黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

廃道:萬世大路~前編

2013-02-25 06:10:56 | 廃道
オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。

廃道の中では超有名物件(だそうです)の萬世大路。
明治時代に、
山形の米沢から福島の福島へ、そして福島から東京へと、
不便だった裏日本の産業発展の為に造られた道路。
当時山形の県令(知事)だった三島通庸によって建設され、
落成時に訪れた明治天皇によって命名された道路だそうです。
と基礎知識はこのぐらいにして、

廃道・萬世大路

実は右下の福島と左上の米沢を結ぶ国道13号が、
現在も萬世大路の名で呼ばれています。

実際、開通当時のルートと付かず離れず、
かなり同じルートを進んでいるのですが、
二ヶ所だけ大きくルートが違う所があります。

一ヶ所は福島を出て北に向かって膨らんでる場所。
当時はここまで膨らまずに一直線で進んでいました。
そしてもう一カ所は、地図中央に表記された栗子山付近。
現在のルートは栗子山の南をV字型に進んでいますが、
当時は逆に北に少し膨らむ様に進んでいました。

廃道・萬世大路

まず福島を出て一直線に進んでいた道路を体感すべく、
藍亀神社、通称塩竈神社へ。
勿論、この神社の訪問は平沼さんのご提案で、
私たちは何故そこへ行くのかもわからず、
ただただ付いて行くばかりです。
階段の下に天然木の杖が用意されていますが、
結構階段がきつい神社です。

廃道・萬世大路

そして神社の拝殿があるスペースから福島市を見ると、
なんと一直線の道が奇麗にみえます!
福島市をでて一直線に進んでいたかつての萬世大路は、
現在でも現道として残っているんですね。
平沼さん曰く、
明治時代にこれだけの土木工事をしていることから、
この萬世大路の重要性がよくわかる、と。
また、直接廃道になった道へ行く前に、
こうして萬世大路の素晴らしさを体感してから、
実際に廃道へ行くと、
より萬世大路の素晴らしさが分かる、のだそうです。
なるほど、なるほど。





廃道・萬世大路

藍亀神社をでてほどなくすると、
かつての萬世大路は現道をほぼ同じルートを進み出しますが、
それでも完全に同じではなく、
かつてのルートは現道から僅かにずれていた所も多く、
それらは画像の様な形で現在も残っています。

眼下に見える橋脚の跡がかつての萬世大路。
現道は相当高い位置を走っていることになります。

そして冒頭で触れた二カ所の大きくルートが違う所、
程はルートがずれていないながら、
現道と少しルートを異にする大滝宿/長老沢へ。
ほかにもルートがずれている所はそこかしこにありますが、
特にこの大滝を訪れるのにはわけがありました。

廃道・萬世大路

集落の入口にあたる場所に掛かる葭澤橋(よしざわばし)。
大滝の集落は、かつては萬世大路とともに栄えるも、
昭和40年代に過疎化が進み、昭和54年(1979)に廃村。
その後、業者による江戸時代風のテーマパークとして、
再生が試みられた時期もあったものの、
現在はその多くが撤退し、再び廃村となっています。
この鉄の朱塗りの欄干も、
おそらく業者時代に作り替えられたものでしょう。





廃道・萬世大路

橋を渡ると、既に店じまいした、
江戸茶屋風の店が軒を連ねます。
その中に、
廃道になった萬世大路の見学を促す案内板がありました。





廃道・萬世大路

果たしてこの集落にどれほどの人が訪れ、
萬世大路を見学に出かけていたのかは分かりませんが、
今はただ無人の静かな山村に残るあばら屋が、
かつての賑わいの跡を今に伝えるだけです。





廃道・萬世大路

あばら屋の向かいに山神神社と掘られた石柱がありました。
山神といえば炭鉱・鉱山の神様。
そういえば萬世大路の案内板のあった裏に、
坑道の跡らしき形をした横穴があったのを思い出します。





廃道・萬世大路

中に置かれた一輪車の大きさからも分かる通り、
それほど大きな坑道ではありませんが、
周囲の支柱の構造等、鉱山の通洞坑にそっくりです。
実は大滝には鉱山もあったそうです。





廃道・萬世大路

集落内には小さな川を渡る橋が幾つもありますが、
そのうちの一つ、いら沢橋。
上記の赤い欄干の橋も、
かつてはこういった素朴な橋だったんではないでしょうか。





廃道・萬世大路

いら沢橋を越えて暫く進むと、
長老沢の集落へ辿り着きます。
トタン屋根の腐食具合だけ見ると、
まだ人が住んでいてもおかしくないくらいですが、
どの家屋にも既に人影はありません。





廃道・萬世大路

そしてその一番奥に、
かつて萬世大路が竣工した際に巡幸された明治天皇が、
お休みになられた家屋があります。
しかも、お休みになられた当時の家屋だそうです。





廃道・萬世大路

平沼さんの話では、時々手入れが施されている、
ということでしたが、
明治天皇が訪れたのは、萬世大路竣工の明治14年(1881)。
木造の家屋が約130年も残っているのは驚きです。



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