大分のさだまさしファンの独り言

大分に住んでいるさだまさしさんのファンです。所有のアルバムなどを紹介しながら不定期に思い出などを書いていこうと思います。

Sada Pedia Final 中

2016-08-25 20:36:43 | SADAPEDIA

こんばんは

大変ご無沙汰しております。

まずはあのことに触れなければいけません。そう、熊本地震です。
幸い実家の母、親戚、あるいは熊本の親戚も含め、無事でしたが、かなりの揺れでした。大分市であれほどの揺れでしたから震源に近い熊本や阿蘇地方では大変な揺れだったと推察できます。

忘れもしない14日木曜日の夜9時30分ごろ、仕事中でした。タブレットから低い嫌な音が聞こえました。この音は聞きおぼえがありましたからすぐに地震だとわかりました。その音から数秒後、かなりの揺れが事務所を襲いました。幸いけがや被害はなかったのですが、何事かと思い、PCを見ると熊本で大きな地震だ、とわかりました。それ以降余震が続き、土曜日に日付が変わったころ再度あの大きな揺れがありました。どちらも事務所にいましたが人生でも指折りの大きな揺れでした。
今回の地震が特徴的なのはその回数の多さでしょう。余震の多さ(しかも体に感じられる結構な揺れ)は途中で数えるのも嫌になるほどでした。

多くの方がなくなり、家を奪われた地震がこんなに身近に起こるのは想定外でしたし、やはり日本で暮らす以上こうしたことからは逃れられないのだろうと思いました。

鹿児島や愛媛など九州近辺には原発もありますし。

何にしろ早い復興を祈るしかありません。
自分に出来ることは限られるのですが。

いまだに地震があることでびっくりしますが、熊本のみなさんに比べればまだいい方でしょう。さらには梅雨前線の影響で大雨がつづき、地盤が緩んでいるところに被害が拡大した風もあります。

さて、私の方は右手中指を人生初骨折しまして、PCを触るのに不自由しまして、仕事上も含めてかなりきつかったです。何よりあの事故時の痛みは忘れられません。どうやら指先の骨折は完治しにくいらしく、今も少し曲がったままです。痛みはほとんどなくなりました。




さて、長々続けてきたSada Pediaですが前回の記事からFinalを迎えています。そしてお知らせしたようにこのSada Pediaが終わった時点でこのブログを無期限で(コメント返しを除き)休止する予定です。

前回の記事ではSada Pediaを始めるきっかけについて書きました。
今回は、ではなぜこういう形を取ったのかを書きます。

さださんはここ数年TVでの露出が増えています。そのためかさださん初めて知った人や興味を持った方が少なからずいるようです。
そんな方がさださんの歌を観賞するのにもっとも手っ取り早いのがいわゆるベスト盤というやつです。

しかしいつぞやも書いたのですがさだまさしの曲のすごさはヒット曲に集約されるものではありません。

ですからさださんの曲をなるべく客観的に分類解説することでさだファンになった、あるいはなろうとしている人に少しでもヒントになればと思ったのです。それがブログを閉じる企画にふさわしいかどうかはともかく誰かの役に少しでも立つ可能性のある企画だろうとは思いました。


さてさださんのファンになる入り口はどの曲でしょうか。

私はアルバム「昨日達」(現在廃盤)から入り、曲としては印象派の1曲目「距離(ディスタンス)」でそれが決定的になりました。多分ほかの組み合わせでは違った結果になったと思います。

自分の好きなアルバムを外の方にお勧めするのは上からで気が引けるのですが、最終的な順位は確定しました。念のために以下にベスト10を掲載します。

1位「風見鶏」
2位「夢の轍」
3位「風のおもかげ」
4位「夢供養」
5位「Glass Age」
6位「夢ばかりみていた」
7位「うつろひ」
8位「夢の吹く頃」
9位「印象派」
10位「ADVANTAGE」

さだファンになったばかりの人に(興味を持った人に)聴いてほしいアルバムベスト10ということですがやはり主観は入ってしまいますね。一番新しいアルバムでも1990年の「夢ばかりみていた」ですから、ほとんどが80年代のアルバムで固められています。

10位の「ADVANTAGE」はあまりこういうベスト10には入らないアルバムだと承知しています。
しかし先日のミュージックフェアに出演して若者に人気のLittle Glee Monsterと共演した時に歌ったのが「Close Your Eyes」だったようにこのアルバムはさださんの枠を広げる数少ないアルバムだと思います。いつまでも「いや~さださんの秋桜好きなんですよ~」という「振り」で秋桜を共演で歌うってのは無理があります。第一飽きます。ってか飽きてます。何回聴いたと思ってるんですか(笑)。まあ案山子も同じです。曲に罪はないけれどそこは考えるべきではないかと余計なお世話ですが思っています。古典的さだまさしファンには受け入れられないかもしれないこのアルバムはしかしさだまさしの当時の不安、悩み、挑戦心を如実に表しているもので、その年のすぐ後に発売される自分症候群とセットで観賞されることでその違いが鮮明になると思います。「オールトゥゲザーナウ」とも無関係ではないかもしれません。とはいえこのアルバムには、記念樹、桐の花、坂のある町、おむすびクリスマスなど旧来のさださんに近い曲も入っています。80年代の転換点のアルバムだろうと思います。ぜひ自分症候群とセットでお聴きいただければと思います。ちなみにその前のアルバム「Glass Age」にもその予兆を表す曲が収録されている気がします。あくまでも個人的にです。
9位の印象派はさださんが悩んでいたと思われる時期のアルバムで、7位の「うつろひ」とセットで聴いていただくのが良いと思います。この2枚の前がさだファンの多くに最強アルバムといわれる4位の「夢供養」があり、この後に2位の「夢の轍」があります。この夢供養での絶頂期からややスランプ気味になると思われる2枚を経て夢の轍に到達する。
あくまでも個人的な邪推ですが私はこの時期のさださんは長江の撮影の悩みだけでなく、シンガーソングライターとしての葛藤があったのではないかと思います。コンサートにはたくさんのお客さんが来ている。しかし何かが食い足りない。さらには映画などでの不安、売り上げ的にも79年をピークとして少し落ちてくる。時を同じくしてフリーフライトレーベル、さだ企画も始まる。
これは完全な思い込みなのでコアなファンにはややお怒りを買うかもしれませんがそこには「中島みゆき」さんや「オフコース」などの存在があったのではないかと思います。
私はウィキペディアを見るまで知らなかったのですが「夢の轍」のまりこさんは中島みゆきの「悪女」へのアンサーソングである、と。まあネットの世界ですからその真偽はわかりません。私が書いている駄文のように完全な主観のものなのか、さださん自身からのコメントがあるのかはわかりません。ただ中島みゆきを意識していたことは間違いないことだと思います。
先日フジテレビでの一流が嫉妬したスゴい人という番組でさださんが「中島みゆき」を挙げており、そして具体的な例として「悪女」の純情さ、その感性、と「時代」のスケール感を挙げていました。それをもって確信するつもりはないのですが私はこの時期(81年前後)に彼女を「いろんな意味」で意識したことはあったのだろうと思います。数ある彼女の曲の中で(オリコン1位とはいえ)この手の話で「悪女」はなかなか出てきません。多分あの悪女に何かを感じたのではないかとすら思います。とはいえ悪女で「マリコ」であったものが「まりこ」に変わったこと。悪女では描かれなかった「マリコ」の男性が、「まりこ」さんでは描かれていること。しかもそれは「まりこ」さんの彼氏などではなく、悪く言えば一見さんのお客だったのではないかと思われること。よってその関係は「もう愛の歌なんて唄えない」に出てくるある種の「形をもった男女関係」とも異なると思われること。などを見てもさだまさしの描く女性像の描き方と中島みゆきのそれとの違いが垣間見えることは確かだろうと思います。
さださんの描く女性像はやはり「男性目線」、といって悪ければ「男性にもわかる感性」で描かれています。「分岐点」「吸殻の風景」の振り回すタイプの女性、「6ヶ月の遅刻(マリナ・デル・レイ)」のカチューシャをした女性、「あまやどり」での朴訥でやさしい女性、「神話」での情念丸出しの女性とさださんの描き出す女性は、やはり中島みゆきの描き出す女性とは違います。それが良いか悪いかではなく中島みゆきの描く女性(というより女性感性の描き方)との違いこそがさだまさしの魅力の一つだと私は思いますので、あえてこの時期のアルバムを推したかったのです。

9位の印象派の「距離」は私にとっては「=さだ」を示すものですが、それはまあ主観の極みでしょうからそれをもってお勧めするのは控えようとは思います。

さださんの描く人間像はそれが実在の人間であるかどうかは別にして「いつかの」「だれか」を提示しており、私たち観賞する側の人がその時曲と同様の環境に置かれている状況でその曲を聴いたとき(あるいは出会ったとき)抜き差しならなくなってしまうのだと思います。件の案山子だって独身実家暮らしが聴くのと、親元離れて独り暮らしが聴くのと、都会に子供を出している親が聴くのとでは全く違うでしょうし。さださんの90年代くらいまでのアルバムには「取材:さだまさし」ともいえる人間像がたくさんありました。誤解を承知でいえば最近のアルバムでは「主演、語り:さだまさし」になりつつある。

しかしそれは仕方ないのかもしれません。さださんは若い時から「親、老人」の歌を書いてきました。そしてそれぞれで名曲を作ってきました。また老人系の曲でも「若者目線から見た老人」=療養所であったり、「老人目線での老人描写」=片おしどりであったり、「老人目線で若者に語り掛けるもの」=おもひで泥棒であったりと多様です。もちろん若いころは「若者目線の曲」も作れました。よって全年代に共感できる切り口がありました。でも年を重ねると逆の目線が難しくなった。要は年をとって若い人目線の曲が出来にくくなった(しかもファンもそれをあまり望まなくなった)。よって描かれる人間像の幅が狭くなった、と。
何度も言いますがそれが良い悪いではなく、そういう変化こそ年を重ねるということではないかと思います。
そういう意味でいえばお亡くなりになった阿久悠さん、秋元康さんの幅広いかつ長期間の多作ぶりには感動します。何度も言いますが好き嫌いは別です。でもあれだけ多作でしかも対象の幅広さを失わないのはある種の奇跡ではないかと思うのです。私の年でAKB48の人たちの歌詞から美空ひばりさんの歌詞はなかなかかけるものではありません。でもだからさださんより秋元さんの方がえらいといっているのではありませんよ。しつこいですけど。

よってさださんの歌詞が最も、ふり幅を持っていた時期、それは多様性といってもいいのですが、やはり70~80年代ではないかと思っているのです。もちろん意見には個人差があります(タオルは買わないですが:苦笑)。

さださんの曲に入り込むには曲の環境に自分がなればよい。極論ですがそれが早道である気がします。よって最も多様性のあるアルバムだと(私が)思っている70~80年代のものが上位に来るのは必然ともいえるのです。

この企画あと一回で完全に終わります。


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4 コメント

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眠れなくって、、、。 (コアラ)
2016-09-12 04:09:51
コメント書いちゃいました(^^;)
ずーっとコメントしたかったのですが、忙しいのと、なんてコメントしたら良いか考えてたらこんな時間になってしまいました(汗)
[Sadapedia]のナビがあって、全然聴いた事も聴く気もなかったアルバムを少しづつ買い、レンタルし、、、さださんの素晴らしい曲達に出会う事が出来ました。
[印象派][うつろい]はセットで聴いてもスランプ気味とは感じさせない(自分がわかってないだけだと思いますが、、、)ほど個人的にはお気に入りの曲がたくさんあります。
わたし的には大分さん=[距離]あるいは[第三者]のイメージが定着していますよ。

[アドバンテージ]ベストテン入りでもいいと思いますよ。こういうオシャレなさださんもあるんだと初心者の入口になるかもですね。なにしろさださんの好きな曲…選ばせると100人が100人ともほぼ違う曲を選びますから(笑)

ただ阿久悠さんや秋元康さんは職業的作詞家ではないかと思います。どんな詞を書けば売れるのか心得ている天才ではないでしょうか。ずーっと振り幅あり続けてもさださんのように心に響きません。気軽に口ずさめる流行歌の域は超えれないように思います。(好きか嫌いかは別として、、、でもつい書いてしまいます。かわいい女の子達を手玉に取ってビジネスにしてしまう人、好きになれません、、、大分さんが言いたいことと違う事書いているのは承知しているつもりなんですがつい、、、)
さださんは売れる売れない関係なく自分の気持ちや人生観がとても歌に表れやすい方だと思います。その人生観や恋愛観に共感、感動していつまでもその人の大切な曲になる。そういう歌を作詩して作曲も出来る天才→秀才だと思います。振り幅なくなって来たかもしれないけど、もう十分素晴らしい歌をたくさん作ってこられました。お疲れ様と言いたいくらいです。
好きなアルバム選びに関してはもちろん大分さんと同意見です。70年〜80年代になってしまいます。もっとも大分さんほどアルバムを知ってる訳ではないのですが、、、。
長くなってしまいました(^^;)
コアラさんへ (さだファンの管理人)
2016-09-15 03:08:30
ご返事遅くなり申し訳ありません(深礼)。
まずは前提として私はほとんどすべての曲を「嫌い」になったことがありません。それは私のいけないところでもあり、良いところでもあると自負しています(どっちやねん、と:含笑)。
事実車の中で聴く曲はMP3で数百曲入っていますが、さださんはもちろん松田聖子から中森明菜、斉藤由貴、あるいは50年代の一発屋のみなさん(失礼か?)オフコース、ユーミンまで多種多様で、そういう曲を聴くたびに当時の自分のことを思い出しています。

また阿久悠さんや秋元さん、あるいは私の大好きな松本隆(現在作詞家売り上げベスト3)の歌詞が大好きです。もちろん今一心に落ちないものもあります。しかしそれはさださんの詩でも起こりうることです。
たとえば阿久悠さんの「もしもピアノが弾けたなら」は私の青春時代を彩った曲です。「青春時代」「時のすぎゆくままに」もとても好きです。さらに意外と知られていないですが、阿久悠さん作詞、さだまさし作曲の曲もあるのですよ。長山洋子さんの演歌です。CD買いました(バカだなあ、苦笑)。
また、秋元さんは美空ひばりさんの(これはさださんも「情継」のなかで歌っていますが)「川の流れのように」だけでなく、AKBの曲の中にも硬質でとてもアイドルの曲にならないようなものもあります。(例でいうと「僕たちは戦わない」や「ここがロドスだ、ここで跳べ!」などです。私もAKB48のPVでは良さがわかりませんで、歌詞だけをネットで読んでその深さがわかりました。
そして木綿のハンカチーフや松田聖子さんの曲でも有名な松本隆さん(私の大好きな「銀色のジェット」も彼の手によるものです)。
共通しているのは多作であること。ゆえに曲とのマッチングや歌う人により合う合わないがあること。
またアイドルから演歌まで提供していること。つまりファン層がかぶらないため嗜好がずれやすいこと。
さださんは曲も歌も自分でやりますからそこでファンのずれが少ないため、ファンの共感は得やすい反面、ファン層の広がりはありません。(もちろんそれでいいと思いますし、「今更」売れてほしいとも思いません)
では、なぜ私が最近のさださんの曲に辛口になるのか。理由は二つあります。一つは70~80年代の作品がすごすぎるため、それを超えることが出来にくいため。もう一つはさださん自身が「自分の最高のアルバム」は「次に出すアルバム(でありたい)」と公言しているためです。残念ですがそれは達成できているとは言えません。
さだまさしを愛し続けてきて、さださんが一番借金で苦しい時、アルバムを買い、コンサートに行き、20000円もするライブアルバム「書簡集」を小遣いをためて買った私ですので、さださんに輝き続けていてほしいのです。もちろんそれは我がままであることは承知しています。同じことを前出の三人には望まないのがその証拠です。

長くなったうえに、釈明じみて申し訳ありません。
もう少しで終了するこのブログですが、お付き合いいただければ幸いです。
Unknown (コアラ)
2016-09-16 22:13:20
大分さんは大人です。優しくて心の広い方ですね。
大分さんのコメント拝見すると私はいかに心が狭くて好き嫌いが多い子供のようで恥ずかしくなります(╥_╥)
まあそれは別にして、こうして挙げられている歌手や作詞家の名前を見ると大分さんと同じ年代だな〜とつくづく思います。
基本的に音楽や歌は好きなので(秋元さん御本人はさすがに好きになれないけど)AKBの歌でもいいなと思うものはあります。(そんなに詳しくないのですが、、、[僕達は戦わない][ここがロドスだ、、、]の歌詞も確認してしまいました)
松田聖子の歌は結構好きで、思い出したようにテープを聴く時もあります。(特に松本隆&呉田軽穂)
でもさださんの曲ほどに心に突き刺さったり、すごく癒されたりするアーティストはいまだに出会えませんね、、、。超個人的な好みです。また同じ結論に行き着きました、、、(汗)
コアラさんへ (さだファンの管理人)
2016-09-25 12:48:45
釈明じみたコメントで申し訳ありません。しかもお返しが遅くなりました(深礼)。

心が広いわけではないと思います。嫌いな曲を作らないというだけで、実は多くの曲を黙殺するわけですし(苦笑)。

まあ秋元さんは特別好きというわけでもなく、おニャン子時代からその手腕を良く思わない人がいるのも知っております。尤も多少を問わなければあの手の商売をやっている方も多く、それを言い出したらきりがないなあ、という立場で、要は良いところだけ食いつくような観賞をしています。さださんもあそこまでは行きませんが、U-CAN以降ちょっと商売気が出てる感じもしますしね。私はそこらへんはいかにさださんとは言えスルーしています。

また実は当時は松田聖子や中森明菜も好きではなかったのですよ。でもこの歳になって聴くと高校、大学時代を思い出すのです。だから今更シングル全集で聴いています。

音楽を純粋に楽しむためには「鈍感さ」も必要かなあ、と思う今日この頃です。

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