時雨スタジオより

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なんとなく再開してみました。

道徳的理想と生活的現実

2020-06-20 15:10:11 | 『別府と占領軍』より
別府保健所の職員たち


 ──これは、占領軍大尉の道徳的理想とパンパンたちのちょっと悲しい現実の物語。

 昭和二十四年、桜の花も散り、けだるい午后の一刻、別府保健所の所員達は自分の机に戻って、さて午后の仕事を始めようと思っていた矢先、一人の米軍将校が所長室にやって、所長を前に早ロでペラペラとしやべり出した。一足遅れて入って来た細面の若い通訳が、渇いた声で米軍将校の言葉を皆に伝え始めたが、それを聞いた所長は棒を呑みこんだように立ち尽くし茫然となった。
 将校の云分はこうである。
「日本の遊廓という売春制度は女性の人権と自由を奪う悪弊である。日本が世界の売春国として烙印を押され、旧時代の制度そのままに女性に猿轡を嵌め、前借金という荒縄を以て自由を奪い、男達のセックスの玩具にされるが如きは我々の唱える人権主義や民主主義に相反する。故にあなたは今から直ちに娼奴を一堂に集めなさい。私は彼女等に人間の大道を教え、一日も早く正業に就いて純白清潔なる境遇に身を置くように忠告する」
 大体以上のような意味であったが、これを聞いた保健所の役人が驚いたくらいだから、娼妓を置いている楼名主(親方)の驚きは言語に絶するものがあったろう。
 何分その時代は占領軍絶対服従の時代である。占領軍の鶴の一声で三井や三菱の財閥も崩壊し去った。どんなことになるか分ったものではない。触らぬ神にたたりなし、と、まあこの時は、ごもっともごもっともと腫物を扱うようにお帰りを願ったが、次の日、昨日の通訳の声で女性達は集めてくれたかと催促の電話。放ってはおけず、 性病予防係の和泉氏が銀座裏の「特殊飲食店組合」の事務所に行き、この大分軍司令部ヘロン大尉の意向を伝えると共にここに世紀のお女郎大集合が行われた。その日の午後同事務所の広間に集った娼妓は五、六十人。へロン大尉は彼女等を前に、売春のあやまち、人間の自由、 女性の歩む道を訴え、こう結んだ。
「……諸君等は一日も早くこうした因襲や搾取から解放されて自由になるべきである。正業につきなさい。私は諸君等の更生の為には力を惜しまないであろう。正業に就き度い人は保健所に行き係官に申し出なさい……」
 ここれを聞いてぶったまげた親方は、前借金を楯に女の流出を喰い止めようと必死の防衛手段に出た。見張りを増やしたり、待遇を改善して女達の慰留工作をしたり、その方法はまちまちだったが、数百年も続いた娼妓制度が鶴の一声ぐらいで崩壊されては敵わないと必死だった。
 以後は和泉徹氏の証言を聞くことにする。
「翌日私は保健所の机に座り、女の来るのを待ちました。 五、六人は来るだろうか? いや一人も来ないかも知れない。何しろ遊廓というのはシマと呼ばれ、外出も一人で 出来ないところであり、ましてや前借金で縛られている女達だ。おいそれと出て来れないだろう。あきらめかけているところへ、一人の女がおずおずと私の前に立ち 『お願いします』と頭を下げて来ました。どんな手段を講じたのか、よくここまで一人で来たという驚きで、兎角私は彼女を別大電車に乗せ、大分の司令部のヘロン大尉のところまで連れて行きました。ところがヘロン大尉の理想主義には感銘するところがありましたが、現実問題として一寸困難な問題がありました。それは、更生するのも旅館や飲屋等の水商売は駄目、交換手や事務員みたいな月給とりを世話をしろと云うのです。その当時は就職難であり、又女郎をする位だから無知で意志の力も弱い。第一収入面では格段の開きで問題にならない。土台無理づくめの話でした。そこで仕方なく女を一先ず廓に帰しましたが、二、三日後、私のところにその女から手紙が来ました。その手紙にはこう書いてありました。『大変お世話になりました。更生しようと思いましたがあきらめました。この上は一生懸命今の仕事にはげみます。さようなら』」
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