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イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

人の中の善を観て 人に溢るる美を愛す

2013年08月18日 04時47分47秒 | 想い

005

 選ばれし特別な人だけが輝きを放っているのでもなく
ありったけの言葉を駆使し

饒舌に語り 多くの人を説き伏せられる人が
拍手喝采に値するでもなく
表立っていなくても 有名でなくても

小さきものに心とめ
それぞれの善を慈しみ 多くを語らず
誰かに影響を与えようなどと思うこともなく
それなのに周りの人は いつのまにか
自分の中の大事な思いにハッと気付かされていたりする

 人はよくダイヤモンドの原石に例えられるけど
 それぞれに与えられた多くの課題を解く中で
 ときに あっちにぶつかり こっちにぶつかり
  転び、汚れ、傷つくを繰り返しながら
 次第に不要なものを手放してゆけるのかもしれない
  手放す度 曇りや 翳りが取り払われてゆき
   元々備わっていた光が顕れし時、
 それを 磨かれた と表現するのかもしれない

 ならばこの広い世界には一体どれくらいの
  個々の美しい煌めきが満ち満ちているのだろう



平和への祈り そして、幸せの卵

2013年08月15日 03時07分06秒 | 想い

003
忘れないれない ということ 
 意識する ということ 
  心に 留め置く ということ
  風化させない ということ 
  両の手に 沢山の希望握りしめ 
  舞い降りし光の子

 あの日の自分への誓い
  神よ、愛を具現化する道具としてお使い下さい


ムーブメント

2013年04月07日 23時42分41秒 | 想い

Photo
      4月5日に放送されたアナザースカイのゲストは
        デザイナーの森田恭通さんでした。
ゆっくり拝見したかったので録画をし7日早朝に見ました。

   森田さんの生み出す 洗礼された作品の一部を
  時々映像を通し 拝見させて頂いておりましたが、

スタイリッシュで美しさ輝き溢れる別世界のような空間
世界を繰り広げられる その類まれなるセンスや
感性は
一体どこからやってくるのだろうと、いつも
不思議に思い
うっとりしていました。大きな眼鏡の下から覗く穏やかで
  優しそうな瞳からは奥様の大地真央さんのことを
  さぞかし大切にされていらっしゃるのだろうなぁ~と
            想像しておりました。


 番組を拝見し、
森田氏が日頃考えていらっしゃる事や
 掲げられていらっしゃるテーマ【ハッピーサプライズ】や
    多くの国を実際に見て来られたからこその
グローバルな視点、森田氏の豊かで素晴らしい経験値に
  裏打ちされた 1つ1つのメッセージ性のあるお話や
   ご自身の体験談etc・・・・その全てに深く感動し
   共感致しました。そして多くのヒントを頂くと共に、
自身の中に迸(ほとばし)るある思いを再確認できました

     
         
    
       勝手ながら、番組を拝見するまでは 
   その外見的な部分から、スマートで物腰が柔らかく
    物静かな印象の方が実は強かったのですが、
   実際の森田氏は、穏やかさや物腰の柔らかさを
      十分に兼ね備えながらも、それ以上に
  並外れた行動力、閃き、勢いがおありで、勘がよく
  気骨で
頼もしく、本当の意味で男らしい方であり、
  更にユーモアに溢れ、明るく朗らかな、それはそれは
   魅力的な方でいらっしゃるなぁ~と思いました。

森田氏は第2の故郷とも呼べる程大好きなロンドンの街を
  ユーモアたっぷりにナビゲートされていました。お陰で、
  2001年頃からロンドンの様々な壁に絵を描き始め、
  のちに作品の持つメッセージ性やアート性が世界中で
    話題となった、容姿も年齢も全て謎の人物、
    BANKSY(バンクシー)についても 以前より
   身近に感じ、知ることができ嬉しくなりました
     落書きという表現で 人々に問いかけ、
  人々の心を揺さぶり続けてきたバンクシーを認める
イギリスという国もまた凄いと森田氏は仰っていました。
  アーティストの存在を認めるイギリス、ロンドン。
 この街の小さなイースト地区からは沢山のアーティスト達が
         巣立っていったとのことでした
【ネームバリューや思想信条に関わらず誰にも正当な評価を
与えてくれる、才能を評価してくれるロンドン】だからこそ
                 森田氏はロンドンが好きであり、
 そしてまた、ご自身の原点でもあると仰っていました。
   
   ロンドンは古き伝統と、新しき革新的な物とが 
いつもミックスされており正統派とアウトロー派が同じ土壌で
          戦っているとのことでした。

   訪れた事はあっても、それまで関心のなかった
    ロンドンという街のことを、森田氏のお陰で
       急に色々と知りたくなってきました。

  森田氏は13年前に『100%デザインロンドン』という
   家具の見本市にご自身の作品を出展する為に
    多目的ホール、アールズコートを訪れたそうです。

 海外の見本市というのは言わば 新たな商談を決める
  世界への窓口であり、インテリアデザイナー、バイアーなど、
 誰かしらの目にとまれば そこから一気に道が開ける
         夢叶う場であると知りました。
  今や世界を舞台にし、選ぶ側の森田氏も13年前は
     選ばれる側だったそうです。日本では既に
    オファーの絶えない売れっ子になっていたものの
  自分の力はどの位置なのかを知る、試す意味でも
         ロンドンに向かったようでした。 

意外でしたが、元々デザイナーになろうと思ったのでもなく
   勢いで来たような所があり、元々独学で学び、
正統派ではない自分にコンプレックスを抱えていたそうです。
       このお話をお聞きした時、才能とは、
   誰もが分かる どこそこの何々を立派な成績で
  卒業することでもなく、ある限られた一部の評価に
 囚われ そこに固執し 埋没し 胡坐をかくことでもなく
  肩書なども一切関係のない そんなものを飛び越え
 突き抜けた先に果てしなく広がる それは大きなもの
          のように思わされました。
  森田さんの作品が自由で研ぎ澄まされているのは
  決められた小さな枠の中で纏まり満足しようとせず
 常にご自身のオリジナリティーを追及されて来られたから
 なのかなと畏れ多くもそんな風に感じさせられました。 

   2000年 32才の時、アールズコートの四畳半程の
   スペースをかりて5日間、朝から晩まで1日中立ち、
それなりに仕事が決まっていくと思っていたそうですが、
   実際は猫の額程の小スペースに 人は埋まらず、
       ボコボコにされた、と仰ってました。
 最終日「君達はこれからどうするんだ」と聞かれた時、
その言葉に小馬鹿にされたと感じた森田氏は火がつき
一番広いスペースは何処かを聞き、お金もなかったのに
    なんと来年の見本市のスペース確保の書類に
    サインをしたそうです。スペースを借りるお金は
   高かったものの分割でいいと言ってくれた事で、
   帰国してからの1年間は 一生懸命お金を貯め、
  いよいよ、一年後に 今度は見本市の ど真ん中の
一番広いスペースで作品を顕した所 なんだ?なんだ?と
   注目をされ、人が集まってくれ 仕事へと繋がり
   以来 年3回 ロンドンに仕事で訪れるそうです。
  繊細にして大胆、ある意味かけの様な大きな決断に
   潔さや思い切りを感じ素晴らしい!と思いました。
 森田氏曰く、最初に訪れた時、ボコボコにされたものの、
そこで終わらず【自分から逃げず自分に勝ったからこそ
    今の自分がある。そこそこ上手くいっていたら 
   そこそこで 終わっていた。自分にしかないものを
     見つけるかっていうことはすごく大切で
オリジナリティーを持っているかが勝負でそこに尽きる

           と 仰られていました。

 ロンドンで世界観が変わり、色々な国を実際に見て来て、
    【人はオリジナリティー溢れる所に集まる】
    という事を番組冒頭でも仰られていましたが、
    僭越ながら 私自身も同じように思っています。
    枯渇しないオリジナリティーにこそある強み・・・・

  私自身も表現者として 生涯 オリジナリティーを

     大切に育んで参りたいと思っています。

30分という枠を超越した それはそれは内容の濃い
    ファンタスティックなアナザースカイでした。

   『 森田恭通アート展 What´s Gold? 』
      銀座ポーラミュージアム アネックス
2013年4月13日~5月26日 ※入場料無料


 期間中 私も是非アート
展に伺いたいと思っています


成長とともに

2013年01月23日 23時48分47秒 | 想い

002
  自分の気持ちは自分が一番よく知っていると思っていながらも
  あること あるきっかけ ある出逢いを通して
  思いがけず 自分の本当の気持ちや
  自分が心底望む心地良さに はたと 気づくことがある。

  人生において人は その時々に、その瞬間に
   実に多くの選択をしていると思う。
       
  他の誰でもない自分の意志で相手を信頼し
   共に歩くことを決め その環境を選んだ時、
 途中、自分らしさを抑え込んでしまっている、とか
  何かが違ってしまっていると感じていたとしても
  不必要な真面目さがどこか仇となって 
    無意識に続けることに重きを置き、
 本当は無意味な我慢や努力を続けてしまうという事は
    無きにしも非ずなのかもしれない。

   年を重ねるうちに
【自分を大切に出来て初めて他を大事にする事が出来る】
    の意味が判るようになった。

  自分が かけがえのない自分の想いを汲み取り
  慈しみ 敬意を払い 先ず
自分が輝いていなければ
   自分の想いを後回しにしていたら
   大切な人の想いを汲み取ることも 
   協調することも出来ないような気がしてならない。        

   もしかしたら私は自分で、 自身の柔らかな心や 

    私らしさというものを 我慢することによって
      縛ってしまっていたのではなかったか、

   本当は相手の言動に深く傷つき悲しかったのに
   自分の想いに蓋をして、

  大丈夫なふりをしてしまっていたのではなかったのか
   ふいに そんなことを思った。

 人は誰しも その人に合ったペースで
 進化向上を遂げてゆくものだから
その時々の自分の、相手の (広義の意味において)
  成長段階によって 惹かれるものも
  引き合わされるものも 異なるように
思わされる。
その時は確かに話が合い意気投合していたとしても
  それぞれの経験値や成長に合わせて 

  多少のズレが生じるのは至極当たり前の
    自然なことなのかもしれない。