時雨スタジオより

9年の休止期間を経て、
なんとなく再開してみました。

街角

2020-05-22 18:26:33 | 『別府と占領軍』より
 戦前、戦中、戦後、街は恐ろしいほどに変貌を遂げていく。少年の目にはそれがどう映ったのか。少年とは父である。国民学校から旧制中学へと進み15歳で敗戦の日を迎えた父が描く「街角」をお届けする。

 その街角には色々な人が現れた。ペコやんは白粉をべっとりとつけた顔に玉の汗をかいて、口にハモニカ、手には太鼓、チンドンチンドンと客を集めて、一人二役を鮮やかにこなして皆を笑わせたし、弁士あがりの紙芝居のおっさんは、喉に渋皮を貼ったような声で少年達をのらくろ上等兵の世界にひきづり込んだ。銭湯帰りに街灯に群がる蛾を怖がって逃げた思い出もある。夏祭りのときは夜遅くまで太鼓の練習をした。街角にある一銭菓子屋のおばさんは年が若いのに耳が遠く、クジを引くのに大きな声で当たりを報らさなければならなかった。思い出は万華鏡のように美しく、夫々の懐かしさをもって、少年の胸をしめつける。その街角が色褪せ始め、いつか冬枯れのような淋しい風景となってしまった。ペコやんも来なくなり、国民服にゲートル姿の紙芝居のおっさんは渋皮の声は変わりなかったが、おまけの飴が、いつかはコブとなり、やがてそれもなくなると、とうとう姿を見せなくなってしまった。兄は街灯の下に少年を連れ出して銃剣道の練習をしたが、その兄も志願兵となったフィリピンに行き、ルソン島のジャングルの中で戦病死した。毎日街角で防火訓練があり、一銭菓子屋も品物がなくなり陳列ケースにはほこりが積んでいった。何か町全体が悪性の病気にかかり、もう手当ての術もないところまで病状がすすんでいるようだった。B二十九が透明なイカの子のように小さく美しい姿を空に現わし、四本の飛行機雲が大空に美しい航跡をのこすようになると、病状は更にすすみ、街角は不安な緊張にみちた空間となって少年達をおびやかし始めた。ペコやんの部隊が防火訓練場となり、紙芝居のおっさんの拍子木に代りメガホンをもったおっさんが空襲警報を叫んで走り廻った。
 或る日戦争が終わり、疲弊しきった街角にも平和が訪れた。戦前と少しも変わりなく、B二十九の来なくなった空は美しく明るかった。が、しかしペコやんは遂に姿を見せず、紙芝居のおっさんも現われなかった。病気は未だ治り切らず街角を歩く人々の足どりも重く、飢えて痩せ細って見えた。
 或る日の午後、銃をもったアメリカ兵が街角に現れた。兵士は銃を構えながら、ゆっくりとした歩調で左右の家を覗き込みながら歩いた。武器をもったものが居ないかをチェックしているようだった。窓の隙間から、おそるおそるアメリカ兵の動きを目で追いながら少年は街全体が今までと違った意味をもって動き出したことを感じていた。少年達は、同じ街角が少年の日の思い出のある街角とは違い、何の意味もなくなったことを知った。ペコやんは来なかったが、紙芝居は来た。しかし、もう子供達は前みたいに集まらなかった。一銭菓子屋に色とりどりのお菓子も並んだが、食べたいものも少なくなった。唇を真っ赤に塗った女が多くなり、アメリカ兵が来ると、子供達は「ギブミー・チョコレート」と群がった。
 街角は、ペコやんの来たあの街角はいつか他人の顔となり、住民も入れ替わり、街の名も変わって知らない人の行き来する異郷の街角となった。

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