蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

小松帯刀   (bon)

2012-09-29 | 読書

ずっと以前に、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読んだときになぜか、小松帯刀(たてわき)という人が気にかかっていた。

そうしたらその内、NHK大河ドラマの「篤姫」(2008年)で、結構描かれていたので、またそのことが気になりだした。
その頃相前後して、本屋さんに「竜馬を超えた男 小松帯刀」(原口泉著、平成20年、グラフ社)
があるのを見たので、すぐに買った。 

 早速、読み始めたのですが、何となく期待に反した流れで、引き込まれてゆかないうちに30頁ほどで
中断したまま・・すでに4年が過ぎていました。 2年前のドラマ「龍馬伝」では、あまり描かれていなかったようでした。

 最近、改めて読んでみて、小松帯刀という人が、今の世の中にも必要な人であると思わずにはいられない感じなので、記事にアップしました。 
この本でも言っていますが、結局のところこの人は、薩摩の重鎮として力、組織としての力と経済力を
持ち合わせているが、この時代の封建制度に似合わず、身分の上下を気にしない、藩の秩序を乱さずに
自由な発想が出来、しかも、「無私」のこころに徹した、支援・推進活動をやってのけたというのです。

小松帯刀(満34歳没)
(ウイキペディアより)


下級武士ながら西郷(隆盛)や大久保(利通)  はては、土佐の風来坊的存在の龍馬たちをうまく助けて、
財政面でも大きく支援しながら自らも大局的判断に立ち、薩摩組織を守りながら、
これら自由改革路線をうまく推進させた中心人物という。

 薩長同盟、薩土盟約などは、京都の小松邸で行われているし、慶喜(徳川)の大政奉還に強い影響を与え、
一方では、亀山社中も立ち上げています。

 優れた功績を残しながら、自らを表面に立てず、褒賞も辞退し、ただひたすら惜しみない支援を続ける、
社交的、計画的で優しい性格の小松帯刀は、その名もあまり知られない。

やはり、ある程度エゴを出し、もらうべきはもらい、少しぐらいやりすぎた方が、その名も残る・・ということなんですね。

 最近の政治家などは、エゴと私欲に裏打ちされた?ともいうべき行動に、そのくせ、言葉だけは
抽象的で、巧みな響きを匂わせている。

 時代の先を読み、グローバルな発想と自らの探究心を持った献身的な「無私」な政治家は、もういないのでしょうか?


以下に、ネットから引用した部分を挙げておきます。
 「小松帯刀(こまつ たてわき 1835(天保6)~1870(明治3)年)は,幕末史上なじみのない人物ではあるが,
強い意志と明噺な頭脳を持ち,藩主島津(なりあきら)の側近として,西郷隆盛,大久保利通などを登用・抜擢した。

 下級武士に過ぎなかった西郷隆盛や大久保利通,一介の浪人であった坂本龍馬が幕末に存在感を持つ
活動が出来たのも,薩摩藩家老という地位を持った小松帯刀の支援協力があったからで,
明治政府樹立に向けて,小松帯刀の存在は大きかったというのが,見直されている理由である。」

 「小松帯刀は,鎖国という状況のもとにあって,掟破りとも言える発想で,西洋の技術や文化を積極的に採りいれた。
藩主島津斉彬の意をうけて1861年には長崎で洋水雷、砲術の知識を学ぶとともに,オランダ艦船に
搭乗し軍艦の操縦術を習得。

 家老就任後には,生麦事件に端を発した薩英戦争(1863年)でイギリスと戦火を交え,
その科学技術力の高さを身をもって体験したことから,講和成立後は一転して英国との親交を深め,
留学生を派遣するなどして先進技術の導入に取り組んだ。

 幕末維新期に活躍した,英国の辣腕外交官アーネスト・サトウは,明治維新を裏方として支援した小松帯刀(こまつ・たてわき)について,次のような人物評を残している。

 “小松は私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物で,家老の家柄だが,そういう階級の人間に似合わず,政治的な才能があり,態度にすぐれ,それに友情が厚く,そんな点で人々に傑出していた。”」


最後に、著者原口氏の締めくくりとして・・・
「そして、日本のリーダーたちが、帯刀の“無私”の何十分の一かにでもあやかることができたら、日本は世界からもっと尊敬される国になり、政治の腐敗は正され、社会はより“清廉”な、筋の通った力強いものになるでしょう。」



ちょっと違いますが、ピアノ発表会でもお馴染みの・・・








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1 コメント

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日本史の影に埋もれていた裏の立役者 (mak)
2012-09-30 05:41:40
近代日本への維新の裏の立役者 (mak)
2012-09-29 21:36:07
34歳という若さで、大政奉還、明治維新という日本の歴史に残る大業をなした薩長志士に大きく影響を及ぼした裏の立役者である、帯刀の偉大さには驚くばかりです。
歴史の影に埋もれていた人物にスポットを与えた本を是非読んでみたいと思います。

さらに、毎日新聞に新刊「小松帯刀」 高村直助著が紹介されていたので、この本も読んでみたいと思います。http://mainichi.jp/feature/news/20120722ddm015070011000c2.html

小松帯刀の数少ない名言がありました。この時代にこんなことを言うなんて、相当開けていた人であることがわかります。
「自分もぜひパリに渡りたいと志願したけれども聞き入れられず、本当に残念です」
注釈:1867年(慶応3年)に開催されたパリ万博に、薩摩は幕府とは別に「薩摩パビリオン」を出展した。計画を進めながら実際に行くことができなかった帯刀が、大久保利通に宛てた手紙にこのような一節があった。パリに行けなかった残念さが滲みでている。

来月19日から1週間ほど鹿児島へ行きますので、是非小松帯刀の像を見たいと思います。

ショパンの革命も、ブログにぴったりの曲ですね。
色々と勉強になりました。ありがとう。
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