の向島五丁目など、東京スカイツリーのせいか、東武浅草線近辺の風景がガラリと一変しました。昔からの風景は次第に失せつつあり、荷風散人が歩いた散歩道は滅び行く運命にあります。僕が住んでいる地域は何やら人々の羨望の地域になっているらしいのですが、ホンの少し前までは長閑な風景でした。江戸末期に、四谷の上屋敷から移り住んだ先祖が来た時の広尾は一面薬草園だけだったそうです。著しく変化するものと、少しばかりですが、変化しない部分とがあるようです。有栖川宮記念公園の佇まいもそうで、戦後造られた、入り組んだ狭い道もそうかも知れません。外苑西通りから幾らか中に入っているせいか、閑静な住宅街となっているだけです。
明治7年(1874)は高浜虚子やサマーセット・モームが生まれた年、ウィンストン・チャーチル宰相と全く同じ生年月日に生まれたのが、「赤毛のアン」の作者 L・M・モンゴメリでした。主人公のアンは自分の名前に「e」を付けるようにと、小説には時々執拗に出てきます。モンゴメリも、ルーシー・モード・モンゴメリと、フル・ネームで呼んで欲しくなかったらしく、必ずL・M・モンゴメリと呼ばれることに拘ったようですが、孤独なアンとダブるぐらいに、モンゴメリの生い立ちも孤独性に満ちていました。幼児の頃からとても利発な子で、特に記憶力が凄かったようです。若かった頃少しずつ稿料が入るようになると、貯めたお金で、ウィリアム・シェイクスピア全集を購入し、その殆どを記憶したと言うのですから驚きです。そしてアンの物語にしばしば出て来るキー・ワードはImagination(想像、想像力)と言う言葉です。男の子を迎えに来たはずのマシューが想像力豊かでお喋りな女の子にスッカリ魅了され、グリーン・ゲイブルズに連れて帰ってしまう発端から、アンのImaginationが爆発し留まることはなかったように、孤独な少女の心を豊かに満たしてくれるものがそれでした。ところが原典を読むと、それがなかなか厄介なもので、僕なりに翻訳するのに随分と苦労致しました。だってシェイクスピアやテニスンや、多くの詩人や偉大な文学者の言葉で満ち溢れているのですから。そしてImaginationはアン自身の心だけではなく、周囲の人々を温かく巻き込み、希望に満ちた夢の世界に誘うのですもの。アンのImaginationは、この小説の大きなキー・ワードであり、読書上での最も重要なフレーズになっているのです。
様々なことが腑に落ちた松本侑子著
『「赤毛のアン」に隠されたシェイクスピア』
孤独なアン、僅か三ヶ月で両親を失うアンにとって、生き延びるためには豊かなImaginationが必要不可分でした。小さな胸が押し潰されるようにして、PEI(プリンスエドワード島)にやって来た11歳のアンは、薔薇のような皮膚と、目は美しい星のようなスミレ色だと想像出来ても、ニンジンのような赤毛と七つのソバカスと醜い痩せっぽちな容姿が嫌で嫌で堪りませんだったのです。どうしても超えられない劣等感の塊。後に騙されて毛染め薬を買い、赤毛が緑色をする事件を起こしてしまいますが、マリラの友人のリンド夫人と悶着起こしたり、大事件となりました。アヴォンリーの、最初行った学校で出逢った運命の人ギルバート・ブライスに赤毛のことを「ニンジン!」とからかわれ、石盤事件を起こし、ずっと恨み続けたのですが、マシューが亡くなった後、シャーロットタウンのクイーン学院を首席で卒業します(ギルは金メダルを獲得)。眼が弱くなって来たマリラのために、アンはレドモンド大学への進学を諦め、カーモディの教師になることを決心しました。一方家庭の事情で、レドモンド大学への進学を諦めたギルバートは、学資を得るために教師の道を選択します。そんな時、アンの近くの、アヴォンリーの学校教師を、ギルはアンに譲りました。そこからアンとギルは仲直りするのですが、恋仲になるまではなかなかそうは簡単には行きません。たった16歳の夏のことでしたから。やがて心友ダイアナがフレッド・ライトと婚約します。その前後山彦荘の主ミス・ラベンダー・ルイスと偶然に知り合い、そこでポール・アービングをひき合わせました。運よく二人は大の仲良しになり、やがて山彦荘で結婚式を挙げるのですが、ミス・ラベンダーの感性を気に入ったアンは、彼女の結婚式の後、ギルから告白されます。ラベンダーさんのように遠回りしなければいいのにと言うギルの言葉でしたが、18歳のアンには無理でした。6月頃、マリラはアンにレドモンド大学への進学を進めます。そこでギルと、プリシラ・グラントとともに、三人でキングスポートのレドモンド大学へ進学することになるのです。11歳からのアンを、Anne of Green Gables(赤毛のアン)と、新任教師となった16歳から18歳の、レドモンド大学の入学が決まるまでの期間を、Anne of Avonlea(アンの青春)で描き、パティの家を見つけ、大いなる青春の門を開くのでした。シリーズ三作目のAnne of the Island(アンの愛情)は18歳から22歳まで、ギルとの結婚を決めるまでが描かれています。Anne of Windy Poplars(アンの幸福)ではレドモンド大学卒業後、サマーサイド中学校の校長に赴任し、柳風荘で過ごした独身最後の三年間が描かれています。25歳で、ギルと結婚。Anne's House of Dreams(アンの夢の家)では結婚後の25歳から、27歳までの新婚生活が生き生きと描かれています。フォア・ウィンズでのエピソードの数々でした。Anne of Inglesids(炉辺荘のアン)では主婦になってから40歳までのことが中心で、夢の家より大きな炉辺荘に移り、Anneと名付けられた物語の最後が描かれています。更に、Rainbow of Valley(虹の谷のアン)はギルとの間に出来た六人の子供たちに起きる騒動が描かれ、41歳になったアンと一家の、約一年間が描かれています。そして最後の章はRilla of Ingleside(アンの娘リラ)が描かれ、第一次世界大戦によって、長男ウォルターに戦死され、哀しみにくれるアンの49歳から、54歳までが描かれ、次第に末娘マリラ(愛称リラ)の目線で描かれるようになって行きます。
東側で日当たりのいい、グリーン・ゲイブルズのアンの部屋
女物をモジモジしながらマシューがやっと購入したドレス
アンの部屋にはパフスリーブの、そのドレスが掛けられています
シリーズ合計八作が、「アン・ブックス」と呼ばれ、アンの長く、然し短い人生模様が生き生きと描かれていますが、このうち「炉辺荘のアン」と「アンの幸福」は後から書かれたものでした。でもこれは作者L・M・モンゴメリ公認のシリーズですから、この八部をそう呼んで間違いはないでしょう。アンの翻訳者で、特筆される方は村岡花子さんに違いありませんが、多くの方々が今も、アンへの思いを筆に託し労苦を惜しんでおりません。高柳佐知子先生も、大きな影響を受け、今も活発に活動していらっしゃいます。最近は松本侑子さんの翻訳本が面白いです。深くその中身が吟味され、僕など男性には腑に落ちる内容が多いからです。村岡花子さん云々だからではなく、松本侑子さんの翻訳も見逃せませんのです。村岡花子さんは作者モンゴメリとよく似た素敵なエピソードをたくさん抱えていらっしゃいます。麻布の鳥居坂にある東洋英和女学校の話はアンそのものような錯覚に襲われ、本当に素敵です。同級に片山廣子さん(偉大なる作品・「燈火節」の作者)がいらっしゃったのも、何やら不思議です。片山さんを慕って引越しし、そこの隣接した場所に、将来ご主人になられる福音印刷(後の福音館出版社)があったのも不思議な運命の綾と言うべきでしょう。村岡さんの、アン・シリーズの完訳は実に素晴らしいことで、戦後の人々にとって、どんなに勇気づけられたことでしょう。これは筆者間の比較の問題ではありません。より一層モンゴメリを知りたい我欲だけです。太宰治で文壇デビューした松本侑子さんが「赤毛のアン」をどう解釈し読むのか、興味津々なだけです。
本作だけではなく 心中相手の「山崎富榮」のことも描きました
何故アンと関係があるのか その辺がとっても興味深く感じています
松本女史の中で、アン・シリーズと太宰治はどう関連性があるのか、僕は深く興味を抱いています。アン・ブックスで、松本女史は色々な作家と挙げ、モンゴメリが受けたであろう影響を考察していますが、そう言えばアメリカの太宰治と言われるF・スコット・フィッツジェラルドはモンゴメリとほぼ同世代でした。彼の「グレート・ギャッツビー」は確か村上春樹氏が翻訳していたかも。光と影の部分を持つモンゴメリと、「赤毛のアン」は、彼女自身の実体験として、アン同様ある面で過酷な人生を歩んだお話です。神父だった夫は、晩年鬱病で苦しみ、モンゴメリも又苦しみました。モンゴメリは三人の男の子を出産しましたが、二番目の男の子は臍の緒が首に巻き付いたまま出てきたので、何と哀れ死産でした。その子の名前をつけてあげました。そんな耐え難い哀しみのうち、超繁忙期。妻として、女として、母親として、そして創作者として、編集者などの仕事人として、「赤毛のアン」シリーズは、モンンゴメリの壮絶な忙しい時季に纏めて仕上げられたもので、驚嘆に値します。モンゴメリは先祖探ししたアイルランドへ新婚旅行に行った以外は、トロント付近やPEIしか知りません。要するにカナダの作家なのです。「赤毛のアン」の初版は、モンゴメリが五回目挑戦し達成出来た金字塔です。他には「エミリー・シリーズ」など多数ありますが、貧乏神父を支え続けなければならず、何処まで本当に自ら歓喜に満ちて創作したものであったでしょう。夫と死別した後、最晩年のモンゴメリは再びPEIへ帰って来て、旅路の果ての家に住むことになるのですが、その後そこで淋しく亡くなりました。或いはと、自殺説があるぐらいです。そしてグリーン・ゲイブルズを眼下に見た小高い丘の共同墓地で、今も静かに眠っているのです。
先月NHK bsで「赤毛のアン」の映画が放映されました。ミーガン・フォローズ主演の素晴らしい映画でしたが、大変な疑問も持ちました。「赤毛のアン 前・後篇」、「アンの青春 前・後篇」、「「アンの結婚 前・後篇」、及び「アン 新たなる始まり」の全七作でした。でも「赤毛のアン」や「アンの青春」は原作に近いのでいいのですが、「アンの結婚」や「アン 新たなる始まり」の三篇はどうにも合点が行かなかったのです。始めの二作と映画監督が違うし、まるきり創作されたもので、全く魅力がありませんでした。赤毛など生まれ付き持たされたことや、戦争とか、男性でも意のままにならないことが多々ありますよネ。そうした危機を乗り超えて行く逞しさは心底から敬愛されるもので、男性にとっても「赤毛のアン」は重大な主題を持っているわけです。ギルは戦争に行ったでしょうか。ギルを追い掛け、アンはヨーロッパに渡ったでしょうか。創作なら創作として受け止めますが、映画「ひまわり」じゃあるまいし、呆れてモノが言えません。あんなに素敵なアンの生涯、原作をいじる必要があるでしょうか。更にこの作品を、僕は原書で読みましたけれど、児童書などでは決してありません。ましてアニメで済む物語でもありません。運命と言う抑圧を受けた人間の解放の物語です。そして松本侑子さんの翻訳はまだ三巻しか出ておりませんから、リラまで、どう翻訳なさるのか、ワクワクしながら新たなる出版が待たれるところです。是非完訳して戴きたいと心から念願します。
松本侑子さん PEIへ一般の方の旅行企画もしていらしゃいます
遂先日、ニューヨーク一帯が数十年ぶりに豪雪に見舞われました。それより北に位置するプリンス・エドワード島は、恐らく甚大な被害があったのではないかと心配でなりません。小さな島ですが、カナダ国家発祥の地でもあります。四季折々の風情豊かなままの、静かな島であってくれたらいいのに。 そして何でもないような湖水に情感たっぷりの名前や、真っ赤な土の小道に、可愛い名前をつけたアン。何もかも優しかったマシューは使途マタイ、厳格でも心根の優しいマリラは言うまでもなく聖母マリアではないでしょうか。「ぅうんアン、男の子12人より、あなた一人のほうがずっといいよ」と、この兄妹からアンに贈られた真実の言葉でした。聖書関係も翻訳に手間取りましたが、僕の下手糞な手作り絵本に、「アンのクリスマス」と言う作品があります。アンのクリスマス関連ハプニングを集め、それを絵と文章に新しく仕立てたものです。ギルが舞踏会で拾ったアンの薔薇の花を胸ポケットに入れるしぐさの場面も重要で、何気なくサラリと入れてあります。今後も、僕はアンと長くお付き合いをして行くことになるでしょう。読んでいると、生きる勇気と仕事へのチャレンジ精神を存分に味わい頂戴出来るのですから。