原村には「八ヶ岳美術」があってそこは「原村歴史民俗資料館」も兼ねています。その美術館主催で「収蔵庫・阿久遺跡 見学ツアー」があって参加しました。まずはこの日の諏訪湖…ワカサギ釣りの季節になって舟がたくさん出ていました。田んぼの稲わらもなくなって冬支度が進んでいるようでした。
中央道脇の紅葉が進んでいてきれいでした。
原村にはいくつもの縄文遺跡があるのですが、この「阿久遺跡」は中央自動車道の建設に伴って発掘された遺跡で、縄文前期の最大級の大集落と判明されて注目されました。そこで発掘されたものは収蔵庫に保管され、遺跡は埋め戻されてその上に中央道が建設されました。
この「阿久遺跡」は八ヶ岳の裾野にあって、東に八ヶ岳をきれいに望むことが出来ます。北東には蓼科山も見えます。
この遺跡は埋め戻されて林になっていますが、その脇に出土品の収蔵庫が建っています。普段は閉まっていますが、この日は見学ツアーの為に開けられました。内部を原村文化財係の学芸員さんが解説してくださいました。内部の棚には所狭しと出土品が並んでいました。
ここで学芸員さんが選んで見せて下さった縄文土器たち…中々趣ある土器たちがたくさんあって興味津々に見せていただきました。
黒曜石も原石から矢じりなどの加工品迄たくさん収蔵されていました。
たくさんの収蔵品があって、この地でいかに多くの縄文人が暮らしていたのか納得できました。予定を越える2時間以上の時間をかけてお話を聞き、収蔵庫の内部を見せていただきました。外に出て、こちらから縄文人も同じ光景を見ていたとお聞きした八ヶ岳や蓼科山そして甲斐駒ヶ岳を改めて感慨深く眺めました。
「阿久遺跡」のあった場所は埋め戻され、途中に中央道が通っていますが、縄文人が食料としていたであろうドングリやクリの実る木々が植えられた林になっています。この林も秋の紅葉で美しかったです。
縄文人が食べていたとお聞きした「ドングリ」がたくさん落ちていました。モミジも何本かあって紅葉がきれいでした。
中央道の西側にも行ってみました。こちらもドングリやクリの実る木々とモミジの林でした。
最後にこの見学会に関連したパンフレットと資料です。パンフレットは「八ヶ岳美術館」のものと「北杜市考古資料館」、「井戸尻考古館」、「八ヶ岳美術館」での3館共同企画展の案内です。資料は「阿久遺跡」の冊子と諏訪地域の縄文遺跡のガイドブック…どれもとってもいい内容の資料で手に入って嬉しかったです。
いつも気にして横目で見ながら通り過ぎていた「阿久遺跡」の埋蔵文化財収蔵庫…丁寧な案内と共に見学できて良かったです。良い天気のこの日、縄文人に思いを馳せたひと時でした…
機会があったら参加したいです。
おちゃさんに招待状来なかったなあ。
ブログで一生懸命原村のこと宣伝しているのに(笑)
阿久遺跡や縄文文化や上社とのつながりなんて
一生懸命書いているのに(←誰も見てないって
ば(笑))
しかし真面目な話、これはいい企画です。
こうやって人々の理解を奨め、縄文文化と
諏訪のかかわりを認識してもらい、参加者が
標高900mほどのあのあたりから、蓼科山
や阿弥陀岳を眺めて、縄文人がそれを眺めたの
と同じ気分になることで、ますます土地への
愛着が深まる。文化の継承みたいなことを
感じる。いいですね。
この阿久遺跡の埋蔵文化財収蔵庫…
何時も閉まっていますが、毎年秋には公開の日があるそうです。
たまたま美術館の公報で知って申し込みました。
いつも気にしつつ建物だけ見ていたので、
内部を見学できるのはとってもいい機会でした。
おちゃさんのところに招待状は届きませんでしたか…
いつも原村をこんなに宣伝している方は他にいないでしょうに(笑)
原村の縄文文化はなかなか知っていただけないと村の方は嘆いていましたが、
他県からやって来て関心を持ってくださっている方がいること、
この機会に大いにアピールしてくれば良かったです。
これは中々いい企画で、関心を持つ方が定員15名集まりました。
東京や静岡からいらした方もいましたが、意外に原村の方は2名だけでした…
あの阿久遺跡からの八ヶ岳や蓼科山の眺めが良いですね。
悠久の時を経ても同じ景色を眺められるなんてとっても素敵なことですね。
阿久遺跡、「縄文前期の最大級の大集落」・・・
『ブラタモリ』で諏訪湖周辺にはたくさんの遺跡があると知りました。
その中の一つがこれなのですね。
まさに「星降る中部高地の縄文世界」
中央道の建設がなされなかったら発見は遅かったのでしょうね。
我が「釈迦堂遺跡」も中央道建設にともない発掘され やはり保存か工事を急ぐかで意見が割れたようでした。
たくさんの収蔵品ですね~!!
とても一度には展示するのは大変な量ですね。
順次一部ずつ「原村歴史民俗資料館」に展示されている、ということでしょうかしら。
こうした「収蔵庫・阿久遺跡 見学ツアー」がなされれば楽しいですね。
興味津々。
あらためて・・
縄文の人々は、どうしてこんなすてきな地を離れていったのでしょうね。
他の遺跡でも同じことを思います。
実家はほぼ「遺跡群」の中にありますが ちょっと標高の高いところにある畑からは土器や黒曜石が出てきていました(釈迦堂遺跡博物館の近く)
縄文人の祖先がいたのかしら、それとも 「気候の急激な変化」とやらで絶滅して 新日本人としてあの地に住むようになったのかしら・・などと思うと「縄文時代」がとても気になるのです。
そうそう、
私は今、公民館で毎年農閑期に開かれる陶芸教室に参加しています。
教室といっても自分で自由に作るサークル的なものです。
私は不器用で苦手な陶芸。人見知りをする夫の付き添い程度での参加です。
でね、今回は縄文人に真似て土器を作ってみようとしましたが これが出来ない!
あらためて(#2)
縄文人は素晴らしい!としみじみと感じ入っているきょうこのごろです。
阿久遺跡は発見当時、ずいぶん注目されたようです。
縄文時代前期の最大級の集落跡と
大環状集石群と呼ばれる祭祀場の遺構でも知られるのですが、
埋め戻され、そこに博物館がある訳でもないので、
近年は注目度も低くなっているようです。
同じ中央道建設に伴い発掘された釈迦堂遺跡は
立派な釈迦堂遺跡博物館があって今も注目ですね。
阿久遺跡の出土品がこの収蔵庫に眠っているのは残念なこと!
八ヶ岳美術館は原村歴史民俗資料館も兼ねているので、
順次展示されているようですが、美術品の展示に重きがいっているような…
なかなか難しいことですね。
縄文の人たちが何故この地を離れて行ったのか…
それは弥生時代以降のこの地は稲作に適していなかったからだそうです。
標高が高く寒かったからということでしょうか、
そしてそれ以降中世になると諏訪大社の御狩場としての地になって
「神野」と言われて人が住む場所ではなかったそうです。
takeさんのご実家は正に釈迦堂遺跡群の中にあるのですね
それはすごいこと!昔からいい場所だったのですね。
今年も陶芸教室に参加されているのですか、良いですね。
私も陶芸をかじったことがありましたが、思うようにいかなくて…
又できた作品を見せていただきたいです、旦那様の作品も!
縄文人にも技術的に優れた人とそうでない人もいたと、
この時の学芸員さんそれぞれの土器を示してくれましたが、
私にとってはどちらも素晴らしいものでした!