サバ奈子

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豊平橋 札幌開祖の碑

2023-04-19 05:50:40 | お出かけ♪

豊平橋(とよひらばし)は、北海道札幌市中央区 - 豊平区の豊平川に架かる橋。
日本百名橋に選定されている。
札幌市の主要幹線道路の1つである国道36号(月寒通)の橋であり、交通量が多い。
2002年(平成14年)の24時間平均交通量は63,800台となっている。

中央区側の橋のたもとに小公園があり、

札幌開祖 吉田茂八郎の碑がある。

まだ旭川にいたときにブラタモリで紹介されて、気になっていたものである。

吉田茂八は南部に生まれ安政二年亀谷丑太郎に従い渡道し 同四年石狩調役
荒井金助の命により 豊平川右岸の渡守志村鉄一の話相手として左岸の渡守
となり札幌開拓に寄与した先住者である 資性温厚にして豪胆 狩猟を得意
とし後年創成側の南三条より南六条に至る間の掘削工事を請け負う。これを
吉田掘りとも言う 地域住民吉田翁の功績を讃え後世に伝えるべく この碑
を建立する。
昭和五十六年七月二十一日
吉田茂八顕彰保存会

対岸、豊平橋のたもと、PREMIER HOTEの前に、札幌開祖 志村鐡一碑がある。

札幌開祖 志村鉄一碑 由来の記
氏は信州の剣客にて石狩調役荒井金助氏の招きに応じ安政六(一八五九)年
には永住していた。幕命をうけて豊平川渡し守となり駅逓を兼ねる。この地
より約百二十米川下が氏の住宅遺跡なり。
この碑は大正十年当時の北海道庁河野常吉氏が発起人代表となりその場所に
建立されたものであるが、新豊平橋完成にともない昭和四十二年七月に市が
橋台小公園に移転安置せるものである。

尚この碑の筆跡は当時の北海道帝国大学総長 佐藤昌介氏の揮毫せるものである
昭和四十二年八月
札幌開祖志村鉄一顕彰保存会
平成二十九年十一月 碑文の一部を修正し新しく設置した。

撮影日、4月15日。
札幌の桜はゴールデンウィーク頃に咲くので、驚異的な早さである。

碑からは豊平川の流れが見えます。


豊平橋小史
現在、札幌市は、およそ百九十万人が暮らす全国有数の大都市となったが、
今日の降盛には、豊平川に架けられた豊平橋が重要な役割を果たした。
豊平橋は、札幌の母なる川、豊平川に架けられた初めての本格的な橋であり、
初代の豊平橋は、苫小牧、千歳方面から開府が始まった札幌へ、そして、
小樽方面への道を結ぶ札幌越新道の札幌への東口であった。

安政四年(一八五七)、志村鉄一が石狩役所調役の荒井金助より豊平川の
渡し守・通行屋守に任命されてから、百五十年の年に、豊平橋の小史を記した。
平成十九年(二〇〇七)十一月吉日
豊平地区町内会連合会

PREMIER HOTEL
札幌市豊平区豊平4条1丁目1番1号

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