恵庭市のユカンボシ河畔彫刻広場に来ました。
ユカンボシ河畔公園彫刻広場の彫刻作品とシンボルマークは宝くじの普及宣伝
事業として整備されたものです。
平成12年11月
恵庭市
寄贈 財団法人 日本宝くじ協会
えぞ鹿
佐藤忠良
1912年 宮城県生まれ。6歳の時に夕張に移る。
現在、東京造形大学名誉教授、東京都在住
(と紹介があったが、2011年に亡くなっている。)
6歳の時から北海道の風景の中で育てられた私に、恵庭市からの要請で彫刻設置の
課題を与えられ、作品構想のためユカンボシ河畔のせせらぎの現地に立ったとき
私は、迷うことなく植物たちが放つ四季の清澄な空気漂う中に「えぞ鹿」を、
活き活きと跳ね上がらせ、此処を訪れる人々と共に北の国の忘れ得ぬ空間が共存
でき得ればの願いを籠めながらの制作であった。
えぞ鹿 という作品は、五輪小橋 でも載せましたが、だいぶ風貌が
違います。
にぎやかな遡行
山谷圭司
1955年 旭川市生まれ 武蔵野美術大学彫刻科卒業
現在、旭川市在住
ユカンボシをはじめて訪れたとき、私に提示された場所に立ち、ここでは単体の
作品はそぐわないだろうという思いを持った。渓流と民家の間の狭(アイ)な
坂道に彫刻を置くというより、そのまま彫刻化してしまおうという構想になった
が、結局、これはかなり大変な作業をともなうことになった。
この坂を登り下りする来訪者たちが「作品」に踏み入ったことにも気づかず、
なぜかその歩みを味わい、楽しめる仕掛けであってくれればと思っている。
ドン・コロ
渡辺行夫
2つセットの作品です。
1950年 紋別市生まれ 金沢市立美術工芸大学彫刻科卒業
現在、札幌市豊明高等養護学校教諭 小樽市在住
そこは下方に池がある斜面だった。見上げれば、視界の隅に木の枝が入り込んでくる
程の空間があった。ここにどんな物を置くと自分にとって心地よいのか。やがて、
子供のころの記憶がよみがえってきた。それは、父と一緒にスケートリンクをつくる
ため、池堀をしたことである。
その泥の中から出ている、しつこいしつこい泥だらけの〈ドンコロ〉(父はそう
読んでいた)は昔の大木の切り株だ。地中深く、長く伸びた数十本の根を一本一本
切り取って、だるま状にしてから、やっとのことで引っ張り出し、池の端に押し
上げる。1つの〈ドン・コロ〉に丸一日、二日と格闘を続ける。何個も出てくる。
大きければ大きい程、子供心に池の主のように思えた。あの〈ドンコロ〉をまた
置きたいなとおもった
彫刻の足元にイガグリを発見。
上を見ると、まだ木に残っている栗の実を発見しました。
どうやらいっぱい生る模様。中身の残っている栗も多数あったので、
近所の住民だけでは食べきれないのか。(それとも今の人は栗の実
なんて食べないのか) 秋になったら拾いに来たい。