2021年12月30日放映のNHKのドラマ「「倫敦 (ロンドン) ノ山本五十六」(香取慎吾主演)の感想
故山本五十六海軍大将元帥にはなんとなく好感を抱いていた。戦争に反対しながらも、いざ戦争となると真珠湾攻撃作戦成功という胸のすくような作戦の立案と指揮をした人だったからだ。
6、7年前、上杉謙信の春日山登山、柏崎市の田中角栄の生家や記念館と共に長岡市の山本五十六の生家や記念館を訪問した。ついでに縄文土器の博物館も訪問したのだが。
ところが、このたび2021年末放映のNHKのドラマ「「倫敦 (ロンドン) ノ山本五十六」(香取慎吾主演)で、海軍兵学校の同期であり、首席で卒業した親友の堀悌吉と比べる場面を見ると、私にとってはいかがなものかと、少し疑問が出てきた。
堀は非戦論者であり、米英仏との戦争は回避すべきと、今では誰もが思うことを見通していた。そして堂々とイケイケ派と対決し左遷される。
堀とは親友であり同じ論者であった山本はしかし、海軍という組織を飛び出したり、左遷されるほどの主張はしなかった。結果として、組織の駒として力を発揮していった。
山本が海軍をやめたら、もっと能力の低い人が連合艦隊司令長官になってバカをやることになったのだろうか。いや、それなら太平洋戦争は早く終了したのではなかっただろうか。
結局は大勢に従って戦争を遂行し、戦犯の1人になってしまった。途中でアメリカ軍に暗殺されてしまったのだが。
山本が海軍を辞しなかったために、アメリカ軍基地を奇襲し、世界史に残るような成果をあげることができたわけだが、そんなことよりも、非戦論者がなぜ組織に執着したのか、そのことのほうがよほど大きい〈謎〉である。
非戦によって日本を救うという救国愛民の信念と海軍という組織の駒を勤めるのとでは、どちらが重大なことか。山本五十六の世界観の限界が見えたような気がしたのである。
軍縮会議を経て、日本にとっての平和とプライドを天秤にかけたとき、やはり米英と一戦交えることは軍人として避けられないことだったのか。
それは軍人のプライドを守る程度のことである。ひいては西郷隆盛のように田舎に身を引き農業に精を出すべきではなかったか。敗戦時の食料難のときに再びヒーローになっただろうと思うのだが・・・。