少し偏った読書日記

エッセーや軽い読み物、SFやファンタジーなどの海外もの、科学系教養書など、少し趣味の偏った読書日記です。

栞と嘘の季節

2023-05-26 20:53:48 | 読書ブログ
栞(しおり)と嘘の季節(米澤穂信/集英社)

昨年11月発行の、米澤穂信氏の新作。(半年のタイムラグは、最寄り図書館で予約なしで借りられるまでの期間。)

タイトルから類推されるとおり、『本と鍵の季節』の続編。

読み始めるとすぐに、引き込まれた。冒頭にウンベルト・エーコの『薔薇の名前』が出てきたのも、その理由のひとつだ。短編連作ではないのだが、ほぼ一気読みの面白さ。その要因は、日常の謎のようでいて、いくらか犯罪のにおいもする密度の濃い謎と、二人の主人公の魅力だろう。

図書委員同士という関係を基本に、謎をとくために協力するが、それ以上はお互いに踏み込まないという、独特の関係性。二人の推理と言葉のやりとりが生み出す、緊張をはらんだハーモニー。これはつまり、シリーズ2作目だからこその完成度なのだと思う。(いや、1作目も十分におもしろい。)

だから、まず1作目を読んでから、こちらを読むことをお勧めする。あちこちに1作目のエピソードに関する言及があるし、1作目の結末で明かされなかった事情が確認される、印象的な場面もある。

で、この作品でも、結末ですべてが明らかになるわけではない。作者は、このシリーズを、そのような形で続けるつもりなのだろう。古典部シリーズとは別の作品としたのも、十分にうなずける。

タイトルが内容をよく表しているのもいい。読んだ後に、改めてそう思うはずだ。タイトルでネタバレという例もあるが、この作品では、むしろ完成度を上げている。

絶滅の人類史

2023-05-19 20:44:26 | 読書ブログ
絶滅の人類史(更科功/NHK出版新書)

この人の著作『残酷な進化論』を、今年1月に紹介した。(進化は、至高の生物を生み出すように作用しているわけではなく、便宜的で偶然の要素も強い、という趣旨のことが書かれていた。)

そのときにこの本の存在を知り、読みたいと思った。

本書の副題は、 ~なぜ「私たち」が生き延びたのか~

この場合の「私たち」は、まず、人類であり、次に、ホモ・サピエンスである。

で、その答えは、どうやら「知能を進化させたから」ではなく、「偶然と幸運」のおかげのようだ。(それがどのような幸運と偶然であるかについては、本書にゆずりたい。)

人類、と呼べる種は25種類以上いた。その進化の方向や要因が、化石や遺跡の年代測定の精度向上によってもたらされた最新の成果を踏まえて、詳細に論じられる。人類の進化について、何となくわかっているようなつもりでいたが、いかに知識が断片的だったか、ほとんど何も知らないレベルではなかったか、と思わされた。

結局、ホモ・サピエンス以外の種はすべて絶滅してしまう。(それがタイトルの意味するところ。)一時期、共存したネアンデルタール人もいなくなったが、その遺伝子は私たちの中に残っている。そして進化は、これからも続く。

なお、本書の書影は「版元ドットコム」が保有していないので掲載しない。かわりに以前掲載した猫画像を。

鳥肉以上、鳥学未満。

2023-05-12 20:56:22 | 読書ブログ
鳥肉以上、鳥学未満。(川上 和人/岩波書店)

著者は鳥類学者。

このブログを始めてまもなく、定期更新も写真掲載もしていなかった時期に、この人の本を2冊続けて紹介したことがある。『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』と『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』。

少し変わった題名だと感じる方が多いと思うが、内容はそれ以上にユニークだ。

で、今回は、ニワトリの各部位を取り上げて、その構造や進化論的背景、他の鳥と比較しての特徴などを論じる。取り上げる部位は、胸肉から始まって、ささみ、手羽元、手羽中、手羽先、モモ肉・・・と続き、ボンジリ、皮、頭で終わる。(プロローグとエピローグに、ニワトリと卵に関する、あの有名な問いが取り上げられている。)

また、肉だけでなく、関連する骨や羽についての記述もある。全体として、(あるタイプの)恐竜の直系の子孫である鳥類について、ニワトリの部位をネタに縦横に語る、という内容になっている。(トリのトリビア満載。)

この人の文章には、おふざけがいっぱい出てくるのに、そのネタ元がわからない、とか、他事記載だらけなのに学術的な内容もみっしりで、軽く読み飛ばせない、という、フラストレーションがたまる要素が、確かにある。

だから万人にはお勧めできない、そういうタイプの本。ハマる人にはハマるはず。

僕は珈琲

2023-05-05 20:40:48 | 読書ブログ
僕は珈琲(片岡義男/光文社)

何年か前に、この人の『珈琲が呼ぶ』を読んだ。

片岡義男といえば、ある年代以上の人にとっては有名人で、私も、確かにこの人の文章を読んだことはある。だが、熱心な読者ではなく、『スローなブギにしてくれ』も、読んだかどうか記憶が定かでない。

だから、エッセーを探す、という意識がなければ、『珈琲が呼ぶ』を読むこともなかっただろう。珈琲そのものに関する蘊蓄ではなく、例えば、「珈琲でいいや」という注文の仕方についての考察や、珈琲が登場する映画や歌、喫茶店の椅子の話などが出てくる。

読後感がよく、このブログで取り上げようとも思ったが、結局、そのときには見送った。

で、今回、この本を見つけた。

前作と同様、珈琲に関する書き下ろしエッセー。「僕は珈琲」という注文の仕方に関する考察があり、それが題名になっている。喫茶店で短編小説のあらすじを思いつく話があり、続いて、その短編小説も掲載されている。その題名は「謎なら解いてみて」。

この人の文体は、(言葉の正しい意味での)ハードボイルドだと思った。そして、そのような文体でしか表現できないものが、この世界にはたくさんあるのだろう。

この人の、昔の作品を読んでみようかとも思うが、私のことだからきっと、読まないだろう。