明石城でのクラフト出店の帰り道、
名神高速道路のサービスエリア EXPASA多賀によって、
初めて「餃子の王将」でご飯食べました。
金太郎さん共々、一度は行ってみたいと思っていたので、
こんな機会に叶うとは。
金太郎さん、感慨深いものがあり、
またー、涙ぐんでます。
まだ外食産業の黎明期(?)だった三十数年前、
当時「中華 東秀」の経営者は、地元諏訪のラーメンチェーン「テン○ウ」の社長とともに、
セミナーや勉強会に参加するような一起業家だったとか。
現在は、五十店舗以上を構える「東秀」も、
そのころはまだ、製造のラインも小さくて、
「テン○ウ」と製造部門の業務提携を検討するくらいの企業規模だったらしい。
「王将」も「東秀」も「テン○ウ」も、
オープンキッチンによる店内調理を特徴とする中華料理店。
スタートラインは、同じようなところだったのかな?
学生として上京していた金太郎さん、
ちょうどそのころ、いろいろなつながりで、
「東秀」の経営者の方に、下宿まで送ってもらったことがあるって。
忘れもしない。
銀色のスカイライン。
それから「東秀」は、あっという間に会社が大きくなっていったわけで、
あの時の思い出が、「まるで夢のよう」と金太郎さん。
「王将」のお店を見るたびに、
同業他社の「東秀」の社長を思い出して、
ついでに、その他もろもろ、
ここじゃぁ書けない様なことも、
色んなことが交錯して、
あー、またー、鼻水、ラーメンに落ちるって!
深い深い「王将」の味でした。
名神高速道路のサービスエリア EXPASA多賀によって、
初めて「餃子の王将」でご飯食べました。
金太郎さん共々、一度は行ってみたいと思っていたので、
こんな機会に叶うとは。
金太郎さん、感慨深いものがあり、
またー、涙ぐんでます。
まだ外食産業の黎明期(?)だった三十数年前、
当時「中華 東秀」の経営者は、地元諏訪のラーメンチェーン「テン○ウ」の社長とともに、
セミナーや勉強会に参加するような一起業家だったとか。
現在は、五十店舗以上を構える「東秀」も、
そのころはまだ、製造のラインも小さくて、
「テン○ウ」と製造部門の業務提携を検討するくらいの企業規模だったらしい。
「王将」も「東秀」も「テン○ウ」も、
オープンキッチンによる店内調理を特徴とする中華料理店。
スタートラインは、同じようなところだったのかな?
学生として上京していた金太郎さん、
ちょうどそのころ、いろいろなつながりで、
「東秀」の経営者の方に、下宿まで送ってもらったことがあるって。
忘れもしない。
銀色のスカイライン。
それから「東秀」は、あっという間に会社が大きくなっていったわけで、
あの時の思い出が、「まるで夢のよう」と金太郎さん。
「王将」のお店を見るたびに、
同業他社の「東秀」の社長を思い出して、
ついでに、その他もろもろ、
ここじゃぁ書けない様なことも、
色んなことが交錯して、
あー、またー、鼻水、ラーメンに落ちるって!
深い深い「王将」の味でした。