三春の瀧櫻 雨にうたれて泣いておりました (パソコン画)
瀧櫻 裏正面から描いたもの
櫻かざしつ花の折枝
瀧櫻は一日中、雨にうたれて泣いておりました。
去年は他県から殆ど観る客もなく、今年も例年通りではありません。
朝昼晩と、一日中花を見詰めていましたが、傘をさした人もまばら。
広大な駐車場はガラガラ、櫻狂いの私にとっては幸いで、
夜、ライトアップの中、私は櫻の詩の中で最も美しい詩を、
何遍も何遍も、真言のように繰り返し唱えておりました。
「さくら」
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞(かすみ)立つせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
茨木のり子の詩 (60歳代の作品)
茨木のり子は生涯清冽な人生をおくりました。
15歳で戦争にまきこまれ、19歳で敗戦の屈辱をうけます。
彼女の詩「わたしが一番きれいだったとき」が出発点だったかも。
2006年、ご自宅で脳動脈瘤破裂で孤独死。
すっぱりと生きることだけ心掛けていた彼女らしく、
「私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、
弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
“あの人も逝ったかと”一瞬、たったの一瞬思い出して下されば
それで十分でございます」との遺書。享年79歳の大往生でした。
この詩の最後の五行が、私の胸をいつも強かにうつのです。
茨木のり子の真実観(シンシビリティ)の凄さ。
三春は5,000余の世帯数なれど、櫻の多いこと、圧倒される。
柳沼ハナさんと言うお婆ちゃん、全国に瀧櫻の子を三万本贈ったという。
種から産んだピンピンの実生の瀧櫻を。本当に優しい人。
どんなに古樹の櫻の花びらも、真新しく生まれた花と全く変りなし、
その嬉しさと、古樹の凛々しさと、強さと新鮮さ。
保科正之を慕って、今日は会津。会津五櫻を観んと。
石部櫻の見事さ、薄墨櫻や、会津・坂下(ばんげ)の杉の糸櫻を見学。
会津の奥座敷・芦ノ牧温泉に投宿す。連休なのに満室ではなく、
風評被害の深刻さと酷さ。されど会津・鶴ヶ城の櫻はほぼ満開。
まこと北国の櫻は開花してから満開になるまでの早さ、驚くべき。
会津の放射能は0.11μSv/h。三春は0.22μSv/h の低さ。
宿の櫻の一枝を取り、トックリに入れ観つつ、真夜中、未だ飲酒中。
岩彩にて悪戯描きす「石部櫻」 田の中、一つの根から8本の幹 堂々の江戸彼岸
三春在住・玄宥宗久住職の「三春の櫻」のお話!