特殊相対論は「球を、その中心を含む平面で切ると最大円が出来る」というようなモノです。必ずそうなります。一般相対論はもっと根源的です。「球を平面で切ると切り口は必ず円になる」というような感じです。一般相対論はその理解のカギは「スペ-スシャトルの中の風景」にあります。シャトルは重力場のなかで円運動という加速度運動しています。にもかかわらずこの状態は慣性系でもあるのです。なぜなら全ての物体が力を受けていない状態でふわふわ浮いているからです。つまり重力場の中では慣性系=加速系となります。慣性系は相対的なので加速度系も相対的です。つまり加速度系でさえも相対的という「一般相対論」か議論できるのです。ほかならぬ重力場のおかげで一般相対性理論は発芽したのです。
カラスが「かあ」と鳴くようなことです。そのようなモノなのです。どこまで行ってもきりがない。不思議だなあと思いませんか?子供から「その先はどうなっているの?」と聞かれたら「まだずっと続いているよ」と答えるしかありません。そもそも、宇宙に浮かぶ星を「見る」ということは星以外を無視することを要求します。つまりモノを見るということ自体が空間を無限なものとして認識しているのです。脳の癖です。それ以外に私達は物事の認識の方法を知らないのです。空間が虚無だから星が認識できる。また星が認識できるから空間が虚無であることがわかります。星の存在と空間の虚無は「作用反作用」の状態です。「だきあわせ」ともいえるかも知れません。限がないということが不思議ということは犬のあしが4本が不思議ということと同値です。
とにかく炭酸ガスを炭水化物の形で、つまり草や木の形で固定することが大切です。燃やしたらおしまいです。邪魔になるなら海に沈めるのです。又はサハラ砂漠に捨てるのです。するとサハラ砂漠の温度が下がり草原になり、よりいっそう炭酸ガスの固定化が進み温暖化が鈍ります。草木を燃やすということは地球というワンル-ムマンションのなかで自ら酸素を減らし炭酸ガスを増やすという窒息状態を推し進める以外なにものでもありません。