令和5年の3月も早や最終日となりました。 センバツは、準決勝を迎え、
プロ野球はいよいよ開幕し、関東の桜はその時期を過ぎようとしています。
昔の桜はその満開は、入学式の頃・・などと記憶していますが、随分早くなっ
たものです。
例によって、ただ思いつくままの色々な『言葉』の不思議や面白さなどを
ネットなどを調べて列記してみました。 今回は、その35回となりました。
では~
・巾着 いきなり巾着などが出てきて戸惑いますが、最近の若い人たちには
何のことかと思われるかもしれませんね。
巾着(きんちゃく)とは、『開口部を緒(お)で絞める袋のこと。 素材と
しては革、布、編物などがあり、それを袋状にして、その口(開口部)を緒
(「お」つまり紐類)で絞めくくる。小物を入れるための袋物の一種』とあ
ります。 つまり、ものを出し入れする「口」(くち)の部分に紐が通して
あり、その紐で「口」を絞るようにして閉じることができる袋が「巾着」な
んです。
(ネット画像より)
言語由来辞典から、「巾」は、「頭巾(ずきん)」や「布巾(ふきん)」
にも用いられる語で、「布切れ」の意味だそうです。 肌身に着けて携帯する
布切れ(袋)なので、「巾着(巾着袋)」と言うようになったとあります。
巾着は、火打ち道具を入れた火打ち袋が変化したものといわれ、古くは金銭
のほか、お守りや薬、印章なども入れられていたのだそうです。
明治時代の修身の教科書に「光政の巾着」というのがあったそうです。
池田光政(江戸時代の大名1609年-1682年)の逸話だそうです。『池田光政は
倹約につとめた大名で、ある日、家臣が珊瑚の緒締を紐につけた豪華な巾着を
つけているのを見たが、その時は何も言わず、後日その家臣に対し「これは
自分が手づくりした巾着である、出来がとても良いので、そなたに授けよう」
と粗末な布で縫い、火箸で穴をあけただけのムクロジの実を緒締にした巾着
を渡し、暗に倹約の励行を示したという。』
昔、「守巾着」と呼ばれる、中にお守りを入れて幼児に携行させた巾着袋
があったそうです。麻の葉の模様や鶴・亀・菊など布地の模様や刺繍、紐の
結び方などに魔除けや健康・長寿の意味をもたせたものであったそうです。
また、明治から昭和にかけての日本の軍隊では、入営のときに用いられる
必需品をおさめる袋である「奉公袋」「応召袋」あるいは兵隊たちに支給さ
れた「被服手入具(ひふくていれぐ)」を入れておく麻製の袋が巾着袋の形状
をしていたという。
巾着が長くなりますが、2~3の比喩を・・。
・巾着を腰にぶらさげて持ち歩いていたことから、それの比喩で、権力者など
にべった りとくっついている人間のことを「腰巾着(こしぎんちゃく)」
と呼ぶ。 また、同様の意味で、ついでに旅行にまで同行することを「巾着旅行」
と呼ぶ。
・巾着に金品類を入れたので、スリのことを「巾着切り(きんちゃっきり)」
と呼んだ。
・おでんなどの煮物料理に用いられる油揚げ加工品に「巾着」と呼ばれる食品
がある。餅などが入っており、口をかんぴょうなどで巾着の口のように結んだ
「餅巾」。
・イソギンチャク(磯巾着) 形状が似ているため。
・キンチャクソウ(巾着草) やはり形状が似ているから。
・台所 なぜ、「台」なのでしょうか。 食器などを乗せる足つきの
御膳のことを「台盤(だいばん)」といって、この台盤を並べて料理の盛り
付けをしていた所を「台盤所(だいばんどころ)」と呼び、その後次第にこの
「台盤所」を略して「台所(だいどころ)」と呼ぶようになったとあります。
つまり「台所」は元々平安貴族の屋敷にあった「料理を盛り付けする場所」
という意味だったのですね。そして、この台所で料理の盛り付けを仕切る屋敷
の主人の妻のことを、台所を取り仕切る人という事で「御台所(みだいどころ)」
と呼ばれていたのです。
しかし室町時代になると、料理を運ぶ手間を省くために「厨(くりや)=
料理を作る場所」と「台所=盛り付けする場所」を一体化してこの場所全体
を「台所」と呼ぶようになったのだそうです。これが現在のキッチンですね。
台所のことを「お勝手」と呼ぶこともありますね。この言葉も古くからあ
るようです。 平安時代の男性の権力は強く男性社会が色濃くなってきて、
使用人の女性達は屋敷の中を勝手に歩き回ったり話したり自由に出来ない風潮
になっていましたが、この「台所」だけは、使用人の女性が自分たちの食事を
したり談所をしたり、男性の目を気にせず自由に過ごせる場所だったのですね。
つまり、台所が唯一「勝手がきく場所」だったので、「お勝手」と呼び始めた
とあります。
また、台所にある小さな出入り口を「勝手口」といいますよね。室町時代
からも台所には出入り口があり、使用人の女性達が男性の目を気にせず勝手に
外に行き来できる出入り口ということで「勝手口」と呼ばれるようになったと。
勝手口は、裏口ではないのです。
・今わの際 突然ですが、どうしてこのように言うのでしょうか?
臨終の時。 死にぎわ。 最期の時。のことですね。
「いまわ・いまは」は当て字で「今際」と表記し、「今は限り」の略で、
「今は限り」は「今はもうこれ限り」、つまり「死に際」「臨終」を意味する
とあります。 これに「際」を加えた「今際の際」は重複表現で、ギリギリで
あることを強調した語なんだそうです。
「今際」は死ぬ間際を意味する表現。もうすぐ死ぬ、もはやこれまで、と
いう瞬間のことですね。 今、どうしてこの言葉が出てきたのか、自分でも
見当がつかず不思議ですが、まぁ、いずれそのうちにこのような状態を迎える
ことになるのですね。今はまだその気配はありませんが・・。
類似表現には、「今際の刻み」や「今際の時」「今際の果て」があります。
(ネット画像より)
ここで、「イマワ」は、「今」に助詞「は」の付いたもので、元来は「今
は限り」「今はよし」などというところを、下の部分(限り、よし)を省略
した表現として使われていたそうです。 『竹取物語』には、かぐや姫が昇天
に際して天人を押しとどめて書き遺した文に添えた、以下のような和歌があ
ります。 「今はとて天の羽衣きる折ぞ君を哀れと思ひ出ける」 今はもう
これまでと天の羽衣を着るこのときに、あなた様のことをしみじみと思い出
しているのです、という意味で、「今はもうこれまで」というかぐや姫の切
ない思いがストレートに表現されているというのです。
・よしんば 「縦(よし)んば」と書きます。「たてんば」ではありません。
意味は「話し手が肯定し難いような、極端な状態を仮に想定するさま」です。
「仮にそうであったとしても」、という意味合いで使用されることが多い
言葉です。 「よしんば」の後に仮定の言葉をつけ「~のはずがない」や
「~の訳がない」と続けることで、実現性の低いことを表す。
大和言葉の一つですね。
「縦」は、「糸」と「したがいつづく」で構成され、たて糸の意味を表し、
1、ゆるめる・ゆるむ 2、ゆるす 3、はなつ 4、ほしいまま 5、ほ
しいままにする 6、たとい・たとえ 7、たて 8、あと 9、すすめる
・そそのかす
の意味があるとありました。(旺文社標準漢和辞典)
また、学研全訳古語辞典には、「よしゑやし」(縦しゑやし)とは、よしゑ
+やし で構成された言葉で 1、ままよ。ええ、どうともなれ 2、たとえ。
よしんば。 の意味であるとあります。
ちょっと難しいですね。
(ネット画像より)
・なんぎ(難儀) goo辞書の解説に、なんぎーする で、1、苦しみ悩むこと。
苦労すること。また、そのさま。 2、面倒なこと。迷惑なこと。また、その
さま。 3、処理するのがむずかしいこと。また、そのさま。 とあり、
1の例として、「腰を屈めるのも―だ」「雪道を行くのに―する」 2の例として、
「―をかける」「―な話をもちこむ」 3の例は「宮は此の事何れも―なりと
おぼし召して」が挙げられていました。普通は、1または2の意味で使われて
いるようです。
「難」という漢字には、「苦しみ」や「たやすく進めない」などの意味が
あり、「儀」は、「こと」を表わすとあり、そこから、「難儀」には、「悩
み苦しむこと」、「容易ではないこと」という意味となるのですね。 また、
「困難なこと」というニュアンスが派生して、「貧乏」という意味で「難儀」
が使われることもあるとありました。
(ネット画像より)
この「難儀」という言葉についてちょっと難儀なことを思いつきました。
雪道を行く難儀や友達に難儀しているなどは、普通よく使われそうですが、
もっと大きな出来事や事柄などには相応しくないように思います。
ロシアのウクライナ侵略に難儀している や 少子化問題に難儀している
・・などは、思い悩む大きさが違い過ぎて・・。
君の意見を正すのに難儀しているのです!
HAUSER & Caroline Campbell - Quizás, Quizás, Quizás
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