津軽の春と林檎の剪定
朝早く深浦を出て北上 五能線が脇の国道を一緒に走る
列車から洩れて来るじょんがらの音 車内で観光客向けにイベントでもあるのだろう
空はどんよりと今にも雨が降りそう 鯵ヶ沢を通り フルーツ街道を更に北上し
右に折れて五所川原市へ 大型の立ちネブタを見学す そして近くの金木へ
太宰治の生家・斜陽館を見学する 600坪の広大なお屋敷
ここで太宰が生まれ育ったのだ 太宰は嫌いな方の小説家だが 全く憎めない
困った人だと思いながら 周辺を散策すると 文学愛好者向けなのだろうか
洒落たつくりの珈琲ショップがあったり 小物屋さんがあったり
熱心なファンの方々が大勢ここにはやって来るのだろう
私も久し振りの珈琲を味わいながら 早めの軽い昼食を取った
小説『津軽』では乳母の越野たけさんに逢いに行くクライマックスまで
描かれているが 小泊はたけさんの実家ではなく 嫁ぎ先だった
そこで更に北上し 蜆で有名な十三湖を素通りし 小泊岬から権現岬へ
何と海上に お岩木山がぷっくらと浮かんでいるのが見えた
数々ある岩木山展望でも こんな風景は珍しいのかも知れない
岬の絶壁の周辺に若干の山櫻が寒そうに咲いていた
そして小泊港の集落へ するとあった たけさんが嫁いだ金物屋が
何の遠慮もなく お店に入って情報を聞くと 代替わりで詳細は分からない
ただ旧国民学校の元に行くと 太宰とたけさんの銅像が立っているよと言う
行って見ると そこには二人の銅像があって 何と『津軽』の記念館もあった
中で驚くことを知った たけさんと逢った時間はたったの10分だったと言う
するとたけさんのあの感動的な話は 太宰の創作だったのではないだろうか
「竜神さまの櫻でも見に行くか」と小説にあったので 竜神さまを探しに出た
残念ながら 神社は新しい造営になっていて 櫻は一欠けらも見えなかった
太宰は30年ぶりに再会するたけさんとどんな濃密な10分を過ごしたのか
あの時間では何も出来なかったのでは 太宰のシャイな性格なのか
それとも誰彼なく 己の周囲の人を創作の材料にするだけか
更に山道を上り 峠を越え 竜飛に向かった
すると巨大な風力発電の矢羽が 今にも雨が降りそうな空にゆっくりと動いていた
竜飛岬の灯台の真下に 『津軽海峡冬景色』の石碑 何やら紅い大きなボタン
私はそれを押して見た ジャジャジャジャア~~~~~ンと音楽が鳴る仕組み
歌のカラオケが流される 人もいたが構わず歌っていたら 見物人から拍手が
この時ほど恥ずかしい思いをしたことがなかったが
それでも楽しかった これも旅だ 私は旅人に過ぎないのだから
海峡の向い側に位置する松前は 遠く霞んで見えない
暖流と寒流がぶつかる線が 蛇行しながら松前方面へ伸びているのが見えた
再び帰途に着く 夕べ電話しておいた木造町の林檎農家に行く為だ
もう暗くなって 雨が激しく降って来た頃 漸く目的のご自宅に辿り着く
泊まるアテもなかったが 御飯や宿泊も強烈に勧めて戴いて
お陰様で 一宿一飯の恩義に預かることになる
財団法人日本さくらの会の当時から知っていた方だが
この方のお父上さまが弘前城址公園の櫻を蘇らせた
私の目的は林檎剪定のやり方の講義を受ける為だったが
何時の間にか 近所の方も集まって 俄か宴会になってしまう
実際の剪定は 早春の2月にする 実際の現場を観て欲しいと
だが林檎剪定の方法を紙に書いて教えてくれた
染井吉野の蘇生は確かにこれで出来るからと 強い確信が彼にはある
そうでなければ 今頃あの息を呑むような櫻の海には出来なかったわけだ
疲れて 枯れそうな枝を遠慮なく伐採し その傷口に 何と墨汁を塗布する
無論墨の中には防腐剤が入っているが すると新しい枝が次々に生えて来ると
弘前の爛漫たる櫻は 林檎農家のノウハウが生かされていたのだ
弘前ネプタのお囃子を聴いたことがなかったが 即興でお囃子をしてくれた
何と贅沢な宵であろうか 厚かましいかも知れないが
この方とも 今後永いお付き合い願いたいものだ
今朝5時に起きて 青森港へ 7時半の東日本フェリーに乗る為だが
愈々今日の11時から北海道である 先ずは函館 そして櫻の松前へ
どんな出逢いが待っているのだろう フェリー船上で これを書いている
櫻行脚の旅も ついに終焉に差し掛かろうとしている
http://www.goshogawara.net.pref.aomori.jp/16_kanko/dazai/syayoukan.html 太宰治記念館『斜陽館』案内
http://www.nakash.jp/opera/kikou06/20tsugaru/6kodomari.htm 小泊とたけさんと太宰が出ています
口絵写真は 太宰の生家で 現在は『斜陽館』として一般に公開されています