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硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 北櫻花也自濃紅

2007年05月07日 | 

 

 

 

北櫻花也自濃紅

 

 

 

     万里風有一草道 (ばんりのかぜいちめんのくさのみちにあり)

     北櫻花也自濃紅 (きたのさくらまたおのずからこいべになり

 

 

海辺の道 過去酷き崩落事故現場ありし処 今や新しく

されど行けども行けども海そばの道ありしも 

迫り来る山の端に 蝦夷山櫻の樹点々として満開にして癒したり

夢幻なる哀しみと歓びや 行き来たり

 道を山に入らば 山翳にかの君への思い数多あり

ニセコにて羊蹄山を真正面に望み カヌーにて戯れし日本一清流・尻別川

カヤックを操りし君の面影 飽くまでも満面の笑みを湛え 我が紅涙を誘い給ふ

倶知安から葡萄畑の中 フルーツ農道を一直線に余市に至れり

 

ニッカ余市工場にて 心優しきご両親さま 君が生誕を祝い創り置きし樽のモルツ

三人の名と君が生誕日を確認し折 樽前にて 我しばらく号泣してやまず

樽口に戴き 芳醇にして滔々たる時の香り 百花滄浪に同じく

ひと口も飲まずして逝った君が無情と親不孝 愁わしき蝦夷山櫻笑ひたり

 

一周忌に皆で開けましょうと 弟君さまの希望によりて 工場にその日を告ぐ

櫻行脚の旅 具しき用件すべて終われりしが 我が櫻への業も又 ハタと尽きぬ

主人への鎮魂 櫻へのやすらい花 様々に思い出す櫻かな

 

 

 

 http://www.nikka.com/know/yoichi/ NIKKA余市蒸留所のサイト(ここで個人名入り樽の貯蔵が出来る)

 


 鯉幟まい 櫻ひらく

2007年05月05日 | 

 

 

 

鯉幟まい 櫻ひらく

 

 

櫻咲く小さな海辺の町に 鯉幟がはためいている 夢の中にいるよう

不思議な光景で 昨日と打って変わって櫻日和の中をユラリと歩いく

津軽海峡の潮の香りがむっとする 鯵ヶ沢でもそうであったように

こんな天気のいい日は烏賊やシマホッケなど

 干物にしようと 通りのあちこちを賑わせている

やっと咲きだした櫻は まるで私を待っていてくれたように思えて物哀しい

大体大好きな鯉幟が 櫻とともにあるのが何処かウラ淋しいのかも知れない 

 

北海道には極端に染井吉野が少ない 殆どの山の端や草原などに見える櫻は

大山櫻系統の山櫻で 花片が大きく 強いピンクの紅大山櫻と言う種類で

道内では 蝦夷山櫻(エゾヤマザクラ)と呼んでいる 圧倒的に蝦夷山櫻が多く

染井吉野は人造的で意図的な場所にしかない 例えば北海道神宮とか五稜郭

皆 蝦夷山櫻に慣れていて ちっとも可笑しいとは感じていない

 

強いピンクの櫻は周辺の 次第に濃くなって来た草々の緑に鮮やかに対称を観せ

ちょうどいい 従って染井吉野が自棄に白く観え まるで大島櫻を観ているよう

更にこの松前には 早咲きから遅咲きの八重の櫻が多く 花期は長く楽しめる

何処をどう歩いても櫻が観れて よくぞかくなる櫻の里を作ったものだ

永年学校の教師だった方が コツコツと新種の櫻を創ったものだった

それが何と廿数種類もあると言うから 飛んでもない驚きの数字であろう

交配によるか 接木によるか いずれにせよ一本の新種が成功するまでは

並大抵な努力の結晶では出来るわけがない 

然も実生から創るとすれば 血の滲むような努力の甲斐があればこそだろう

 

北国の櫻は開花してから 満開になるまで随分時間が掛かる

すべての松前の櫻が繚乱と咲き 満開を誇るのは連休も明けた頃になるのだろう

松前城には櫻資料館もある 櫻の保護樹林もあり 櫻の見本園もある

櫻に関する施設が充実し揃っている 夢のような空間である

 

午後から 満開の南殿(なんでん)を観てから さる方とお逢いして 櫻談義

夜10時過ぎに漸く終わったが 熱心な方で 少しも飽きることはなかった

旅館に帰ってほっとして 夜食のオニギリを食べている 未だ興奮している

 

 

 

口絵は北海道のどこでも普通に見られる蝦夷山櫻

http://www.e-matsumae.com/ 松前町ポータルサイト(櫻情報あり)

 

 


 櫻つくり一心に 松前

2007年05月04日 | 

 

 

 

櫻つくり一心に 松前

 

 

残念ながら風と雨 しかも松前は未だ開花したばかりで 写真にならない

そこで ここに御紹介させて戴くのは 大橋正義さんの松前の写真である

 

http://www.rals.ne.jp/matsumae/index.html  大橋正義さんのサイト

 

海辺の小さな町・松前 今は新幹線にも 函館本線にも関わらず

町はひっそりとしているが 何とこの小さな町に 約10000本の櫻があると言う

我が主人も『北の花を追いかけ 津軽海峡』で 本人の感想を述べている

町全体が 櫻好きには堪らない すっかりはまりそうで 興味津々である

 

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!3248.entry?_c=BlogPart 櫻灯路より

 

ここで創られた新しい品種が数多く 今日その現場に行っていた

すっかり疲れたので 今夜はこのくらいにしておくが まさに驚愕の櫻創りである

何故松前なのか 櫻灯路を読んで戴ければ 多少ご理解されようと思うが

明日もう一度 よく聞き書きしながら 勉強し 拙ブログに書き出したい

 

 


 櫻 函館 風の道

2007年05月03日 | 

 

 

 

櫻 函館 風の道

 

 

一転して今日は櫻日和 染井吉野は未だ五分咲きで 

それでも五稜郭にはたくさんのブルー・シートが敷かれてあった

眼下を一望出来るような新五稜郭タワーが立ち(実は新旧二つある)

並んで待つこと30分 待っただけのことはあった 

今まで観たことのない景観が眼下に広々と広がっている

凡そ1700本の染井吉野が 満開直前であった

 

稜堡(りょうほ)と呼ばれる五個の突堤を配し 江戸幕府が北の守りとして

創られた我が国最初の西洋式城郭だったが 明治ご維新の際

官軍に対抗して 榎本武揚や土方歳三など旧幕府軍が抵抗し占拠

凄惨な箱館戦争の現場となる 流れ流れて来た土方は

ここで遂に討ち死にするが 遺骨はどこにも確認されていない

榎本武揚は この後明治政府に参画し 新政府に大いに貢献をした

 

何時も思うことだが 果たして彼らも又 憂国の士ではなかったのか 

あの徳川慶喜でさえ 最後まで明治政府に参加出来ると確信していた

錦の御旗は偶々薩長連合軍に奪取され 各地で戦争を繰り返すことになり

会津・白虎隊に象徴されるように そこまでの闘いが本当に必要であったのか

有能な若者がかくして多く戦死を遂げたが 一方の官軍で戦死したものだけが

靖国神社の前身・東京招魂社に葬られ それが国体の靖国神社となる訳で

靖国神社は果たして本当に国民総意の神社であったのか 些か疑問が残る

会津の武家屋敷 重臣・西郷頼母の家では 女・子供は皆自刃して果て

残る下級武士たちは必死で逃れ 北海道に一部根付く(映画『北の零年』)

 

松前のホテルは明日以降取れたので 今夜もうひと晩湯の川にお世話になるが

彼ら討ち死にした者たちの供養を 私の部屋でささやかにしてあげようと思う

陰膳を据え 杯を何個も出し 読経後酌み交わそう

 

函館山の方に向かうと 異国情緒溢れた教会がたくさんあり

その幾つもの通りには 関山か普賢象の八重櫻が大きく蕾を膨らませていた

 

立待岬に行って見ると 津軽海峡が眼前に迫り 途中の傾斜地に

石川啄木一族の墓があり そこにあの有名な歌の歌碑が蕭然と立っていた

『東海の小島の磯の 白砂にわれ泣きぬれて 蟹とたはむる』

死ぬんなら函館でと 啄木の強い意思は たった三ヶ月の滞在でも

この函館の地では 薄幸な己が人生の中で

如何に充実した日々であったか 容易に想像出来た

http://www.romankan.com/takuboku/ 石川啄木記念館(一部土方歳三と)

 

風が縹渺と吹き 岬の突端には 与謝野鉄幹・晶子の歌碑もあった

対岸の竜飛では 石川さゆりの『津軽海峡冬景色』を歌ったが 構うことはない

誰もいないことを幸いに 私は森昌子の『立待岬』を思い切り歌った

 

函館旅情 私は染井吉野しか 未だ目撃していないが

北の玄関口で 風を感じ 歴史を嘆じ 茫々とした悲哀の先に

春遅い櫻を 確かに観届けた

 

http://www.goryokaku-tower.co.jp/  新五稜郭タワー・サイト

 


 淡墨櫻と永遠と

2007年05月02日 | 

 

 

 

 

淡墨櫻と永遠と

 

 

今日も雨 函館の雨は何故かとても堪える 

冷え冷えとしていて 何処へ行く気にもなれず

早くも湯の川温泉・プリンスホテル渚亭に直行 早々とアーリー・チェックイン

連休で混雑している時は 一番クラスの上の部屋は大抵空いているものだ

室内の露天風呂に 疲れた身体を投げ出す 美人の湯と人は言うが

むくつけき男には まったりとしたいい加減の温泉なのであろう

湯に浸かり 久々のお昼寝 広々とした室内で 豪華な北海の幸を戴く

 

今年の淡墨櫻に 京都のオフィスのメンバーと複数で出掛けて行った

其の中に現在大学院在学中の女性がいる オフィスでコンセプト作りをしている

私と年齢は20歳も離れているが 主人が数年前から結婚を薦めた子だった

主人が独身なのに 私だけが結婚などしていられないと言い張り続け

時期が来たら そうしようと二人で誓い合っていた矢先に

主人が突然他界 私はどうしていいか分からず茫然自失の状態が長く長く続いた

そんな折にも 彼女は何くれとなく私を支えてくれ どんなに助かったことだろう

私は今年京都に もう一つの自宅を構えようとしているが 

主人の一年間の喪が明けた暁に 主人の意図を叶えようと思う

 

昨日車で走りっ放しであったから 余程疲れたのであろう

昼寝をし その中で彼女の夢を見た あの雪交じりの淡墨櫻の前で

人に遠慮しながら 入籍の予定を告げた 淡墨の永遠の姿にあやかって

 

離れ離れのお付き合いの中で すべて手紙によって愛情を育んで来た

現在『玉勝間』を読んでいるらしい 斎王の研究とか 民俗とかもやっている

歳が離れているので 何度も何度も私でいいのかと聞いたが

彼女の決意は揺るぎないものであった 身に余る光栄なことで有難いことである

今度の旅は 亡き主人とのある種の決別であるのだから

情的な部分を厳しく排除し 眞の主人の化身になれればと

 

 

口絵写真は 淡墨櫻の幹

 

 


 津軽の春と林檎の剪定

2007年05月02日 | 

 

 

 

 

津軽の春と林檎の剪定

 

 

朝早く深浦を出て北上 五能線が脇の国道を一緒に走る

列車から洩れて来るじょんがらの音 車内で観光客向けにイベントでもあるのだろう

空はどんよりと今にも雨が降りそう 鯵ヶ沢を通り フルーツ街道を更に北上し

右に折れて五所川原市へ 大型の立ちネブタを見学す そして近くの金木へ

太宰治の生家・斜陽館を見学する 600坪の広大なお屋敷 

ここで太宰が生まれ育ったのだ 太宰は嫌いな方の小説家だが 全く憎めない

困った人だと思いながら 周辺を散策すると 文学愛好者向けなのだろうか

洒落たつくりの珈琲ショップがあったり 小物屋さんがあったり

熱心なファンの方々が大勢ここにはやって来るのだろう

私も久し振りの珈琲を味わいながら 早めの軽い昼食を取った

 

小説『津軽』では乳母の越野たけさんに逢いに行くクライマックスまで

描かれているが 小泊はたけさんの実家ではなく 嫁ぎ先だった

そこで更に北上し 蜆で有名な十三湖を素通りし 小泊岬から権現岬へ

何と海上に お岩木山がぷっくらと浮かんでいるのが見えた 

数々ある岩木山展望でも こんな風景は珍しいのかも知れない

岬の絶壁の周辺に若干の山櫻が寒そうに咲いていた

 

そして小泊港の集落へ するとあった たけさんが嫁いだ金物屋が

何の遠慮もなく お店に入って情報を聞くと 代替わりで詳細は分からない

ただ旧国民学校の元に行くと 太宰とたけさんの銅像が立っているよと言う

行って見ると そこには二人の銅像があって 何と『津軽』の記念館もあった

中で驚くことを知った たけさんと逢った時間はたったの10分だったと言う

するとたけさんのあの感動的な話は 太宰の創作だったのではないだろうか

「竜神さまの櫻でも見に行くか」と小説にあったので 竜神さまを探しに出た

残念ながら 神社は新しい造営になっていて 櫻は一欠けらも見えなかった

太宰は30年ぶりに再会するたけさんとどんな濃密な10分を過ごしたのか

あの時間では何も出来なかったのでは 太宰のシャイな性格なのか 

それとも誰彼なく 己の周囲の人を創作の材料にするだけか

 

更に山道を上り 峠を越え 竜飛に向かった

すると巨大な風力発電の矢羽が 今にも雨が降りそうな空にゆっくりと動いていた

竜飛岬の灯台の真下に 『津軽海峡冬景色』の石碑 何やら紅い大きなボタン

私はそれを押して見た ジャジャジャジャア~~~~~ンと音楽が鳴る仕組み

歌のカラオケが流される 人もいたが構わず歌っていたら 見物人から拍手が

この時ほど恥ずかしい思いをしたことがなかったが 

それでも楽しかった これも旅だ 私は旅人に過ぎないのだから

海峡の向い側に位置する松前は 遠く霞んで見えない 

暖流と寒流がぶつかる線が 蛇行しながら松前方面へ伸びているのが見えた

 

再び帰途に着く 夕べ電話しておいた木造町の林檎農家に行く為だ

もう暗くなって 雨が激しく降って来た頃 漸く目的のご自宅に辿り着く

泊まるアテもなかったが 御飯や宿泊も強烈に勧めて戴いて 

お陰様で 一宿一飯の恩義に預かることになる 

財団法人日本さくらの会の当時から知っていた方だが

この方のお父上さまが弘前城址公園の櫻を蘇らせた

私の目的は林檎剪定のやり方の講義を受ける為だったが 

何時の間にか 近所の方も集まって 俄か宴会になってしまう

 

実際の剪定は 早春の2月にする 実際の現場を観て欲しいと 

だが林檎剪定の方法を紙に書いて教えてくれた

染井吉野の蘇生は確かにこれで出来るからと 強い確信が彼にはある

そうでなければ 今頃あの息を呑むような櫻の海には出来なかったわけだ

疲れて 枯れそうな枝を遠慮なく伐採し その傷口に 何と墨汁を塗布する

無論墨の中には防腐剤が入っているが すると新しい枝が次々に生えて来ると

弘前の爛漫たる櫻は 林檎農家のノウハウが生かされていたのだ

 

弘前ネプタのお囃子を聴いたことがなかったが 即興でお囃子をしてくれた

何と贅沢な宵であろうか 厚かましいかも知れないが 

この方とも 今後永いお付き合い願いたいものだ

 

今朝5時に起きて 青森港へ 7時半の東日本フェリーに乗る為だが

愈々今日の11時から北海道である 先ずは函館 そして櫻の松前へ 

どんな出逢いが待っているのだろう フェリー船上で これを書いている

櫻行脚の旅も ついに終焉に差し掛かろうとしている

 

 

 

http://www.goshogawara.net.pref.aomori.jp/16_kanko/dazai/syayoukan.html 太宰治記念館『斜陽館』案内

http://www.nakash.jp/opera/kikou06/20tsugaru/6kodomari.htm 小泊とたけさんと太宰が出ています

 

口絵写真は 太宰の生家で 現在は『斜陽館』として一般に公開されています

 


 白神と新緑と山櫻と

2007年04月30日 | 

 

 

 

 

白神と新緑と山櫻と

 

 

 

弘前の あのじょんがら節の三味の音と櫻から 逃れるように早朝

岩木川沿いをひた走る 西目屋村を通り ダムを右に見て 更に進む

漸く深い山の中にわけ入って 気がついて見ると 暗門の瀧の入り口

 

とうとう憧れの白神山地入り口に辿り着く 車から降りると むっとする木々の香り

これが森林浴かと 改めて驚きと 自然への畏敬の念がバァッと広がる

素直にいいなぁ このブナの木たちはと 大好きなブナと 所々に見える山櫻の美

イワナが住んでいそうな清流の音 まさかクマゲラの樹を叩く音か鳥たちの声

大きく息を吸い込むと 骨の髄まで 新しくイノチが注入されるようで

生きていることへの深い感謝と 生かされていることへの有難さ 何と言う美しさ

 

ブナの新葉は皆上を向いている 雨を受け そのまま樹木の表皮に流す

すると何メートルにも積もっているフカフカの腐葉土に 

たった一滴の雨も残さず吸い込まれ 

いつしか清澄な伏流水となって 数十年後に 

我々の目の前に湧き出る あああ何と幽妙なイノチの輝きか

 

真冬 寒風に強か打たれ じっと我慢をし こうして春の瞬間を迎えたブナたち

この美しさに全く言葉が出て来ない これが世界遺産とは驚愕し賛嘆したい

樹齢数百年も経っているようなブナの樹だらけで 凄い

 

一日中山歩きしたい イワウチワ・片栗・蕨・薇などが誘惑をするが

午後遅くなって 日本海側に出ようと 営林署管轄の道路のゲートを

バンガロー経営の方から開けて戴いて クネクネと曲がりが続く悪路を走る

彼が言う日本海に落ちる夕日は 深浦が一番と ジュッと落ちるのだと

何とか夕日を見られる時間に深浦に到着し 海辺の旅館に投宿

海水が入って来そうな海辺の露天風呂で足を投げ出し 夕日を眺める 

するとなるほど一日の役目を終えた大きな日輪が 凄い速さで落ち 

ジュッと音を立てながら沈んで行くようで 可笑しかった

地元の方が話すその表現の妙 

旅の疲れが ユルユルと取れてきそう

夢の中に ブナと山櫻が出て来るだろう

 


 お岩木山は偉い!

2007年04月29日 | 

 

 

 

 

お岩木山は偉い!

 

 

 

弘前城址の下に岩木川が流れている

その岸辺に 様々な櫻があり 何とあの鬱金さえある

木造町 田舎館町 ちょいと足を伸ばしてみても あのお岩木山が

何処からでも見えて それがね 可笑しいことに どこの地域に行っても

「おらほうから見えるお岩木山が一番だ」と決して譲らない

そこが可笑しい それだけに地元の方々にとっては偉大な山なのであろう

 

今 岩木神社の最大のお祭りである『御山参詣』の篠笛を聴いている

哀調たっぷり帯びているのは 嫁っ子の所為だろうか 精霊の所為か

酒を飲み 櫻にあたり 涙を零し 馬鹿じゃないのってからかわれ

美しい篠笛の音 まいったなぁ ネブタよりやや長めの笛で 

どこからか搾り出すような 泣き声のような 悲哀に満ちた篠笛が鳴る

津軽じょんがらも凄い 地元の名人が弾いてくれたが 腸から感動した

 

櫻とともに 地元の皆さんの歓びの爆発 

こんな櫻花もあるのかと感心すること頻り

 

私は常にインサイダーでありたい

アウトサイダーになっているより どんなに傷ついても

インサイダーでありたいと 何かふとそう思えた

 

櫻は まだまだ私の魂を掻き毟ってくれている

 

 

 

 

http://www.geocities.jp/syoki_tsugaru/siryo.htm 聞くべし 御山参詣のお囃子

 


 弘前城址の櫻に息を呑む

2007年04月28日 | 

 

 

 

弘前城址の櫻に息を呑む

 

 

 

今回の旅で 様々なことを学ばせて戴いた

秘めた櫻への思いと壮大稀有な櫻山計画は 

私の亡き主人の業以外の何物でもないのではないかと

根深い疑問が続き 正直痛く煩悶することが多かったように思う

 

お遍路旅での櫻 吉野の櫻 京都の櫻 岐阜・高山の櫻 千鳥が淵の櫻

福島・三春の瀧櫻 会津五櫻 山形・置賜や村山の櫻 秋田・角館の櫻 

更に道沿いに見えた数百箇所に及ぶ名もなき山櫻や江戸彼岸の花達

そして津軽平野に ドカンと突っ立っているお岩木山を背景に

弘前城址公園の 色っぽく鮮やかに咲く櫻の海

 

私の心の裡に 鱗が一枚一枚剥がされて行くように 

次第に変化がおきているのかも知れない

業ではない 業であってもいい なれば業をトコトン肯定してやろうじゃないか

櫻とは天然自然の理法そのものなのだと 

主人が抱いた確信が強くなって来ている

櫻と稲作は切っても切れない関係にあり 更に腐葉土を生み 

再生の道へ それが櫻の正体であり 櫻は決して儚いものではない 

鳥の糞で運ばれた種子は 何千年もの間多くの樹々を育て繰り返されて咲く

櫻もあの戦争の犠牲であったが 櫻こそ我が民族の真の誇りであり続けるだろう

 

海外に飛び立つ時 成田上空から見た千葉県内のゴルフ場の多さ

殆どの山が禿山になり 多くの除草剤が 周辺にまで悲劇を生んでいる

世界における古代文明の跡は すべてが砂漠化し ただの望楼に過ぎない 

そっちの業の方が余程酷いじゃないかと 声を叫びたい心境だ

イラクやソマリアでの内乱を思う時 人間は懲りない代物かも知れず

地球環境などと暢気なことを言うなと お叱りを受ける恐怖があるが

 

W・フォークナーのように人類は決して滅びないと 

でもその確信がまるで持てないことばかりで 或る意味で虚無的になり

刹那的で暴虐で 若い子たちの無気力や無軌道ぶりに歯止めが掛からない

多くの夢や希望を 我々大人たちが平気で奪って来たのではないだろうか

子供叱るな来た道だと 化野念仏寺に書かれてあった

我々が通って来た過程で 自信を持って子供たちを叱れるだろうか

 

我々は断固たる確信を持つ必要あると同時に大いなる義務がある 

将来を背負う子供たちの為に そして僅かに残された我々自身の人生の為に

日本文化の実像として 櫻を永遠に伝え残していかねばならない

それが子供達へ残せる自信と誇りに繋がると信じて疑わない

 

ただ歩き廻って櫻を見物するだけなので この辺で下手な屁理屈は止める

弘前の櫻は 未だ完全な満開ではないが 咽返るような充分な櫻の海であり 

濠面に鮮やかに映る櫻の花翳は 「お前 頑張れよ」と ただそれだけ

午後から津軽じょんがらの三味も出るだろう 大勢の人々がこの日を待っていた

爛漫と咲く櫻は ちょいと来た旅人の私には勿体無いぐらいであり 

地元の方々と 太棹の三味に合わせて 歌っこの一つも歌いたいものである

 

 

雪月花さまから教えて戴いた『できるブログ goo改訂版』は

京都の河原町・四条で購入して ずっと持っているが

この本をパラパラ捲っただけで読んでいない 写真は一枚しか出せないでいる

このブログを使いこなせていない 実のところ何枚も写真を出したいが

このまま旅を続けるのに精一杯だ 今回の口絵の写真は 朝の弘前城と櫻

 


  ネブタ小屋とさくらばな

2007年04月28日 | 

 

 

 

 

ネブタ小屋とさくらばな

 

 

 

夕刻になってしまったが アスパムに漸く着いた

巨大な小屋が長屋のように並んでいて 海からの残照で光って見えた

ひと部屋ごとに作家が違う 出来上がるまで 出し物は皆秘密主義だから

小屋の正面は不透明なビニール・シートで覆われている 覗くものもいない

やっと作龍の小屋を発見し 中を覗いたら 

弟子達と捻り鉢巻で 必死になって木組みの準備をやっていた

 

 

九月~十二月まで 来期の下絵つくり(スポンサー探し)

一月~三月まで 組ネブタの詳細な部分の骨組み

四月~五月 組ネブタの木組み 及び番線張り

六月 和紙貼り 蝋線(下絵)描き

七月 彩色 完成したら 発電機が載っている台車に台あげ

八月三日~七日 本番 及び連日修理などの張替

七日夜 入賞したネブタ師の組ネブタだけ(約八組)

青森湾内にて海上運航され 花火も上がって 

海面が色とりどりの色彩に揺らめき 弥が上にも幻想的な光景になる

 

 

ネブタ師は 兎に角年がら年中ネブタのことばかり考えているし 忙しい

今晩いっぱい飲るかと そんな声が掛かけて戴いて 二人で繁華街へ

青森特産の帆立や山菜の各種 美味しい田酒 

珍しい藤壺の焼き物(貝の蓋に穴を開けてストローで汁を飲む)

デロデロに酔っ払い始めたネブタ師が 突如シャンとして吹くネブタ囃子の音

お店の若い方が鳴らす鉦の賑やかな音 マスターが叩く俄か太鼓の音

思わず「ラッセ~ラッセ~ラッセイラァ~~」と掛け声る私

ふと戸外の見える窓辺に 染井吉野が鮮やかな夜櫻にて どアップ

かくして華やかな花見になってしまったが 

正調ネブタ囃子の所為で 賑やかな花見も悪くはないなぁと思えた

 

 

ホテルに帰ってから 今年の接待客の予約をし直して

久し振りにベッドにつくが なかなか寝付けない

あのネブタのお囃子の音が 遠く近くで聞こえて少しも消え去らないでいる

横になった身体が何かの拍子に あのリズムに勝手に反応してしまうからだった

 

 

 

 

小社では毎年青森ネブタに 家族連れの顧客を三百組以上の招待をする 前年に予約をするが

この時季に 改めて今年の分を若干の修正をしなければならない 夜の接待やゴルフの接待より

遥かに好評を得ているし 安上がりで 当社としても大変有難いことなのである ホテルにあぶれると

ラッセランドにテントを建てて そこでくそ熱い夜を過ごさなければならない お客様にはご法度だ

 

口絵の写真はラッセランド(アスパム=青森物産館脇)にあるネブタ小屋

これは正面のシートを取った状態の写真で まだ本格的に稼動していない

殆ど材料の搬入とか 大枠の木組みの準備をしている状況で 

作業が本格化すると シートは常時張られて 他の作家には秘密となる 

 

 http://www.nebuta.or.jp/ 青森ネブタの公式サイト(お囃子が聴ける)