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有馬在住

有馬温泉の旅館で働くスタッフのブログ。
有馬温泉・神戸・六甲山の自然や文化を紹介します。

太閤秀吉と願の湯(ねがいのゆ)

2008-12-22 01:01:00 | 有馬の昔話

天正十七年(1589年)に太閤秀吉が有馬を訪れた時のことです。

清涼院から西南の方向にある高台に登り、杖でとんとんと地面をたたいて祈りました。

「もし、この地に温泉が湧き出したら、海の彼方までわしの土地になるだろう。湯よ、湧き出せー!」

すると、足元から少しずつ湯が湧き出し、温泉場になりました。

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人々はこの温泉を「上之湯」とか「願の湯(ねがいのゆ)」と呼びましたが、太閤様が亡くなると湯も湧き出なくなってしまいました。

温泉寺から念仏寺にあがる坂道は「願い坂」と名付けられています。


袂石(たもといし)

2008-12-08 01:01:00 | 有馬の昔話

ある時、松永城主が葦毛の馬に乗り、重藤の弓と白羽の弓と白羽の矢を持って、鷹狩をしていると、湯泉神社の祭神である熊野久須美命(くまのくすみのみこと)が狩場を通られました。

松永城主は怪しく思って祭神様を射ようとしました。

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すると、祭神様は袂(たもと)から小石を取り出して、松永城主に向かって投げつけました。

この小石が年月を経て大きくなり、袂から投げられたので、「袂石(たもといし)」とか、「礫石(つぶていし)」と言われるようになりました。

その後、有馬では葦毛の馬や重藤の弓、白羽の矢を持って入ることが禁じられました。

もし、この決まりを破って有馬に入れば、晴天が急に曇って、風雨が激しくなると伝えられています。

太閤橋のかたわらにある袂石の大きさは、高さ5m、周囲19m、重さ130トンもあります。

また、湯泉神社のある愛宕山公園の山上には天狗岩があります。

いずれも古代の巨岩信仰の遺跡ではないかと言われています。


妬湯(うわなりゆ)

2008-11-22 17:07:49 | 有馬の昔話


むかしむかし、ある人妻が夫に愛人がいるのを突き止めて、愛人を殺し自分も深い温泉に身を沈めました。
その後、美しい女性がこの温泉のそばに立つと、湯が激しく煮えくりかえるようになったため、これを「妬湯(うわなりゆ)」と呼ぶようになり、そこに妬神社が建てられました。
伝説の湯は今では涸れていて、その裏手に新しい泉源が掘られていますが、妬神社の赤鳥居は現在も残っています。

功地山(くむちやま)と杉谷

2008-11-01 17:04:22 | 有馬の昔話
大化の改新の二年後、孝徳天皇が有馬にやって来られました。
宮殿を建てるのに十分な木がないか探し回ったところ、杉の木が豊かに育っている山を見つけました。



そこで、天皇はその山の杉を使って、立派な宮殿を建てました。
大喜びした天皇が「この山の功績は大きい」とおほめの言葉を与えられたので、人々はこの山を「功地山(くむちやま)」と呼ぶようになりました。
また、この山の脇にある谷は、杉が切り出されたことから「杉谷」と呼ばれています。
この時、中大兄皇子や中臣鎌足もお供として一緒に有馬にやってきました。
孝徳天皇の子、有間皇子(ありまのおうじ)には、その名から有馬でお生まれになったとの説があります。
この他にも多くの著名人が、有馬を訪れています。