時雨スタジオより

9年の休止期間を経て、
なんとなく再開してみました。

BAR真紀─2「はしご編」

2020-05-24 13:20:01 | BAR真紀
新宿ゴールデン街にあった「BAR真紀」。真紀は店の2階に猫と一緒に住んでいた。


真紀の英断
 BAR真紀に通うようになってほどなく、真紀は女の子を雇うという英断に踏み切った。英断は大正解で、閑古鳥は飛び去り、客足繁き店へと変貌していった。税理士を目指すつぐみちゃん、ブライダル写真を撮っているあいちゃん、漫画を描いているさきちゃん…もっといたけど、名前を思い出せない。なかなかの個性派揃いで、会話もそれなりに面白い。夜の8時頃に来て、11時か12時頃に帰るというパターンだった。もっとも、BAR真紀の営業時間もそんなものなので、ほぼフルタイム勤務という感じだ。平日は1人が基本、金曜と土曜は2人のときもあった。ギャランティーは日払い1万円。勤務が終わるとき真紀ががま口からお札を取り出して手渡しする。閉店時間が延びたり、閉店後に客と食事に行ったりして終電に間に合わない場合は、BAR真紀の2階に泊まっていた。そう、真紀は自分の店の2階に猫と一緒に住んでいたのだ。
 僕も「今夜は帰したくないわ」とか「泊まっていって〜ん」などと真紀に誘われたが、毎回スルリと誘いをすり抜けるのを常としていた。どんなに酔っ払っても清く正しく帰宅したことを誓って宣言しておきます。
 さて、女の子たちが店を守ってくれることになり、真紀は自由の身の上となった。

強制はしご酒
 ゴールデン街に飲みにくる客には、はしご酒を粋とする輩が多い。僕の場合は「強制はしご酒」という感じだった。強制したのは、もちろん真紀である。
 開店時間を少し過ぎた頃、僕はBAR真紀の古びたドアをギギギと開ける。ママのくせにカウンターに座って飲んでいる真紀がさっと立ち上がって僕を外に連れ出す。僕の腕に真紀の腕が絡む。
「とんぼ行きた〜い」
 真紀はとんぼの客であった僕をかっさらった負い目がある。そこで、とんぼに飲み代を落とさせるのだ。「あら、いらっしゃ〜い」ととんぼのママはいつもにこやかに迎え入れてくれる。僕はハウスワインを頼むときが多い。「真紀ちゃんは〜?」ととんぼのママが問えば、「焼酎の水割り、薄くしてちょうだい」と真紀が答える。真紀がそれ以外のものを頼んだのは見たことがないのだが、なぜかこの儀式を経る。理由は、真紀の飲み代を僕が払うので、僕への確認でもあるのだろう。そこで1〜2杯引っかけて、あと2軒ほど連れ回される。もちろん飲み代は僕もちである。なお、真紀の「薄くしてちょうだい」は、これから数時間飲み続けるという決意表明でもある。なんせ70歳の身の上なのだから。
 その後、真紀の店に連れ戻され、少し腰を落ち着けてほぼラストまで飲む。それがいつものパターになっていた。BAR真紀の飲み代は4千円か5千円。他は1軒につき2〜4千円。毎回それなりの飲み代が消えていく。まあ、その頃はそこそこに稼いでいた。それに、お隣の歌舞伎町あたりで飲むよりは、一軒あたりの飲み代はかなり安い。もっともゴールデン街にはぼったくりの店もあるわけだから、真紀がリーズナブルな店に連れていったということでもある。

飲み屋のこと
 今は、といってもコロナ騒ぎの前のことだけど、ゴールデン街は外人客でごった返す飲み屋街に変貌してしまった。でも、21世紀が始まった頃のゴールデン街は、まだまだ外人客は少なく、真紀に連れ回されたゴールデン街の飲み屋はいずれも、古き良き昭和の色を醸し出す店ばかりだった。常連でなければ敷居が高そうな店でもあったのだが、ゴールデン街の顔である真紀に「私の夫よ」と紹介されるので、ママやマスターたちの覚えは早く、すぐに常連扱いになっていった。ここでも再度宣言しますが、僕が真紀の夫であるような事実および疑わしき行為は一切ありませんので念のため。
「クミズバー」は、音楽や芝居関係の人とか芸能人がよく集まる酒場だった。シャンソンが似合いそうな白髪のママ、クミさん(真紀と同年代)が、多くのゴールデン街の店がそうであるように、一人でやっていた。看板もなく、ふらりとは入れない店だった。クミさんは、当時は新宿の牛込にあった僕の家の近くに住んでいた。ある日の早朝、息子とジョギングをしていると朝帰りのクミさんにばったりと出くわしたことがある。その模様をクミさんは真紀に話したらしい。真紀は、僕に子どもが三人もいるというのが少しショックだったようで、「子どもをごろごろ作って、毎朝子どもとジョギングをして……」と会う人ごとに鼻を膨らませながら語っていたのを思い出す。その後、クミさんはゴールデン街を去り、六本木に店を出した。残念ながらそちらの店には顔を出せなかったが、おしゃれなクミさんには六本木のほうが似合っているような気がする。
「ブイ」は真っ黒なドアを開け、急で薄暗い階段を上がっていった2階にあるジャズバーだ。チェット・ベイカーやマイルスやビル・エバンスがよくかかっている。僕と同い年の中央大学卒のマスターがやっている。ちなみに僕は早稲田だ。1992年に他界した中上健次が入り浸っていた店だという。マスターの奥さんは写真家で中上健次とか高倉健とかの撮影をしていたようだ。後日、その店で中上健次が脚本を書いた映画『火まつり』の監督である柳町光男氏と会ったことがある。主演は北大路欣也で、太地喜和子が共演した映画だ。太地喜和子さんはブイに来たことがあるのだろうか。聞きそびれている。このコロナ禍に耐えてブイが存続できていたら(こちらフリーも生きるか死ぬかだけど)、こんどマスターに聞いてみよう。僕の憧れの女優さんだった。合掌。さて、柳町監督と会ったのは一度きりだが、僕が突然「”有りがたうさん”を観たんですが、とても新鮮で、びっくりしました」と言ったら、妙に話が盛り上がったのが懐かしい。『有りがたうさん』は、川端康成の原作を清水宏監督が映画化したもので、上原謙(加山雄三の父親)主演の昭和11年制作という古い映画だ。桑野通子という女優さん(31歳で早逝)がとても輝いて魅力的なのだ。太地喜和子とか桑野通子とか、大人の色気は好きだなあ。真紀は少々大人すぎるけど……。
 いやいや、ゴールデン街の飲み屋の話を始めたら横道にどんどんそれていく。今回はこんなところでおしまいにします。

つづく
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