「たわけもの」という言葉は日常生活でよく耳にしますし自身使ったりもします。時代劇などでも、主人が「この、たわけもの」と一喝するシーンをよく見かけます。
小生はこの「たわけ」の語源に関し全く知りませんでしたし検証することもなく今まで使っていました。殆んどの人はご存知なのでしょうが・・・。
昨日拙宅がある地区の自治会役員会(小生は昨年役員の一角に就任を余儀なくされた)の新年会があり、その席で役員の1人が解説してくれました。
拙宅の周りは、周辺にまだ田んぼ・畑が散在する地区ですが、自宅周辺には5-6姓の同名の苗字の家が沢山あります。その方々のご先祖はお百姓さんで先代が亡くなりその子孫が相続で土地を受け継いだ一族がそこに屋敷を建て同じ苗字の家が並んでいるのです。小生は東京に事務所がある会社に勤務していましたのでここに居を構えて以降も近隣の人たちとの交流が少なく役員会で初めてお会いした人が多かったのですが、役員会では近隣の話をする時は皆さんが苗字だけではなくフル・ネームで呼んでいるのです。小生にはどの人とどの人がどういう姻戚関係にあるのか分からず、「覚えるのが大変ですわ」という話をしたら、役員の一人が同姓の人が多いのは「田分け」の結果で、「たわけもの」の語源は相続で田んぼを分けることからからきているのだと次のような話をしてくれたのです。
農民が自分の跡をつがせるために、子供に田畑を分け与えるが、子供が二、三人もいると、一人当たりの面積が少なくなり、また田畑をもらった子供たちが自分の子供たちに、その子供が自分の子供に…というように、田畑をどんどん受け継いでいくと、しまいには一人当たりの面積が少なくなり、全員が食べていけなくなる。それで「田分(たわけ)」は、愚か者のする事だというので、阿呆、馬鹿という意味で「たわけもの」と言うようになったのだと解説してくれました。
その解説を聞きなるほどと感心し、帰宅後インターネットで検索してみました。
「語源由来辞典」によると下記のように纏められていました。
QOT
たわけ者の「たわけ」は「田分け」と書き、子供の人数で田畑を分けると、孫の代ひ孫の代に受けつがれていくうちに、それぞれの面積は狭くなり、少量の収穫しか入らず家系が衰退する。
そのような愚かなことを馬鹿にして「たわけ者」として呼ぶようになったとする説が多い。しかし、「たわけ」という言葉は「ばかげたことをする」「ふざける」などを意味する動詞「戯く(たわく)」の連用形が名詞となった言葉であるため、「田分け」の説は「
戯け」と「田分け」を洒落た俗説で、「戯け者」が語源である。
UNQOT
この歳になるまで小生は「たわけ者」の語源を考えることなく、単に「馬鹿者」という意味で使っていました。「知らぬは自分ばかりなり」。恥ずかしい限りです。
昨年暮れにテニス仲間の1人が他界しました。彼の位牌に向かって奥様に代わり捧げました。
ちあきなおみ 冬隣
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語源というのは、それなりに面白いですね。田分け・・も、一理あるところです。 相続税も見直されるとか・・“田分けしなくても?” そんな大判ふるまいではなさそうですが。
冬隣り、好きな歌です。 すぐに聞けるようにしました。
貴友人も、お空でこの歌を聴いていることでしょう。
昔、よくこの言葉「たわけ」で、そんなバカなことをするんじゃないという意味で怒られたものです。
やっとその由来がNobさんのブログで知ったわけで、今までその由来が信長時代の武家言葉と思い込んでおりました。
貼り付けられた「冬隣」も好きな曲ですが、冬度なりと呼び冬の気配が感じられる晩秋の頃を指すのですね。
恥ずかしながら、この言葉の読み方と意味を知ったのも初めてです。