KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

☆“髪”が映し出すもの

2005年10月02日 | スピリチュアル セッション
               【落陽の山影】

「ヒゲはね、何か意味があると思うんですよ!
前から気になっていたのよね。男性がヒゲを伸ばそうと
思うとき、または切ろうと思うとき、絶対に心理的なことが
作用するんじゃないかな?」と後輩のツボちゃんはいう。

まるで推理小説か刑事ドラマのなぞ解きのように、
さらに彼女は推測する。

「きっとね、ヒゲで大きく自分を見せようと
するんじゃないかしら?そして本当に自信がある人は
ヒゲで自分を隠したり、飾ったりしない。
素のままの自分で勝負するんだと思うの。」


なるほど、毛髪は体を守るために本来存在をしている。

そういう観点から考えると、ヒゲの力を借りて
自分という存在を無意識に守っているのかもしれない。
カツラもまた同じような側面を持っていて、
周囲はそのままでも、きっとステキなのに。と
思っても、何かを恐れているのだと思う。

人間関係が壊れること?嘲笑?
自分が思うより周りはずっと寛容で、
そのうち慣れてなんとも思わなくなるもの、というのは
自分に当てはめるとわかるのだが、実際に自分の立場だと
そうはいかないデリケートな事柄である。


でも、本人が「素のまま勝負」をできる準備が必要だし、
それでも整わないときには、それこそ衣服を纏うことと
同じような感覚でいるのもまた良いのだと思う。




こんな話も聞いたことがある。

幼くして両親を亡くした方の好みの男性は“毛深い人”。
理由は「生命力が強そうだから」
すごく明快でいて、改めて私たち人間が
“動物である”という事実を認識できるエピソードだ。


髪形や眉やヒゲの形・脱毛に至るまで、
おしゃれや流行に左右されているようでいて、
実は、生物学的に本来の“動物”としての心理も
大きく影響されているような気がしている。


そして昨今、日本の女性のみならず、
男性までもが肉体を脱毛したがるのは何故なのだろうか?

ここまで毛がないことにこだわる民族は
海外ではあまり聞いたことがない。
単なる流行か、それとも無意識のうちに何かが
深く関わっているのだろうか?

チャネラーの黒田美穂さんはこう推測(?事実??)していた。

「宇宙人は全身の毛がないでしょ?
毛に覆われている原始人とは対極な存在の進化形が
毛がないスタイルなんだから、ハイレベルな存在に近づいていきたい
と思っているのよ。本来守ってくれるはずの大切なものを
あえて取るわけだから、進化のための行為なのかもね!」

なるほど~。


髪型をかえて、心までリフレッシュできたり、
髪の毛を切りすぎてちょっとブルーになったり、
別人のように雰囲気が変化する不思議な存在。

「髪は女の命」そして「男の命」でもあるが、それ以上に
“動物”としての一面を持ち、“心理的”に大きく作用し、
人類の“未来”に向かっても着々と進化中のようある。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★「感謝」のごはん

2005年10月01日 | スピリチュアル セッション


セッションはね、すごくエネルギーを使うから、
イベントの時は特にしっかりと食事をしてね!
そして、なるべくたくさん水を飲んでね!と
アドバイスをもらってから、チョコレートは欠かさない。
どんなにスケジュールが詰まっていても、
ランチを抜いてまで没頭してしまうことが
ないように心がけている。

体力とはまた別の部分を使っているのだが
運動の時と同じように食べ物でパワーを補い、
水分をしっかりと補給する。
通常の生活以上に食事をエネルギーに変換している
ことを実感するようになった。


先日、料理研究家の方と話す機会があり、
“食”の話題になった。
韓国の食事療法を行っている施設を訪れた時に
聞いた話が印象的だったという。

朝起きたらすぐに、水を飲み30分ぐらい
ぼ~っとしていると体の細胞が目覚めて
調子が良くなるのだという。
水はミネラルウォーターではなく、
カルキの入っていない水道水でよいのだとか。
起きぬけに体内の毒素を出す目的もあるようだ。

そういえば昔の人はよく、枕元に水を置いて寝ていた。
いつのまにか、そんな風習はなくなったが、
昔の人々は体にいいことを知っていたのかもしれない。

そして、一番大切なのはどんな成分の水か、
ということよりも「感謝」して飲むことなのだという。
そうすれば、たとえどんな水でも
“いい水”に変わるのだそうだ。

逆にこれは体に悪いのだと思いながら食べる
食事は本当に体によくないそうだ。
そして長年、料理を研究している彼女は
こんな風に“食”を語っていた。

確かに全部が有機野菜だったら
それに越したことはないけれど、
こだわるあまりに、添加物を拒否していると
ストレスがたまって、口にするものすべてが
マイナスに変わってしまう。
私はね、食事のうちの1品が有機だったり
体によいものだったらそれで十分だと思っているのよ。
その1品に「感謝」の気持ちを注ぐことで
あとのメニューもプラスに変換されるの。

確かに最近は「食べ物を疑え!」と言われるぐらい
すっかりマイナス法となり、常に疑心暗鬼だ。
そして、時々やむ得ない状況で食べてしまったり
食欲に負けてしまったりすると、後悔の念にさいなまれる。
ダイエットもまたしかり、である。

せっかくのエネルギーを、疑ったり、後悔しながら
体の中に取り込むのは大切な何かを置き去りにしている。

体内に不浄なものを入れない、というコンセプトの
ベジタリアンはやはり体の健康を蝕むようである。
お坊さんの精進料理のような食生活もたまになら
ヘルシーだが、ストレスやパソコンなどの電磁波にまみれた
現在の社会生活では、仏門と同じような栄養素で
長年続けていくには肉体への負担が大きすぎるようだ。

拒食症や過食症もまた、精神的なストレスを
食べることにぶつけ、あるいは逃げ込むことで
心のバランスを保とうとするが、結局は肉体の
バランスは崩れていってしまう。
「食べ物」そのものに感謝し、「食べる」という行為自体が
本当に有り難いことなのに、そのことは当たり前で
病的に拒否したり、必要以上に欲したり・・・。

一番いい食事はストレスなく食べること。
おいしく幸せな気持ちだったらなお最高だ。

たとえ、コンビニで買った
冷えたお弁当でも「感謝」に値する。
明日からは少しスイッチを切り替えてみよう




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★“心”のチカラ

2005年09月29日 | スピリチュアル セッション
               【クリスタルガイザーのトラック】

先日の25日の日曜日、そして27(火)と
ふたつのイベントの企画と司会を終えた。
大きなヤマを越えて、今ほっと胸をなでおろしている。

このところ、イベントにゲストとして呼んでいただいたり
参加者として楽しんだりするチャンスも以前より増えたが、
主催者としての経験も少しずつだが積んでいっている。

日曜日は大井町のきゅりあんで「はればれ介護の元気セミナー」。
テーマは『自分のために今を生きる』
そして火曜日は東京ビッグサイトの国際福祉機器展での
出展者ワークショップ。テーマは
『介護従事者と介護家族の“心のケア”
~スピリチュアルケア的発想をヒントに~』

講師は両イベントとも、EQ・SQコンサルタント、
ヒーラー&チャネラーの矢口恵子さん。
声のトーンがやわらかく、話しを聞いているだけで
心まで癒されるような、ステキな私の先輩でもある。

一番大変なことは、人数集めであることが
主催者の立場になってようやくわかったことである。
私が一番苦手とする分野で、いつも心のどこかで
プレッシャーに感じている。
今回は何人集まるだろうか・・・。
もっと声をかけたり、FAXやメールを送ったり、
どこかのサイトのイベント掲示板などで
宣伝できたのでないだろうか?
あ~、もうイヤだな。向いてないよな、
こういうことは。・・・などなどひそかに考えている。

でもあるとき、恵子さんからこんな話を
聞いたことを思い出した。
イベントの時、「今回は何人集めます!」と
天に向かって宣言するのだそうだ。
それも具体的な数字。

もしその時集まらなかったとしても
いい続けて、そして投げ出さなければ
きっと叶うような気がする。
その通りになるか、ならないかを
まったく考えずに私も“選手宣誓”をするように
天に向かって声をだして見た。

日曜日は「元気セミナーは30人集めます!」
そして、火曜日のワークショップは「100人集めます!」

元気セミナーは前日の時点で約20人の申し込みがあったが
あと10人が当日集まるとは思えなかった。
ワークショップは、申し込みなしの当日受付のみ。
事前の把握はまったくできない状態だ。

実際に蓋を開けてみると、なんと日曜日は30人ジャスト!
火曜日は100人を10人ほど上回った。

その数があまりにも近くておどろいた。
単に勘がよかっただけだろうか?
単なる偶然、と言いきってよいのだろうか?
私はそれだけでないような気がしている。

心に決めること、宣言することの大切さを
ここ最近、その他にも教えてもらっている。

例えば、夜寝るのが遅くなってしまった時、
あるいは朝が早くて寝坊しないか不安な時、
心の中で「3時間後に目が覚めます!」と言い聞かせると
本当に目が覚めるのよ!体内時計をセットするような感じ。
試してみて!と言われた。
火曜日の夜、そのイベントの準備で寝るのが朝方になり
寝坊すると困るので、藁をもすがる思いで
さっそく実行してみたところ、ばっちり起きることができた。

そうそう、初詣の神社でのご挨拶の方法を
加藤雄詞さんから伺ったことがある。

神様にお願いをしにいくのではなく、
今年はこんな1年にします!と自分自身に言い聞かせにいくのが
正しいそうだ。そして見守ってくださいね、だとか、
応援よろしくお願いします!とサポートをお願いしつつ、
守っていただいていることに感謝をする。
つい10円や100円のお賽銭で願い事ばかりに
手を合わせがちだが、それでは他力本願ならぬ、
神様本願となってしまう。

つまり大切なのは「自分本願」であること。

こんな風になったらいいな、でもどうかな、
うまくいかないかも・・・とか、
あんまり良く考えて、失敗したら怖いしな。
と目先の結果を不安がったり、取り越し苦労をするよりも
まずはどうなりたいか、どんな結果にしたいかを
宣言するほうが、ずっと未来が開けそうである。


「“心”のチカラ」は「“言葉”のチカラ」とともに併用すると
より強靭なパワーを発揮しそうである。
これを利用しない“テ”はない、と確信している。

そして何より嬉しかったのは、参加してくれた
中学時代からの友人の声だ。
「鳥肌が立つほど感動したよ~!」と講演が終わってから
しばらく泣いていたミユキちゃん。
「すごくエネルギーをもらえたわ!」というユウコさん。
それから、5月も参加して下さった方が、
以前と比べて力強くエネルギッシュになって
いらしたことも本当に幸せである。

その他にも大勢の皆さまから、また参加したい!という
お声をいただいた。

人数よりも集まってくれた方々が、ひとりでも
感動してくれたらそれは大成功なのだ。
足を運んでくださった方々に感謝の気持ちでいっぱい。
そして同時にがんばった自分にも感謝しよう

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★札幌その2~“すすきの”の誘惑~

2005年09月24日 | スピリチュアル セッション
               【マリモの「ニモちゃん」】

“すすきの”は「世界が憧れる歓楽街」なのだそうだ。
こんなにたくさんのお店が集まっている
場所は他にないのだとか。

絵画展の前夜、一人で繁華街をぶらぶらと歩き、
デパートの地下で、敬老の日のプレゼントを送る
手配を済ませて表に出た。
夕方の、まだほの明るいうちに建物の中に入ったが
出る頃にはとっぷりと陽は落ちて、かわりにまぶしい
ネオンが瞬き始めてあたりの景色が一転していた。

デパートのすぐ隣には、華やかなネオンや看板が
キラキラと輝き、真っ黒い背広を着た茶髪の若者が
道行く人々に声をかけたりしながらウロウロとしている。
一瞬、場違いなところに間違って迷い込んでしまったような
錯覚に陥り、とっさにデパートの看板を振り返って
確認してからあたりの雰囲気と見比べてしまった。

東京では歓楽街とショッピング街とは、
きっちりと分かれていているのだが、
「世界のすすきの」はしっかりと同居している。

絵画展の主催者、久慈(くじ)夫妻もその“すすきの”で
ギョウザバー「TAKATAKA」を営み、
常連さんにはニューハーフの方々がいらっしゃる、
と伺っていた。当日の会にも何人かがお見えになるし、
イベントの第2部は「ニューハーフショー」なのだと
わかっていたが、何しろ気分は「魚市場」で盛り上がり、
会場入りしてからは雄詞さんの素敵な花の絵に
囲まれながらトークショーを聞き、そして合間には
セッションに追われていたために
その先のことを考える余裕もなかった。
もちろん、どんなショーなのか見たことがなかったので
特に期待もなにもせず、案内をされるままに
小雨が降る中、第2の会場となる雑居ビルへと移動した。

店の入り口に立つと急に、胸が高鳴り始めた。
まだ明かりが灯りきっていないような、薄暗い店内。
さほど高くない天井と、広々としたフロア、円形の舞台。
取り囲むように円形にイスが並び、
どこでもお好きなところにどうぞ、と言われた瞬間
迷わず一番前のかぶりつきの席に座ってしまった。

ほどなくして、ニューハーフのお姉さんたちが
各テーブルについて話のお相手や、
ドリンクのオーダーを取ってくれたりしながら、
ショーまでの時間をしばし楽しんだ。

そしていよいよ、幕があがった。

*********************


華やかな衣装をまとい、音楽に合わせて華麗に
踊りながら、スポットライトを一杯に浴びてステージへ。

みなさん、うっとりするほど綺麗で、
上手なダンスに会場も拍手喝采。
急にハイテンションとなる。

偶然にも同名の「香瑠(カオル)」さんは、
絵画展会場でお会いし、私の遠い昔、
「巫女さん仲間」としてご一緒していた
ことが判明して、二人で鳥肌が立っていた。

ステージの彼女もまた本当に美しく、
しなやかに踊っている姿をホレボレと見入っていた。

1500年以上前に同僚だった彼女が
時空を超えてスポットライトを浴び、
私は観客としてそれを見つめていることをなんだか
不思議に思いながら、人生の出会いについて
思いを馳せていた。

きっと、こんな風にたとえ短い時間を過ごす相手でも、
また一瞬すれ違う人とでも、何かしらの縁があるのだろう。
どんな人との出会いも、出来る限り精一杯、
大切にしようと思う。

そんな思いを先輩のチャネラーさんたちに伝えたら、
やだ~、人との関わりなんてそんなのばっかりよ~!
いちいち考えてたら身が持たないわよぉ。と一笑されてしまった。
そして香瑠さんも「あ、この人会ったことあるわ」と
わかる人なのだそうだ。「でも、それだけで十分なのよ」という。

つまり、出会う人のほとんどはいつの時代かに
必ずご一緒していることが『大前提』なのだ。
まだまだ経験の浅い私も、いつの日か
そのことがすっかりと腑に落ちたら、
なんとも思わなくなる日がやってくるのだろう。
「初めまして・・・」じゃなくて「お久しぶり!」と
世界中が言えるようになったら
きっと争いなんて必要がないことなのだ
と思えるに違いない。

みんなが腑に落ちる日がいつか来たらいいのに。
そんなことを考えさせられたショーであった。


**************
そして現実には・・・。
すっかりとニューハーフショーの虜となり、
また札幌に行くことがあれば絶対に見に行きたい!
その美しさと華やかさに加えて、ちょっとばかりの大人の演出に
思いっきりハマってしまったようだ。
知り合いがいる、ということが何よりの安心感であり、
料金も1ステージ、フリードリンクでの料金設定なので、
いくらかかるかわからない、という不安がない。

友人たちにその話をすると、本当は一度
見てみたい!と皆、口を揃える。
今度札幌に行ってみたいね、と話し合ったりしていた。
今日行った美容院の若い男性も女性たちも、
いいな~!とうらやましがっていた。
理由を聞くと絶対楽しいだろう、と思うから。
行った事がなくてもそれは間違いない!という。

これだけ老若男女(ちなみにうちの母も行ってみたい
のだそうだ)が興味を持っているのなら、
敷居がもっと低くなったらいいのにな。
その魅力をぜひ多くの人と共有してみたい。

「世界の歓楽街」の誘惑に私も
すっかりしてやられたようである。
そして、次回のニューハーフショーでは
縦にピッと折った1000円札を指に挟んで
かっこよく“おひねり”を手渡すのが夢である

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ボーダレスな時代

2005年08月03日 | スピリチュアル セッション
              【ベンケイソウ】

野球部の息子が少し体格の小さい男の子に手を振っていた。
友達?と尋ねると野球部の後輩だという。
先輩後輩はないの?と聞くと、
ないよ、オレ達仲良しだから。と答えた。
先日の都大会で3位だったというチームに
籍を置いているところをみると、
決してお遊びクラブではない。
なのに、私が子どもだった頃の上下関係がほとんど見られない。

そう思って見回してみると、
あらゆるところで境界線がなくなってきている。
カップルではいつも食事をオゴるのは女性。
老いた自分の親の面倒を妻の仕事にせず、
しっかりとお世話する夫。
上司の飲み会はイヤならきっぱり断る部下。
どっちが親かわからない友達親子。
考え始めたら枚挙に暇がない。

縦社会の崩壊に嘆き、世相を分析する評論家も多いが、
その上下関係が作り出した歪みがいま次々と暴かれている。
従うべきリーダーがとんでもなかったら、
その忠誠心は悪の温床を育ててしまう。
従来の隠蔽体質は、時として「欠点や失敗=恥」
と世間体を恐れ、家庭の中で処理しようと思うために
例の高齢者を狙った事件を作り出している。
親戚一同に恥じないようとする家制度、
という感覚も大きく影響しているのではないだろうか。
今後若年層になるほど、その意識は薄らいでいくだろう。
つまり、あえて臭いものにフタをする必要もなくなるわけだ。
そんな状況の変化の中で、きっと今までのように
悪いことは隠しきれなくなってくるだろう。

忠誠心がないということは、逆を考えると
道はずれるとすぐに明るみにでる可能性もある。

もしそう考えるならば、「いいもの=本物」のみが
生き残る時代に突入していくのではないだろうか。
枠がなくなり、境界があいまいになるという流れは
つまり魂勝負!ありのまま、素顔の自分が
魅力的で勝負強いほど追い風を受ける可能性が大きい。
これからの未来は地位や名声、学歴、家柄などは
あくまでもプラスαであり、最終的には
人間力が強い人が真の豊かさや幸福を享受できる。

ボーダレス時代はあいまいなようでいて、
実はごまかしが利かず、思ったよりも厳しい。
しかし、本筋をきちんと踏まえていくことで
きっと今までよりもずっと生きやすい、本物時代へと
変貌していくのだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★100%のライフスタイル

2005年08月01日 | スピリチュアル セッション
         【ハワイの空と海と鳥】

あぁ、そういえば7月は海の日あたり
の2日間しか休みがなかったな。
そうそう、6月は1日もなかったわ。
ハワイは旅行というより仕事だったし。
このところ、寝るのも夜中の2時を回っている。
旦那のお世話をしなくていいとはいえ母親業は手を抜けない。
そしてココ最近は一日のうち2~4種類の
仕事をこなすのが日課となっている。

実家のファイン、お花、アクセサリー、セッション・・・
何が本業なのか、何に絞るべきなのか迷った時期もあるが、
加藤雄詞さんの、「全部やればいいじゃん!」
という言葉で視界が開けた。

そして、心に誓った。 

すべて100%。
すべてプロフェッショナル。

その仕事に向かっている時は全身全霊を注ぎ込む。
3足でも4足でも10足だって、履けるワラジはすべて履く。
広く浅くじゃなくて、広く深く。
まずは私自身が楽しめて、その上で必要としている
人がいる限りいただいた仕事は受ける。

人はいつもないものねだりで、隣の芝生は青く見える。
でも、近頃さまざまな人間模様を見るチャンスに恵まれて、
ある確固たる結論に辿り着いた。

「人の芝生は思ったよりも青くない」

意外に枯れかかっている芝の一部だけを見て、
いたずらにうらやんでいる場合も往々にしてあるものなのだ。
私だって、本当は適度に働き、
平日の昼間に昼ドラなどを見ながら、
ハッと気がついたら、あらやだ。うたた寝しちゃってたわ!
みたいな半々主婦に実はあこがれている。

でも今生はどうやら多忙な生き方を決めてきたようだ。
そうと気づけば、あとは全力で突き進むことにしよう。

*********************

最近の若い会社経営者は以前と違ってきている。
仕事も会社も仲間も全部うまく
バランスが取れている気がする。
その昔、会社の顔と家庭の顔が全然違う
男性はそんなに珍しくはなかった。
会社では「仏の○○さん」と呼ばれていても家では亭主関白。
またその逆で会社では鬼課長でも家ではマイホームパパ。
などというのはよくあるパターンだった。

でも流れは変わった、というか機は熟した、とでもいうのだろうか。
仕事、家庭、仲間この3つすべてに100%で
あることこそが、これからのスタイルだろう。
それは、現段階でうまくいってようが、
づまづいていようが、どちらでもいい。
順調な時とそうでない時はもちろんあるものだ。

つまり、何かの犠牲の上にある名声や地位は
本物の輝きを放てない。
誰かを泣かせて成り立つ幸せは、
まるで砂上の城だ。

全部100%じゃないと格好悪いよね!という
若き敏腕経営者は、驚くほど肩の力が抜けている。

*********************

裏と表。本音と建前。内と外。イチかバチか。
…という表裏一体の時代はもはや変わりつつある。
真の実力者こそ、表と裏の顔がない。
いつも同じ。誰とでも同じ。

そんなスタイルに習ってマネしてみると
思ったより、楽に生きていけそうだ。

そして現在の私の目標は
100%で働いて、休む時も100%オフにしたい。
「馬車馬のように働き、王様のように遊ぶ」である。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ 誰かの幸せを祈る気持ち

2005年07月24日 | スピリチュアル セッション
 【フランス製のボトル】


私がかれこれ15年ほど席を置く、
マミフラワーデザインスクールの研修会に参加した時の出来事。

会の最後、花束贈呈があった。
ご自分の経営する国内のお教室を海外へと移転することに
なった方への激励のお花だった。
私達出席者はもちろん応援の拍手を送っていたのだが、
受け取った方が号泣しはじめた。

移転の決意を報告した時、総長のマミ川崎先生からの第一声、
「あなたが幸せだったらいいのよ!」
と言ってくださったのだと感激されていた。
マミ先生の暖かい言葉と、それを感謝の気持ちで受け取った心に
思わずみんながもらい泣きをしたり目頭を熱くしていた。

***********************

私も、同じような言葉をいただいたことがある。

それは、去年突然いろいろなことが
わかってしまうようになったことを機会があるたびに
親しい友人たちに報告をしていた。


(というか、今日現在、昨日も何人かにしたばかりだ。
まだまだ報告しなくてはいけない人がいるのだが、
なにしろわざわざ電話するのもなんだし。
またチャンスがあった時でいっか!と気長に構えている。)


そして、十数年来のお付き合いの夫婦にメールで報告をした時のこと。
ほどなくして、ご主人のほうから返事が戻ってきた。


「かおるちゃんがいつの日も幸せであるように願うよ。」


…なんて暖かい響きなんだろう。

突然の出来事で半ばパニックを起こして不安になっていた
私の気持ちをすっぽりと包んでくれた。


新しい局面に、図らずも立たされた時、
あるいはこうしよう、と自ら新たな道を選んだ時、
周囲の反応は実にさまざまだ。

「失敗したらどうするの?」
「本当に大丈夫なの?」
「あなたのことが心配よ。やめておいたら?」
「私はそんな風に思っていないけど、
まわりはこんな風に思っているみたいよ。」

大切に思っているからこその忠告や
実は半分、ジェラシー混じりのアドバイスなど推し量るのには
思考能力がパンクしそうなほど複雑なコメントの数々。

でも、私たちは経験をするために生まれてきた、
感動するために生まれてきたのだ、という視点から見てみると
失敗をすることで得られる経験もまたかけがえのないものなのだ。

失敗を恐れるあまり臆病な気持ちとなり、新たな1歩に躊躇しているのなら
それは幸運なビッグチャンスをも見逃してしまうだろう。

不安心に火がつくような他からの忠告も、
時に天からのメッセージとして受け取ることも必要だが、
まずは私がどうしたいのか、という自分の心を最優先させたい。
そうすれば、なにが起こっても“自分自身発”
なのだから誰かのせいすることもない。

そして、もし誰かの新しい局面に遭遇したり、
決意の旨を聞くような場面に遭遇したら、
私も先述のお二人のように幸せを心から願いたい。

不思議なことにそんな風に言われたら心の底から勇気が湧いてくる。
もしも逆境に立ち、
「やっぱり私にはムリだったのかも…引き返そうかな」
と気弱になった時その一言が、思いが背中をそっと、
でもしっかり力を込めて押してくれる。

次回そんな場面に遭遇したら
そんな素敵なセリフをきちんと伝えていける私でいよう。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★私がワタシを信じる時

2005年07月12日 | スピリチュアル セッション
               【Mt.シャスタの信号ボタン】

「あなたはあなたを信じてください。
あなたはあなたを誉めてください。
そうすれば、まわりもすーっとよくなるんだ!
あなたが自分を信頼することから始めること。
98年間生きてきた私がいうんだ。間違いないよ!」

-********************
地の底から湧きあがる、張りのある声で
叫ぶようにして熱く語っていらしたのは、
御歳98才。発明学会の会長さんである。

矍鑠(かくしゃく)として、凛としたお姿。
金色に広がるオーラがでていた。

-------最近、とても気になる言葉。

「自分を信頼すること」

あ、ここでもまた言っている。
あれ?こんなところでも、そのセリフ?
…ということは、今私が必要としている事柄なのだろう。

妊婦の時には、世の中にこんなに妊婦がいたんだ!と驚いたし、
駅の階段から落ちて靭帯を切り松葉杖をついていた時には、
ケガをした人ばかりに目がいっていた。
少しニュアンスが違うが、今置かれている状況や
必要としている情報はよく見えたり、
耳にしたりするするものだ。

自分を信じることが、すなわち「自信」なのだと思う。
でも自分を信頼できない人がなんと多いことか。

日本人は謙遜することが美徳とされてきた。
「一歩さがって師の影を踏まず。」
そして女性は親に従い、旦那に尽くし、老いては子に従うという
レールがひかれていた。

そこには、生きていくための術というだけでなく
「おかげさまで」という心も併せ持ち、凛とした強さを秘めていた。
耐える力を持っていたからこそ、謙遜が美しいものとされた。

しかし、現代はどうだろう。
平和な世の中で、耐える力は退化し始めているのに、
妙な形で謙遜だけが残っているのではないだろうか。
まるで、地球温暖化で熱くてゆがんだ「謙遜の心」。

それは以前と似て非なる“芯のない自信のなさ”
に形を変えているような気がする。
「いえいえ、私なんかどうせ…」という自分攻撃型・卑下するような気持ち。

でも、私は最近思っている。
自分を信じていない人が、人のことを心から信用できるのだろうか?
まずは自分の中の自分を励まし、応援し、一歩でも前進できたことを認めること。
それが自分自身を信頼するということ。

私自身から始めることがレッスンなのだ。

まわりの人をあれこれと思い煩い、辛い思いをする前に
もう1度確認してほしい。

あなたはあなたが好きだろうか?
あなたはあなたを信用しているのだろうか?

それは自信過剰や自己陶酔型の愛とは違う。

純粋に、私がワタシのサポーターであるかどうか。
つまづいた時にしっかり起こしてあげられるだろうか?
起き上がった自分を励まし、また次の力が湧いてくるような言葉を
ワタシにかけてあげられるのだろうか?

人に言ってもらうのを待ったり、要求するのではなく
私がワタシに言ってあげるのだ。

みんな、家族や友人が落ちこんでいると暖かく応援するのに、
自分が落ちこんでいると励ますことを忘れてしまう。
励ますどころか責めまくる。これでもか、っていうぐらいに。

もし、私がワタシの存在に気づいてあげられたら、
その時こそ、新たなスタート地点。

一人前のワタシになるまで、暖かく見守りながら育ててみよう。
それがきっと「自分を信じる」コト、つまり「自信」に通じていく。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★新しい発見!未来の見つけ方。

2005年07月04日 | スピリチュアル セッション
昨日、群馬での「B-UP EXPO」に参加した時に
またまた新しいことを発見。

私のセッションブースにいらした方からの質問で
過去から未来の見つけ方を教えてくれたのだ。

質問内容はこう。

「外国で新しい展開を考えているけど、
その時に関係している過去世は?注意すべきことは?
その土地との関わりはなにかある?」とか、

「今一緒に仕事をやってる人との未来に影響する過去世は?
どんな風な関係を未来に向かって築いていったらいいの?」

などなど、そっか。そんな聞き方もあるのね。と頭で思いつつ、
ちゃんとそれなりのアドバイスが出てきた。

それから、驚いた事がひとつ。

当然、私は二人の現在の関係を知る由もないのだが
昔、お互いの間柄の中で一方がこんなこと言われてたよ、とか
こんな感情を持っていたよ、とお伝えすると
「それって今も同じこと言われてるわ…」という方が
意外と多いのだ。

…だとすると、(あくまで仮定だが)
遥か昔、時には気の遠くなるような昔から
同じような関係を続けてきてる可能性が大きいってこと?

------------もしも、仮にそうかもしれないのなら、と
数学の証明のように考えるとしたならば、
こんな風な現状の考え方もありそうだ。

たとえば、人間関係の中ですごくいい間柄を築いているなら、
もう迷うことはない。きっとずっと仲良しだったのでしょう。
あるいは、過去の自分達が大変な時期を乗り越えて
お互いが助けたり、助けられたりしながら
今という大切な時を刻んでいる証拠。

でももし、あなたのまわりのどなたかと
思うような人間関係が築けず悩んでいるとしたら…。

もし、この辛い関係が何百年からの繰り返しだとするなら
よけい辛いですね。なんだか気が遠くなりそう。

ちょっともう終わりにしませんか?

相手に変わって欲しいと思うなら、
あなたが先に変わるほうが簡単かも。

たとえば、見方を少し変えてみる。
時に鳥になった気分で自分と相手を見てみましょう。

自分を客観的に見れたり、
相手のいいところも見つけられる可能性あり。

たとえば、声のトーンをワントーンあげてみる。
もちろん音符つきのいい言霊で!
問題とはぜんぜん関係のないことでいいから
いいところを見つけて誉めましょう。

声のエネルギーが、暗~い雰囲気を
プラスに変えてくれる可能性あり。


そして、出来る限り精一杯自分なりに歩み寄ってみて
もし修復できなかったとしても大丈夫!
次の自分がきっとがんばってくれることでしょう。

だからムリしないで。
ダメな自分だと責めたりしないで。

きっときっとわずかでも前向きに前進しようとする気持ちが
あるなら、かならず次につながるから。


私達は、よく人生の中でも無意識のうちに
「生まれ変ったみたいに別人だわ…』と言うような
セリフを口にするけど、「みたい」じゃなくて、
ホントに生まれ変って別人になって
やり直すチャンスを得ているみたい。


そう、そして新しい出会いには
不思議な気持ちに遭遇することがたくさんある。

出会った瞬間から意気投合してしまう、なんてことは
日常の中に散りばめられている。
もちろん男女の出会いもしかり、友人や仕事関係もしかり。

初めて会った気がしないわ、という場合は
たいてい自分の直感を疑わずに信じたほうが正しいようである。

そこがまた人生の妙。
そんな出会いをギフトとして、感謝し楽しむことができたら
より味わい深い旅路となるのだろう。

----------------------------------------
群馬でもまた大勢の人と出会えて楽しかった!

片付けまでお手伝い下さったさおりさん、ありがとう。
わくわく新しい出会い、フリーライターの青豆さん、
再会が楽しみ!

そして、遊びに来てくれた学生時代からの友人の一美。
帰りのがけに手渡してくれた「コーヒー豆チョコ」を
新幹線の中で口にほうりこんだら、
ホロホロっと肩の力が抜けた。

思っていた以上に疲れていたようだ。
さりげない思いやりこそが、人間関係をひとつづつ積み重ねていく。

冒頭の新しい未来の見つけ方は、特別なことでなく
小さな愛ややさしい気持ちから始まっている





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★過去を知るって後ろ向きなこと?

2005年06月30日 | スピリチュアル セッション
               【紅茶ラベルでデザインした壁掛け
                        :アメリカのMt.Shasta】

よくあるご質問。

過去世を知って一体どうなるの?
未来は知りたいけど、過去は関係ないんじゃないの?
という疑問をよくもらう。

それについての答え、といえるかどうか
現在、自分なりにわかったこと。

----------未来しか見ないということは、
たとえて言うなら、暗闇の中をヘッドライトだけを使って
先を見ているようなもの。

自分がどんな道を歩んできたかを知るということは、
どんな道を運転するのが得意で、不得手はどんな道なのかを
確認する作業に似ている。

前回、坂道が上手に登れなかったから
再チャレンジしているのよ、という場合もあるし、
ヘアピンカーブは以前、得意中の得意だったから大丈夫よ!
思いきって曲がっちゃえば!なんてこともある。


運転のクセを知ることは、これからのドライブが
しやすくなるということにもつながるのだ。

----------過去を知ることは、つまりヘッドライトだけでなく
テールランプや街灯もつけて道全体を見渡せやすくすることなのかも。


せつない演歌のように、悲しく過去にすがるのではなく、
未来に前進しやすくするため「単なる」基本情報。
でも「重要な」確認事項としての存在。


そうして、いつの日か車は廃車となる日が訪れる。

車は永遠ではないのだ。
今、この鏡に映っている自分の肉体も
いつかポンコツのように動かなくなる日がやってくる。
でも、車と人との関係と同様、
乗り手は変わらないけど、車種が変わるように
肉体や性別、人種はさまざまに変化する。
つまり魂は変わらないけれど、容姿が変わるのだ。

それが輪廻転生の考え方のようである。


そして、生まれ落ちる瞬間に記憶が消される、という
ありふれた、でもやっぱり半信半疑の説も
どうやら事実のようである。


タイ人の友人に、ハワイでさまざまな人種の方が
お見え下さったことを話したらビックリしていた。
「それって仏教やアジア人だけの思想かと思っていたよ。
クリスチャンの多いアメリカでも受け入れられたなんて
本当にすごい!」と驚きっぱなしだった。

最近スタートした月曜日の深夜番組にも
前世の話がよく出ている。


今はまだ、時々だが初めての人に
「えっ?コワイ…。」と後ろへ一歩さがられてしまって
ちょっぴり悲しい時もあるが、きっと近い将来、
ぐっと認知度が高まってこのジャンルが
確立するのではないかと思っている。

そう、そしてコワがられてしまった日には
やりきれない気持ち半分、でも心の中で、
だって見えちゃうんだからしょうがないわ、とつぶやいている。

でもこれは必ず念を押して言っている。
「いつもいつも見えているわけじゃないんです。
基本的にはスイッチを入れないとわからないし、
見るものすべてがわかってたら、
自分が疲れて大変なことになっちゃう。
だから今は見えてませんよぉ!」って。

これはホント。

すべてがそうだったら私は人間じゃなくなっちゃう。
おいしいコト、楽しいコトを発見して喜んだり、
失敗しても立ち直るチカラを身につけたり。

人生って奥が深い。

毎日を精一杯過ごすことで、生きているコトを実感したい。
明日もまたよろしくね!と自分自身に声をかける。

そして、今日も1日ありがとう。
よくがんばったね!おつかれさま










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ハワイ体験記 その2 「熱烈ハグ!」

2005年06月20日 | スピリチュアル セッション
初日、夕方来たセイン・カミュを1、5倍くらいにした若い男性は、
2時間待ちぐらいでブースに来てくれた。

他の人のセッション中、長い時間後ろで待っていたのは視界に入っていたが、
あともう少し、という段階で歩き出してしまった。
終わったと同時に夢中で追いかけ、
「ごめんなさい、待ってくれていた?」と話しかけたら
「忙しそうだからいいよ。あきらめるよ。」と言うので、
予約表を取りに行き「もし時間があったら記入して!」と伝えると
「OK!」とかなり先にもかかわらず名前を書き込んでくれた。
(この会話はなんとか自分で。この先の会話は通訳を通して。
あ~、もっとしゃべれるようになりたい!)

時間に合わせて汗だくで走ってきた彼は、
「たくさんのブースの中で絶対君に見てもらいたいと思っていたんだ。」と
席に座るなり言ってくれたのだった。
じっと彼の顔見てたら、私が
「あっ!あなたと会ったことある!いつか、どこの国でかわからないけど」
と口走っていた。

そしてセッションの最後に彼が「君と僕の関係を見て」と質問してきた。
フォーカスしたらやはりご一緒していた時代があり、
助けてもらったようなので「あ、え~と、じゃあ、その節はありがとう。」
とへんな感じだけどお礼を言って終わった。

「いろいろなことがすっきりとしたよ~」とはればれした表情の彼は
ハグしたい、というのでブースからでて大きなガタイに抱きついた。
するとなんと!最後にギュっとされた時に肋骨がバキっと音を立てた!

夕食時になると、まずます呼吸は苦しくなり、だんだん胸が腫れてきた。
顔色悪くなってきた。腕にも力が入らず、だら~んとしてきたのだ。

ヤバイ!
よく「抱きしめると君は折れちゃいそうだ。」なんて
ドラマのセリフで耳にするがホントに折れちゃったのか?
私はそんなヤワなのか?

これってやっぱりドラマチックな話としてまた受けそうな話だわ!と
痛くて辛い気分と、ネタがひとつ増えたような喜び(?)のような
複雑な気分で苦しんでいた。

幸い出展者のメンバーに名整体師がいたのですぐ治療してもらうことができた。
先生曰く、右肩から肋骨にかけて全体的に内側に入っちゃったらしい。
ほうっておいたら、骨がずれているのでますます悪化するところだった、という。

「日本人はハグに慣れてないからね~!
自分のカラダは自分で守らなきゃだめよ。
あのね、カラダの小さい人の正しいハグされ方はね、
相手の脇に手を入れるの。そう、腕あげて両脇にからめるカンジね。
腰に手を回すとモロに力が入っちゃうからね!次から気をつけて!」

そうなんだ…。知らなかった。勉強になりました。
外国人にあんなに強く抱きしめられたことがなかったもので。
たしか彼は軍隊に行っていた、と話してたっけ。
力は強いハズだわ。

自分自身のカラダは自分で守る。
そして、自分の心も自分で守る。

Protect youreself!

そんなメッセージをもらったようである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ハワイデビュー体験記 その1

2005年06月19日 | スピリチュアル セッション
6月3日(金)~8日(水)までの6日間、
“KAORU'S life with Fun”のスケジュールでもご紹介した
「Body, Mind and Spirit EXPO in Honolulu」に参加しました。

**************************

海外旅行はかれこれ14回目ぐらいかな?
ハワイには縁がなく、ついに念願の初ハワイ。
「いいよ~、ハワイは!1回行ってごらんよ」
「えっ?行ったことないのぉ~?あれだけあちこち行ってるのに?」
などと言われ続け、今年こそ!と思っていた。
「BMSE in Honolulu に参加してみない?」と誘われた時には
チャンス到来!夢の実現!とばかりにふたつ返事で
「行きます、行きます!」と叫んでいた。

アメリカ人は過去世を受け入れてくれるのかしら?
1人か2人くればいいかな。参加することに意義あり、なんだし。
という気持ちで迎えたイベント。

だいたい、ブース出展歴2回目にして海外に進出しちゃおう、という私の大胆さ。


加藤雄詞さんが率いる「元気会」のメンバーとともに日本から約15ブース、
アメリカ全土から集まったブースが約40ブースほど。
タロットカード、整体、マッサージ、サプリメント、パワーストーンやアクセサリー…
イベント名のごとくさまざまな業種がMIXした催しだった。

そしてフタをあけてみると、私のブースにはなんと2日間で24人も来てくれたのだった。
通訳が足りなくてキャンセル待ちになり、めいっぱいフル稼働の大盛況。
白人、黒人、有色人種、老若男女と幅広い方たちがお見えになって、
けっこう涙ぐむ人多くてびっくりした。
家族が次々に受けに来て、とうとう翌日は
お父さんまでセッションを受けに来たり…。
言葉は違っても魂に届くってこういうことなんだな、って実感できたのが大きな収穫。

さすがアメリカという質問もあったし、
家族や人への愛情の深さは人種は関係なく、みんな同じなんだわ!と改めて感じたり。

「あなたの名前、メモに書いておくわ!
来年来た時のために覚えておかなくちゃ」と言って下さった方や、
「あれからいろいろ家族のつながりについて考えてみた、
あれも聞けばよかった。これも知りたかった。今度また来た時にはぜひ!」という
メールを下さった、ハワイ在住の日本人の方。


最終日の早朝、海から大きな虹が出ていた。
いろいろなハプニングがあったけど、
私の挑戦に大きな拍手を送ってくれたのかも!なんて思うと幸せいっぱいの気分。

多くの人との出会いから、また少し自信と勇気を与えてくれた今回のイベント。

新しいチャレンジをしたい、と一歩踏み出した時
いい結果がでても、思ったような結果が得られなかったとしても、
必ず次への課題をもらえたり、次に進む方向が見えたりするものなのだ。

そしてなんといってもハワイはプライベートでまた行きたい!

十何カ国か旅をしたけどハワイが大好き、
店名はハワイ語という私の美容師さんに
「何がそんなにハワイはいいの?いろいろな海辺のリゾート地とどう違うの?
景色はグアムやプーケットと同じような感じでしょ?
カラッとした気候は、アメリカ本土やオーストラリアも同じじゃないの?」
と質問した私に「う~ん、うまく言葉で言えないけれど、
あえて言うなら“波動”とか“気”とか違うのかな~」と
私の髪を切りながらぼそっと言っていた。

最終日、ほんの短い時間だったが早朝のビーチを散歩してみた。
うわ~、ホント!これが彼の言ってた“波動”とか“気”なのかしら。
潮風や波の音、打ち寄せる海に癒されながら、
次は絶対、家族とプライベートな旅でのんびりしたいわ!と新たなニンジンが見えてきた。

そしてもちろん、またの機会を待っているかもしれない
ハワイの人々との出会いのために、また明日からがんばろうね!と
私の中の私と約束をした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★スピリチュアルって?

2005年06月16日 | スピリチュアル セッション
               【トレニア】

最近よく耳にする言葉で、テレビでも本でもすっかりお馴染みになってきましたよね。

私のHP“KAORU'S Life with Fun”で詳しく経緯をご紹介していますが、
ある日突然、そんな体質になった私は、色々な話を人から聞いたり読んだりするパーセンテージよりも
実際に自分でしゃべりながら心のなかで「ふ~ん、そうなのか。なるほど、いいこと言うなぁ」と
思うことがかなり多いのです。(時には何をしゃべったかぜんぜん覚えていないこともあります)
さまざまな方がセッションを受けにいらっしゃるようになって、私自身がすごく成長しています。

つまり「スピリチュアル」ってオカルト的な恐いものではないし、
統計学のような占いとは一線を画すものだという答えが
私の中では結論として出てきています。
特殊な世界ではなく、よりよく生きるための道しるべであったり、
幸せに充実した時を過ごすための考え方が「スピリチュアル的な発想」なんだと思っています。


そして、突然こんなカラダになった私には友人たちから質問ぜめにあっています。
「え~?じゃあさ、人間は動物になっちゃうこともあるわけ?」とか
「生まれ変ったら白人が黒人になるとかもあるの?」
「あ~、もう聞きたいこといっぱいよ!興味津々だわ~!」…などなど
生きる上での素朴な疑問をたくさんいただいています。

このカテゴリーでは、周囲から受けた素朴な質問の答えを書いてみたり、
セッションの中から学んだステキなアドバイスや、
もちろん読んだり聞いたりした話の中から、
これはおすすめのすっごいいい話~!というものがあれば
忘れないうちにメモする感覚で記録しておこうと思っています。

まだまだビギナーの私だからこそみなさんとシェアできる考え方や、
知識や話がたくさんあるはず。

そんなスタンスで楽しみながらこのページを作っていく予定です。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする