時雨スタジオより

9年の休止期間を経て、
なんとなく再開してみました。

日本の空

2020-05-27 19:21:33 | 『別府と占領軍』より
昭和16年
4月 国民学校令公布・児童は皇国の少国民となる
8月 文部省、中等学校以上に学校報国団編成を指令
12月 アメリカ映画上映禁止
昭和17年
2月 味噌・醤油切符制配給実施
8月 中学・高専・大学の学年短縮決定
昭和18年
1月 ジャズレコード禁止、中等学校修業年限1年短縮
3月 文部省、高等女学校の基本教科に体練科を追加
6月 工場就業時間制限令の廃止、婦女子・年少者鉱山労働可能に
10月 出陣学徒壮行大会
昭和19年
2月 軍事教育全面的強化発表
3月 閣議、学徒勤労動員を通年実施と決定
4月 第1回女子挺身隊結成
8月 学童集団疎開第1陣出発、疎開船対馬丸沈没
12月 閣議、中等学校卒業予定者の勤労動員継続決定
昭和20年
2月 理工系・師範系の学徒入営延期制限廃止
3月 決戦教育措置要綱決定(国民学校初等科以外の授業を1年間停止)
4月 警視庁、流言について都民に警告
8月 敗戦

 このような時代に父は動員学徒となった。別府に占領軍が来る数年前のある日、父は防空壕の横穴から空を覗いていた。

  風船が空にいくつも浮かんでいた。
  遊園地にいるような、
  いまから何だかお祭りがはじまるような。
  いまに巨大な白鳥が来て、
  面白半分に風船を喙(クチバシ)でついばみ、
  大きな音と共に破裂して、ボロボロになって地上に落下するのか。
  「こいつは又と見られぬショウだ!」
  やがて、白鳥ならぬアブがあらわれ、
  まるで回転遊戯か何かをしているように、
  スイスイと風船の間を通り抜け、
  チョン、チョンと、針で突き刺す。
  ヘソ撃ちされた風船はあえなく、地上におち、
  アブは、勝ち誇ったように、
  羽音をひびかせて、立ち去っていった。

 高城の発動機工場の横穴から見た思い出である。
 私は戦時中、別府中学校の動員学徒として大分航空廠高城工場に通っていた。
 大分の空に浮かんだ気球には水素ガスがいっぱいつまり、敵機がふれると爆発する仕掛けになっていた。
 断末魔の軍部が考え出した子供だましの戦術である。
 しかし敵はいちはやく仕掛けを見破り、まるで射的を楽しむように、気球目掛けて機銃の雨を降らせた。迎え撃つ日本機も数少なく、どう見てもこの勝負は明らかだった。眼の前を旋回していく米機のパイロットの白いマフラーがひらひらと風にそよぎ、そのカッコヨサといったらなかった。
 今、その近くの岡に立ち大分の空を眺める。これが同じ日本の空だろうか。今は勿論ショウもなく、白鳥もアブもとんで来ない。おそらくあれは映画の一駒だったに違いない。
 あの時、人々は、いつ現われるか分からない巨大な白鳥やアブにおののき、自由に空を見る習慣を忘れていた。美しい四本の飛行機雲を引いてある気品を誇示しながら大空を通りすぎていったB二九──あの大いなる白鳥が現われはじめると、日本の空は次第に不安な緊張にみちた空間となった。
 しかし、空が変わった訳ではない。空はあくまで美しく、広大無辺だ。変わったのは、空ではなく、日本の国であり、街であり、日本人であり、空を見る日本人のこころである。街も人も元の健康をとり戻し、空を見る自由をとり戻した。
 今日も青い空を鳥の群が西の指してとんでいく。

 文部科学省によると、動員先で終戦を迎えた学徒は340万人超、動員による死者は1万人を超えたという(出典:朝日新聞掲載「キーワード」)。

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