
50代の半ばから、
ふと「幸せ」って本当に「なるもの」なんだろうか、
と考えるようになりました。
若いころは「幸せ」を求めて、
やみくもに走り続けてきた気がします。
「これが手に入れば」
「あの人がいれば」
と、条件が揃えば幸せになれると思っていた自分がいます。
でも、歳を重ね、いろいろな経験を積むうちに、
幸せは手に入れる「もの」でもなければ、
どこかに向かって「なる」ものでもない
と感じるようになりました。
むしろ幸せは、すでに自分の中にある、と。
気づくこと、感じ取ることさえできれば、
いつでもそこにあるもの。
何か大きな達成をした事だけじゃなく、
当たり前に思える日常の瞬間こそ、
幸せの芽が隠れていることが多い…
そう気づき、感じることができれば変わります。
誰かがくれるちょっとした言葉や笑顔。
そんな何気ない瞬間にこそ、幸せが満ちている。
幸せは「なる」ことよりも、
心が素直に「感じる」ことが大切なんだとわかった…。
60年の間に、いくつも大切なことを失い、
また新たなものに出会ってきました。
心が痛むことも多くありましたが、
その経験があるからこそ、
小さな幸せを見逃さない眼差しが、
持てるようになった気がします。
私にとっての「幸せの正体」は、
他でもない「今、この瞬間」に気づくこと。
そうやって一つ一つの瞬間を味わうことで、
幸せはいつも自分の中に、
そして目の前にあるものだと思えるようになりました。
ふと「幸せ」って本当に「なるもの」なんだろうか、
と考えるようになりました。
若いころは「幸せ」を求めて、
やみくもに走り続けてきた気がします。
「これが手に入れば」
「あの人がいれば」
と、条件が揃えば幸せになれると思っていた自分がいます。
でも、歳を重ね、いろいろな経験を積むうちに、
幸せは手に入れる「もの」でもなければ、
どこかに向かって「なる」ものでもない
と感じるようになりました。
むしろ幸せは、すでに自分の中にある、と。
気づくこと、感じ取ることさえできれば、
いつでもそこにあるもの。
何か大きな達成をした事だけじゃなく、
当たり前に思える日常の瞬間こそ、
幸せの芽が隠れていることが多い…
そう気づき、感じることができれば変わります。
誰かがくれるちょっとした言葉や笑顔。
そんな何気ない瞬間にこそ、幸せが満ちている。
幸せは「なる」ことよりも、
心が素直に「感じる」ことが大切なんだとわかった…。
60年の間に、いくつも大切なことを失い、
また新たなものに出会ってきました。
心が痛むことも多くありましたが、
その経験があるからこそ、
小さな幸せを見逃さない眼差しが、
持てるようになった気がします。
私にとっての「幸せの正体」は、
他でもない「今、この瞬間」に気づくこと。
そうやって一つ一つの瞬間を味わうことで、
幸せはいつも自分の中に、
そして目の前にあるものだと思えるようになりました。
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