浅瀬石川ダムです。
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駐車場の端っこあたりに彫刻がありました。
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高樋竹次郎翁之像
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高樋竹次郎翁を讃える碑文
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高樋竹次郎翁は幼名三代治といい 明治35年8月20日父慶次郎の長男として黒石町に
生まれた 幼少の折父が日露戦争で戦病死したため祖父竹次郎の慈しみを受けたものの
祖父の他界に伴い尾上に住む叔母のもとで成長した17歳にして満州の独立守備隊に入隊
除隊後大正12年に土木建設業「高樋組」を創業した
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建設業者としての歩みは隆盛多彩を極め その名声は中央にまで轟きひときわ異彩を
放ち 昭和18年青森県建設業協会を創設するなど晩年に至るまで関係業界の巨頭として
辣腕を振るい その功績は筆舌に尽くしがたいものがある
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翁はまた 理想の具現を目指して政治の道を志し 黒石町議会議員青森県議会議員を
経た後 昭和33年黒石市長に就任4期16年間にわたり市勢の伸展に奔走 特に東北自動
車道と浅瀬石川ダムの建設は将来を見据えた先見性と卓越した洞察力により収支促進
運動の先頭に立ち遂に完成への道を切り開いた 生存中勲三等瑞宝章等二度の叙勲に
輝いた翁は地域開発の大先達であり黒石市民の誇りである
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依って翁の栄光と功績を後世に伝えるべく銅像の建立に際しここに碑文を刻むもので
ある
昭和63年10月吉日建立
高樋竹次郎翁銅像建立する会
題字 清藤三津郎
銅像原型彫刻者 日展作家 田畑功
銅像制作者 文秀堂株式会社
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浅瀬石川ダム竣功
記念碑
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ダム湖の名前は虹の湖
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浅瀬石川ダムのあらまし
このダムは、岩木川総合開発の一環として、岩木川水系の治水と利水を目的として、
建設省の直轄事業により、総事業費905億円をもって建設された、多目的ダムである。
着手 昭和46年度 完成 昭和63年度
国土交通省 東北地方整備局 浅瀬石川ダム管理支所
青森県黒石市大字板留字杉の沢2番地