少し偏った読書日記

エッセイや軽い読み物、ミステリやSFなどエンタメ系、海外もの、科学系教養書、時代小説など、少し趣味の偏った読書日記です。

ただの眠りを

2025-04-01 12:38:43 | 読書ブログ
ただの眠りを(ローレンス・オズボーン/早川書房)

少し古いが、フィリップ・マーロウものの新作(2020年発刊)。当然、作者はチャンドラーではない。

時は1984年。72歳になったマーロウは、メキシコで隠居生活を送っている。そこに保険会社の社員がやってきて、調査を依頼する。溺死した不動産業者は、本当に事故で死んだのか。

マーロウは、男の足跡を追ってあちこちに出かけ、質問し、ホテルに泊まり、酒を飲む。当然ながら、魅力的な女性が出てくる。物語はそのように進む。

感想を少し。

何も起こらないわけではないが、特別、驚くことが起こるわけでもない。また、シリーズ作品と比べると、マーロウの言葉に独特の魅力も足りない。

しかし、凡庸な模倣作かというと、そうでもない。老人になってしまったマーロウの、その老いの描写に真実味がある。女性を想う心情や猫のような好奇心は昔のままなのに、女性を惹きつける魅力もタフな行動力も失い、それでも自身の矜持は守りたい・・・

原題は ONLY TO SLEEP
The Big Sleep(大いなる眠り)をなぞったものだろうが、確かに老境にふさわしいタイトルかと。

気の毒ばたらき きたきた捕物帖(三)

2025-03-28 13:33:07 | 読書ブログ
気の毒ばたらき きたきた捕物帖(三)(宮部みゆき/PHP研究所)

きたきた捕物帖の第三作。

亡き千吉親分の文庫屋が放火により火事に・・・という騒ぎから始まる2つの事件。主人公は、未熟ながらも気にかかった謎に果敢に挑んでいく。

人情噺であり、捕物帖であり、そして主人公の成長物語でもあるシリーズ。今作の感想は・・・

何かにつけて気弱になり、少し頼りない主人公だが、筋を通し、まっすぐに思いを貫く姿勢がよい。周囲の人々の共感と助けを得て、文庫売りとしても、岡っ引き見習いとしても存在感を増していく。

地の文章もすべて主人公の視点で描かれているのはこれまでと同様。ときどき混じる独特の独白が独特のリズムを生み、この作品ならではの味わいになっている。

このシリーズは、『初ものがたり』と「ぼんくらシリーズ」と同じ系統の作品だと思っていたが、何かの機会に『桜ほうさら』もそうだと知り、今作を読む前に楽しませてもらった。

作者には、この系統の作品を、もっと書いてほしい。(時代ものでも、百物語の系統は読まないことにしている。)

街の灯

2025-03-25 13:37:02 | 読書ブログ
街の灯(北村薫/文藝春秋)

これまで何度も紹介してきた北村薫氏の、未読のシリーズを探してみた。

『街の灯』
『玻璃の天』
『鷺と雪』

この3冊で「ベッキーさん」シリーズ。

時代は昭和のひとけたから11年まで。主人公は女子学習院の生徒。物語は「わたし」という一人称で語られる。(「円紫師匠と私」シリーズでは、最後まで「私」のままで、氏名も不明だったが、このシリーズの「わたし」は、花村英子。)

ベッキーさんというのは、主人公付きの運転手で、名前は別宮(べっく)みつ子。才色兼備のうえ、武術も嗜む、というスーパーヒーロー。主人公がベッキーさんの助けを得て、身の回りの謎を解き明かす、という物語。

感想を少し。

軍部の力が強まるなど不穏な空気はあるが、大震災からの復興や銀座の賑わいなどの明るさもある時代。女性への制約が強い中で、ベッキーさんも主人公も、しなやかに軽快なステップを踏んでいるようだ。また、主人公の心の中のつぶやきや兄との会話も、この作者特有の「軽さ」を感じさせる。

最近、明治から昭和初期にかけての時代を舞台とするミステリを見かけることが多いが、この作品はその先駆けと呼べるのだろうか。いずれにしても、華族社会のありようや時代背景などの解像度は、他に例を見ない鮮やかさ。

巻末に作者へのインタビューが掲載されているのが非常に面白い。その中で特に気になったのが、今の時代が当時によく似ている、という作者の言葉。このシリーズは2002年から2008年にかけて書かれているが、2025年の時点で、その指摘はより切実になっているような気がする。3冊を読み終えて、改めて時代の深刻さを思う。

この作者には、まだ読み残しているシリーズがある。探し出す機会を持つことができるかどうか。


貸本屋おせん

2025-03-21 16:02:36 | 読書ブログ
貸本屋おせん(高瀬乃一/文藝春秋)

初見の作家さん。

主人公は24歳。女性。独身。親も兄弟もなく貸本屋で身を立てるようになって5年。

本を貸すだけでなく、自ら写本を作ったり、錦絵も扱ったりと、貸本屋の生態をていねいに描いているが、単なる職業小説ではない。商売を通じてさまざまな事件や謎に巻き込まれ、身を挺して解き明かしていく、事件簿的な短編連作集。

蔦屋重三郎や滝沢馬琴が活躍する時代で、出版文化が花開きつつも、幕府の規制が強まっている様子も描かれている。

感想を少し。

主人公の勝ち気で潔い性格は本書の魅力のひとつだが、その芯にあるのは、知る人ぞ知る彫師だった亡父の志を受け継ぎ、出版文化の一翼を担う意思だろうか。

5話からなり、いずれもそれなりの難事件。こういう仕掛けをいくつもひねり出すのは大変だと思うから、続編をそれほど期待していない。

初見の作家さんだが、前後して別の作品も読んだ。平賀源内も登場する一種の仇討ちもので、読後感もよかったが、こちらの方が私の好みに近かった。(短編連作で事件簿的なところ)


レンブラントの身震い

2025-03-18 15:35:32 | 読書ブログ
レンブラントの身震い(マーカス・デュ・ソートイ/新潮クレスト・ブックス)

数学に関する優れた啓蒙書を書いてきた著者の、読み残していた一冊。


チェスのチャンピオンが人工知能に敗れた時、数学者たちはあまり心配しなかった。真の難問は囲碁で、コンピュータがプロ棋士に勝つには100年以上かかると思われていた。

しかし、2016年に、「アルファ碁」が世界最強の棋士に勝利すると、いつか数学も同じ道をたどるのではないか、という懸念を抱いた著者は、人口知能研究の最前線を取材し、考察を重ねた。

多くのことを考えさせられた一冊。その一例を紹介すると・・・

著者は、人工知能による創造の可能性について、かなり否定的な立場をとっているように見える。おそらく、数学とは創造である、という強い自負からくるのだろうが。それほど強い主張は、近い将来、後悔のタネになりそうな気もする。

数学者が大きな成果を挙げても、他の誰もそれを理解できない、ということが起こり得るほど、現代数学は複雑で専門化している、という趣旨の記述がある。ABC予想の証明も、そのような事態になっているのかもしれない。

人工知能が人類と協働してより深い真理の探求に役立つ可能性はあるが、現実に人工知能をもてはやしている人々は、自分の懐を豊かにすることしか考えていない。という著者の指摘は、まさにそのとおりだと思う。人工知能は、大富豪や独裁国家に独占されるべきではないが、現実は危うい方向に向かいつつある。

なお、原題は The Creativity Code

「レンブラントの身震い」という言葉は、本文中に1度だけ出てくる。(印象的な言葉だが、本書の内容をよく表しているとは思わない。)