時雨スタジオより

9年の休止期間を経て、
なんとなく再開してみました。

今村昌平氏談

2020-06-11 23:04:16 | 『別府と占領軍』より
 ──父、佐賀忠男の書いた『占領軍と別府』に映画監督の今村昌平氏が推薦の言葉を寄せている。

佐賀さんの芯を見た
今村昌平

 四、五年前「復習するは我にあり」という映画のシナリオの下調査の時、佐賀さんに会った。ホテルの支配人らしい人当たりの良さと、飄々とした物腰の彼を見て、私は少し軽い人だなと思い、程の良い助平ぶりを見て、軽いが、妙に面白いところのある人だなと思った。
 何かと小仕事があって、その後、年に一度は別府に行くのだが、何となく彼の人柄慕わしく、その都度会う。何度か会ううちに、軽さの中に固い芯のようなものを見て私は更に面白く思った。
 軽い割りに余計なことはしゃべらぬ人だから、若い頃、胸で永患いしたことや、戦後、R・T・Oに居たことなど最近まで知らなかった。
 死ぬかもしれない病と闘い、敗戦の混乱の中に修羅を見てきたこごが、彼の中に固い芯を生み出したのだろう。鉄のような固まりを秘めた人には間々会う。しかし竹のような強さと軽さを芯としている人は少ない。
 今度彼が、終戦直後の、あの修羅場をかいくぐって生き抜いた庶民たちの姿を捉えようとすることに、私は胸を騒ぐような期待感を持つ。彼の筆によって活写されるであろう人々に会えると同時に、彼自身の竹のような強靱な芯を、確認出来るに違いないからである。
映画監督

 ──今村昌平氏の言うとおり、父は僕にも多くを語らなかった。差しで飲んだのは生涯一度きり。その際、何を話したのか覚えていない。父の葬式の際、今村昌平氏から多額の香典をいただいた。その香典返しの任を僕は課せられた。だが、なんとなく敷居が高く、今村昌平氏を訪れることはなかった。氏は、2006(平成18)年5月30日に他界している。未だに悔いが残る、香典返しのサボタージュである。
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