硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

      かくも長き不在に

2013年10月11日 | 

あなたと お茶して

 

 

             かくも長き不在に

 

 長き不在は、七月にアラスカ行きから始まり、そして漸く苗が育ちはじめたウェリントンへの旅。ただ旅の期間中、無念かなチョッとした病を得て入院。七月二十二日、ウェリントンで二度にわたる手術後の入院中、ひどい地震に遭遇。震度6,7度、幸い然程の被害が出なかったものの、点滴を何本もぶら提げての移動で、改めて我が東日本大震災を思い起こす。同行した秘書に聞いたら、塾生は相変わらず被災地へ行き、東松島市ではニコルさんが、そして宮脇昭先生は岩沼市を中心にやっておられる「森のプロジェクト」をお手伝いしている様子で、至極安堵した次第。金剛寺住職の日置道隆師も寺内にて二万本のタブの樹を温室にて育てておられ、「いのちを守る森の防潮堤」創りに精を出しておられる由、同士の方々の奮闘に心強く思った所存。尚三年前から取り組んでいるウェリントンの苗場では、江戸彼岸と山櫻の苗が約三千本ほど育ち始めてた。背丈はまだ30㎝ほどだが、短期であっても、塾生がホームステイなどでお世話になっている方々へお贈りするもので、苗場も牧草地にビニール製の温室小屋を建て、そこで栽培している。代わる代わる我が塾生が行き、育て、見果てぬ夢を紡いでいるものだ。まぁ何でも手間暇掛ければ、それなりに育つものであろう。

 さて世界は益々混迷の度合を深め、強国アメリカではネジレ議会で10月から執行の予算が通らず、国立関係職員はすべて自宅待機とか。17日に迫った米国国債の上限法案も怪しく、オバマ大統領の求心力が失われつつあり、アジア太平洋経済協力(APEK)がバリ島で開かれているが、オバマ大統領不在で大いに混乱しているようだ。その隙を狙って中国の習近平が主役を務めているとか、この無能な国家主席に一体何が出来るだろうか。精々自国の海洋権益を正当化するための活動だけだろうか。ロシアとの合議によって、シリア・アサド政権が保有する化学兵器絶滅に、国連がやっと動き出したようだが、アサドはすべて申告するだろうか。自国民をあれほど殺戮しておきながら、未だに延命しようとしている厚面皮。アメリカのNavy SEALsが、先日ケニアでテロの惨劇があった主犯格の拠点を急襲し、イスラーム過激派を打破したとか。どこまで攻撃出来たか定かではない。イラン・イスラム共和国の新大統領のハサン・ローハニー師が国連で演説。核問題で譲歩するかのようだが、その上に最高指導者であるアリー・ハーメニイー師が君臨している以上、あの過激なマフムード・アフマディーネジャード前大統領とは全く違う政策が可能なのだろうか、極めて疑わしい。イスラームには大きく分けて、シーア派とスンニ派が存在しているが、シーア派は理想主義的で妥協に全くの余地がない。一方スンニ派は比較的穏健で、教義にも柔軟で、西洋文明をとうに受け入れている。15億人とも言われるイスラーム教80%がスンニ派で、シーア派は極少数意見だ。教義には厳格で、その代表国家がイランであり、過激派に資金提供をし、武器供与も当然ながらしている。イスラエルを打倒すべく存在するヒズボッラーやハマースはイランという国家とは切り離せない。当然シリアにも武器だけではなく、多くの軍人も出しているようだ。ベンヤミン・ネタニヤフ首相が羊頭狗肉とバッサリと切捨てて批判した、しっかりした根拠があるからだ。前大統領は影響力を残すべく、要所要所に自らの子飼いの人間を配置し、濃縮ウランの製造は国家の権利として決して手放さないと主張しているからであるが、一方やんわりと米国と雪解けムードも出てきたようである。シリアのアサド氏夫人は中東の薔薇とも言われ、中東のダイアナとも称され、スンニ派出身の同夫人には多大な期待が寄せられた時期があったが、アサド父子出身母体である最小数派のアラウィー派に鞍替えしたのだろうか。アラブの春は一体何だったのだろうか。中国から飛来するPM2,5は恐ろしい。中国の闇銀行である巨大なシャドー・バンクのバブル崩壊も現実味が大いにある。毛沢東への回帰を語り、多くの庶民の支持を得た元重慶市トップの薄熙来氏は無期懲役刑になったらしいが、本人は飽く迄徹底的に階級闘争する構えらしい。今年反日デモは起きなかったようだ。それは中国政府によるコントロールによって如何様にもなるという証拠であり、私たちはまだまだ全く安心出来ない。中国が歴史問題を言うんなら、数千万名もの知識人が虐殺された文化大革命や天安門事件も明らかにすべきだろう。韓国に対するヘイトスピーチは日に日に大きくなって行き、街宣車に対する厳しい判決が出た。如何にも成熟した日本の社会のことで歓迎したいが、韓国におけるヘイトスピーチを拾ってみると、呆れてモノが言えない。ここでは省くことにするが、朴槿恵大統領の無能ぶりには呆れかえる。習近平と会談した時に、我が国の総理大臣であった伊藤博文を、ハルピン駅で暗殺した犯人である安重根の銅像を作って欲しい要請をした。これにはさすがの習さんもテロリストの銅像はどうかと思ったせいか、「検討する」と答え、後日ハルピン駅近くの公園に、その史実が書かれた小さなプレートを置くようにしたとかしないとか。漸くやっと朴槿恵さんの無能ぶりが全世界に認知され始めたようである。アベノミクスによりウオンが極端に下落したため、よっぽど堪えているのだろう。従軍慰安婦問題で、韓国国内でも新しい論文が出始め、国をあげて侃々諤々のようで、曰く日本政府の問題ではないと。中国も韓国も、今はまともに相手にすべきではない。国家の品格に、違いがあり過ぎるからである。

 世界は騒然として、どこにでもきな臭い匂いがありそうで、この美しく青い地球はわなわなと怯えているかのようである。時代がどんなに進んでも、人間の智慧に所詮限界があるのだろうか。アラスカでも確認したが、氷河は極端に少なくなり、地球温暖化問題は正直に確実であって、全世界で発生している異常気象になるのは当然と言えば言えなくもない。何て浅はかな存在だろう。

 

ゼンマイのお煮しめ

 

 八月の大半は西オーストラリアの友人宅があるパースに、身を寄せて過ごした。途中子供たちと、妻が見舞いに来てくれて、全員でゆっくり過ごせた。ちょっと見ないうちに、子供たちは随分大きくなったものであり、それぞれ一人でに大きくなるのかも知れない。そんな旅路でも、妻は古書や幾つかの本を持ち込み、出来るだけ独りになりたいようである。妊娠しているお腹は明らかに目立ってきたようで、安定期に入っているのだろう。そんな折に長く留守をした不徳を詫びた。ただ夜だけは親子四人で、澄んだ海風が吹きぬける海辺の家にいて、何もないが、どことなく豊かに過ごせたかと思う。

 

野菜サラダ すべて叔母の手作り野菜

 

 妻と子供たちの都合により、旧盆過ぎてから帰国したが、日本の暑さは半端ではなく、従兄弟の所有する軽井沢の山荘に逃げ、しばらくは養生をした。少しはひんやりとした林を歩き廻って、精根こめて体力の回復に努めた。堀辰雄が愛した矢野綾子をモデルにして「風立ちぬ」(作品では節子)を描き、綾子亡き後、綾子の遺言によって、堀は多恵子を妻に娶った。底抜けに明るかった多恵子は、「風立ちぬ」の最後を暗示させ完成した。また「燈火節」の片山廣子をモデルにした「聖家族」・「菜穂子」も書かれた軽井沢。あの道この小道へと、どなたかと歩いた記憶を尋ね歩きながら、私は、不思議に晩年の「花あしび」を思った。それは堀辰雄の友人知人たちが堀より先に逝ったことへのレクレイエムとしてだろうか。緩やかな木陰に、僅かに流れる風を受け、多くの文人たちと、軽井沢で交流を持った堀辰雄に、微かな嫉妬さえ覚えて楽しかった。

 

おにぎり これさえあれば大丈夫

 

 ウェリントンでの手術を受ける際、ご老体をおして父がやって来て、手術に立ち会ってくれた。心強かった。少なからず逆縁にはなるまいと麻酔を掛けられ、意識が少しずつ遠のく時間の流れに、どうにかヒシと感じた通り、その十二時間後に、無事生還し、どんなに嬉しかったことだろう。涙があふれた。私の精神が萎えると思ったのか、妻や子は敢えて連れて来なかった父に、実はどんなに感謝したことだろう。父と二人で、剱岳山頂に行く約束を未だに果たしていない悔しさ。無口な父でも恐らくはきちっとやってくれたのだろう。助かった。更に父の薦めと、かの病院の優秀な医師団の勧告もあって、築地の国立癌研究センター中央病院に行ったのは九月も終わりの頃。八種類の癌検査すべてを終え、陰性であったことが分かった。取り敢えずほっとしたところ。但し二か月に一度の検査の必要があるとか。それでも、それは生還した瞬間であったように思え、心震える感動をおぼえた。

 

自宅 渡り廊下

 

 私たちのグループは櫻をキーワードにして活動を続けている。樹木とは最低でも50年という年月を経なければ結果は出ない。伊勢の神宮に使用される檜においては最低200年。遷宮行事の最初を飾る山口祭で、斧で伐り倒される檜は、300~500年は掛かろう。然も一回の式年遷宮で一万本のご用材が必要である。元は神宮の森が御杣山であったが、現在は木曾山中が御杣山になっている。式年遷宮は実は息の長い植林があってこそ成立するようなものであり、植樹・植林の結果は永く引き継ぎして行くから成り立つもので、それには人を常に育てることに徹して戴きたいものである。宮崎県綾町のように、日本一の照葉樹の森も凄いもので、震災で必要な樹木はタブなどのように、根っこが深く真っ直ぐ地中に根付くものでなければならない。日本では好んで海辺や水辺に松が植えられてきたが、それほどの土がなくとも根付くのが松である。あの松島の各島に生息する松はこの類であるだろう。だが今回の大震災で証明された通り、松は津波対策には酷く脆弱で、櫻では染井吉野が圧倒的に弱かったのである。櫻に対する拘りは、日本人としての矜持の花ばかりではなく、我が震災大国への警告になれればいいのである。

 私は今日の朝、妻を伴い、先祖の霊魂が眠る菩提寺と青山墓地へ参拝した。手術の無事を報告し、心から感謝を申し述べるためである。特に母の御霊へは。そして東日本大震災から2年7ヶ月の月命日でもある。多くの被災地では鎮魂の祈りが捧げられていることだろう。生存された方々へのエールも同時に、心から祈らせて戴いた。

 ところでこの度10月2日に、伊勢の神宮での遷御の儀では「カケコー」とのご発声でつつがなく内宮で遷御が行われ、5日「カケロー」のご発声で外宮の遷御の儀が滞りなく終わったようである。平成二十五年の第六十二回式年遷宮の諸祭日程は、平成十七年:三つ紐伐りによる山口祭、木本祭、御杣始祭、御樋代木奉曳式、御船代祭。平成十八年:木造始祭、第一回御木曳行事 陸曳(外宮)、川曳(内宮)。平成十九年:第二回御木曳行事。平成二十年:鎮地祭。平成二十一年:宇治橋渡始式。平成二十四年:立柱祭、上棟祭。平成二十五年:お白石持行事、杵築祭、後鎮祭、川原大祓、後遷、奉幣、御神楽と、長い長い行事で終了したようであるが、常に清らかで新たなる心御柱(しんのみはしら)に神宿ると信じられてきた伝統である。「伊勢神宮」というのはない。「伊勢神宮」であり、それは内宮・外宮だけではなく、伊勢市の三分の二に存在する広大な神域に、点在する125柱の総称のことである。天武天皇の御世から1300年の伝統を持ち、唯一神明造りである社殿のみならず、御神宝700種1600点ものご宝物も、伝統工芸の作家たちによって真新しくされる一大イベントである。「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と詠った西行ではないが、一般庶民のどなたさまも、この新しくなった千木や鰹木10本や高床式御神殿に、きっと御感動されたことでしょう。私も近々にご拝礼したいものである。私たちの櫻の事業もかくのごとき永い継続を望んでやまないのだが・・・・・・。

 

 


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