この記事は現在進行中のさだぺディアの目次となっております。
企画趣旨については下記の最初の記事をお読みください。
またかつて個人的大事業として行った企画「さだ‐1」やその他の小企画や小文はこの下の目次、また純粋なアルバム紹介についてはさらにその下の目次をご参照ください。
文字数の制限があり、目次もその制限を超えてしまいましたので分割しております。
SadaPedia 目次
第一回「企画予告」
第二回「趣旨説明」
第三回「わすれもの」
第四回「せせらぎ」
第五回「コミュニケーション」
第六回「帰去来」
第七回「風見鶏」
第八回「ルール変更点」
第九回「私花集」
第十回「夢ばかりみていた」
第十一回「夢回帰線Ⅱ」
第十二回「家族の肖像」
第十三回「あの頃について」
第十四回「ほのぼの」
第十五回「逢ひみての」
第十六回「おもひで泥棒」
第十七回「日本架空説」
第十八回「夢百合草」
第十九回「夢のつづき」
第二十回「すろうらいふすとーりー」
第二十一回「恋文」
第二十二回「とこしへ」
第二十三回「ADVANTAGE」
第二十四回「自分症候群」
第二十五回「夢回帰線」
第二十六回「風待ち通りの人々」
第二十七回「夢の吹く頃」
第二十八回「美しき日本の面影」
第二十九回「Mist」
第三十回「美しい朝」
第三十一回「予感」
第三十二回「Sada City」
第三十三回「もう来る頃…」
第三十四回「夢供養」
第三十五回「印象派」
第三十六回「うつろひ」
第三十七回「第二楽章」
第三十八回「夢の轍」
第三十九回「風のおもかげ」
第四十回「Glass Age」
第四十一回「さよなら にっぽん」
第四十二回「古くさい恋の唄ばかり」
第四十三回「夢唄」
第四十四回「心の時代」
第四十五回「季節の栖」
第四十六回「風の軌跡」
第四十七回Sadapedia Final 上
第四十八回Sadapedia Final 中
第四十九回Sadapedia Final 下
Sadapedia 付録 前 中 後
・
いつもの検索ページを分割しました。アルバム検索はこのひとつ下の記事をご覧ください。
◇さだ-1
内容説明 予選① 予選② 予選③ 予選④ 予選⑤ 予選⑥ 予選⑦ 予選⑧ 予選⑨ 予選⑩‐前
予選⑩-後 予選⑪ 予選⑫ 予選⑬ 予選⑭ 予選⑮ 予選⑯ 予選⑰ 予選⑱ 予選⑲ 予選⑳
予選21 予選22 予選23 予選24 予選25 予選26 予選27 予選28 予選29 予選30 予選31
予選32 予選33 予選34 予選35 予選36 予選37 予選38 予選39
本戦① 本戦② 本戦③ 本戦④ 本戦⑤
最終戦 閉会式
◇もうひとつのさだー1(番外編) その1 その2 その3
◇DVD、書籍など
長江 谷村新司さだまさしスペシャルライブ 風の交響楽
風待煙草 精霊流し 解夏 茨の木
◇消えゆく名曲 その1 その2
◇その他
○シングル系 きみを忘れない/いつも君の味方/人生の贈り物/がんばらんば
○シングルベスト シングルス全集1~9/OnlySINGLES
○サントラ系 精霊流しサウンドトラック/北の国から・完全版
○その他 木を植えた男/SHORO/Originals/さだのうた/情継~こころをつぐ
/服部良一トリビュートアルバム
さださんに関する雑談:1 2 3 4(上) 4(下) 5① 5② 6 7 8 9 10
◇オリジナルアルバム(ベストアルバム)[ライブアルバム]
1974年(22歳) わすれもの
1975年(23歳) せせらぎ/コミュニケーション
1976年(24歳) 帰去来[三年坂]
1977年(25歳) 風見鶏
1978年(26歳) 私花集
1979年(27歳) 夢供養[随想録]
1980年(28歳) 印象派
1981年(29歳) うつろひ (昨日達)
1982年(30歳) 夢の轍[夢ライブ(スペシャルライブ)]
1983年(31歳) 風のおもかげ
1984年(32歳) GlassAge[書簡集]
1985年(33歳) ADVANTAGE/自分症候群[1000回記念]
1986年(34歳) (帰郷)
1987年(35歳) 夢回帰線
1988年(36歳) 風待ち通りの人々
1989年(37歳) 夢の吹く頃[15周年漂流記][夏・長崎から]
1990年(38歳) 夢ばかりみていた/夢回帰線Ⅱ
1991年(39歳) 家族の肖像/あの頃について~シーズン・オブ・レーズン~
1992年(40歳) ほのぼの[さだまさし白書]
1993年(41歳) 逢ひみての[LIVE二千一夜]
1994年(42歳) おもひで泥棒(さだまさしベスト)[のちのおもひに]
1995年(43歳) さよならにっぽん[交響詩]
1996年(44歳) 古くさい恋の唄ばかり
1997年(45歳) 夢唄
1998年(46歳) 心の時代
1999年(47歳) 季節の栖(続・帰郷)[響の森]
2000年(48歳) 日本架空説
2001年(49歳) [瑠璃光]
2002年(50歳) 夢百合草/夢のつづき[燦然會]
2003年(51歳) すろうらいふすとーりー
2004年(52歳) 恋文(さだまさしベスト2)
2005年(53歳) とこしへ
2006年(54歳) 美しき日本の面影
2007年(55歳) Mist(さだまさしベスト3)
2008年(56歳)
2009年(57歳) 美しい朝
2010年(58歳) 予感
2011年(59歳) Sada City
2012年(60歳) もう来る頃
2013年(61歳) (天晴~オールタイム・ベスト)
2014年(62歳) 第二楽章
2015年(63歳) 風の軌跡
2017年(65歳) 惠百福~たくさんのしあわせ
2018年(66歳) Reborn~生まれたてのさだまさし
前回更新してからまだ短い期間ではあるが(私にとっては早いんです:汗)、ニューアルバムが出た以上触れないわけにはまいりません。
Reborn~生まれたてのさだまさし (2018.7.4)
1、大盛況~生まれたてのさだまさし~ 2、パスワードシンドローム 3、Reborn~嘘つき~ 4、まぼろし 5、きみのとなりに 6、黄金律 7、茅蜩 8、桜ひとり 9、へたっぴ 10、おんまつり 11、都会暮らしの小さな恋に与える狂詩曲
ワーナーパイオニアから始まったさださんのキャリアは途中自己レーベルをおこしつつテイチク系、U‐CAN(FOAレコード)と移り変わり、今回ビクターエンタテインメントへと変わった。その説明はライナーノートにあるが、ご批判を承知で書くが、やや後付けのような気もする。確かにさださんはレコード会社だけでなくコンサートスタッフも変えてきた。そのことの理由が「ひとつ」であるとは到底思えない。とはいえ私は「その理由」を一つ一つ説明する必要すらないと思っている。「知りたくないのか?」と言われたら別に知りたくないわけでもない。私も人並みに好奇心はある。しかも長年好きで聞いてきたアーティストのことは何でも知りたいとも思う。でも、それを知ることで、しかも真偽がわからない情報を知ったことで、私のさださんへのイメージが変わったりぼけたりすることが嫌だ。
いずれにしろ今回レコード会社を移籍して初のアルバムであり、45周年であるさださんのアルバムを慣例通り車の中で20回以上聴いたうえで感想を書いてみる。
今回のもう一つの目玉?は、若手に人気のナオト・インティライミさんとのコラボである。ミュージックフェアなどでも共演があるのでいつかあるかな?と思ったが、予想したより早かった。
結論を先に書くと、予想より良かった。それもかなり。
U-CAN(FOAレコード)に発売されたオリジナルアルバムは「すろうらいふストーリー」から「惠百福」まで12枚あるが、少なくともその中で比較すると上位にはいると思う。もちろんレコード会社とアルバムの出来はあまり関係ないとは思うので、それはたまたまだろう。
とりあえず1曲づつ感想を書いてみる。
1、大盛況~生まれたてのさだまさし~ 最近深夜のあれを見ていないので知らなかったが某コンビニの入店時のシグナルに「誰」かが歌詞を当て込んで、それが「うまれたてのさだまさし」だった、と。そしてそれをつくったのが「さだまさし」をあまり認知していない子供の層だった、と。申し訳ないがエピソードも含めこの曲は「さだまさし」の曲とは思えないし、正直これを1曲目に持ってきたのはどうかと思う。とはいえ、じゃあどこに入れるのか?と言われればモゴモゴするだけだから「まあ仕方ないかな」という程度である。なんというか、自分でやらしといて「馬鹿じゃないの:笑」というジョークが受け入れられないだけかもしれん(苦笑)。あれと同じだ。「主人公」や「風に立つライオン」の紹介の時に「発売時は売れなかったんですよ。出た時に買ってね」というのと同じ「???」感とでもいえばいいか。とても評価に困る曲である。私は平気だが酢豚のパイナップル的な曲とでもいえば、苦手な人にとってはわかってもらえるか。パイナップルに罪がないように、このコンビニの曲にも、また作曲をした著名な作曲家にも罪はない。
2、パスワードシンドローム この曲は、はまっている。はっきり言って悪くない。というより、良い。最近のログインIDやパスワードの複雑さと男女の関係を絡めてラブソングにしている。それがうまくいっている。一応さださんとナオトさんの共作になっているので評価は高いが「さださんの曲の評価」としては、きっぱりとできない。
余談だが、最後の方の(パスワードの代わりに)「見つめ合うだけじゃ駄目なの?」というところは、もうすでに顔認証があり、顔認証は瞳で判別しているとかいないとか。つまり「見つめ合うだけでOK」の時代が来ているということだが、それもなんかむなしい気がするのはなぜか?
3、Reborn~嘘つき~ 嘘と夢のほんの少しの違いとそれによって自分の大事な人へ与えた影響について考える曲。ゆったりとした編曲がとても合っていて間奏も素晴らしい。中高年の男性の想いが良く出ている。個人的には嘘と夢はスタート地点の違いだろうと思う。嘘からでた真、という言葉もある通り嘘だって夢だって叶うことはある。尤も嘘が誠になったところで、それは「たまたま」だろうと思う。ことほど左様に、誰かをしあわせにするのはむつかしいのだろう。自分が幸せでも相手はそうとは限らない。そしておそらくこの歌詞のようにその逆でも、悩んでしまうのが人間のむつかしさだろう。(「その逆でも」と書いたのは、個人的にこの男性の愛した人はこの男性と過ごしたことを「不幸せ」だと思っていないのではないか?という淡い期待も含んでいる。この男にとって都合の良い発想こそ、私がアラフィフ独身に甘んじている淵源であると気づいて少し悲しい:弱笑)アルバムのタイトル曲にしては地味だが個人的には好きな曲である。
4、まぼろし 自分の後ろ向きなこれまでの生き方を悔い、自分の愛している人へ与えた苦痛を嘆く曲で前半は「後悔先に立たず」を絵にかいたような曲で、曲の暗さも相まって、「これは、救いようがないのではないか」と他人事ながら心配になるけれども、三番になって急に前向きになり、救いが出てくる。曲の方が少し強いので詩が入りにくい感じがするのは気のせいか?少なくとも嫌いな曲ではない。
5、きみのとなりに 正直に書く。初めて聴いて「たとえば 青信号を渡る少年が 事故に遭うことがある」と来た時「ああ、また『あれ系』の曲だ」と勘違いした。あれ系とは、このブログを見ている方ならわかると思う。私の少し苦手な曲である。
ところが、もう次の瞬間それが間違いであり、私の大好きな「前夜」に匹敵する、というと言いすぎだが、とてもよくできている曲だと思いなおした。これもナオトさんとの共作だが「パスワードシンドローム」よりこちらのほうが断然好きである。人間の無力さ、人生の不条理さ、しかし生きていくしかないという、一見消極的だが前向き、というよりも、「前向きに生きていくしかない」という応援歌的な位置づけである。また、テイスト的に「教室のドン・キホーテ」に通じるような気もする。人生でやるべきことがあるから、まだ生きてる、というやや仏教的なにおいもする。久しぶりに「心に気持ちいい曲」を聴いた気がする。尤もこれを「気持ちいい」と思う私は少し変かもしれない(涙)。
6、黄金律 よく殺人事件で、親が子供を、または親友が親友をかばって身代わり出頭して、「そんなことをされて僕が喜ぶと思ったのか?」と、犯人が問いかける場面があるが、それを歌にしたような感じの曲。一つの価値観が見る立場により変わり、それぞれ「絶対的」ではないという、そして「好き」という根源的な意味を考える曲で、とにかくアレンジが優れている。レキシさんは1~2年ほど前から存じ上げており、CDを買うには至っていないが(申し訳ない:汗)、何度も動画サイトで見ている。さださんとレキシさんの絡みを初めて見たのはタモリ倶楽部という番組で(私はタモリさんとさださんのいきさつは知っているが、それはそれこれはこれと思い、いわば、Mステやいいとものタモリさんはあまり好きではないが、タモリ倶楽部のタモリさんは好きでずっと見ている。)アドレスを張っておく。当該のタモリ倶楽部を見たことない人はぜひご覧いただければ、と思う。
https://www.youtube.com/watch?v=fM5lCqUVwBU
なにはともあれアレンジと歌詞があっていてテーマのわりに重くなっていない。
7、茅蜩 誤解をうけるかもしれないが、枕草子のような曲。儚さや時の移ろいなどを、やや文語体で描写していて、曲が歌詞にマッチしていてアルバムのなかで浮いていない。ある意味さださんのアルバムではおなじみの曲ともいえる。尤も「マッチ」という表現はこの曲には不似合いだけれども(苦笑)。
8、桜ひとり 桜を自分に例えている、元気出せ、頑張れ系の(そんな系があるかは知らんが)曲。基本地味でおとなしいのでアルバムの中で光る曲だが、実はこういうおとなしい曲は一定のファンがいるようだ。曲順も含め配置もよいと思う。
9、へたっぴ 意識してかどうかはわからないが「桜ひとり」と同系の曲。ただしベクトルが逆になっている。なんというか、自分が頑張ろう!というのが「桜ひとり」なのに対し、都会で暮らす先輩が、悩める後輩に「どうにかなるから頑張れよ」と言っている感じの曲、とでも言えばいいか。その割には言葉が難しく「鞦韆(ふらここ)」→ブランコのこと、など相変わらずのさださんらしさであるが、一生漢字で書けるようにならないだろうな、とは思う。軽めの曲で聞き味は良い。ちなみにサマルカンドはウズベキスタンの古都で、内陸性なので寒暖の差が激しい。よって「サマルカンド」で「バラ」がイメージできるかは不明である。え?もちろん最初から知ってるわけではなく調べました(苦笑)。
10、おんまつり 春日大社の有名なおん祭をテーマにして他の同様の曲のように男女の恋愛を織り込んでいる。曲も特にサビにいたる流れがよくできている。いつものクオリティは十分あると思う。思うけれども、今一つ食い足りなさが残るのはなぜか。何がいけないわけでもなく理由がわからない。東大を目指す生徒が模擬試験で89点を取ったみたいな?…違うか…
11、都会暮らしの小さな恋に与える狂詩曲 曲中に有名な「ラプソディ・イン・ブルー」が引用?されていて歌詞の方はこれ以上ないほどの強烈なラブソング。そして渡辺俊幸さんの壮大なアレンジがアルバムの最後にふさわしい。恋の曲はコメントが淡白になるのは申し訳ない(大笑)。
さて、今回、リスタートとしてのこのアルバムだが、思っていたよりかなり良かったと思う。それは曲や詩、アレンジの良しあしもそうだが、コラボしている3曲(パスワードシンドローム、きみのとなりに、黄金律)がどれも素晴らしかったということが大きい。80~90年代のころのような阿りのない、なんかとがっている感じのさださんを見たいと思うのは欲張りだろうか。夢の吹く頃のジャケットのようなおおよそ健康的な感じのしないさださんの作り出す世界を見てみたい。
何にしてもこのアルバムはここ数作品の中では全体として良かった。もちろん今までがダメだった、というわけではないけれど(滝汗)。
ああ、あと、予約特典はやや微妙だった、ということだけは書いておきたい。あれをもらってどうすればいいのか、と、今でも戸惑っている。
出来たらまた更新します。
あまりに久しぶりすぎて死んだんじゃないか?とうわさされる…ほど心配してくれる人もなく、プライベートでは超ウルトラローリングサンダースペシャルドラゴンαネオな出来事が起こりまして境遇が結構変わりました。まあだからと言ってこのブログには関係ないわけですが。
本当はさだペディアが終わり、このブログのエピローグ的な記事を数回出してこのブログを無期限休止する予定でしたが、さぼっている間にニューアルバム(もうニューですらない)が発売されました。で、本当は昨年の10月にアルバムの記事は書いたのですが、最後の方を書こうとしたとき、超ウルトラ…なことがおこったため結局放置になりました。この度最後の方を加筆して無事に公開の運びとなりました。
ということで、ここまでと最後の方を除いては昨年の10月あたりに書いた、とご理解いただき読んでください。では、どうぞ。
最後に更新したのが今年の1月5日ですから9か月も放置しておりました。
とはいえ、あと数回でこのブログを終わるつもりでしたから大勢に影響はないのですが、何と言ってもその間にアルバムは発売されるは、大雨で自県で大きな被害がでるわ、某国がミサイル打ちまくるわ、総理が変な気になって急に解散するわ、最大野党が例のあの方の党に吸収されるわ、それに反発した一部議員が別の党を作るわ、私は相変わらず女の子にもてないわ…(途中からやけくそ)。
さて、さすがにアルバムが出た以上それに触れないわけにはいきません。かといってさだペディアはもう完結しましたのでアルバム紹介という形で感想などを書いてみようと思います。
惠百福~たくさんのしあわせ (2017.9.6)
1、約束の町 2、つばめよつばめ 3、ガラパゴス携帯電話の歌 4、GENAH! 5、詩島唄 6、たくさんのしあわせ 7、秋蘭香 8、避難所の少年 9、いにしへ 10、潮騒
誤解を承知でかくけれども、今回のアルバムは「さだまさしのさだまさしによるさだまさしのためのアルバム」といえると思う。もちろん悪い意味ばかりでもない。あるいはあんまり変わらないが「さだまさしのさだまさしによるさだまさしファンのためのアルバム」と言い換えてもいい。
私はさださんのアルバム(とりわけさだペディアで上位になったアルバム)の最大の魅力は様々な人間模様の描写だと思っている。同じ人間でも立場が変われば強さも考えも変わる。それをさださんの曲は結構な確率で網羅してくれていた。例えば「案山子」という歌は聴く側がどういう状態(境遇)であるかによって大きく感じ方が変わる。悪く言えば一般性を持っていないといえるし、よく言えば歌が自分の人生に寄り添うものになりやすい。
それはこのブログでも再三言ってきたような「ふり幅」と言えるし、作り手はさださんであるのに、語り手はさださんではないかのような分離状態を起こすともいえる。分離しているから届くのだ。
さてこのアルバム。1曲目の約束の町で「君に目指す場所はありますか」と問いかけているのは誰だろう。今のところ私には「さださん」だと思えるし他の誰かのような気もする。2曲目、4曲目、5曲目、6曲目、8曲目、9曲目は完全にさださん主観の歌。ということは私の言う分離状態が起こっている曲は3曲目「ガラパゴス携帯電話の歌」と7曲目の「秋蘭香」と最後の10曲目「潮騒」だけということになる。
ここは勘違いしてほしくないので書いておくが、さださんのアルバムだからさださん主観になるのは当たり前といえば当たり前であるし、だからこのアルバムがだめだ、と言っているのでは決してない。あくまでも先述したこのアルバムが「さだまさしのさだまさしによるさだまさしのためのアルバム」であると感じた理由を説明しただけである。
ただ一つ言えることは、もし私がタイムマシーンでさださんオタクの入り口になった印象派を聴いた高校時代に戻ることができたとして、このアルバムを当時の僕に聴かせたとして、果たして印象派と同じ衝撃を受けたか?といえば、それはやはりNoだろう。尤もそれをいうのは色々な意味で尋常でなく酷なことであることはわかっている。当時二十代独身のさださんが今では還暦を超えて子供も独立し映画の借金も返した状態。変わらないほうがおかしい。一方、当時の私は高校生。今はアラフィフのくせにたいして儲かりもしない自営業、独身。あまり精神的な意味も含めて変わっているとも思えない。つまり当時のさださんに感銘を受けた私はいまだに大して変わりもせず、当時のさださんの姿を追いかけているだけなのかもしれない。だからこそ現状のさださんの活動、姿に大してどうしても否定的になれない。どっちかというと私がおかしい、とすら思っている。
とはいえ、1曲1曲の評価とはまた別であるので、曲の感想も書いてみたい。
「約束の町」は1曲目にふさわしい曲。とにかく曲が良くできている。一番を聴いた後、二番「人と書いて思うと書いて偲ぶと読む日もあるんだ」とてっきり続くと思いきや裏切られた。まだまだ私はさださんの思いに達していないと思った瞬間である(苦笑)。あの一番を聴いたあとの「どや感」を思い出すたびに恥ずかしく思う日もあるんだ…。今回のアルバムで最も好きな曲である。
「つばめよつばめ」小さいころから超近鉄ファンでセリーグは超巨人ファン(というより王ファン)で、大学時代読売がBクラスの一度もない王監督を更迭した翌日から超が付くほどのアンチ巨人になった私が、セリーグどこにしようかなあ(どこがあのにっくき巨人をコテンパンにしてくれるか)と思っていた少しあと(更迭が88年で90年のこと)野村克也監督が弱小ヤクルトにやってきた。そこからは皆さんもよくご存じのとおりID野球という革命を起こしヤクルトの全盛期が始まる。特に野村監督は意識して(セリーグを盛り上げるために「あえて」、という人もいる)巨人をライバル視して開幕3連勝などあの強い巨人を相手に渡り合ってくれた。それ以降私は野村監督についてファンチームを移動することになる。当然その後阪神ファンになった。あと一年やってほしかったが、奥さんの問題で3年連続最下位という屈辱だけが残り退団した。こんなことを言うと古くからの阪神ファンに怒られそうだが、あの野村阪神時代弱かったけど野球はとても面白かった。春先なぜか首位に立った時はうれしくて手に入るスポーツ新聞を買いあさった。伝説の遠山・葛西・遠山なんて巨人の星世代の私にはたまらなかった。さて、途中、わが愛する近鉄はなくなったため、パリーグは九州に来てくれただけでなく王監督まで招聘してくれたダイエー、ソフトバンクと移り、4年ほど野村楽天に浮気したが、現状パリーグはソフトバンク、セリーグは野村阪神がなくなり、しばらく空白だったが2010年に同郷の野村謙二郎さんが監督になったので広島になった(まさかこんなに強くなるとは思わなかった。だってず~っとBクラスだったし。尤も監督が野村さんでなければファンになってない。)。
ん?なんだったっけ?そうそうヤクルト。さださんはいい選手を引き抜かれるみたいなことを書いてあったがまあ広島のそれよりはましだし、現実に野村監督時代は強かったわけだし、今シーズンはけが人の多さがすべてだし。そう考えると身から出たさびともいえるし。強かったID野球時代のころの選手はもちろんいないが、やはり守備、走塁がはつらつとしているチームにするためには練習をしっかりとするしかない。えっ?曲の評価?ドンマイ、というしかない。
「ガラパゴス携帯電話の歌」今回の10曲の中では上位に入る良い曲だけれど、すこし弱気すぎる気がする。ちなみに私もガラケー使いだけれどそこまで心配していない。今使っている「P905i」は中央のボタンが割れていて側面のキャップは剥げているし、塗装もやばい状態だが、その前に使っていた「P902」をいまだに持っているのでいざとなったらそっちにカード差し替えれば使えるし、最悪買う時も中古や未使用のガラケーはいくらでも安く手に入る。逆にNTTドコモがFOMAのサービスを打ち切ってスマホだけになるんじゃないかと、そっちのほうが心配だ。大企業はすぐに不採算を整理するからなあ(企業不信)。ん?そういえばさださんガラケーだったっけ?
「GENAH!」がんばらんばの続編か?大分でも「げな」という言葉は結構使うから大方の意味は分かったが…こん曲 アルバムに しゃっち いるかえ?(大分弁:この曲アルバムにどうしても必要ですか?)
「詩島唄」ビフォーアフターは拝見して匠の工夫に感心したが、どうもこの曲は無理。これはコアなファンやさださんからおしかりを受けるかもしれないが、90年代頃まであった「ユーモア」が「ネタ」にすり替わっていやしませんか?言葉を変えると当時の軽さが重くなっている。ネタもどんどん摩耗するかのように変化していき、初期の話と変わってきていることも多々ある。例えば「北の国から」の作曲秘話(もう何度もTVで紹介されて秘話でもないが)。当初は倉本さんの家にはさださんとバンドでギター担当の坂元さんもついていったはずで、事実最初のころは2人で行ったことになっていたが、最近じゃ坂元さんの「さ」の字も出ない。別に私は坂元さんのファンではないが、そこはやっぱりやりすぎじゃね?と思わんでもない。先代の桂文楽は十八番(おはこ)の持ちネタが少ないが、どれを何回やってもほぼ同じ時間で同じ出来で同じ場所で笑いが起こったという。ちなみに明烏が有名だが私は景清が好きだ。まあ余談だが。「ネタ」にするんならそこまですべきだし、そうするつもりでないのなら「ネタ」化しないでほしい。さださんの話が面白いこと、上手なことはわかっているし尊敬もしているのだが、どうもライブ盤を聴いていると1000回記念あたりのトークのほうがおもしろいと思うのは私だけか?
「たくさんのしあわせ」以前このブログでも書いたがしあわせとふしあわせは対義語でありながら方向は同じである。幸せになりたくてやったことが結果不幸せになるからだ。またしあわせ不幸せは現象の名前ではあるけれども最終結果ではない。今幸せなことは将来を保証するものではないし、逆もまた正しい。さらに、これは結構重要だが、しあわせ、不幸せは個人的なことである。だから「まわす」ということになるのだろう。私はその部分ではさださんと意見が違うが感覚としてはわかる。曲は盆踊りを意識したのか明るい曲調で耳にはのこる。尤も地元の盆踊りではこれをやるのは無理だと思う。
「秋蘭香」とてもきれいな旋律と端正な歌詞であるけれども、どうも印象に残らない。何しろこのアルバムのほかの曲と比べた時におとなしすぎる。アルバムが違えば光るだろう曲で、またアルバムによっては最後の曲になるかもしれないほどの曲。少し不遇だったか…
「避難所の少年」この曲のことはおいておいて、私がどうしても理解できないことがある。あれほどの地震があり、津波があり、天災・人災入り混じりながら、福島原発の周りではいまだに帰れない人もたくさんいる。我が大分県に越してきた方も一人や二人ではない。それだけならまだしも「福島産の農産物」などはいまだに風評被害があるとも聞く。つまりあの問題は全くかたが付いていない。ある意味で震災被害の中で一番根が深く長引いていく。であるのに原発を再稼働しようとする発想には全く理解できない。与党の人たちは全部の責任を当時の政権与党の責任にして、また当時与党で今野党の人たちはかつての自分たちの責任を、まるでなかったかのように日々過ごしているように(実際はそこまでひどくないのだろうしそういう人ばかりではないのもわかっている)感じる時もある。資源のない日本にとって火力発電に多くを依存するのはリスクが大きいことはわかる。しかし、未だに故郷に帰れない人がいる現状が未解決なのに次の犠牲者を出す可能性のある原発を再稼働することがどれほど意味のある事なのか。
こういうことを言うと市民運動家のようだと揶揄する人もいるかもしれない。私自身は原発よりは最新式の火力発電機の導入を目指しつつ、輸出用(地震・津波のない国へ)として原発の技術研鑽は続けるべきという立場で「そのため」なら一か所くらいあってもいいとは思う、という立場だ。でも、それでも今再稼働をするのはどうなのか?と思う。せめて福島に(故郷に)全員が帰れる状態になって(帰る帰らないは被災者にまかせるべきだが)初めて再稼働の話になるのではないかと思う。
再三ブログで書いている通り、人間にとって「帰れる場所」というのは何物にも代えがたい。それがないのならともかく、あるのに国の問題で帰れないほどの悲しみがあるだろうか。また東京電力の現場で働く人の苦労を思うと、当時や現在の経営陣の責任はとても重要だが、これもまたなかったかのように表に出ないのは悲しい限りである。
「いにしえ」分類的には「まほろば」や「飛梅」の系列に入るだろう曲で、曲も強めというかアクセントのある曲で別に悪くはない。でもこの系統の曲はどうしても「まほろば」「飛梅」「修二会」と比較してしまうので、すげ~良かった、とはいかないのは申し訳ない。
「潮騒」曲自体は最後の曲にふさわしく、個人的ランキングでは1曲目の「約束の町」に次いで好きな曲。それとは別に、実は高校時代にさだファンになってもうすぐ40年になるが、当時から「きっと『潮騒』というタイトルの曲ができる」と思っていた。えらい時間がかかって実現し、アルバムのインデックスを見た時「やっと来たか」と思った。いや、超個人的な話で申し訳ないですけど…(汗)。
というように曲単位でみれば結構な出来であることは間違いない。基本アルバムに個人的にヒットする曲が2曲あれば満足する私にとっては最初と最後の曲で合格ラインには達している。ただ前述したように、「アルバム」としてみた時、または「かつてのそれと比較」した時にどうかは別問題である。さらに言えばアルバムジャケットも「夢の轍」や「夢の吹く頃」のような「ドキッ」っと感がない。いや別におぐらさんの絵が好きとか嫌いではない(汗)。
さだペディアをやっていたとしても10位には残念ながら入りませんでした。とはいえあの企画は超個人的企画なので皆さんはお気になさらずに、と今更フォローしても遅いか…
次回は…いつになるか不明です。皆さんお元気で!
新年明けましておめでとうございます。
さてこの蛇足企画も今日で最後。つまり長々続けてきたこのSada Pediaも本当の最終回です。
別に引っ張るつもりはなかったんですが、初回が2012年の6月ですからもう4年半前なんですねえ。
ちょっと怠けすぎたかな、とも思いますが、このブログはまさに私にとってさださんのMyペディアにしたかったので、最期の企画にはちょうどいい年月だったかもしれません。
さて残りの検索は以下の二つですね。
G望郷系(故郷を思う曲)
H実話系(実話を基にしている曲)
G望郷系(故郷を思う曲)
さださんが長崎出身で、中学時代から東京で暮らしていたこともあり、曲の中に都会越しに見る故郷を描いたものがたくさんあります。
全て抜き出すのは容易ではないし、ましてやかつて「さだー1」をやった時に道化師のソネットを忘れるほどの記憶力ですので(滝汗)、網羅できるかはわかりませんが以下に挙げてみます。
1、距離(ディスタンス)(印象派収録)
故郷の曲はこの曲を抜きにして語れません。私がさださんの曲を聴いて、もしこの曲と出会っていなければ今このキーボードをたたいていないと、断言できるほど絶対的な曲です。「君と僕」「田舎と都会」「現実と夢」様々な両極がとある駅でひとつに合わさった時、すべてを忘れて立ち尽くすしかないのかもしれません。今の人には理解できないかもしれませんが駅の伝言板がなくなったあたりからこの国のいろいろな速度は変わっていったのかもしれません。尤もそれは都会だけではなく田舎も同じなのかもしれません。
2、ひき潮(夢供養収録)
かつてさださんは都会が悪いのではなく都会にすごす地方人が都会を汚すのだというようなことを書いていた気がします。しかしそれは実は当時のさださん自身もふくめた地方人に向けて言っていた言葉なのかもしれません。この曲は都会に住んでいる人間が帰省するときに聴くと感傷的な気分になること請け合いです。
3、驛舎 4、長崎小夜曲 5、望郷 6、それぞれの旅 (シングル)
さださんが最も映画で大変な時の曲(81年の驛舎)から始まる数曲のシングル。79年をピークにしてこのあたりからシングルの売り上げは落ちてくる(前作は防人の詩)。しかし個人的にこのあたりから85年あたりに発売した曲は名曲が多いと思っている。この曲もそうだが曲が素晴らしい。具体的に書けば皆さんも納得されるだろう。この曲の次は生々流転、しあわせについて、長崎小夜曲、退職の日、望郷、それぞれの旅、寒北斗、軽井沢ホテル。このうち故郷系の曲が過半数を占めているのは偶然だとは思う。
驛舎はイントロが素晴らしく再三いろんなところで聴く。長崎小夜曲は一時期の夏のライブの定番曲だし、望郷は昔TBS系でNHKの朝のドラマの再放送に対抗して?やっていた昼ドラマの(たしかベルトクイズQ&Qの後だったと思う)テーマ曲で私の高校時代の曲。かなり当時は好きで歌っていた。それぞれの旅は望郷の曲とやや違うが旅というテーマではとても良い曲。これらは防人の詩やましてや関白宣言と比べるとやばいほど売れておらず、さださんファン以外の知名度は限りなく低い。だから知らない人も多いかもしれないのでまとめて挙げた。ちなみに次もシングルのまとまりだ。
7、長崎から 8、君がかえってくる 9、佐世保 (シングル、佐世保は季節の栖にも収録)
90年代のシングルから3曲。やはりこうしてみるとさださんのシングルの中には故郷系の曲が多い。とはいえ驛舎のような彼氏や彼女を迎えるかたちが多いのは事実だろう。この流れは実は太田裕美の「木綿のハンカチーフ系の曲として分派するのだがそれは、この項の番外編として挙げておいた。ちなみに長崎からが発売されてしばらくした頃僕にはとても好きな人がいて(職場に)、社員旅行で長崎を旅した時、この曲が脳内で流れていつつ彼女の方を見ていた。思えば私らしくないエピソードだが、それ以降私は人を好きになっていないことに最近気づいた。(別に無理をしているわけでも、義理立てをしているわけでもなく、彼女以上に心揺れる人に会っていないだけである。う~ん、最終回らしく赤裸々だなあ:爆)
10、交響楽(せせらぎ収録)
さてシングルシリーズから本流の望郷系に戻りましょう。この曲は多分望郷系としては最初の曲だと思います。フォーマットとしてはひき潮と同じように自分が故郷へ帰る(あるいは帰ろうとする曲)。最初の曲でこのクオリティ。改めてさだまさしの早熟さ、才能を痛感します。詩もそうですが曲が素晴らしい。個人的には「随想録」のライブ盤が最強。
11、1989年渋滞(夢ばかりみていた収録)
この曲を望郷系に分類するのはどうかとも思うが、この曲のテーマとして都会の対立軸としてのふるさとを無視するわけにはいかないのであえて入れた。さだまさしはロックであると豪語する方が最近多いようだが、そういう意味では一番ぴったりくるかもしれない。尤も私自身そういうジャンル分けには全く興味がない。ただこの曲の肌触り、質感、切なさは多くの若者の孤独感に通じていると思う。
12、水底の町(夢回帰線Ⅱ収録)
喪失したふるさとと都会での今の生活。その中でふと、自分の今暮らしている都会も、そしてそこでの自分の生活も湖のような「何か」に沈もうとしていることを感じる。亡くしてしまった故郷に、実は励まされているという、いやもっと言えば故郷はなくなってはいないのだという曲。何度聴いても感動するのはおそらく私が超ウルトラローリングサンダースペシャルドラゴンαーz的な田舎出身だからだろう、多分。
13、警戒水位(ほのぼの収録)
一転、都会でもがき苦しむ人間の曲。さださんの詩では珍しく救いがないほど悲痛な状態で一貫している。しかしそれは、それほど多くの地方人たちのうめきが都会にあるからなのだろう。東京には「県人会」なるものがあると聞くし、「地方料理」「県のアンテナショップ」も根強く生き残っているらしい。そういったことがこの曲の現実味を証明しているのかもしれない。ただ私は好きなんだけれども、好みはわかれるかもね。やさしいさださんの歌が好きな人は聴かない方が良いかもね。
14、聖夜(夢のつづき収録)
超短編だがとても望郷感の強い曲。収録は結構最近だができたのは79年あたりだろう。映画二百三高地で劇中挿入されていて、田舎出身の兵士が確か戦死する際、田舎で暮らす子供たちの映像のバックでかかっていた記憶がある。ちなみに最初にアルバムに収録されたのはライブ盤の書簡集だったろうと思う。
15、初雪の頃(風待通りの人々収録)
案山子のアンサーソングのような曲で町に出て行った青年がつい気弱になり故郷を考える曲になっている。夢が破れそうになりつらくなり、で、ついつい一回駅まで帰ってしまうなどの逡巡のようなことをしつつ、何とか都会で頑張っているという結構良い曲である。ちなみに案山子も望郷系ではあるがドメジャーなので除外した。
16、都忘れ(Mist収録)
これはどちらかというと都会に住む人を田舎の彼女(取りようによってはお母さんともとれる)が心配して
いる歌になっている。だから望郷というよりむしろその逆だが最近の曲はこの手が少ないので入れた。
17、寒北斗(Glass Age収録)
珍しく、都会との対比ではなく故郷の実家での年末の歌であるけれども、これはやばい。もちろん良いという意味である。とはいえ今はもう日本にはなくなった風景であることには間違いない。まあ紅白に大御所のWさんが落選して切れまくるくらいだから時代も変わったなあ、と。そうそう紅白といえば、なんだかNHKの関係者が今年は変革の年、みたいな話をしていましたが、なんだか某TV局のミュージックステーションみたいな顔ぶれだった。紅白ってそんなに若い人見るんでしょうかね?むしろお年寄りの方が支持が多いんでは?そういう意味ではNHKは岩盤の支持者を失ったんじゃないかなあと思う今日この頃です。あのメンツみて今年はTV東京の歌番組の方を見よう(やるのかは知らないけど)と思ったご老人は多いんではないか、と。まあ失敗しても誰も責任取らないのが政治家、官僚、NHKでしょうから、やりたいようにやればいいんですが。もう30年以上紅白見てないから。大晦日は飲んだくれて寝ますしね。
18、帰郷(古くさい恋の唄ばかり収録)
ひき潮の時の帰りたい欲求をもっと具体的に書いた曲。とはいえ四国の香川の国民文化祭の曲なのでその情景や物産が描かれているためやや一般性には欠ける。
※なお、ふるさとの風(風の軌跡収録)は作詞がさださんではなく補作詞扱いなので外した
木綿のハンカチーフ系
ここでは先に書いたように彼氏、あるいは彼女が故郷を出ていき、多くの場合もう帰らない状態の曲を挙げる。TVドラマ相棒のスピンオフ映画のようなものだ(そうか?)。どれも少しつらいけれども名曲も多い。特にとてもちいさなまちは全盛期の曲で、知名度こそないものの、都会に出ていく男性視点なので、最後の「ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね、もう決めたんだ」の所は反則的だ。ん?誰だぁ~、そこでU字工事みたいだ!とか言ってる奴は。あとで職員室に来るように。
で、それ系のご紹介。
イーハトーヴ(逢ひみての収録) ジャカランダの丘(あの頃について収録) とてもちいさなまち(シングル) 坂のある町(ADVANTAGE収録) 安曇野(風のおもかげ収録)
H実話系(実話を基にしている曲)
さださんの曲の中には実話あるいは実在の人物を素材にしている曲が多い。そしてファンの人たちはそれらを「さださんの歴史」の一つとして認識する。よってさださんのファンであるかどうかで感動の度合いが違うと思う。
1、転宅(帰去来収録)
これは完全にさだまさしの小さいころの実話に近い。こういったおおよそ詩的と言えない題材で曲を作りアルバムに入れるのはさださんならではのような気もする。少し重いので好き嫌いはあると思う。
2、木根川橋(夢供養収録)
さださんの友人関係は先日のTVドラマになるように濃厚であり、さらには一緒に仕事をしている人もいる。こうした関係は引きこもり気味の私には少し重いものだが、やはり人生には過去から長く続く友情や恩情といったものがあるだけで豊かになるのだろうね。やはり。ちなみに実話というよりも実在の人物をテーマにした曲。
3、みるくは風になった(印象派収録)
風見鶏収録の際、現地で案内役を務めた留学生の女性をテーマにしており、その後交通事故により無くなったのだが、この曲だけでなく、著書「せとぎわの魔術師」にも同名で小説に書かれている。とてもきれいな描かれ方で曲を聴くだけで人となりが伝わる。
4、邪馬臺(うつろひ収録)
さださんが尊敬する、盲目の詩人兼古代史研究家の宮崎康平氏をテーマにした曲。その死に際しアルバムに収められたと聞いている。曲が素晴らしくこの後の肖像画へのつながりも含めてアルバムに欠かせない曲である。
5、極光(夢の轍収録)
カメラマンの故阿岸充穂さんとその奥さんのなれそめから別れを描いた曲。阿岸さんの情熱とロマン、それとあっけなく天に召された事と、残された奥さんの情景が明確な輪郭をもって描かれている。これをもって「感動する曲」などの番組で紹介されたこともあるが、そういったことの有無にかかわらず初めて聴いたときから良い曲であった。
6、償い(夢の轍収録)
夢の轍からもう一曲。交通死亡事故の加害者側の人間をその友人から語った曲。しかしこの曲はある裁判(ちなみに交通事故の裁判ではない)で被告人に裁判長が諭す際に引用されて、少し話題になった。尤もそれで話題にはなったが、本来の曲の持つシャープさがなくなった感じもする。本来はこの交通事故そのものよりも「人間が人間を許すということ」ということの本質を描きたかった曲だと思うのだがどうだろうか。
7、風に立つライオン(夢回帰線、風の軌跡収録)
実際にあった話かどうかは分からないが、テーマになった人間が実在している意味でこの項目に入れた。当時からファンの間で好評だったが、最近では映画化され、ここから「八ヶ岳に立つ野ウサギ」などの曲も生まれている。他のヒット曲と同様にやや食傷気味である。あくまでも個人的に。(ただし、今を生きることに思い上がりたくない、というフレーズは今も座右の銘的な存在である)
8、Bye Bye Guitar(風待通りの人々収録)
ソロデビュー時に渡辺俊幸さんのルートでバンドに加わり、その後バンドリーダーになり、さらにはさだまさしにとってなくてはならない存在になる福田幾太郎氏への鎮魂歌である。「デイジー」という曲の中で歌われている「僕は君の味方」は彼の言葉である。このころのさださんが一番好きだった。(今がどうこうでもないけど)
9、ヨシムラ(家族の肖像収録)
さださんの弟が子供の頃恐れていた人間をテーマにして、大人になってこっそり見に行く風景を切り取り歌にしているが、とても軽い佳作になっている。
10、薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク(ほのぼの収録)
転宅で描かれた後の長屋時代の実話を基にした曲で、転宅よりも明るく描かれている。この逸話はライブアルバムの随想録でもトークで描かれている。
11、広島の空(逢ひみての収録)
さださんの戦争の曲の中で実在の人物をテーマにした曲はいくつかあるがそのうちの一つ。原爆が落ちてくる際の情景が体験談で語られているがその描写がとても素晴らしく、目の前に広がっているようである。それゆえに切ない。
12、吾亦紅(逢ひみての収録)
このアルバムからも2曲目。先日の夜の例の番組でも語られていたが、山の中の分校の先生と生徒の生き生きとした生活を描いた曲。とても良い曲だが個人的には何度も聴く曲ではない。
13、銀杏散りやまず(さよならにっぽん収録)
さださんの伯父さんと父の交流を伯父さんの死に際して歌った曲である。サビにかけての盛り上がりが素晴らしくもっと評価されても良い感じがする。
14、白夜の黄昏の光(心の時代収録)
取材中不幸な事故で亡くなったカメラマンの故星野道夫さんを奥さんの目線で歌った曲。極光で描かれた人生像とはまた違う温かみというか人生観が伝わる曲。
15、八ヶ岳に立つ野ウサギ(日本架空説収録)
風に立つライオンと対になっているわけではないのだろうが、国内のへき地医療に携わる実在の医師をモデルにした作品。その医師がさださんの風に立つライオンが好きで、それに倣って「八ヶ岳に立つ野ウサギ」を自称していたとか。やはり日本国内の話なので実感が伝わる。
16、椎の美のママへ(シングル)
さださんのおばさんの生涯をかなり現実に忠実に描いたであろう曲で、曲調も詩の内容も重めであり好き嫌いはわかれるだろう。シングル親父の一番長い日のB面の曲のためかなり長めの曲だ。曲中おばさんだけでなくその子供(つまりさださんにとって従兄)との交流から事故による死、それによるおばさんの悲痛なまでの動揺が歌われる。この従兄の死をテーマにしたのが有名な精霊流しであるらしい。そういう意味では精霊流しも実話系とも言えるがあまりにも有名な曲であるためこの項目からは外した。前述したようにこの手の曲は好き嫌いはわかれるだろうが、初期~中期にかけてのさださんの曲というより魅力の大きな柱が、こうした切り口の鮮やかな歌であることは否定できない。こうした抒情性はやはり若さと才気の合体した当時のさださんの重要な側面であり、こうした切り傷を見せるような曲を聴けば聴くほど深くさださんに傾倒していったファンも多いだろう。このお世辞にも聴きやすいとはいえない曲を書き、重要なシングルのB面に入れたことが当時のさださんのすごさなのだろう。
その他現実の出来事や実在の人物をモチーフにした曲は多いのだが外しました。また確実に入れ忘れているものも多分あります。そこは、これをご覧の心温かい皆様におかれては、都議会自民党の小池知事いじめのようなことをせず、温かい目で見ていただきたいと思います。ああ、とはいっても私小池知事好きじゃあありませんけどね(苦笑)
また文章も敬体、常体入り混じったり、主述がねじれたりと読みにくい点も多々あったろうと思いますが許していただければ幸いです。
長きにわたって書いてきた、さだペディアもこれで本当に終わりです。
本当に長い間ありがとうございました。
もし、この記事がさださんのファンになりたての方にとって少しでも参考になれば幸いです。
ある意味さだー1よりきつかったし、さぼった期間が長かったのですが、何とか終わりました。
次回以降、このブログを閉めるエピローグ的な記事を何個か書いて、このブログを閉じたいと思います。
追伸)やっぱり他人の創造物を評価する(「評価」という言葉はおこがましいな、創造物について語るの方がいいかも)のは荷が重いですね。TVのワイドショーでいろんなことにコメントしているコメンテーターの「すごさ」がわかります。ええ、若干皮肉も込みですが、「『ある意味』すごい」と思っているのは事実です。一つの、自分の大好きなことに対してもこれだけ大変なのですから…
付録の中篇です。
気に入った曲があった方はそれと似た曲を探すための付録です。
尤も似ている似ていないは私の主観ですのであしからず。性格が弱いのでクレームは受け付けません。あしからず(逃)。
さて残りの項目は以下の通りです。
E社会派・戦争系(前夜などをはじめとする社会の世相や戦争を語った曲)
F元気出せ系(励まされる?曲)
G望郷系(故郷を思う曲)
H実話系(実話を基にしている曲)
E社会派系
さだまさしの初期にはあまりなかった切り口がこの曲で、それでも初期の頃は社会的な問題や戦争の詩は抒情的なオブラートに包んだり、物語性を持たせて他の曲との整合性を取っていたのですが、その社会のさまざまな問題を「僕」「私」の目線で唄い出したのは「前夜」からではないかと思います。その後、このタイプの曲は本流から傍流まで分化していき昨今では本流であった俯瞰的、諦念的な一種のつぶやき感が薄れ、「さだまさし」の叫び、あるいは主張へと変わりつつあるのが若干淋しい限りです。個人的な意見ですよ。基本的に戦争に対する歌が多い。またパターン的にあえて分けると、前夜以前、前夜以後、幸せブギ以後の3種類に分けられる。
1、前夜(夢の轍収録)
この曲の誕生が現在のさだまさしの曲の幅をどれほど広げたかわからない。決して派手ではない。耳当たりの良い曲でもない。しかしふと一人の時に聴くと今自分の周りに起こっていることが歌を通してまとわりつき「自分の問題」に思えてくる。とりわけこの曲、TVの中で起こっている戦争という現実とTVの外で(自分の部屋で起こっている)日常という現実とが決して交わらないまま自分に向いてくる曲で、そのどちらにも共感しているようで、実はそのどちらも満足に解決できないさみしさを描いている。数あるこの手の曲の中でも私はこの曲がダントツで好きで離れることが出来ない。
2、空缶と白鷺(Glass Age収録)
前夜と同様の形態をとりつつ、より強い自責の念、諦念にあふれている曲で「何もそこまで卑下しなくても」と思いたくなるほどだが描かれている一つ一つの問題は今も現在進行形でこの地球のあちこちに残っている。唯一違うのは歌詞中の「国民の九割が中くらい満足している」という件だろう(当時は国民の多くが中流を意識していた)。今は貧富の差が当時より広がりそういう意味ではもっと問題は深刻化しているのかもしれない。歌詞中「2016年の夏に子供が今の僕の歳になる」というくだりがある。この子供はすなわち大陸君であり、今TSUKEMENというバンドの一員として立派に音楽で生活している。それだけは当時のさださんですら知りえなかった安心材料だろうか。そう、今年が2016年なのだ。
3、フレディもしくは三教街-ロシア租界にて-(コミュニケーション収録)
グレープ時代の数少ないこのジャンルの曲。とはいえ先ほど書いたようにこの時代は戦争などのことはあくまでもほかの曲との調和を崩さないように描いているため、正確にはこの項目の他の曲とは毛色が違っている。それでも戦争を介して描かれる恋愛の姿は感動を呼ぶ。
4、天然色の化石(夢回帰線Ⅱ収録)
正確にいうとここに入れるべきではない曲かもしれませんが、大理石の床などにある化石を通して俯瞰的に地球上の恋愛、人種差別などを語り、全体として良質のラブソングになっています。この仕掛けはさださん特有で、この曲を聴いた後デパートなどで大理石の化石を見た時ふと思い出す人が増えたとか増えないとか。
5、戦友会(家族の肖像収録)
自分と親父との絡みの中、父の青春時代と今の青春を対比し、当然ながら戦友会という舞台を通して戦争の様々なことが語られる。「お前たちを護った」という言葉と「(戦士としてかりだされたこととこの国を護ったことを)正義というつもりはないが時代と片づけたくもない」という言葉とで、とても複雑な心情を表現している。そして何より重要なのは、そうでありながら強い反戦歌になっていることである。
6、あと1マイル(あの頃について収録)
前夜とはタイプが違うため比較がしにくく、構成的にはフレディもしくは三教街にちかい。戦死した恋人の手紙をもって、すでにいない恋人の輪郭を鮮明にするあたりは素晴らしい。すでにいない過去の恋人の手紙を現在読んで偲ぶ形になっているが、実は手紙を書いた時点ではこの恋人同士にははっきりとした未来があったのだということで、暗い歌になっていないのがさすがである。
7、聖域(ほのぼの収録)
これは前夜に少し近い。主人公の私と愛すべき人のストーリーと世間でのニュース・事故を語るのだが、前夜と異なり具体的な戦争、ニュースについては語られない。それどころか事件や事故のニュースより君の僕に対する反応に重きを置いている感じもする。ゆったりとした曲で前夜が好きなら気に入ると思う。
8、広島の空(逢ひみての収録)
自身の親戚、知り合いの原爆体験をもとに構成されていて、このジャンルでは珍しく主役はさださん自身であると考えられる。長崎の稲佐山でのコンサートを長年実施してきた動機の一つの説明であるのかもしれない。
9、September Moon(夢百合草収録)
9.11のテロを描いた曲だが、これも自分と愛する人があのビルが崩れ去る様子を眺めながら、あきらめているようで、しかし、「決してあきらめない」。
10、遥かなるクリスマス(恋文収録)
ある意味さださんのこのタイプの曲の中で世間での認知度が一番高い曲。NHKの紅白でこれをフルコーラス歌って、「ある意味」話題になった。ストレートな歌詞が今までの曲との違いで、さださんのある種の「いらだち」が鮮明に出ている。私見では前夜に比べると曲も歌詞も強めだが、鑑賞者への浸透度は低い気がする。しかし当時のさださんがそうせざるを得なかった心は伝わる。
11、長崎の空(とこしへ収録)
前出の広島の空と対をなす曲。広島の空が具体的であった表現が、一転長崎では情景的、抒情的になっている。絶望的な歌詞ではなく未来を歌っている。また2006年を最後にした夏長崎からのコンサートに対して2005年発売のこのアルバムのこの曲で宣言しているともいえる「(ライブはいったん止めるけれども)あの夏の祈り忘れない」と。まあ深読みしすぎかもしれないけれども。
12、普通の人々(風待通りの人々収録)
バブルの末期のさまざまな物(ドライビール、クレジットカードなど)が織り込まれていて、当時一般的感覚だった「普通」とは何なのかを考えさせられる。よく考えればドライビールも発泡酒や第三のビールに変わり、クレジットカードも多重債務問題、または携帯での支払いに一部が変わるなどしている。あの時代「僕たちは幸せなのか?」と問いかけた歌だったのだが、もっと便利でもっと不便な時代になってしまうとはさすがのさすがのさださんも想像できなかったろう。個人的には当時の方が幸せだったが(苦笑)。バブルはやはりバブルなのだろうか…
13、幸せブギ(夢唄収録)
さださんのこのジャンルの曲はこの曲で一つ枝分かれしていく(と、思う)。前夜を本流だとすると良い悪いではなく傍流といえる。ポイントは社会の不満、いらだちを「おそらくさださんと思われる人」の言葉でストレートに表現していることだろう。前夜などの曲はほとんどの場合さださんと曲中の人間は分離していた。しかしこの曲以降分離しない曲が増えていく。よってこの曲のようにどれだけ明るめの曲にしてもとげとげしさが目立ってしまい、正直をいうとあまり好きではない。ただ、それは表現方法の一つであって曲中に描かれていること自体は確かに日常生活で感じる人は多いとは思う。とは言え、最大の問題(というか欠陥)は問題提起をしても、唄われている対象の当事者はこの曲を聴くことはなく、さだファンはこの曲の中のようなふるまいを(少なくとも)自覚的にしていないので、さださんの本来の目的を達成できているか怪しいことである。そしてこのジレンマは昨今発表のこの手の曲も解決されずにいる。
14、51(Mist収録)
本流とも傍流ともとれる中間的な曲で「さよならにっぽん」に近い。イチローの背番号をモチーフにし、アメリカと日本の関係、ひいては国内の悲しい事件事故を語っている、さださんらしい仕掛けとは言えるが少し仕込みが強い気もする。
15、療養所(夢供養収録)
前夜が出る前はさださんの社会的な問題への描写はこの曲のような表現だった。病気の老人と僕との関係から人生を語る曲で、やはり前夜に比べると物語的である。
16、聖野菜祭(セントベジタブルデイ)(印象派収録)
これも前夜以前の曲で明るい曲のように見えて、身分問題、差別問題が描かれている。ちなみに朝刊と並び放送禁止曲になっているらしい(一番軽いやつ、おそらくラジオ放送でかけると本当のニュースと間違える可能性があるからだろう)
17、上海物語(風のおもかげ収録)
傾向としてはフレディもしくは三教街に近いが派手さはなく、どちらかというと地味かもしれない。アレンジも含めてとても雰囲気が出ている。
18、さよならにっぽん(さよならにっぽん収録)
これは51と味わいが近い曲だが、まだ傍観性は出ている。幸せブギほど直接的ではなく、「さよなら」とつぶやくなど「諦念」も少しある。阪神大震災の頃の曲だがSada City以後のさださんの曲や行動と比較すると興味深い違いがある。
19、神の恵み(心の時代収録)
アメリカと日本の過去と現在、そして未来などを想像させる曲。ただし主人公はやはりさださんらしく、分離が出来ていない感じがする。とは言え幸せブギよりも物語性を持っている。私的には嫌いではない。アメリカ大統領選挙であんなことになり、自衛隊問題、憲法問題、安保問題がいろんな意味で良し悪しはともかく、この歌で歌われている状況から動く可能性をはらんでいるのだが、あの勝者の顔を見ているとうまく行きそうな感じはあまりしない(まあ顔のことは私も多くは言えない:汗)。とは言え敗者の方の顔も…もごもご…
20、死んだらあかん(第二楽章収録)
幸せブギと同系の曲。生きろというのと死んだらだめというのは若干意味は違うが、これは後者なのでどうしてもネガティブな印象になっている。
21、問題作~意見には個人差があります~(風の軌跡収録)
これも幸せブギと同様の傍流系の曲である。これはちょっとコメントに困る。理由は幸せブギに書いた通りである。やはり曲は発信者の想いが聴く側の心にはまることでより大きな反響を生むのだろうと思う。そういう意味で私はこの手の曲が苦手なのです。
それ以外にも戦争に関連した曲はありますが省略いたします。
F元気出せ系(励まされる?曲)
さださんの曲の中で聴く人に勇気や元気を与える曲は80年代終わりから90年代辺りにでてきて最近多くなってくる。
但し、いわゆる主人公などのように歌を聴いてこっちが勝手に勇気を「もらう」曲から、90年代前後から、直接的に「勇気づける前提」で書いた曲へ変化している気がする。どちらの方が好みかはやはり聴く人の問題だろう。
1、主人公(私花集収録)
さださんのファンの中ではいつでも人気トップを保っている曲で、この曲に勇気づけられる人は多いのだろう。感覚的に男性よりも女性の方にファンが多い。先日ミュージックフェア―でこの曲を歌ったときに(ファンの中では人気があるが)「当時は売れなかったです」「後で人気出るならその時買ってね」と言っていたがあれはネタだろう。シングルで発売したのは88年で、オリジナルのLPが78年、さらには新録音の帰郷ですら86年。要はアルバムの方が先の曲だったのでそのあとのシングルが売れるわけがないからだ。それをもってして「あの時買ってくれ」というのは頑張ってアルバムを買い続けてきたオールドファンにはちょっときつい冗談ではないだろうか(苦笑)。
2、まんまる(ADVANTAGE収録)
この曲をこのジャンルに入れてよいのかはわからないが、少なくとも私はこの曲で何か勇気づけられる。アレンジも含めてシンプルなのが素晴らしい。
3、男は大きな河になれ(夢回帰線収録)
映画のテーマソングになって、さらにはその映画が人間の成長物語的な話なので、それに見合った歌詞になった。曲はおなじみのクラッシックから材をとったので相変わらずファン以外には知名度はないものの聴きやすい曲だと思う。
4、勇気を出して (風待通りの人々収録)
実質的に直接的な勇気づける曲の最初だと思われる。ちなみにこのアルバムの1曲目の「夢と呼んではいけない~星屑倶楽部」も同系統の曲である。
5、理・不・尽(夢の吹く頃収録)
これも個人的な勇気づけられる曲。若干好き嫌いはあるかもしれないが、悩んでいるときに聴くとしみるはず。どちらかというと仕事の悩みの方が効くと思う。
6、夢ばかりみていた(夢ばかりみていた収録)
これも直接的でかつ聴く人に語り掛けるようになっている。アルバムの出だしなのでとても盛り上がるアレンジになっている。
7、予約席(おもひで泥棒収録)
映画「一杯のかけそば」のテーマソングだったが原作者のトラブルで少し変な感じになった。ただし曲自体に罪はない。「がんばって」と語り掛けられて奮起するとかしないとか。
8、六日のあやめ(さよならにっぽん収録)
曲調はこの系統とは違うが、不器用な人間が一所懸命に生きていく応援歌だと思う。取りようによっては「もうひとつの雨やどり」の風味にも取れる。
9、君を信じて(古くさい恋の唄ばかり収録)
作中「君」と呼びかける(おそらく)さださんの体になっているが、「君」を自分に置き換えられることが出来ればかなり勇気づけられると思う。
10、幸せブギ(夢唄収録)
これは社会派系の中にも入れたが、一応がんばろうぜ!というメッセージ曲でもあるので入れた。個人的に今のさださんへの分岐になったと思っている曲。
11、不器用な花(心の時代収録)
これも落ち着いたアレンジだが六日のあやめと同様に不器用な人間を励ます曲になっている。タイトル通りだが、「不器用な君」を励ます形になっている。
12、So It's a 大丈夫 Day(夢のつづき収録)
これは直接的に元気出せの曲だが、曲が軽く、韻などの遊び心があって個人的にはこの系統では指折りで好きな曲。
13、人生の贈り物(すろうらいふすとーりー収録)
この曲で勇気づけられるためには、ある程度の年齢が必要だろう。また勇気づけられるというよりもどちらかというと四字熟語の「吾唯足知」的な曲だろうか。よって私には少し重い。
14、春爛漫(恋文収録)
例の深夜の番組で歌われたので、多分一定のこの曲のファンがいるのだろう。「小さなはずれは当たりの貯金」など歌詞に工夫が見られる。
15、ちからをください(とこしへ収録)
今恵まれていない人の心を代弁したような曲。ただしその対象がはっきりしないため(あるいは個人によって異なるため)このジャンルの歌の中ではもう一つという感じもする。
16、大晦日(美しき日本の面影収録)
これも深夜の番組で歌われた記憶がある。時期的な限定があり、やなことは忘れようぜ!と考えればいいのだろうか。
17、明日咲く花(美しい朝収録)
何度聴き直しても記憶できないほど旋律が難しい(と思う)曲。「よく頑張ったね」と言われたい思いの人は一度聴くべきかもしれない。
18、桜の樹の下で(Sada City収録)
東日本大震災とかぶっているアルバムなので、どちらかというとそっちの応援歌。
19、SMILE AGAIN(もう来る頃収録)
出来たのは90年代だと思う。よって最近の曲にはない旋律の新鮮さがある。平たく言えば曲がとても良い。
20、君は歌うことが出来る(第二楽章収録)
アレンジがアルフィーの高見沢さんで一風変わった曲。どちらかというと表現者(アーティスト)へのメッセージソングで、一般性というか万人性があるかどうかは不明。
見落としなどあるかもしれません。また元気系の曲は感覚的なモノなので、聴いた後「これ、ちがくね?」という印象を持っても私は責任が取れません。あしからず。
さらにこの系統の曲が最近のアルバムに多いことが私の最近の鬱屈とした感想の現況かもしれない、と思ったりもする。いや、深い意味もないし、是非もない。
残りは本当の最終回で!
企画に沿って考えた時、蛇足とわかっていますが、ある曲が好きならばその曲に似ている曲をご紹介する「付録」のようなものを作るべきではないか、と思うようになりました。見落としや「これはこじつけじゃね?」みたいなリアクションも予想されますけれども、さださんのファンになる方の多くは(少なくとも私は)「ある曲」に出会ってしまったことで深みにはまるようですから。
ただし、さださんの曲は500以上ありますし全てを分類することは不可能でもありますし、そもそも作った本人でもない人間が(たとえそれが長いファンであったとしても)、全ての曲において付箋をつけるような行為をすることにためらいもあります。
よって今回ご紹介するのは
A不遇系(有名でないが個人的に名曲だと思っている曲。あえて10曲)
Bコミカル系(関白宣言のような面白味のある曲)
C才気系(どうしてこの曲が書けたのか不思議な曲)
D国風系(日本の風土を歌った曲)
E社会派・戦争系(前夜などをはじめとする社会の世相や戦争を語った曲)
F元気出せ系(励まされる?曲)
G望郷系(故郷を思う曲)
H実話系(実話を基にしている曲)
以上です
A不遇系
ここに出した曲は一般の知名度がほぼない曲ですが個人的にとても良いと思う曲です。ランキングはつけませんが10曲挙げました。是非聴いてみてください!
1、初恋(夢ばかりみていた収録)
数ある「初恋」の曲のなかでどう考えても良い曲だと思っているのに、この曲を知っているファン以外の一般人を見たことが無い。まあでもこの曲に限ったことではないけれども(滝汗)
2、きみを忘れない(シングル曲、NHKドラマのテーマ曲)
シングルになって天下のNHKのドラマのテーマ曲になってさらには良い曲なのにこの知名度。これは豊洲の盛り土問題と双璧の問題…ではないな、やっぱり。
3、道(シングル曲のカップリング)
自分を俯瞰的に見ることが出来、さらには折々の自分の歴史と重ねることが出来る曲。良いよね、これ。
4、一期一会(美しい朝収録)
さださんの佳作の中にはささやかな曲が結構ある。このささやかさは「生々流転」に通じるものがある…はず。
5、みらいへ(風の軌跡収録)
最新のアルバムにこういう曲があるからファンを止められないのですよ。ええ。歌うにはむつかしい歌ですしこの曲を好きって人に会ったことはありませんが。
6、教室のドン・キホーテ(夢唄収録)
世の中はK元総理の言う様に二分化できないのですよ。抵抗勢力と味方に分けて扇動する政治が地方自治も含めて続いていますが、そんなにきれいに分けられるはずがないでしょ。この曲はそのことをよく教えてくれる。ちなみにどうしても泣いてしまうので歌えない。
7、残照(ほのぼの収録)
個人的な好みの最たる曲。でも何度聞いてもこの曲は素晴らしい。理由を考えたが曲なのか、詩なのかわからない。
8、加速度(シングルB面、私花集収録)
言うまでもなく?、初代さだー1の曲だがオールドファン以外はほぼ知らない。作曲がさださんでないのがさださんに参っているファンに嫌われているのだろうか。でもこの曲は詩がやばい。
9、風炎(日本架空説収録)
「君の声も 君の指も 君の唇も 君の瞳も 君のぬくもりも 君の笑顔も いつか忘れて しまうかしら」この詩と激しめの曲でご飯三膳いける(わけがない、が、それくらい好き)。
10、花咲きぬ(シングル)
卒業シーズンにかけるべき曲。第二の仰げば尊しなのに知名度がなさすぎてやばい。
Bコミカル系
さだまさしの曲で大きな位置取りを占めるのが、このジャンル。まずヒット曲が多い。よってこのジャンルのさださんをもってさださんを認知している人が多く、故にそれゆえその曲を聴いただけでアンチになる人もいるほどである。形として1番笑い、2番笑い、3番しんみり+感動というのが多いが実際はそれだけではない。関白宣言のイメージが大きいがその他もたくさんあるので是非聴いていただきたい。
1、関白宣言(シングル、ベスト盤収録)
言うまでもなく最大のヒット曲でこれと同じ「笑い→感動」というフォーマットを使っているのが以下の6曲になる。
2、関白失脚(シングル、おもひで泥棒収録)
言葉のチョイスが素晴らしく世の中のかかあ天下全員が泣いたとされる(嘘)曲。「買い物ぐらい体動かせ」に至っては才気すら感じる。
3、私は犬になりたい(シングル、美しい朝収録)
某携帯会社のCMソングであり、CMの犬の出生についての真実が描かれた曲。「実籾」についての歌詞がアルバムで変わっているのが若干気になる。シングルの方が秀逸。
4、恋愛症候群(シングル)
皮肉な言い方をすると、さださん現時点で最後のヒット曲。(何をもってヒットといえるかは個人差があるが一応売り上げ的な意味で)完全な関白宣言型のフォーマットでさださん特有のユーモアとペーソスが練りこまれている。1000回記念コンサートでの収録がシングルになった。まあ雨やどり以降の常とう手段である。
5、もうひとつの恋愛症候群(自分症候群収録。本来は同LPの付録シングル)
恋愛症候群ありき、といえば嫌な言い方だが、私はこちらの方が好き。言葉のチョイスがいいのと、ライブのはじけ方が本家と違う。
6、名刺(シングル、さよならにっぽん収録)
関白と同じ形をとりながらサラリーマンの応援歌になっている。世間ではシングルだったのが嘘のような吹けば飛ぶような知名度だがこの曲の奥深さは、植木等の例の曲に肩を並べるほどである。ただ、当時の必須アイテム「ポケベル」という言葉が現在では死語になりかけなので、今若い人の前でこれを歌うと???になるとかならないとか。でも名曲です。
7、大きな森の小さな伝説(夢のつづき収録)
関白宣言の様式をとりながら風味は違う曲。でも主人公は関白のそれと性格は似ている。できたのも相当昔でそれは某動画サイトで確認できる(山本直純さんが紹介しているので相当前だ。メガネの感じからすると80年から82年辺りだと思うがどうだろう)。
8、涙のストロガノフ或いはご来訪(あの頃について)
雨やどりの系譜でもあり親父の一番長い日の系譜でもある。ちなみに親父の一番長い日は有名曲なのであえてここから外した。
9、雨やどり(シングル)
ソロになったさださんの出世作といえる曲。コミカルの中でもほんわか系というべきか。ただ「親父の~」などのスピンオフ作品も多い。
10、朝刊(シングル、コミュニケーション収録)
さださんのこの手の曲の源流といえる曲で、まだ純粋さが残っている。こてこての笑いではない。雨やどりに近いか?
11、パンプキンパイとシナモンティ(夢供養収録)
コミカルな恋愛おとぎ話で、テイストは雨やどりに近い。漫画のめぞん一刻の時代をほうふつとさせるいい時代の話であり、でも私には縁のない話である(涙)。
12、ローズ・パイ(恋文収録)
パンプキンパイとシナモンティの続編的な話だがやはり縁がないので…以下略
13、昨日・京・奈良、飛鳥・明後日。(夢の吹く頃収録)
コミカルで押し、さらには某舟木さんの例の曲をぱくtt…もといオマージュ的な曲になっている。ただ今とバンドのメンバーが違うためかつての和気あいあいの(亀山社中)雰囲気が今出るかはわからないし、あまり積極的に歌わないのではないかと思う。実はこの曲こそ最近のさださんへの想いの淵源である。
14、豆腐が街にやって来る(第二楽章収録)
申し訳ないが狙いすぎに感じて私は数回聞いた程度である。
15、CONGRATULATIONS(風のおもかげ)
この曲のばかばかしさの中に男性の悲哀、つらさ、見栄っ張りさなどを感じて素晴らしい。いや別に私が振られ続けているからそう思うわけ…では…な
16、天文学者になればよかった(私花集収録)
笑いというよりユーモアにあふれた曲。アップテンポでさらっとしている。
17、建具屋カトーの決心-儂がジジイになった頃-(シングル)
夜のヒットスタジオで披露した曲のシングルカット。「消費税反対」だった?かつての立ち位置など面白い。さださん以外では多分作れないし、成立しない。千春さんの曲が流れるところの仕掛けがさりげなさ過ぎて最初聴いたとき本当の意味が分からなかった。(ヒント:恋と故意)
18、時代はずれ(シングル)
木根川橋の世界観の延長の曲でさださんの交友関係がとてもよく表されている。「あ、エビ抜いといてね、嫌いだから」の入れ方が絶妙で奥さんに恐恐としている中年男性の姿も垣間見える。
19、八つ目の青春(自分症候群収録)
コミカル系では少し毛色が違う。もてない男性にとって、あるいはその後輩にとって夢のようなお話を題材にした曲。当時はこんな夢のようなことが実際に起こるんだぁ~と思っていたが、実際アラフィフになるとそんなことが起こるわけがないと、こっちがあきらめてしまうのがこの曲の罪深いところかもしれない。
以上!見落としがあったらごめんね!
C才気系
さださんでなければ作れない、というか作る意味もない曲。なぜそんな曲ができたのか、よりも、なぜそんな曲を作ったのかが極めて重要な曲たちといえる。
1、シラミ騒動(シングル)
カイメイ(いわゆるドレミ)で曲と詩を同時に作ったこと、そしてその過程を語ったライブのトーク込みで収録したことでこの曲の完成度が上がったのだろう。「信田さん、ドの音お願いします」「ド~~」以下笑いの時間が始まる。ちなみにその続編が今度発売されたアルバムには収録されているらしい。買うかどうか迷っている。ただ、聴いたとしても初めてこの曲を聴いたときの感動には及ばないだろうと思う。
2、ねこ背のたぬき(自分症候群収録)
個人的にこの曲がこのジャンルでは最強だと思う。この曲を作り、さらにはアーティストにとって命ともいえるアルバムに入れることが、当時のさださんのはじけ具合を表している。ねこ背のたぬきは結構さみしい~。「結構」の言葉の選択が深さを与えている。「ねこ背」でさらに「たぬき」なのだ。そりゃ淋しいよねぇ。
3、オホーツクはるかなり(未収録)
昔鶴瓶さんとざこばさんの番組で聴衆からお題を3つランダムにつのって、その言葉を入れ込んだ即興落語をつくる、というものがあり、さださんがゲストで来た時に、自分たち(落語家ふたり)は落語を作るのだから、さだも同じお題を入れ込んで曲を作れ!という話になり、別日に作りコンサートでのみ披露した曲。お題の3つは「干ぴょう」「北方領土」「ト音記号」で作ったのだがやはり全盛期のさださん。出来が良い。某動画サイトで今でも見ることが出来るのでどうぞ。
4、0-15(ラブ・フィフティーン)(印象派収録)
ラジオ放送のDJがはがきをよむ形態をとりながら挟み込むように曲が入り込む。曲もそうだが構成が秀逸で、これもアルバムに入れる勇気をほめるべきだろう。
5、梁山泊(風の軌跡収録)
どうやら若い時に作った曲らしい。山賊の正義を「それを正義というかは別」というあたりの感覚はあまり普通の人に出てこない。不倫してる親の説教が子供に届かないとか、泥棒の説教とか、そういう矛盾と違い一応絶対的な「義」があるのだが、世間の評価はしょせん「悪人」というずれ。持っている価値観の絶対性と相対性を歌っているようでもある(ちょっと大げさか?:汗)
その他アニメの曲や子供向けの曲もあるがちょっと評価に苦しむので外しました。
D国風系
さださんの曲の中で、ファンの間でも人気が高いジャンル。若いアーティストの中にはあまりないジャンルで、どちらかというと演歌には多そうだが、演歌とも違う。代表曲はまほろばで、定義を勝手に決めると、日本の歴史的に有名な場所を明確にしていて、ご当地ソングではなく多くの場合恋愛の歌の場所として使っているということだろうか。
また、このジャンルにはグレープ時代の曲(精霊流し、紫陽花の詩など)は含まれないと思っているファンが多いとか多くないとか。そう考えるとアレンジのハードさやマイナー系のアレンジも含まれるのかもしれない。よってソロになってからの「絵はがき坂」もこの系統に入らないと思うので外した。
1、まほろば(夢供養収録)
奈良の都をテーマにして男女の機微をうまく乗せた。この曲が先に発表された飛梅よりも有名になり、この手の曲のトップになったのはやはり当時のアルバムへの評価があったのかもしれない。ともあれこの曲をスタートとして様々な曲がスタートしていく。
2、飛梅(風見鶏収録)
大宰府をテーマにして男女の分かれる寸前の風景と大宰府や菅原道真、またその逸話を組み合わせた曲。実質的にソロ以降初めてのこの系統の詩。
3、修二会(逢ひみての収録)
東大寺のいわゆるお水取りを舞台にした曲でそのスリリングなアレンジと歌詞の中身が絶妙で、ライブで絶賛されているらしい。
4、月蝕(日本架空説収録)
場所がはっきりしていないものの、日本の祭事のしかもアニミズム的な観点も感じる曲。このカテゴリーに入れるべきか迷ったがこのジャンルがお好きならぜひ聴いてほしかったのでいれました。
5、夢しだれ(あの頃について収録)
吉野地方を舞台にした曲。まほろばと異なり「桜」を前面にだした曲。
6、瑠璃光(夢百合草収録)
薬師寺を舞台にしている。アレンジが私好みだが、アルバムの中でのこの曲は出だしがやばい。車の中で大音量で聴いていると心臓が止まるかもしれん(笑)。
7、Kana-shimi橋(夢のつづき収録)
柳川を舞台にした曲で別れ際の女性の想いを歌っている。このアルバムでは多分1番すき。
8、紫野(夢の吹く頃収録)
京都の大徳寺があるあたりが舞台になっていて、アレンジは激しくない。しっとりとした曲なのでまほろばが好きな人は少し物足りないかもしれない。
9、鳥辺野(うつろひ収録)
京都の東山区(銀閣で有名)の鳥辺野地区が舞台らしい。アレンジがいい意味でざっくりしていてアルバムの中で映える曲。
10、都府楼(心の時代収録)
大宰府を都督府と言ったそうで、大宰府のことをさしているようだ。正直をいうとこの系統では一番好きな曲。「千年後までも思い続けると~」の部分の盛り上がりは最強クラスでまほろばよりも曲がなめらかなので。
その他若干違いますが、津軽、安曇野(両方風のおもかげ収録)、風の宮(風の軌跡収録)、鳥辺山心中(さよならにっぽん)、赤い月(Mist収録)などあるので全部聴いた方で次を!という方はどうぞ!
残りは次回以降で。
台風が頻繁に来ております。
幸い大分(私の所)は大きな被害はありませんでした。
被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。
さて、今から4年前の6月にこのブログ最後の企画として始まったSada Pediaですがどうやら最終回を迎えました。
まずはこの企画説明
さださんのデビュー40周年のお祝いとさらにはこのブログの区切りをつけるため、そしてさださんファンになりたての方にいわゆるベスト盤収録以外の曲以外でお勧めのアルバムはないのかを、個人的にお知らせするために始めました。
そしてとうとう本当の最後を迎えました。
さだまさしという歌手に私が出会い、今まで三十五年ほどたちます。(それは流行歌として耳にした、という意味とは違う意味で、です)。
それ以降さださんの曲は僕の時間とシンクロしていました。どこに行くのもカセットを数本持ち歩き、今ではそれがCDやMp3に形を変えました。
初めてアルバムを買ったのが夢の轍。それ以降のアルバムは常に自分の人生の傍らにありました。
高校生の下宿時代、大学生のバイトに明け暮れた時代、就職しそれが失敗してフリーターをしていたつらい時代、小さいながら人生の職というものにであって一所懸命やっていた時代、父の病気でUターンして就職したもののなじめず紋々としていた時代、ついにはそこを止めて無職だった時代、そして復活の就職をして充実していた時代、父が他界した時、独立して自営業を始めた時代…
それぞれの時代にさださんのアルバムは発売され、それを聴きながら日々の生活を送っていました。よって夢の轍以降のアルバムを聴くと当時の出来事を具に思い出します。
その私がえらぶアルバムは果たして一般の方に対する説得力がどれほどあるのかはわかりません。私がよいと思ったアルバムが「誰か」にとって良いかどうかはわかりません。それはさだまさしさんの曲に対する立ち位置が私と同じかどうかで異なる可能性をはらんでいるからです。
とはいえ、さだまさしという「とりわけ誤解の多い(多かった)」アーティストを何らかの形で「正当に」(これもまた何をもって正当なのかは異論もあるでしょうが)評価していただきたいために、蛇足は承知のことながら「さだー1」じみたアルバム企画「さだペディア」を始めたのです。
ベスト10を再掲します。
1位「風見鶏」
2位「夢の轍」
3位「風のおもかげ」
4位「夢供養」
5位「Glass Age」
6位「夢ばかりみていた」
7位「うつろひ」
8位「夢の吹く頃」
9位「印象派」
10位「ADVANTAGE」
2位から5位までは夢供養を除き私が高校の時に発売されたアルバムです。
1年生の時「夢の轍」2年生で「風のおもかげ」3年生で「Glass Age」となります。おそらくは一番多感といわれる高校時代に聴いたアルバムが3枚とも入るのは完全な私情だと思います。
さだまさしのアルバムで一番売り上げのある私花集すら入っていないランキングですからそれはそうでしょう。しかし夢供養より後のさださんは映画作りの時期とかさなり、それは借金の時期ともかさなり、様々な意味でさださんの人生の転換期といえる時期でしょう。
ワーナーのドル箱としてほぼ不自由のない活動をして、コンサートも充実し、ヒット曲もあった80年までと、そこから後の数年は(おそらく防人の詩のヒットを境にして)全く違った年月だったでしょう。
シングルでいえば「驛舎」「生生流転」「しあわせについて」「長崎小夜曲」、アルバムでいえば「印象派」「うつろひ」。年号でいえば80年後半から81、82年発売のものです。
私がさださんの曲にリアルタイムで心酔したのが82年の年末に発売された「夢の轍」だったのがある意味ではクラシカルなさだファン(良し悪しではなく78~80あたりの曲をもって集大成と思う方々)と違った理由かもしれません。このアルバムはさださんの書籍によると二枚組でもいけるほどの曲数があったと聞いています。よって、ある意味では借金や映画の問題はあったものの、純粋に曲作りはできていたのかもしれません。
後で気づいたことですが、この夢の轍にはそれ以降のさださんの一つのフォーマットともいえる「前夜」が収録されています。また実話を基にした「償い」「極光」などもそれ以前にはあまり見られなかった曲です。それは当時のさださんのもがきや葛藤でもあったのでしょうが、もちろん高校時代の私はそれを読むとることが出来ず、「さだまさしとはこういうもの」と思い込んでいました。
よってベスト10内にいわゆる古いアルバムが少ないのでしょう。
しかしそんな私を凌駕するアルバムがあります。それが「風見鶏」と「夢供養」でした。
この二枚は私が小学生~中1時代になりますのでリアルタイムで聴けていません。しかし当時聴けていなかったからこそ、さださんのファンへの入り口が後ろに下がり、これほどのファンになったわけですから人生何が幸いするかわからないものです。(というか幸いだったのかは不明ですが:苦笑)
クラシカルなファンは夢供養を一番に押す方が多いようです。売り上げ的にもこちらの方が多いですし。(記憶が確かなら夢供養がさださんのアルバム最多売り上げ枚数のはずです)
確かにさださんの代表的フォーマットであるプロローグ+エピローグの曲として唐八景を持ってきて、さださんの抒情的な世界の到達点ともいえる曲が多数あり、そうかと思えばアップテンポな曲、さださん自身の実体験の曲、若者の曲、老人の曲、望郷の曲と多種多様です。
当時売れたのもさもありなん、という風情です。
しかし、それを上回るほど好きなのが「風見鶏」なのです。
誤解を承知で言えば「曲の質が高い」と思うからです。
編曲も古くさくないため今でも十分観賞に耐えられます。それどころか、弦を主体にしているため全く古くさくありません。さださんの声の違いさえ気にならなければ、違和感はないはずです。
ですからさだファンになりたての方はベスト10が無理であればベスト5のアルバムを聴いていただき、さださんの人間描写を堪能していただければと思います。
さだペディアの最終回としてお勧めの理由をこうして書くことが蛇足であることは承知していますが、このブログを閉じる企画として何か書きたかったのかもしれません。その点だけはご容赦くださいませ。
長い間この企画にお付き合いいただき本当にありがとうございます。
次回、さだペディアの付録を書きます。(本当はこれを作りたかったので、ある意味これまでのすべては壮大な前振りといえます)
こんばんは
大変ご無沙汰しております。
まずはあのことに触れなければいけません。そう、熊本地震です。
幸い実家の母、親戚、あるいは熊本の親戚も含め、無事でしたが、かなりの揺れでした。大分市であれほどの揺れでしたから震源に近い熊本や阿蘇地方では大変な揺れだったと推察できます。
忘れもしない14日木曜日の夜9時30分ごろ、仕事中でした。タブレットから低い嫌な音が聞こえました。この音は聞きおぼえがありましたからすぐに地震だとわかりました。その音から数秒後、かなりの揺れが事務所を襲いました。幸いけがや被害はなかったのですが、何事かと思い、PCを見ると熊本で大きな地震だ、とわかりました。それ以降余震が続き、土曜日に日付が変わったころ再度あの大きな揺れがありました。どちらも事務所にいましたが人生でも指折りの大きな揺れでした。
今回の地震が特徴的なのはその回数の多さでしょう。余震の多さ(しかも体に感じられる結構な揺れ)は途中で数えるのも嫌になるほどでした。
多くの方がなくなり、家を奪われた地震がこんなに身近に起こるのは想定外でしたし、やはり日本で暮らす以上こうしたことからは逃れられないのだろうと思いました。
鹿児島や愛媛など九州近辺には原発もありますし。
何にしろ早い復興を祈るしかありません。
自分に出来ることは限られるのですが。
いまだに地震があることでびっくりしますが、熊本のみなさんに比べればまだいい方でしょう。さらには梅雨前線の影響で大雨がつづき、地盤が緩んでいるところに被害が拡大した風もあります。
さて、私の方は右手中指を人生初骨折しまして、PCを触るのに不自由しまして、仕事上も含めてかなりきつかったです。何よりあの事故時の痛みは忘れられません。どうやら指先の骨折は完治しにくいらしく、今も少し曲がったままです。痛みはほとんどなくなりました。
さて、長々続けてきたSada Pediaですが前回の記事からFinalを迎えています。そしてお知らせしたようにこのSada Pediaが終わった時点でこのブログを無期限で(コメント返しを除き)休止する予定です。
前回の記事ではSada Pediaを始めるきっかけについて書きました。
今回は、ではなぜこういう形を取ったのかを書きます。
さださんはここ数年TVでの露出が増えています。そのためかさださん初めて知った人や興味を持った方が少なからずいるようです。
そんな方がさださんの歌を観賞するのにもっとも手っ取り早いのがいわゆるベスト盤というやつです。
しかしいつぞやも書いたのですがさだまさしの曲のすごさはヒット曲に集約されるものではありません。
ですからさださんの曲をなるべく客観的に分類解説することでさだファンになった、あるいはなろうとしている人に少しでもヒントになればと思ったのです。それがブログを閉じる企画にふさわしいかどうかはともかく誰かの役に少しでも立つ可能性のある企画だろうとは思いました。
さてさださんのファンになる入り口はどの曲でしょうか。
私はアルバム「昨日達」(現在廃盤)から入り、曲としては印象派の1曲目「距離(ディスタンス)」でそれが決定的になりました。多分ほかの組み合わせでは違った結果になったと思います。
自分の好きなアルバムを外の方にお勧めするのは上からで気が引けるのですが、最終的な順位は確定しました。念のために以下にベスト10を掲載します。
1位「風見鶏」
2位「夢の轍」
3位「風のおもかげ」
4位「夢供養」
5位「Glass Age」
6位「夢ばかりみていた」
7位「うつろひ」
8位「夢の吹く頃」
9位「印象派」
10位「ADVANTAGE」
さだファンになったばかりの人に(興味を持った人に)聴いてほしいアルバムベスト10ということですがやはり主観は入ってしまいますね。一番新しいアルバムでも1990年の「夢ばかりみていた」ですから、ほとんどが80年代のアルバムで固められています。
10位の「ADVANTAGE」はあまりこういうベスト10には入らないアルバムだと承知しています。
しかし先日のミュージックフェアに出演して若者に人気のLittle Glee Monsterと共演した時に歌ったのが「Close Your Eyes」だったようにこのアルバムはさださんの枠を広げる数少ないアルバムだと思います。いつまでも「いや~さださんの秋桜好きなんですよ~」という「振り」で秋桜を共演で歌うってのは無理があります。第一飽きます。ってか飽きてます。何回聴いたと思ってるんですか(笑)。まあ案山子も同じです。曲に罪はないけれどそこは考えるべきではないかと余計なお世話ですが思っています。古典的さだまさしファンには受け入れられないかもしれないこのアルバムはしかしさだまさしの当時の不安、悩み、挑戦心を如実に表しているもので、その年のすぐ後に発売される自分症候群とセットで観賞されることでその違いが鮮明になると思います。「オールトゥゲザーナウ」とも無関係ではないかもしれません。とはいえこのアルバムには、記念樹、桐の花、坂のある町、おむすびクリスマスなど旧来のさださんに近い曲も入っています。80年代の転換点のアルバムだろうと思います。ぜひ自分症候群とセットでお聴きいただければと思います。ちなみにその前のアルバム「Glass Age」にもその予兆を表す曲が収録されている気がします。あくまでも個人的にです。
9位の印象派はさださんが悩んでいたと思われる時期のアルバムで、7位の「うつろひ」とセットで聴いていただくのが良いと思います。この2枚の前がさだファンの多くに最強アルバムといわれる4位の「夢供養」があり、この後に2位の「夢の轍」があります。この夢供養での絶頂期からややスランプ気味になると思われる2枚を経て夢の轍に到達する。
あくまでも個人的な邪推ですが私はこの時期のさださんは長江の撮影の悩みだけでなく、シンガーソングライターとしての葛藤があったのではないかと思います。コンサートにはたくさんのお客さんが来ている。しかし何かが食い足りない。さらには映画などでの不安、売り上げ的にも79年をピークとして少し落ちてくる。時を同じくしてフリーフライトレーベル、さだ企画も始まる。
これは完全な思い込みなのでコアなファンにはややお怒りを買うかもしれませんがそこには「中島みゆき」さんや「オフコース」などの存在があったのではないかと思います。
私はウィキペディアを見るまで知らなかったのですが「夢の轍」のまりこさんは中島みゆきの「悪女」へのアンサーソングである、と。まあネットの世界ですからその真偽はわかりません。私が書いている駄文のように完全な主観のものなのか、さださん自身からのコメントがあるのかはわかりません。ただ中島みゆきを意識していたことは間違いないことだと思います。
先日フジテレビでの一流が嫉妬したスゴい人という番組でさださんが「中島みゆき」を挙げており、そして具体的な例として「悪女」の純情さ、その感性、と「時代」のスケール感を挙げていました。それをもって確信するつもりはないのですが私はこの時期(81年前後)に彼女を「いろんな意味」で意識したことはあったのだろうと思います。数ある彼女の曲の中で(オリコン1位とはいえ)この手の話で「悪女」はなかなか出てきません。多分あの悪女に何かを感じたのではないかとすら思います。とはいえ悪女で「マリコ」であったものが「まりこ」に変わったこと。悪女では描かれなかった「マリコ」の男性が、「まりこ」さんでは描かれていること。しかもそれは「まりこ」さんの彼氏などではなく、悪く言えば一見さんのお客だったのではないかと思われること。よってその関係は「もう愛の歌なんて唄えない」に出てくるある種の「形をもった男女関係」とも異なると思われること。などを見てもさだまさしの描く女性像の描き方と中島みゆきのそれとの違いが垣間見えることは確かだろうと思います。
さださんの描く女性像はやはり「男性目線」、といって悪ければ「男性にもわかる感性」で描かれています。「分岐点」「吸殻の風景」の振り回すタイプの女性、「6ヶ月の遅刻(マリナ・デル・レイ)」のカチューシャをした女性、「あまやどり」での朴訥でやさしい女性、「神話」での情念丸出しの女性とさださんの描き出す女性は、やはり中島みゆきの描き出す女性とは違います。それが良いか悪いかではなく中島みゆきの描く女性(というより女性感性の描き方)との違いこそがさだまさしの魅力の一つだと私は思いますので、あえてこの時期のアルバムを推したかったのです。
9位の印象派の「距離」は私にとっては「=さだ」を示すものですが、それはまあ主観の極みでしょうからそれをもってお勧めするのは控えようとは思います。
さださんの描く人間像はそれが実在の人間であるかどうかは別にして「いつかの」「だれか」を提示しており、私たち観賞する側の人がその時曲と同様の環境に置かれている状況でその曲を聴いたとき(あるいは出会ったとき)抜き差しならなくなってしまうのだと思います。件の案山子だって独身実家暮らしが聴くのと、親元離れて独り暮らしが聴くのと、都会に子供を出している親が聴くのとでは全く違うでしょうし。さださんの90年代くらいまでのアルバムには「取材:さだまさし」ともいえる人間像がたくさんありました。誤解を承知でいえば最近のアルバムでは「主演、語り:さだまさし」になりつつある。
しかしそれは仕方ないのかもしれません。さださんは若い時から「親、老人」の歌を書いてきました。そしてそれぞれで名曲を作ってきました。また老人系の曲でも「若者目線から見た老人」=療養所であったり、「老人目線での老人描写」=片おしどりであったり、「老人目線で若者に語り掛けるもの」=おもひで泥棒であったりと多様です。もちろん若いころは「若者目線の曲」も作れました。よって全年代に共感できる切り口がありました。でも年を重ねると逆の目線が難しくなった。要は年をとって若い人目線の曲が出来にくくなった(しかもファンもそれをあまり望まなくなった)。よって描かれる人間像の幅が狭くなった、と。
何度も言いますがそれが良い悪いではなく、そういう変化こそ年を重ねるということではないかと思います。
そういう意味でいえばお亡くなりになった阿久悠さん、秋元康さんの幅広いかつ長期間の多作ぶりには感動します。何度も言いますが好き嫌いは別です。でもあれだけ多作でしかも対象の幅広さを失わないのはある種の奇跡ではないかと思うのです。私の年でAKB48の人たちの歌詞から美空ひばりさんの歌詞はなかなかかけるものではありません。でもだからさださんより秋元さんの方がえらいといっているのではありませんよ。しつこいですけど。
よってさださんの歌詞が最も、ふり幅を持っていた時期、それは多様性といってもいいのですが、やはり70~80年代ではないかと思っているのです。もちろん意見には個人差があります(タオルは買わないですが:苦笑)。
さださんの曲に入り込むには曲の環境に自分がなればよい。極論ですがそれが早道である気がします。よって最も多様性のあるアルバムだと(私が)思っている70~80年代のものが上位に来るのは必然ともいえるのです。
この企画あと一回で完全に終わります。