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業務&ITコンサルタントのひとり言

コンサルティング活動を通じて感じることを勝手気ままに記載

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:12月23日の日経の年収の壁に関する大学教授の小論文「真の問題は性別役割意識に」の愚かさ

2025年01月13日 10時00分00秒 | 社会全般
12月23日の日経に、年収の壁の問題に関して「真の問題は性別役割意識に」と云うタイトルの大学教授の小論文があった。大学は全般的に左翼思想に凝り固まっているが、特にこの大学は左翼活動家が多く、論点ずらしの論文に呆れてしまった。

この小論文は前半の2/3までは純粋な年収の壁に関する分かり易い解説で良かったが、後半になると突然崩れてきた。

それは就業調整をしている女性への理由に関する分析から論点がずれてきた。具体的には、「『社会保障負担が生じないようにするため』が44.4%と最多だが、2位の『家事や介護、子育てなどの時間を確保したいから』も40.9に上る。」の記載以降、論点がずれてきている。だがしかし、小論文のタイトルがそちらの方向なので、仕方がないのだが…。

この論文に次の説明が続く。「男性での後者(家事などの時間の為に仕事の時間を制限する)の理由は15.2%に留まる。女性の就業調査の底流には固定的な性別役割分担意識、つまり『男は仕事・女は家庭』という昭和型家族モデルへのとらわれの影響がうかがわれる。」とある。この教授はこれを言いたいが為に、103万円の壁を持ち出しているだけであり、大変幼稚な論文だ。

この論文にはアメリカ、ドイツ、日本、そしてOECD平均の比較データが添えられているのだが、この比較では日本の女性の就労者の中で、29時間以下しか働いていない割合が一番多い。この理由は上で述べられている事情があるからで、それらを解決する事が重要であり、上記の『社会保障負担が生じないようにするため』は税金などの制度を変える事で対応できる。しかし『家事や介護、子育てなどの時間を確保したいから』は、その人の人生哲学や理念によって考え方全然違い、千差万別である。その為、左翼思想に凝り固まったこの様な大学教授の意見には、全く共感できない。

女性にとって、何が幸せなのだろうか?80年代のバブル崩壊前までの女性(妻)と、今の女性(妻)と、どちらが幸せだろうか?1985年に男女雇用機会均等法が制定されるまで、男女の社会的地位の差は大きかった。そういった意味では、正社員で働きたいと考えている女性にとっては、今の方が幸せだろう。しかし、結婚して子供が居る家庭の現代の女性は、家庭の収入が伸びない中で、仕方なく働いている人も大変多い。夫の収入が十分であれば、週20時間程度のパートを行う事で、社会との繋がりを保て、そして自分の自分も楽しみたいと考えている女性も多いハズである。

そしてこの論文にはもう一つ大きな欠点(問題点)がある。それは、日本の男性も29時間以下しか働いていない割合が一番多いと云う事である。このグラフを出しながら、この点についての論評がないのは、学者として失格であろう。ナゼ、世界と比較して、日本男性の労働時間も少ないのだろうか?学者であればちゃんと分析し、それも読者に伝えるベキである。

この学者はただ単に、日本には男女差別があると言いたいダケで、男性も少ない時間の労働しかしていない事を社会の問題とは捉えておらず、それを改善し良くしたいとは考えていないのだろう。

社会に必要なのは、男女を問わず、働きたいと思っている人は好きなだけ働ける環境を提供する事である。それを阻害しているのは年収の壁であり、経済学者であれば、先ずはその点をしっかりと論文として書いて欲しい。そして男性も正社員として働けていない事を、学者としてその原因を論評して欲しい。その上で性別の役割を述べたいのであれば、もう少し女性の心理や人生哲学を勉強してから述べて欲しい。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:12月18日の日経、「コストコ、自給1850円」から見る問題点の解決策

2025年01月12日 18時36分44秒 | 社会全般
コストコが、自給1850円に上げるとの記事があったのだが、現在の時給は1500円で、採用面接時に扶養の範囲内で勤務する事は不可能で、社会保険に加入する必要があると話しているとの事だ。これがこの記事の大事な所であり、この方針に敬意を表したい。

年収の壁を撤廃した場合、「日本全体で1ヵ月当たり2220万時間分に相当する16万2000人の労働力が確保できる」と云う試算を記載している。この試算が正しいかどうかは分からないが、相当人数の労働力が確保できる事は間違いないだろう。そして「壁がなくなれば国内労働者の底上げに繋がる可能性がある。」との事であるが、当然であろう。

今の日本の社会は、この16万人強の労働者を補う為に、ワザワザ海外からの労働者を受け入れている。年収の壁を撤廃すれば、必要のない外国人を受け入れる必要はなくなる。そして、労働目的で留学している外国人の行け入れも停止する事が出来る様になり、大変良い事である。その為、壁を上げる、または撤廃する事は大変重用な事なのだが、財務省に支配されている既得権益者がこれを拒んでいるのだろう。

話をコストコに戻すが、コストコの様に毎日纏まった人数が必要な仕事を、低賃金のパートで賄う事自体が、企業活動としてそもそも間違っている。本来であれば正社員として採用し、職務に従事して貰う事が筋であり、その為にも社会保険などに加入する事を前提とする事は、企業として当然行うべき事である。

特に女性が多い職場では、週40時間より少ない労働時間を求める人が多く、正社員扱いでも時短労働を可能な職場を提供する必要がある。それをコストコは行っているだけであって、他社も見習うベキであり、法律で時短の労働者を守るベキでもある。そして安い給料で大量の人を雇い、儲けようとする魂胆自体が間違っていると云う認識を醸成する必要がある。

本来、就労者は全員何等かの社会的な保険を払う必要がある。学生以外は…。そして労働時間の長さに関係なく…。それが当たり前になれば、中小企業向けの特例は不要になる。最初は抵抗があるだろうが、徐々に慣れてくるだろう。その為には、世論作りが大事である。そして正社員とパートやアルバイトとの賃金格差を無くす方向に向かう必要がある。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:幼稚な国民民主の玉木党首

2025年01月11日 10時34分55秒 | 社会全般
103万円の壁についてまだ揉めている様だが、国民民主党には是非頑張って頂きたい。しかしこの様に揉める原因をつくったのは国民民主であり玉木党首の問題でもある。自民党には過去にも騙された経験があるのに、その経験から学習していない事が幼稚さである。

確か昨年も、ガソリンに掛かる税金を外すトリガー条項に関して自民党と交渉し、一見その案が採用されるやに見えていたのだが、当時の岸田自民党は、その後この話を無い事にしていた。それにも関わらず、今回も3党の幹事長合意で、「178万円を目指す」といった様な合意で、安易に今年の補正予算に合意してしまった。

その後は、殆ど全ての国民が知っている様に、ラスボスの宮沢洋一と財務省によって反故にされており、今に至っている。

本来、玉木議員及び国民民主がすべき事は、先ずは2024年分は130万円辺りで合意し、2025年についてはじっくり議論していこう...ともっていくのが本来の交渉事なのだが、ビジネス経験がない幼稚な玉木国民民主は、またしても自民党に騙されてしまった。但し給料が翌月払いの場合は、11月時点でこれを決めれたとしても、効果は殆どなかったが…。

2024年に多少なりとも増やす必要があった理由は、雇う側、特に飲食関連で、人手不足が切羽詰まった課題であったのだが、その雇用者側の論点が欠落していた。その代りに大学生の不満を例に出し、大学生が働きたいのに働けない事を全面に出してきた。これが、そもそもの間違いである。

大学生のバイトについてはあまり関心しないと云う事は以前記載したが、大学生は勉強する為に大学に行っているのであって、アルバイトをする為に大学生になった訳ではない。本来であれば、授業料の無償化または安価すべきであり、そして親(社会人)の収入を、もっと上げる事ができる政策を打つ必要がある。そして、大学生がバイトしたければ、少額であっても税金を払うべきであろう。

話を戻すが、2024年分で103万円の壁を少しでも上乗せ出来ていたら、2025年の交渉はもう少しし易かっただろう。そして雇用保険や厚生年金などの課題も併せて議論を行い、是非国民にとって有益な合意に導いて欲しい。その青写真を描いていなかった事が問題であり、幼稚な玉木議員と国民民主党のこれからの課題であろう。今回こそしっかり学習し、日本の為にこれからも頑張って頂きたい。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:マイナ保険証の問題点と健康保険料の問題点

2025年01月05日 10時30分00秒 | 社会全般
今年の年末から、マイナ保険証の活用が必須となるらしいが、困ったモノである。保険証の不正利用の防止や、使用した薬や過去の医療情報が簡単に見る事が出来るなどのメリットはあるのは判っているが、まだ時期尚早なのと、無理矢理1枚にする事に疑問を感じている。

健康保険証を悪用している人が多い事は広く知られている。特に、隣国の住民が悪用している話しは良く聞く。この問題については抜本的な解決策が必要であり、その方法の一つが電子化であり、写真を載せる事は大変有効であろう。

問題点は、マイナ保険証の推進である。何故、更新のタイミングと内容が全く違う二つの情報を一つにする必要があるのだろうか?誠に愚かな判断としか言えない。

マイナンバーカードの更新頻度は、18歳以上の人は10年に一回と更新頻度は低い。一方、保険証の更新頻度は、マチマチである。転職を頻繁にする人も居れば、一生涯同じ会社に勤め上げる人も居る。そこで転職を頻繁に行う人にとって、ちょっと面倒な事になりかねない。

転職の際は、電子化したマイナ保険証であれば、データベースを書き換える事で、保険証そのモノの再発行は必要ない。がしかし、若干面倒な時もある。どうしても保険証の証明が空白になる事も有り得る様で、その点が心配の種である。

そして一番の課題は、システムの利便性や機能がまだまだ未成熟である事であろう。歯医者も含めた病院の多くは困っていると聞く。河野と云う、人の意見を聞く耳を持たない輩が推し進めたこのマイナ保険証、即刻延期にすべきである。

そしてマイナバーカードと免許証の一体化も問題である。これらの更新頻度も違っており、これもまた更新頻度と中身が全く違うモノの一体化を推し進める事は理解できない。

そもそも健康保険には、幾つかの課題や疑問がある。

①何故、保険料が収入によってこれほど違うのか?
日本の健康保険は、国民皆保険の制度である。そして裕福な人が多めの負担をし、裕福で無い人を支援する仕組みになっている。これはある程度理解できる制度であるが、その負担額の差があまりにも大きすぎるのではないだろうか?

現在の2024年度の保険料は、一番低い金額が5,788.4円で、一番高い金額が138,722円であり、その差は約24倍である。この差はチョット大きすぎるのではないだろうか?因みに、ザックリとした計算では、収入の約10%が保険料として徴収されている(半分は会社持ち)。

因みに収入の18.3%が引き落とされている厚生年金保険も収入に比例しているが、こちらの方は月額の収入が65万円が上限となっており、それ以上の収入があっても増えない。その差は約7.3倍であり、また厚生年金は将来自分に還元されるので、まだ納得感があるが、健康保険は自分に還元される事がないので、全く納得感がない。

それで健康保険の計算方法は、厚生年金保険と同様に、上限をもう少し下げるベキではないだろうか?

②ナゼ外国人が加入できるのか?
健康保険は日本の国民の為に作られた制度である。それに、日本の国民でもない外国人が、同じ様な恩恵を預かれる事が、そもそも問題である。健康保険では低所得者に配慮する計算になっているが、そもそも低所得の外国人が日本に居る事が問題であり、日本国はその様な外国人に配慮する必要がない。そうであれば、外国人の保険料はもっと上げるベキではないだろうか?少なくとも一番低い金額(5788円)の10倍以上に...。そして、保険に入れる条件を厳しくすべきであるのだが、この辺りの日本の制度の寛容さに近隣国の住民は悪用しているので...。一方で民主党政権時に緩くし、今の外務大臣がより一層かの国の民族の入国を緩くしている。大変腹立たしい事である。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:能登復興の遅れから見える日本の闇

2025年01月04日 10時00分00秒 | 社会全般
能登地方を襲った地震から、1年が経過した。大雨による二次災害の影響もあってか、まだまだ復興に向けては道半ばの状態である。しかし何故この様な状態が続くのだろうか?それは財務省と云う既得権益の代表格の集団と責任感の無い政治家の所為ではないだろうか?

今回の補正予算で少しは纏まったお金を出す様だが、地震の直後は小出ししかしなかった。お金がなければ何も出来ない為、牛歩の様な復興をしてきている。半分は石川県の知事も問題であるが、真剣に対処しようとしないから、お金も工面できない。そしてそのお金を出そうとしなかったのが財務省であり、日本の政治家である。その為、1年経ても、、まだまだ生活の基盤が出来ていない地域も多いと聞く。

若干脇道にそれるが、政治家だけでなく、一般市民の中でも、能登という過疎地域にお金を使う事に疑問を呈している人は少なくない。と云う事は、政治家や役人の中にも同じ様な意見を持っている人も居る可能性も高い。しかしだからと言って、殆どなにもしないのは、決して許される事ではない。

仮に百歩譲って過疎地へのお金の投下を積極的に行えない事を、ある程度理解できたとしても、知事のヤル気の無さには呆れてしまう。ここ半年程現地に行けていないので正確な状況は把握できていないが、残念ながら多分輪島市から珠洲市にかけての能登半島の北側から西側は、まだまだマトモな生活ができる状況ではないだろう。

この政府や政治家、そして役人の無対応の裏で、ボランティアの人達は一生懸命現地で活動を続けている。自分自身も2回、計5日間、ボランティア活動を行ったのだが、個人の力では全く力不足である。

被災地では生活環境を復活させる事が大変大事なのだが、それが迅速に出来ない事で、一番弊害を受けているのが農業従事者である事を今回のボランティアで認識されられた。現地で生活できない為、金沢辺りに仮の住まいを確保して、通いで農業を行っている人が居る事は、復興の遅れに憤りを感じた。馳知事や財務省及び国会議員は一体なにをしているのだろうか...と。しかしこの様な政治家や役人を野放しにしているのは我々国民である。

目の前に居る困っている人達を助ける事は大事である。しかしそれ以上に大事な事は、選挙に行ってマトモな人に投票する事であり、自民党の批判しかしない野党に文句を云う事であり、声を上げて政府や財務省に文句を云う事であり、腐ったマスメディアに文句を云う事である。昨年10月の選挙では、その効果が多少出たが、まだまだである。何もしない、既得権益を維持し、財務省の言い成りで、左翼化した自民を大敗させる事と、批判しかしない野党には投票してはダメである。それが、我々国民が行うベキ一番大事な事であろう。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:12月3日の日経、「大学4割『授業料上げ』」の問題点

2024年12月29日 09時02分06秒 | 社会全般
12月2日の日経のに、「大学4割『授業料上げ』」と云う記事があった。536校の内4割の215校が25年度以降に値上げの実施または検討をしていると。本来国家の将来を担う若者への教育は無償または安価にすべきだが、財務省がそれを阻んでいるのだろう。

昨日、MITに関する記事をキッカケに、アメリカの大学の授業料や奨学金に関連するBlogを書いた。しかしアメリカの授業料の例は特別であり、参考にしてはならない。アメリカでも多くの学生が高騰した授業料に苦しんでおり、学生ローンの返済に困っている。そして、様々な分野でアメリカの物価は異常である。野球の観戦チケットでも100万円を超える場合もあると聞く。ロック系のコンサートも80年頃では10~15ドル程度だったものが、今では安くて100ドル、有名どころになると1000ドルを超えるとの事で、アメリカと比較して高い、安いを論ずるには感覚がずれてしまう。

所で、既に値上げを決めている東大では、授業料の全額免除の対象を、世帯収入が400万円から600万円以下に広げるとの事だ。昨日記載したMITでは奨学金を貰える対象が3100万円以下なので、その差は5倍以上である。

ここで、国家予算に占める教育費を世界の国々と比較したい。

それでNHKの記事がネットに有ったので、それを引用する。そこには「日本の公的な支出の中で教育費が占める割合は8%と、OECDに加盟する36か国で3番目に低かったことがわかりました。日本では、教育機関への支出や教員の給与などの「教育費」が占める割合が、おととしの時点で8%と、36か国の中では、7%だったギリシャとイタリアに次いで3番目に低い水準でした。36か国の平均は12%で、それより4ポイント下回っています。」

そして、「OECDは『日本は公的な支出の中で教育費が占める割合が低く、将来世代よりも、高齢者に対してより多く投資している現状がある。日本は若者が減っていくからこそ、教育の質を高め社会を支える人材を育てる必要がある』としています。」とあった。アメリカの授業料が日本のそれより高いと云っても、国家予算の割合では、日本より多くだしている。やはり日本は異常であろう。

しっかりとした理念や哲学をもった人が政治を行い、財務省などの行政をコントロールする事が大事である。そして財務省などの役人も、しっかりとした理念や哲学をもって貰わないと困る。なので、103万円の壁を死守しようとしている宮沢洋一の様な議員は落選させるベキであり、今の財務省は解体すべきであろう。(他の省庁も似たり寄ったりだっが…。)

103万円の壁の撤廃や高等教育の無償化の話をすると、財務省は必ず財源の話をする。それで以下の情報を参考として掲載したい。

①維新が算出した教育無償化で必要な予算
・0~2歳の幼児教育・保育料:7000~8000億円
・小中学校の給食費:5000億円
・高校授業料:6000億円
・大学授業料:2.1兆円

②ムダな支出の一部
・ウクライナへの支援:これまでは1.2兆円。今後9兆円を予定。
・何を行っているか分からない子供家庭庁の予算:約4兆円

③歳入超過
・2023年度分の税収は、予定より4.2兆円上回った
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:11月25日の日経夕刊、「年収3100万円まで学費免除」で考えさせられる事

2024年12月28日 13時23分47秒 | 社会全般
11月25日の日経夕刊の一面に、「年収3100万円まで学費免除」と云う記事があった。これはアメリカのMITでの話なのだが、年収3100万円の家庭でも、学費を免除されるとの事で、日本との年収の差に愕然とした。如何にこの30年の日本は停滞していたかと…。

この記事には次の記載もある。「年収10万ドル以下であれば、授業料だけでなく住居費や食費なども免除となり、教科書代や小遣い程度の給付金も与えられる。現在は年収14万ドル以下であれば学費が免除され…」とある。

この14万ドルは、1ドル=150円換算では2100万円で、3100万円は20万ドルを円換算した金額の様で、3100万円もの収入がある人でも、その子弟がMITに行くには、言葉は悪いが貧乏だと云う事である。因みに、厚労省のホームページによると、日本の平均年収はやく550万円で、2000万円以上の収入がある人は、国民の上位1.2%となっている。

ここから見える事は、日米の収入の格差が広まったと云う事である。年収が3100万円であっても、もはや平凡な収入なのだろう。少なくとも高給取りと云うレベルでは無いようだ。

因みに、24年度のアメリカの私立大学費の平均は4万6700ドルとの事である。そしてMITは約6万2000ドルで、学生の約58%が奨学金を受けとっているとある。それから州立大学の授業料は、凡そ1万2000ドルから1万8000ドル程度の様で、為替レートにもよるが、日本の私立大学よりは少し高めである。

因みに、1980年頃のテキサス州は全米で最も授業料が安い州で、州の住民であれば1単位当たり4ドルが授業料であった(外国人は10倍の40ドル)。それがレーガン政権以降から段々値上がりしてきて、今は年間1万2000ドル前後になっている。

もう一つの日米の差は、多くの学生に無償の奨学金を与える事が出来る程の資金を大学が持っている事にある。それだけ多くの寄付金を集めていると云う事だろう。正確な数値データは持ち合わせていないが、日本の企業からも沢山の寄付金を集めている様である。しかし日本の企業は、日本の大学への寄付金が少ない様である。これは何故なのだろうか?

日本の大学の研究内容が見劣りするのか、それともただ単に、日本の企業が愚かで、アメリカの大学の研究の方が良く見えるのだろうか???何れの場合であっても、問題は日本の中にある。これを正さない限り、日本の高等教育は没落するダケであり、その結果、日本の将来は一層暗くなってしまう。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:12月2日の日経、「『よろい』失う日本企業」で考える必要があるアメリカの欲望

2024年12月22日 12時35分21秒 | 経済
12月2日の日経の一面に、「『よろい』失う日本企業」と云う記事があった。アメリカの肝いりで進められている株式の持合い解消によって起こっている問題であるが、これは海外の投資家が日本の企業の利益をむさぼる為の工作である事を知っておく必要がある。

この記事には、「アクティビストはトヨタを頂点とした巨大企業グループに照準を合わせている」とある。そして、豊田自動織機がデンソー株を全量売却し、株主還元に充てるとの事で、「市場の要望や期待に答えた」とある。自分の利益しか考えない投資家の圧力に屈した形だが、大変愚かな判断である。

アクティビスト達は、日本企業の株式の持合いが、欧米に比べて低い資本効率の元凶と云う名目で、日本の企業に持ち合い株の売却を迫ってきたが、果たしてこれは正しい指摘だろうか?

もし株式の持合いが企業活動においてマイナスであれば、トヨタは自動車業界で世界のトップ企業になっていない。特に、1980年代の後半は、日本の企業の多くが世界のトップ企業として君臨していた。そしてその頃は、アメリカの企業でトップにランクしていた企業は大変少なかった。当時、日本の企業は株式を持合いをしており、アメリカは当然株式の持ち合いなどしていなかった。株式の持合いが企業経営に悪影響するとの根拠は大変薄い。

また、非上場企業でも高い業績を上げている場合も多い。因みに、12月16日の日経に、上場しないオーナーが「先行投資や抜本的な構造改革などの中期的な施策実行の足かせになる可能性がある」と考えているとある。

日本の企業の問題点は、経営者層の劣化であり、従業員の劣化である。経家者がしっかりとしたビジョンを持ち、但し方向に経営の舵をきっていれば、トヨタグループの様に、安定した成長を続けている。一方日産の様にダメな経営者が経営を行い、特にゴーンの様な目先の利益しか追わない様な経営者の登場で、日産は足腰が弱ってしまい、経営がおおかしくなっている。日産グループは株式の持合いを解消してる方であるが、それと経営とは全く因果関係はない。日産の場合はあくまで”系列”と云うグループ企業をぬるま湯にした事が問題であった。

そして経営者だけでなく従業員の劣化は、日本の高等教育の劣化が起因している。欧米に追い付け老い越せをおこなっていた時代までは、日本の教育はそれ程悪くはなかったが、追い付いた後に日本を引っ張っていける人材を育ててこなかった事が、今の日本の社会の停滞であろう。株式の持合いなど、全く関係ない。

繰り返すが株式の持合いは解消する必要はない。持合いを無くす事で、返って不要な事(アクティビスト)に体力を奪われる事になり、メリットはない。正しい経営をしている限りは...。そして日本の利益をむさぼり、潰していく事が一部目的である事を知る必要がある。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:11月22日の日経夕刊の美食家のコラムに耳を傾けよう

2024年12月21日 10時00分00秒 | 社会全般
11月22日の日経夕刊に掲載されていた美食家の浜田岳文氏のコラムに、大変良い記載があった。日本の農作物についての評価なのだが、「果物も米も品種改良でどんどん甘くなる代わりに香りががなくなっています」とある。これは傾聴に値する意見ではないだろうか。

このコラムでは、次ぎの記載もあった。「日本の農家の生産技術は世界有数だと思いますが、土壌の特徴もあって野菜については良く言うと優しい、悪く言うと味が薄いのです。欧州の野菜は十分味があって、濃くて美味しいからサラダという文化がある。日本ではドレッシングで食べさせている」

野菜について、薄い・濃いを語れる様な味覚は持っていないが、果物や野菜に関して日本の農家が求めている”甘さ”には、疑問を感じていた。糖度が高い事を自慢し、それが美味しいと言っている事に、最近、違和感を感じていた。

チョット前まで、トマトは酸っぱい果物で、酸味を中和する為に塩をかけて食べる事もあった。イチゴも酸味が強く、ミルクや砂糖をかけて食べる事もあった。しかし今では、甘いのが当たり前になっているが、それが本当に美味しいのだろうか?

我々日本人は、物事を決めるには時間が掛かるが、一度決めると従順にその方向に向かう特性がある。”甘さ”が大事と云う考えが一般常識の様になると、殆ど全ての農家が遮二無二その方向に向かってしまっているのではないだろうか。

コスト削減についての問題点を何回か指摘しているのだが、こちらも同じである。”コスト削減”が経営課題として大事と云う共通認識が定着した為に、自分達の収入を抑制または削減してまでしてコストを削減し、安価な商品を提供し続けていた。そして漸く最近の物価高傾向になってからは”値上げしても良いんだ”と分かった途端に、食料品などの一般消費者向けの商品は、ドンドン値上げしている。しかしその事をまだ分かっていない一部のスーパーでは値下げを試み、未だに200円の弁当を提供している所もある。要は、一度方針が決まると、国民全員がそちらに向かってしまう。たとえその方針が間違っていても…。

話しを果物に戻すが、消費者が求めている事は、安価で適度な味の食物である。”甘さ”はそれ程重要ではないハズである。そうであれば、例えば果物の摘果する割合を2割減らせば、1個単位の味覚や大きさは若干悪くなるかもしれないが、収量は逆に2割増える事になる。そして、摘果を2割減らすと云う事は、その分の作業量が減る事にもなる。(収穫の作業量は増えるが...。)

コストをかけて甘くする努力よりは、労力を抑えてそこそこの品質を維持する事が今の日本の農業に必要な事ではないだろうか?甘さはホドホドにして…。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:11月13日の日経「大学定員 3割埋まらず」の問題点と対策

2024年12月15日 18時54分03秒 | 社会全般
「2050年の国内の大学入学者が42万人に減り、入学定員が現状を維持すると3割埋まらなくなる」と云う。この推計の正確性はともあれ、少子化に向かっている現状、入学希望者が減る事は分かっている事であるが、それでも私立大学を作った人達に疑問を感じる。

この記事には、18%の私大法人が経営困難状態にあると云う。1970年代辺りから少子化の傾向は見えていて、1980年代にもなると、ほぼ全ての国民が少子化傾向にある事を知っていた。それにも関わらず、平成になっても新しい大学が次から次への開校していっている。経営困難になる大学が在っても、全く不思議ではない。

日本の大学は、大都市圏に集中している事が大きな問題なのだが、その解消の目的で、地方に大学を開設したいと云う気持ちは分からないでもない。しかしその場合は公立である必要があり、私立だと学生を募るのは大変難しいだろう。

我々日本に欠落しているのが、子供(大学生も含む)に対する教育に対する理念や哲学だろう。幼少期から大学生辺りまでの経験は、その後の人生を左右する程重要で、情操教育も必要である。

アングロサクソン系の人達は学校教育について、ギスギスした都会ではなく、郊外でのびのびと生活しながら、勉学に励む事が良いと考えている。その為、アメリカやイギリスの大学は、郊外にキャンパスを持つ大学(学校)が多い。この考えに自分は共感しており、この様な人生経験(学生生活)を送って勉学に励んだ人と、都会で遊びとバイトを中心に経験した人とは、思考回路がかなり違うのではないだろうか?

実際、企業からの派遣で海外(主にアメリカ)に留学した人達の殆どは会社を辞めている。これは何を意味しているのだろうか?それから、ハリーポッターに出てくる学校も、かなり田舎にある。そして、最近は東北の片田舎に、イギリスの学校が開設された。

話を元に戻そう。経営困難な大学への対策は次の二つしかないだろう。
・公立化する
・廃校または、他の大学と吸収・合併する

今後、特殊な例を除いて、大都市圏での大学新設は不可とすべきではないだろうか。そして、大学はある程度の規模がないと、費用対効果が出ないし、多様性と刺激が必要な若者にとってもある程度の規模は必要である。なので、地方であっても小規模の大学の設置は不可とすべきである。それよりも、既存の大学の拡張を目指すべきである。
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