“墓じまい”という名の「エモ旅」へ。
岐阜の大垣には子どもの頃から
何度訪れたことだろう。
清水家のお墓参りや法事のたびに
家族で来て、そのついでに親戚の家に
遊びに行ったり、長良川や木曽川、
揖斐川(いびがわ)で川遊び。
鵜飼や鮎を食べに川沿いの“梁(やな)”で
鮎づくしをいただくのも
夏の楽しみのひとつだった。
その度に大勢の親戚やいとこたちが集まって
ワイワイにぎやかに過ごした思い出は
すっかり遠い昔の思い出となり
私は少しずつ大人になっていき
父が亡くなった約30年ほど前から
そんな集まりもすっかりなくなっていった。
新幹線で名古屋まで。
それから在来線で大垣、
さらにバスで30分ほどの距離は
なかなか気軽に行ける距離でもなく
しだいに足が遠のき、母だけでなく
私たちも年を取っていく。
お墓を何よりも大切にしていた世代だった母も
ようやく手放す気持ちになり
家族4人で大垣へとやってきた。
思い出はたくさんあるけれど、
ここにはもうきっと来ることもない。
だって名古屋から遠いし
来てもなんにもないし。
わざわざまた足を運んで見るものもないから、
ついでに、とかたまたま、でさえも
たぶんそんなことも起こらない場所だろう、と思うから。
だからみんなで記憶の中と
今現実ここにいる所を重ね合わせては
そのひとつひとつを、
しんみりと感傷に浸るように
あぁ、これでここに来るのは最後だね。
前にあそこには確かあれがあったよね。
あんなことあったよね。と
いちいち懐かしむ私たち。
「みんなエモいね。」と息子のタツロー。
エモい…って最近の言葉、
ネットで見たことある。
こんな時に使うんだ。感傷的、懐かしい、
ノスタルジック、切ない、もの悲しい、
という意味らしい、まさに。
題して「エモ旅」だね。
今朝親戚も岐阜や大阪から集まり
お坊さんがきて御霊抜きをしたあと
ひとりひとり手を合わせ
そしてすぐに待っていた墓石屋さんが
クレーンで解体。
父の骨を拾い、白い布に包む。
すべてがあっという間の出来事だった。
タツローが
「小さい頃、お葬式があるたびに
大阪に行けて嬉しかったんだよね。
親戚や同年代のはとこたちに会えるから。
誰かが死ぬっていう意味が
よくわからなかったんだ。
きっと悲しいことだけど
でもみんなと会える。と
子どもながらに思っていたよ。
だから今回も楽しみなんだ!」と
言っていた通り、はとことの再会を喜び合う。
思いもかけず岐阜や大阪から親戚たちが
ご一緒してくれて、清水家が集まると
行っていたうなぎ屋さん、「川貞」でにぎやかに。
ここは大好きなうなぎ屋さん。
カリッとフワッと、甘すぎず、タレも
多すぎず。何十年通い続けただろう。
たぶん50年以上。変わらない美味しさ。
ここも最後。と思うと
しんみりとしてしまうが
私も久々のいとこたちとの再会で
おしゃべりがはずんでしまう。
大阪にまた遊びに行くことを約束して。
そして、ニューヨークに来てね!と約束して。
タツローと同年代の参加者のひとり、Ayaneちゃんに集合写真を見せると
「わぁ!嬉しい!家族大好き❤」という。
タツローも「家族大好き!」とよく言っている。
離れていても、なかなか会えなくても
その絆はきっと消え去ることはない。
そして、たとえ血が繋がっていなくてもファミリーの一員になることだってたくさんある。
私にも現に、血が繋がっていないけど
NYに家族がいるように。
縁というのはつくづく不思議。
そこに証明書も契り(ちぎり)も
いらなくて、長い時間も必要なくて。
それでも育んでいける何かもたくさんあって。
次もまた会おう!とかわした言葉は
昔は(いつかね。)とカッコ書きがあったけれど、
その“いつか”はやがてやって来ない。と
いうよりすぐにでも不可能に
なるかもしれない。という方が
現実味を帯びていく今、
やっぱりホントに行動しよう。
最後の岐阜のお菓子屋さん、
金蝶園の「水まんじゅう」と
ぎゅうひの入った「若鮎」をほおばり、
エモい気持ちにひたる。
これも作ったその日じゃないと
味が違うのでお取り寄せもできない
最後の味。
東京で買ってもやっぱり
ぜんぜん味が違う。
ここでしか味わえない絶品を堪能して
さぁ。新しい明日へ。
ただいま、東京へ向かう新幹線の中。
父の遺骨はタツローと私の間に。
お父さん、もうすぐお家に着くよ。
そして明日は近所の新しいお寺にて永代供養を
身内だけでささやかに執りおこなう予定。
短くも長い家族の“エモ旅”がまもなく終わる。