硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

京の「いけず」の精神文化

2010年11月20日 | 祭り・民俗芸能・民間信仰

 

 大好きな御寺 紅葉の真如堂の本堂 (黒谷にて)

 

 

 

     京の「いけず」の精神文化

 

 京には様々な文化と伝承があり、町衆と公家、或いは武士との合間と言った、

混在する多種多様な文化があるが、中でも「いけず」の精神文化は最も興味がある文化である。

通常「いけず」とは意地悪なとか、「いけすかない」とかの意味があろうが

京町屋ではそんな悪いような言葉ではなさそうである。「いけず」とは人間関係の潤滑油であろう。

中京区にある杉本家は家内の実家の直ぐ傍であるが、家内の実家でも杉本家でも、

隣近所とのお付き合いは専用の入り口がある。正客の出入り口とは全く異なる。

どんなに親しい間柄であっても正客の出入り口には通さない。つまり必ず一定の幅を持ち、

キリリとした間柄を保っているのがその背景である。乱世あり、いつどのようになっても、

必ず新しい秩序に対応出来るように出来ているのが、その「いけず」の精神であろう。

可笑しなことに、京都にいる御仁でもこの深い精神性が全く分かっていないのが実情だ。

そう言えば近頃四条や、床しき花町にも暴走族が出ているようである。何たることであろう。

 

団塊の世代は戦後の日本を支え、その功績は讃えてあまりあるが、

団塊の世代の、少し前の世代は戦後民主主義に毒された甘っちょろい世代である。

礼儀作法も知らなければ、青雲の志もなく、肝油やDDTで育った方であろう。

決して侮蔑して申し上げているのではない。その心根が甘いのである。

散々金満家と揶揄する人に、すっ高い御酒を何年も馳走になりながら、

一転して他人のコメント蘭に悪口を書き込みする。その悪態ぶりは尋常ではない。

書かれた御仁も迷惑せんばんな筈で、その弊害が広がらないことを祈る。

 

金満家とは笑止の至り、あなたのように毎夜の晩酌を一切せず節約の日々を送っている。

もともと武家であった当家の伝統は質実剛健である。あなたのようにユルイ人生を送っていない。

八幡さま境内に疎開されていたようだが、八幡さまが何たるかを全く知らない。

山頭火ばりの情緒的な生き方に終始し、八幡大菩薩は貴殿を大いに笑っておられることだろう。

 

こうして人を非難するような記事を、我がブログの記事に書きたくないが、

お他人さまのフンドシを利用して書く批判行為は日本随筆家協会も、大いに嘆いていることだろう。

今日の政治的軽薄な言葉は、あなた方世代の大なる責任がある。

真摯な「いけず」の精神的文化も知らずして笑止。勇気があれば自分のブログで反論したまえ!

私には痛くも痒くもないことだから。(爆笑)

 

<もし反論があれば、このブログのコメント蘭にカキコしたらよかろう、待っている!>

 

 

暮れになるとこうした「西利」本店の店内風景が すぐきや千枚漬けが美味しかろう

 



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