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イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

振り払われる手

2022年01月04日 23時43分17秒 | 想い

現在かかっている病院の先生が
紹介状を書いて下さることになり急遽夕方、
その病院に向かい診察頂き
症状から心電図もとって頂く流れになりました。

昨年から続く身体の違和感、
いつもと違う、なんかおかしい・・・と感じていましたが
あることが気がかりで救急車を呼んだり
準備なく病院に行くことが出来ず
だましだましやり過ごしてきましたが
万が一倒れてしまったら大変なので明日、
書いて頂いた紹介状を持って大きな病院に参ります。

我が家には家族同様の猫がいます。

私に何かあった場合、彼女が
餓死してしまうことになりかねないので
昨年末、意を決して近隣に住む知人に
自身に起きている体調のことを伝え
力を貸して貰えないかとSOSを出させて貰いました。
というのは日頃の会話のやり取りからお互いいざという時は
協力しあえる関係と思っていたからでした。

また、平日はお勤めされていないことや
介護が必要な同居している親御さんや
お子さんがいらっしゃらないという点も
声をかけさせて貰った理由です。

昨年、彼女が大事に思い気にかけていたことがありました。

彼女はその日 仕事があり気持ちがあっても現場に来られない
動けない状況でした。そうした彼女から早朝、
電話やメールで出された指示(依頼)に対し
スピーディーに対応しました。
私自身にとっても長年見守り続けてきた
大切な存在だったのではじめて経験することでしたが、
誠心誠意 出来うることしました。
また、彼女から頼まれた訳ではなく
仕事をしていても状況が気になっていると思い
自分の意志で写メをとり都度状況を伝えました。
後日、「〇〇の所へ一緒に行ってほしい」と
彼女から連絡があった時、複数でそこへ行くことで
相手を追い詰めることになるのでは?と懸念しましたが
切羽詰まった状況が伝わったので一緒にそこへ行きました。
こうした事もあって「何かあった時には力になるから言ってね」と
言ってくれた彼女の言葉をそのまま素直に受け取っていました。

といっても本来、人様に頼る前に
身内が引き受けてくれるのがベストなので、
近年、複数の病院通いをしている高齢の母の体調が
年末から思わしくなく、足も腫れていて
こちらに毎日通ってご飯をあげて欲しいと
頼める状態ではなく、母の身体もその方が負担ないと感じ
私がもし、入院となった場合泊まって貰えないか、と
打診もしたのですが、
自分の家ではないことに不安を感じるという理由で却下
うちに来て間もない頃、雪の降る日に脱走したこともある、
現在も好奇心旺盛な、隙あらば外に出ようとする
すばしっこいルーチェを
年老いた母に託すのは母にとって
大きなストレスになる為
実家に預けることは元々頭にありませんでした。
完全室内飼いのルーチェは毎年健康診断を受けていますが
ワクチン接種はしていません。
当然のことですがワクチン接種をしていないと
動物病院は預かってくれません。
なにより彼女にトレスを与えない為に一番いいのは
住み慣れたこの家に、可能であれば信頼できる
犬や猫と生活した経験があり、
交通機関を使わず歩いて来て頂ける近隣に住む方に
お引き受け頂けたら有難いと思っていました。
彼女はその全てに当てはまる人でした。

数ヶ月前、「連絡」についてある提案をしたのですが、
納得がいかなかったのか、
それについて返信はなくその後パタリと
彼女からの連絡は途絶えたので
こちらから連絡することもありませんでした。
そんな中の数ヶ月ぶりの連絡はやはり躊躇したものの
私が、というより愛猫の命にかかわることなので
思い切って自身の身に起きていることをメールで伝え
お願いさせて頂きました。
(急なことでも電話はNGのようなので)

返信は仕事であることと「心配です」のメール。
そのあとは「困ったわね」の短いメール。
それから数日経ちましたが数ヶ月前のあの時と同じで
「YES」「NO」を含めた意思表示であり
私の甘えかも知れませんが「大丈夫?」という声かけも
返信も電話もありませんでした。
私自身、彼女から頼まれたことに対しインターバルをあけずに
快く動き協力していたこともあり
「あの時私は頼まれたことに対して快諾し即動いたのに…また?」と
切羽詰まった状況を知りながら言葉は悪いですが、
だんまりを決めこみ、何らかの返事が欲しい時に
また あやふやにされてしまったことは
体調が悪かったことも重なり大きなショックを受けました。

9年前、先住猫のミーシャをおくったように
元気な自分が大切な我が子のようなルーチェを
いつか責任を持ってちゃんとおくる、と決めていたのに
まさか、自分の体調が思わしくなく
こんなことになるなんて想定外でした。

どうしよう・・・・

この方は一見、思ってもいないことを
軽々しく口にするような人ではないように思えたので
いざという時は協力しあい助けあえる関係と
信じて疑わなかったのですが、
今回のことで今迄かけてくれていた言葉は
社交辞令だったと気づきました。
ある時、ある場面で八方美人なのかな?と
感じたことはあったのですが。

ご本人はご自身を明るいと思っていて
気づいていませんでしたが出会った時、この方の表情から
心の痛みや寂しさや悲しみを感じさせられました。
その理由は交流を重ねる中で分かったので
   心の癒しに繋がったら・・・と、現在は紹介のみ、の
私の大切な方を紹介しましたがその時もどこか他人事で
「有り難う」の言葉は聞かれなかったので
この方にとって紹介は別に有難いことではないんだなぁ、と
拍子抜けしました。

(昨今「これ以上の情報は有料のメルマガを登録下さい」というものを多く見かけます。
情報は何もしなくても降ってわいてくるものではなく価値あるものということを
理解しています。というのも
私自身これまで周りの人から
様々な情報や人脈を常に齎され、紹介されて、というより、
たまたま購入した本でその方を知り問い合わせご縁が繋がったとか、
セミナーを受講して学んだりと、
誰かから教えて頂くというよりも
自ら
切り開き体得してきたので、紹介頂くことは当たり前ではない有難いことと
身をもって知っていました。ある時、出会って間もない方が私を信用して下さり
その方が大切に紡いでらしたある方をご紹介下さいました。
有り難しのご縁に感謝の言葉をお伝えさせて頂いたのは言うまでもありません。
かつての私はサービス精神旺盛で時間やお金をかけて学び得たことを
親しい人に無償でシェアし続けていましたがある時からやめました。
思い返すと彼女はサクッと「⚪⚪教えてね」と言う方で
「〇〇知ってる?」と提供するのは私ばかりで
実際彼女から紹介されたり
齎されたものはなかったです。
また、彼女自身が私に言ったあることに対し、口約束ではなく
ホントに協力し動いて貰えたら嬉しいなぁ~と思っていましたが
それも実現することはなく、恐らく私に自分から言ったことも
忘れていると思います。残念ながら私達の関係は一時的なものでした。
give and takeのバランスが取れていなかったことが原因のように思います)

私は大事な人がSOSを出してきたら
回答をうやむやにせず即対応します。状況的に
力になれそうもなかったら、それも誠実に伝えますが、
言葉がけや励ましはします。
一刻を争う状況と感じた時はタイムラグのあるメールではなく
電話を入れ、声を聴き相手の状況を確めます。
彼女はいずれもなく あやふやにする人でした。
対応出来ないなら 回答をしない、ほったらかし、ではなく
前回も、そして今回も NOを言って欲しかった。
最初からその気がなく、また断ることが苦手なら
心にも無いことを軽々しく言わないで欲しかった。

今後は発する言葉と行動が一致する人なのかをよくよく見極め
言葉をそのまま受け取らず より慎重に
対人関係を築かねばと肝に銘じました。


自分を生きる それ即ち 好きを放つこと

2021年02月16日 02時46分10秒 | 想い

「努力して」とか「しゃかりきになって」のそれではなく
時間が経つのも忘れ、ただただ「あぁ、楽しいなぁ」という思いが
体中に駆け巡り難なくできてしまうことを得意なことと言うのなら
その、自分が得意とすることで
関わる存在の役に立ちたいと心底思う。
人生の折り返し地点を過ぎるまでの間、
嬉しいこと、楽しいこと、ばかりではなく
苦しかったこと、悲しかったことも
人並みに体験した結果、今の私があるが、
幸い私の場合は節目節目で大切な出逢いや導きがあって
大好きな「えがく」「言葉を紡ぐ」ということを
生業にしている。
大いなる存在にこの手を道具として使って頂き
表現させて頂いている。

物質的な 生きにくいこの世の中に
チャレンジャーとして舞い戻った意味を知らされた今
もう迷うことなく
「自分の命を輝かせ自分の命を使い切る」を決意した。

感受性が豊かな故、心の機微を素早く察知し、
自分には関係のない出来事にも深く感情移入をし
まるで自分のことのように親身になり寄り添うことを
長年、無意識に続けたことは、時に虚しさを覚え
辛酸をなめたこともあったけれど
こうした体験は無駄ではなかったと最近とみに思う。
様々な感情を味わったからこそ人と相対する時、
うわべだけではない相手の心境を慮り想像し
本当の意味で寄り添い、励まし、力になれると思うから。
なにより、私が本当に好きなこと、得意なこと、
癒され満たされること、譲れないこと、
心地よいこと、そして嫌なことを知る糧となった。

時に もがき、苦しみ、孤独を味わい
「なぜいつも1人で頑張り続けなければならないの」
「ズルイ! やってらんないわ」と怒り
ふてくされることもあったけれど、
愛されるに値しない、愛とはなんぞや?と
自問自答し続けていたけれど
いかなる時も私はちゃんと愛されていた
そして、愛を放出するヒトだったと気づかせてもえた時、
魂を薄っすら覆っていた膜がスルリと剥がれ落ち
魂の中心からサーッと光が溢れるヴィジョンを視せられ
様々が腑に落ちた。

私にとって体中が悦びに満ち溢れる心地よい時間
それは「創り出すこと」「生み出すこと」
もう、ほんとうに・・・ほんとうに・・・・
命輝かせることの素晴らしさに気づいてしまったからには
自分以外の喧騒に引っ張られるのではなく、
時々悩むことはあるかもしれないけれど(笑)
そんな生身の人間としての自分も恥じることなく受け止め
大好きな風に背中を押して貰い会話しながら
物言わぬ愛しき存在たちの命の輝きに心寄せ、
大いなる存在の美しさに目を凝らし感謝をしながら
目の前に用意された道(strada)を笑顔で颯爽と歩き続けます。

のんべんだらり、あるがまま・・・・
本質はかなり おっと~りしているのに、
頭の中は、と言えば 忙しなく(笑) 
常に色んな発想が巡り、人と話している時も、
一人でいる時も 次から次へ色んなアイディアが
ポンポンと浮かびあがり・・・・
自分を一言で表すと「閃き・発想の人」これに尽きる。
人とは物事の感じ方、表現の仕方、ペースが違っていて、
ちょっと、否、かなり抜けてる。
当の本人、狙ってやっているのでは勿論なくて
いわゆる、それを天然と言うらしいが、
得意なことには詳しいけれど、興味のないことは
「別に知らなくても生きていけるワ」とお気楽に
のほほんと悠長に構えているので
そうじゃないことは………(テンテンテン)
 地図の見方も然りetc・・・・・

高校時代、親しかった登山部の男子が
今度、アルプスに行く云々カンヌンと仲間に話していた時、
「あら、〇〇君、すごいね~ 海外に行くなんて・・・・」と
勿論、みんな「shokoちゃあぁ~ん」と大爆笑。
陸上の夏の合宿の行きのバスの中では先輩がおもむろに
「〇〇! あの看板 なんて読む?」
間髪入れずに私は「ふうみちょう」と・・・・
バスの中は大爆笑。呆れた先輩は、
「お前、マジでぇ? お前って可愛い顔してホント面白れぇな」と。
そうです、そうです、私は風見鶏(かざみどり)を
何を血迷ったのか、堂々と「ふうみちょう」と・・・・
国語は得意で諺も割と知っていて、漢字の読み書きも
長けているほうだと思っていますが、
先輩も後輩も先生も大勢いるバスの中で堂々と・・・・
「あぁ・・・・」こうして今ここで 何十年前の
恥ずかしいことを自己開示しながら思わず笑ってしまいました。
勿論、勿論、知っていましたヨ・・・・・(汗)

20代後半、予約時間が迫り やや慌てていた私は
足早に院内を歩きながら、ある科の受付を探していた。
丁度向こうから白衣姿のドクターが歩いてらしたので
「すみません。ガイカはどちらですか?」と。
するとドクターは、一瞬クスッと優しく微笑みながら
「あ、ゲカですね」と。
ひゃやあぁ~・・・・(→心の声)
私は慌てて先生の言葉を被せ気味に
「そうです、そうです ゲカです」と
もう、この時は本当に本当に赤面でした。
何ゆえに「ガイカ」と口をついて出てきたのか・・・・
トホホです(←古っ。まさに時代(年齢)が分かりますね。)
勿論、勿論、ゲカ、読み方、知っていましたよ。

人生の折り返し地点を過ぎているダイの大人ですが(笑)
つい最近も思い返しても「ひゃあ~」と
こっぱずかしい思い、もう、久々に穴があったら入りたいと
赤面してしまう出来事がありました。

それは昨年のクリスマスのこと。
「オトコ・フタリ」の一幕後の休憩時間。
トイレから出てきた私に感じの良い若い
キレイな女性がスッと寄ってきて
耳元で小声で優しく
「スカートが〇〇〇の中に入っていますよ」と
教えて下さいました。混みあっているトイレで。
あちゃーっ😣・・・本当に恥ずかしくて
穴があったら入りたい心境でした。
そっと耳打ちして下さった優しい女性に何度も、
心はきゃぁ~と驚きながらも
「ご親切に本当に有難うございました。」と
何度もお礼を申し上げました。
以前もすまして空港のトイレから出てきた後
同じようなことがあって・・・・
もしこの親切な女性がすぐに教えて下さらず、
このまま大勢が座っている客席に戻っていたら
と思うとゾッとします。

そして今年もまた性懲りもなく・・・・

ティーンの頃、ある芸能人がテレビで
旧中山道を(いちにちじゅうやまみち)と読んだという
失敗談を話していた時「あぁ、なるほどねぇ」と
ひとごとのように聞いていたのですが、
それからン十年後の今年、私もそれと似たような
読み間違え、勘違いをしました。
【高尾山口行】という電車に乗る際、(初めてか2回目)
改札で駅員さんに「たかお やまぐちいき は何番線ですか?」と
駅員さんは、私の話がよく聞こえなかったのか、
たかお という部分だけが聞こえたからか、
特に笑うでもなく、何番線に乗るかを
すぐ教えてくれたのですが、
無事、その電車に乗り込んだ時 ふと、
「あれ? もしかしてタカオヤマグチではなく
タカオサングチユキじゃない?」と思うと
タイミングよく社内アナウンスが
答えを言ってくれました。
勿論、高尾山は知っているし登ったこともある。
なのに、旧中山道のごとく、
慌てていた ほぼ初めて乗るからと言えども、
かの有名な、高尾山を高尾と山口に分けて読んでいた
あぁ、情けなや 恥ずかしや・・・・

でも、こんなスットコドッコイの私も
実は愛しく思つている私なのです(笑)

中学、高校、社会人と(躾の厳しかった短大時代は緊張の時代)
何故かモテていましたがそれは恐らく等身大の自分、
 ドジな自分を恥じたり、隠したりせず、
カッコつけず、人の目を気にすることもなく
あるがまま、イキイキと自分のペースで
生きていたからだと思うのです。
高校時代、複数の異性や先輩達から笑いながら
よく言われていたのは、
「いやぁ、SHOKOちゃんのペースは早すぎてついていけないよぉ」
でした。本人は意識していなかったけれど、
私の印象はつかみどころがない
いつも走っているヒトでした。

30代にさしかかるまでの私は、
胃カメラを飲んだこともあったけど
本当に伸び伸びと「自分の人生」を生きていたように思う。
そうはいっても ただお気楽に、
いつも誰かにヨイショされ、かまってもらったり
助けてもらったり、優しく甘やかされたり、
のそれではなく、物心ついた頃から
両親のケンカの原因は私なのではないか、とか 
私なんて生まれてこなければよかったと
(勿論私が原因ではないのだが)小さな胸を傷め責め
夜、4~5歳の私は布団の中で声を押し殺し泣いていた。
環境故に様々を敏感に感じ取る繊細な子供でもあった。

円形脱毛症という言葉など知らなかった小学校3~4年の頃、
「なんか頭の一部がツルンとするなぁ」と思ってはいたけれど
特に気にすることもなく、500円位の大きさの
一箇所ツルンとした部分はピンドメで上手くかくしていた。
ある時、母が気づき病院へ行くと、円形脱毛症と言われ、
当時、緑色の絵の具を溶いた液体の毛生え薬を塗り続けたら
いつの間にか治っていた。

かけっこが速かった私は小1~小6までリレーの選手で
町内会の運動会では毎年何人もごぼう抜きをし、
町内では「足の速いSHOKOちゃん」で通っていた。

中学に入学すると100人ほどいる陸上部に入り
青春を謳歌した。
3年の時は副部長を任され後輩を育てたり、
キラキラしていた。
後輩から手紙を貰ったり、交換日記をしたり
告白されたりと、面倒見が良い私は相談に乗ったり、
励ましたり、育てたりが好きだった。
長女の私は年下の方から頼られたり憧れられたり
目上の方から好かれることが多いが
当の本人実は、優しくされたいなぁ~
甘えられたらいいなぁ~という思いがある。
ふと、自己分析をしたとき、それが如実に分かるのは
自身が憧れ惹かれる犬種である。
昔からカッコイイ大型犬、
大きくてフワフワした毛の犬に惹かれるのは、
自身の中に大きな存在にくるまれ守られたい、
という深層心理の表れのような気がしている。

この世に生きとし生けるものは皆、
それぞれの輝きを放ち
それぞれのお役目を生かすべく存在している気がする。

気持ちがなだらかな状態が続きいつまでも時間を忘れ 
集中してやり続けられること、
それをすることで何より自分が満たされ
周りの人から喜ばれ感謝されること
それがあなたの美しきお役目という名の光のように思う。

 


心よりご冥福をお祈り致します・・・・

2014年03月14日 23時57分09秒 | 想い
 
          夕刻、インターネットニュースで 
    大好きな俳優、宇津井健さんの訃報に接しました。
              とてもショックです

  確か昨年、宇津井さんに関するある夢を見たのですが 
   普段からご健康にはとても気を配っていらっしゃる
宇津井さんと存じ上げ またその様にお見受けしていたので、
  一瞬、あれ?と思いましたが「いや、そんな筈はない」と
          すぐに自分の中で打消しました。

      20代から毎年の様に、年に数回 骨休めに
大好きなオーナー夫妻のいる山梨のペンションを訪れていました。

             80才に近い奥様とは
  途切れることなく賀状のやりとりをさせて頂いています。

   夜は道路に大の字になって寝転んで満点の星を眺め
   日中は小淵沢界隈の森を散策し乗馬をたのしみ・・・・
          美味しい空気に のどかな風景・・・・・
         今も変わらず小淵沢が大好きです。

             20代前半、ある夏の日、
        私達がお世話になっているある牧場で、
         偶然 宇津井さんとお逢いできました。

          元々 大ファンだった宇津井さん。
     (子供ながら赤いシリーズも拝見していました。)

           ある時、ペンションのオーナーに
         なんとなく宇津井さんのことを話すと 
     なんと、私達が時々乗馬で訪れていたある牧場に
     ご自身の愛馬を預けていらっしゃる宇津井さんが
     よく愛馬に会いにいらっしゃる、と教えてくれました。
              もう、ビックリでした。

    (牧場内にとどまらず 時々場外へ出てお馬さんに
            道を案内して貰いました。)

         山梨には沢山の牧場があります。

             大河ドラマを始めとして
      撮影の為に訓練されている馬も多くいます。
     宇津井さんにはいつかきっとお目にかかれると
                思っていました。

     (心から逢いたいな、と思う方とは無理をしたり
      特別な努力をしなくても これまで自然な形で
          お目にかかれていたので(*^_^*))

     それから間もなくして、小淵沢を訪れた時のこと、
乗馬でお世話になっている牧場の前を散策していた時でした。

  牧場の駐車スペースに おもむろに白い品川ナンバーの
            高級車がとまっていました。
       ふと 目にした木の柵の上には 使い込んで
 飴色になっていた艶のある鞍が 何気なく干してありました。

え?と思う間もなく、爽やかな笑顔と共に白い半袖のTシャツに
         ブーツ姿の筋肉隆々の宇津井さんが
           馬小屋から出てらっしゃいました。

      えぇーっ!? こんなことって あるんだ・・・・と
     感激もひとしおでしたが、折角お逢いできたので、
      子供の頃からファンだったという事をお伝えし、
          写真を撮って頂き、数十分に渡り
          色々なお話しをさせて頂きました。
        (当時私は23才位だったと思います。)

   宇津井さんは期待を裏切らず紳士的で 物腰も柔らかく
             本当に素敵な方でした。

       宇津井さんは、山梨で毎年行われている
       翌日の馬のお祭りの為に 山梨入りされ、
    今 牧場に着いたばかりであるとお話し下さいました。
その会話の後何と「もし良かったら僕の馬ご覧になりますか?」と
   仰って下さいました。ドキドキしながら馬小屋にいくと、
   そこにはアランという名の気品ある美しい白馬がいました。
  アランと宇津井さんが心の深い部分で繋がっていることは
              よく見て取れました。

       また、翌日のお祭りには 俳優の田中健さんも
    いらっしゃるということや、 明日 自分達が控えている
  テントに良かった遊びにいらっしゃいと仰って下さいました。

 初めてではないのですが、今回小淵沢を訪れた目的の1つは
          馬のお祭りを見る為でもあったので、
     勿論 翌日、お言葉に甘え テントにご挨拶に伺い、
          ファンレターもお渡しさせて頂きました。
  田中健さんも本当に感じの良い爽やかで素敵な方でした。
           こんな風に、一度ではありますが、
       大好きな宇津井さんと かつて数十分に渡り
 直接お話をさせて頂き、そのお人柄に触れさせて頂きました。
      ご出演のドラマもよく拝見させて頂きましたが、
  本当にお元気なご様子でしたので、訃報が未だ信じられず、
             ただ 哀しく思います。

      のちほど、夢日記を読み返したいと思います。

       宇津井さん、あちらでは最愛の奥様と共に
         どうぞ安らかにお休みくださいませ。

        今まで 数々の素晴らしい作品を優しさを
          本当にどうもありがとうございました。

 宇津井さんと一緒に撮って頂いた写真は大切な宝物です。
     
      本日 夕刻、訃報に接して間もなくして
        この記事をfacebookに先ずupしました。
     facebookにupした内容に少し加筆致しました。
      記事を書いた数時間後、ZEROをふと見ると
       宇津井さんの愛馬が預けられていた牧場と、
       在りし日の、60代の宇津井さんが颯爽と
      白馬、アランに乗っている映像が流れました。
 馬とカウボーイハットが最もお似合いではないかと思わされる
         宇津井さん。役者の道に進んだのも
    撮影で馬に乗れる機会が多いと聴かされたからと、
       以前ある番組の中でお話しされていました。

     数年前、アランは大切にして下さる方に譲ったと
インタビュアーにお話しになっている宇津井さんのお姿を拝見しました。
   
 あちらの世界でアランとの再会を果たされたでしょうか・・・・

           心より ご冥福をお祈り致します
 

~鎮魂~ あなたがいたことを忘れない

2014年03月11日 01時20分46秒 | 想い

020

あなたというかけがえのない人が

この世に存在したということを

いつまでも忘れない

 あなたと過ごした季節の匂い 

あなたの笑顔 

  あなたの温もり・・・・

  大丈夫・・・・

残された者たちの記憶の中で 

 あなたは いつ いつまでも 

 鮮やかに生き続けるから 


援護 ~様々な環境下に暮らす存在 ~

2013年08月21日 00時00分00秒 | 想い

004
知らないということは ある意味幸せなのかもしれない
    でも・・・・
 この星に住まう人間 それ以外の多くの命たち
 一握りの人は 

毎日を安全に幸せに暮らし
 水面をスイスイと滑るが如く
前へ前へとスピードを増し
 進んでいるのかもしれない。

 録画した『真夏の夜の美輪明宏スペシャル』の中で
  美輪さんがあることに対して仰った
「そういった人達を援護する立場になりたいとずっと思っていた」

の部分に深く魂が反応し揺さぶられ書きたくなった【援護】
 筆先に3滴ほどのごくわずかな墨をつけ動かされるままに書いた。

表面的なパフォーマンスや煌びやかさに惑わされることなく
 心音の美しい人の放つ輝きを捉え

見極められる人でありたいと改めて思った。